今回と次回はイギリスのフットボールの話ではなく、その親たちを中心とした話です。環境、インフラ、考え方、フットボールとイギリス人との親(ちか)さなどからイギリス社会を汲み取って頂けることを願ってしたためてみました。お楽しみ頂ければ幸いです。
「彼はプロになれる」初めてこの言葉を聞いたとき、身体中に電流が走りました。場面は2004年の秋、息子が11歳の時。イングランド・プレミアリーグのあるチームのジュニアユースチームのスカウトが、息子たちの試合を観戦する当方の元に寄って来て言い放った一言でした。一瞬だけ鼻息が荒くなりましたが、「ある本」に書かれていたガイドラインを思い出し、その後の当方は努めて冷静な態度を維持しました。
その直前に起きたプレーは、映画 “Bend it like Beckham”(ベッカムのように曲がれ:邦名「ベッカムに恋して」)の英題名よろしく、息子がコーナーからキックしたボールはゴールバーすれすれに急角度でベンド(スライド)して、ダイレクトで得点したのです。普段からの練習の成果とは言え、プロ顔負けの技でした。それも、周囲の状況を踏まえたうえで行った戦略的なプレーだったようで、試合後の彼に聞くと「敵チームの選手全員の背が高かったから…」 しかし、そんな彼は、プロ選手にはなっていません。一体彼に何が起こったのか。親の目線で、フットボールペアレンツの経験からフォーカスしたいと思います。
「すみません。この(5歳くらいの息)子にちょっと見せてやりたくて…。すぐにお返しします」と言うと、彼はボールを一旦3,4mほどの高さに蹴り上げたかと思うや、次の瞬間には吸い付いたようにボールは彼の身体を離れません。しばらくの間、その技の凄さに妻と当方はあっけにとられて観ていました。「どこで教わったんですか?」と聞くと、「ゴールデンエイジを経験したBritish boysなら誰でもできますよ」と答えるなり、“Daddy, You’re wicked ”と興奮して喜ぶ息子さんと一緒に男性はその場から去って行きました。「British Boysなら誰でもって…、本当かね?」と、当方は英人の妻に尋ねましたが、彼女は両の手の平を上に向けて、「意外だ」という表情を見せていました。
ちなみに、体育以外ではサッカー(イギリス語のフットボール)の経験が無い当方のジャグリングはせいぜい10回が集中力の限度ですが、当時60代前半の義父でもジャグリングが何回出来るかなど、回数は数えたことが無い(ほど、いくらでも出来る)とのことでした。義父は戦後間もない1950年代以降、子ども(拙妻と義弟)たちが生まれるまでは、フットボールとクリケットを職場のチームやロンドン南部のクラパムのコミュニティで年に数回楽しんだ経験があるだけだそうです。イギリスだけでなく世界中が貧しい時代でしたので、庶民の娯楽はフットボールしか無かった時代のことです。
話しは息子に戻ります。彼は8歳頃からサリー州の地元のクラブチームに所属するようになると、どんどんその頭角を著わし、いろいろな上位リーグの上位チームからスカウトされるようになり、多い時は所属チームを年に3,4回変えて、キャリアアップしていくことになりました。冒頭で述べたように11歳までにプレミアのジュニアユースチームからスカウトされたことは生涯の思い出になりました。当時の彼の技術は同年代の子どもたちを圧倒していました。そのキック力やジャグリングでも判りましたが、何よりも判断力が優れていたので、ゴールの数を重ねるだけでなく、チャンスを作り出すことにも長けていると評価されていました。
イギリス人男性の多くが親になると、我が子らにフットボールを教えます。冒頭のジャグリングの男性も5歳児の父親として、自分の技を魅せて子供に動機付けをしていました。子どもたちがフットボールに興味を持ち始めるきっかけはそんな他愛のないことでしょう。やがて、大喚声の渦巻くフットボール会場に子供を連れ、超人的なプレーとそれに熱狂する周囲のファンたちと一緒になって、自分も人を熱狂させられるような選手になりたいとか、コミュニティの草フットボールで活躍する父親の姿を見て父親以上になりたいとか、自己顕示欲に訴えることが、動機付けとして一般的であると思います。
そして、子どものフットボールを支える親(football parents)としては、この時点から段階的に様々な役割が生じて来ます。
まず、イギリスの子どもたちがフットボールに参加する主な機会と言えば、学校、地域(コミュニティ)のフットボールクラブ、そしてプロのジュニアチームなどへの参加が考えられます。当方の息子は学校と地域との両方への参加から始まりました。学校では学年ごとの選抜チーム、地域でも年齢別でチームが構成されます。そして、目立つ選手は上位チームやプロジュニアからリクルートされます。サッカーのヒエラルヒ画像のように、段階を追って進んでいくと、頂点のプロになれるわけです。
当方も現実的な考え方を重視するので、プロのスカウトに「あなたの息子は「プロになれる」と言われても、その言葉を統計的に、且つ確率的に数値化して将来を冷静に考えていました。夢を持つことは、もちろん大切なことですが、子どもだけでなく、その親も、実際と将来の目標とのギャップを埋めて行く過程を設定した途端に、複数の人間の生涯を支配しないとも限らないのですから、失敗した場合のリスクも考えるわけです。その目標にまっしぐらに向かって成功するヒトは居るでしょうけど、わずかに選ばれた人たちだけですし、目標に達したとしても、その後の将来や未来には何があるでしょうか? 一寸先は誰にも分らないので、どんなに優秀な選手でも第二の選択を準備しておく必要があります。つまり、フットボールペアレンツは普通に子供の将来を考えている、ということです。
理想のフットボールペアレンツとは、画像にもあるように、その役割がひとつの本に集約されています。この本では、コーチの仕方、フィットネスの指導法、審判という義務、心理面でもチームとして、且つ個人としての励まし方を箇条書で著わしています。チームやクラブの健全な運営、普段の生活や食事などに加えて人生とフットボールとの関り方を子どもたちに伝える教育の機会でもあるとも述べています。しごく当たり前のことですが、チームという多人数の他人を伴うことなので、唯我独尊でチームに接するのではなく、ガイドラインとして、親本人が子どもに対して、またチームに対して、過不足なポイントをチェックするために不可欠なロングセラーとして20年ほど経つ本が、フットボーラーを育てる親のためのガイドブック”Football Parents”です。
すなわち、冒頭で述べた「あの本」のことです。当方にプロスカウトが近寄って来た時「たとえ、自分の子どもがプロから注目を浴びようとも、今所属しているチーム全体のことを優先して行動すべき」というガイドラインを反芻することで、平静な気持ちを維持し、チーム内に不和を持ち込むことは避けられたと思っています。
しかし、実際の親たちの行動はどうでしょうか? そして、子どもたちは? 次回、その2/2では実際のFootball Parentsとゴールデンエイジ後のフットボーラーたちの進路について述べたいと思います。
ちなみに、息子のプレーで評価が高かったことのひとつは、タックルされても倒れないことと、タックルを避ける反射神経と、予知して回避する技術を備えていたことです。アマチュアのタックルとはあまり上手ではないディフェンダーの行う、反則覚悟の苦し紛れのプレーですが、息子はディフェンスの動きを読み、衝突をかわしながら、ボールを維持する。あるいは、攻守ともに怪我をしないように球切れの瞬間を見極めていました。本人にその見極める方法を聞いたことを、当方なりに収斂してみると、現在起きているプレー全体を考えた上で(俯瞰した上で)、直観(intuition:経験・知識・理解を基にした見解、判断)的に次のプレーを瞬間的にイメージするとのことでした。
このことから、後年になって気付いたことですが、たぶん、味方だけでなく参加選手全員に対する気配りや、プレー全体を見渡す「優しい」配慮などは、敵はもちろん味方をも蹴落としてプロになるには不要なもの、あるいは優先順位の低いマナー(道徳観)であって、彼をプロのフットボーラーから遠ざけた原因のひとつだったのかもしれないと、思うようになりました。
次回はこの続きです。お楽しみに。
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「彼はプロになれる」初めてこの言葉を聞いたとき、身体中に電流が走りました。場面は2004年の秋、息子が11歳の時。イングランド・プレミアリーグのあるチームのジュニアユースチームのスカウトが、息子たちの試合を観戦する当方の元に寄って来て言い放った一言でした。一瞬だけ鼻息が荒くなりましたが、「ある本」に書かれていたガイドラインを思い出し、その後の当方は努めて冷静な態度を維持しました。
その直前に起きたプレーは、映画 “Bend it like Beckham”(ベッカムのように曲がれ:邦名「ベッカムに恋して」)の英題名よろしく、息子がコーナーからキックしたボールはゴールバーすれすれに急角度でベンド(スライド)して、ダイレクトで得点したのです。普段からの練習の成果とは言え、プロ顔負けの技でした。それも、周囲の状況を踏まえたうえで行った戦略的なプレーだったようで、試合後の彼に聞くと「敵チームの選手全員の背が高かったから…」 しかし、そんな彼は、プロ選手にはなっていません。一体彼に何が起こったのか。親の目線で、フットボールペアレンツの経験からフォーカスしたいと思います。
親ばかな画像ですが、11歳の小さな息子がコーナーキックから直接ゴールを決める直前です。どのチームに昇格しても、背番号10を貰えて、コーナーキックなどのプレイスキックは彼の役割でしたので、年に数回はダイレクトゴールを決めていました。監督や周囲の親たちが「彼に蹴らせろ」と、拙息子の名前を言うので、それだけ確かな技術だったのでしょう。当方にはまったく判らない技術的なエリアでした
フットボールで作る親子関係
年代は、さらに遡って1992年。当時、チャーチル元首相の終の棲み家となったマナーハウス、チャートウェル(現在はナショナル・トラストの所有。誰でも入れます)が拙宅から割と近かったので、天気の良い日はよく家族で出かけたものです。芝生の上で、まだ1歳にも満たない娘に向かってソフトボール大の柔らかいウレタンボールを転がして遊んでいると、何かの拍子にボールが5mほど離れたところに弾けてしまいました。ボールは当方と同年代と思しきイギリス人男性の足元に転がると、半ズボンに半袖でサンダル履きという出で立ちの彼は、その足先にボールを乗せるなり、いきなりボールジャグリングを始めました。「すみません。この(5歳くらいの息)子にちょっと見せてやりたくて…。すぐにお返しします」と言うと、彼はボールを一旦3,4mほどの高さに蹴り上げたかと思うや、次の瞬間には吸い付いたようにボールは彼の身体を離れません。しばらくの間、その技の凄さに妻と当方はあっけにとられて観ていました。「どこで教わったんですか?」と聞くと、「ゴールデンエイジを経験したBritish boysなら誰でもできますよ」と答えるなり、“Daddy, You’re wicked ”と興奮して喜ぶ息子さんと一緒に男性はその場から去って行きました。「British Boysなら誰でもって…、本当かね?」と、当方は英人の妻に尋ねましたが、彼女は両の手の平を上に向けて、「意外だ」という表情を見せていました。
1歳になる直前の娘。後に転がっているウレタン製のフットボールが、当方にBritish Boysの真髄を教えてくれることになろうとは…
British boysのフットボール
妻の弟はグラマースクール(17,18歳までが通う公立の試験選抜制の中高)時代には地元の年齢別のアマチュア・フットボール選手でキャプテンをしていましたが、妻はまったくスポーツに興味がなく、実の弟の技量を知ろうともしなかったとのこと。その義弟にも我が子らと同年代の子どもたちがいるので、夏のガーデンBBQの際には庭先でボール遊びが始まります。すると、義弟や義父の軽快な足技が披露されました。「なるほど。この人たちにとってボールジャグリングなど当たり前の技なんだなぁ」と改めて納得しました。ちなみに、体育以外ではサッカー(イギリス語のフットボール)の経験が無い当方のジャグリングはせいぜい10回が集中力の限度ですが、当時60代前半の義父でもジャグリングが何回出来るかなど、回数は数えたことが無い(ほど、いくらでも出来る)とのことでした。義父は戦後間もない1950年代以降、子ども(拙妻と義弟)たちが生まれるまでは、フットボールとクリケットを職場のチームやロンドン南部のクラパムのコミュニティで年に数回楽しんだ経験があるだけだそうです。イギリスだけでなく世界中が貧しい時代でしたので、庶民の娯楽はフットボールしか無かった時代のことです。
話しは息子に戻ります。彼は8歳頃からサリー州の地元のクラブチームに所属するようになると、どんどんその頭角を著わし、いろいろな上位リーグの上位チームからスカウトされるようになり、多い時は所属チームを年に3,4回変えて、キャリアアップしていくことになりました。冒頭で述べたように11歳までにプレミアのジュニアユースチームからスカウトされたことは生涯の思い出になりました。当時の彼の技術は同年代の子どもたちを圧倒していました。そのキック力やジャグリングでも判りましたが、何よりも判断力が優れていたので、ゴールの数を重ねるだけでなく、チャンスを作り出すことにも長けていると評価されていました。
当時はこんなものまで作って、チーム全体について、統計と理論で監督に意見していました。大方の親は自分の子どものことを中心にしたチーム展開を監督に進言するのですが、当方はいつも個々の役割によってチーム全体の機能を向上する意見を述べていたので、監督からとても感謝されました。英語で作らなければければ通じない筈なのに、画像のようになぜか日本語で作ったものが見つかりました。息子は右利きですが、左足でも蹴られるので、どこのチームに所属しても左ミッドフィールダーを任されました。
育ったBritish Boysと親としての役割
しかし、我が息子はその後、いくつかの理由でフットボールを辞めてしまいました。それでも、大人の体躯に成長してからもファンフェアなどで、ゴールのアトラクションなどがあると、正確で強力なキック力を見せつけては周囲のイギリス人を驚かせていますし、今ではコミュニティリーグでアシスト王や得点王になっています。その彼にとって、人生最初の挫折はプロのフットボーラーになれなかったことです。そして、後年には「なれなくてよかったかも…」と自らが口にすることになりました。その背景については「その2/2」で述べます。イギリス人男性の多くが親になると、我が子らにフットボールを教えます。冒頭のジャグリングの男性も5歳児の父親として、自分の技を魅せて子供に動機付けをしていました。子どもたちがフットボールに興味を持ち始めるきっかけはそんな他愛のないことでしょう。やがて、大喚声の渦巻くフットボール会場に子供を連れ、超人的なプレーとそれに熱狂する周囲のファンたちと一緒になって、自分も人を熱狂させられるような選手になりたいとか、コミュニティの草フットボールで活躍する父親の姿を見て父親以上になりたいとか、自己顕示欲に訴えることが、動機付けとして一般的であると思います。
そして、子どものフットボールを支える親(football parents)としては、この時点から段階的に様々な役割が生じて来ます。
まず、イギリスの子どもたちがフットボールに参加する主な機会と言えば、学校、地域(コミュニティ)のフットボールクラブ、そしてプロのジュニアチームなどへの参加が考えられます。当方の息子は学校と地域との両方への参加から始まりました。学校では学年ごとの選抜チーム、地域でも年齢別でチームが構成されます。そして、目立つ選手は上位チームやプロジュニアからリクルートされます。サッカーのヒエラルヒ画像のように、段階を追って進んでいくと、頂点のプロになれるわけです。
当方の息子が行けたのは、Affiliated Juniorまで。こうして見ると、プロには程遠かったことが分かります
冬は日照時間が短いので、ナイト施設が必須です。また、全天候用のピッチで練習します。
理想のフットボーラーに育てるガイド
高嶺の花であるプロを目指す一方で、イギリスでは子どもたちのフットボールを支持する親たちは共通した考えを持っていると思います。それは「『夢を持つことの尊さ』を学ぶ機会」を子どもたちに与えることです。但し、「自分を信じれば夢は実現できる」というような成功したスポーツ選手が口にする内容とは異なります。「理想と現実とを直視せざるを得ない人生の厳しさを学ばせる機会」と言い換えても良いかもしれません。当方も現実的な考え方を重視するので、プロのスカウトに「あなたの息子は「プロになれる」と言われても、その言葉を統計的に、且つ確率的に数値化して将来を冷静に考えていました。夢を持つことは、もちろん大切なことですが、子どもだけでなく、その親も、実際と将来の目標とのギャップを埋めて行く過程を設定した途端に、複数の人間の生涯を支配しないとも限らないのですから、失敗した場合のリスクも考えるわけです。その目標にまっしぐらに向かって成功するヒトは居るでしょうけど、わずかに選ばれた人たちだけですし、目標に達したとしても、その後の将来や未来には何があるでしょうか? 一寸先は誰にも分らないので、どんなに優秀な選手でも第二の選択を準備しておく必要があります。つまり、フットボールペアレンツは普通に子供の将来を考えている、ということです。
理想のフットボールペアレンツとは、画像にもあるように、その役割がひとつの本に集約されています。この本では、コーチの仕方、フィットネスの指導法、審判という義務、心理面でもチームとして、且つ個人としての励まし方を箇条書で著わしています。チームやクラブの健全な運営、普段の生活や食事などに加えて人生とフットボールとの関り方を子どもたちに伝える教育の機会でもあるとも述べています。しごく当たり前のことですが、チームという多人数の他人を伴うことなので、唯我独尊でチームに接するのではなく、ガイドラインとして、親本人が子どもに対して、またチームに対して、過不足なポイントをチェックするために不可欠なロングセラーとして20年ほど経つ本が、フットボーラーを育てる親のためのガイドブック”Football Parents”です。
すなわち、冒頭で述べた「あの本」のことです。当方にプロスカウトが近寄って来た時「たとえ、自分の子どもがプロから注目を浴びようとも、今所属しているチーム全体のことを優先して行動すべき」というガイドラインを反芻することで、平静な気持ちを維持し、チーム内に不和を持ち込むことは避けられたと思っています。
版を重ねるロングセラーです。正直なところ、まともで当たり前のことしか書かれていません。しかし、目次に目を通すだけで背筋が伸びる思いがします。
しかし、実際の親たちの行動はどうでしょうか? そして、子どもたちは? 次回、その2/2では実際のFootball Parentsとゴールデンエイジ後のフットボーラーたちの進路について述べたいと思います。
ちなみに、息子のプレーで評価が高かったことのひとつは、タックルされても倒れないことと、タックルを避ける反射神経と、予知して回避する技術を備えていたことです。アマチュアのタックルとはあまり上手ではないディフェンダーの行う、反則覚悟の苦し紛れのプレーですが、息子はディフェンスの動きを読み、衝突をかわしながら、ボールを維持する。あるいは、攻守ともに怪我をしないように球切れの瞬間を見極めていました。本人にその見極める方法を聞いたことを、当方なりに収斂してみると、現在起きているプレー全体を考えた上で(俯瞰した上で)、直観(intuition:経験・知識・理解を基にした見解、判断)的に次のプレーを瞬間的にイメージするとのことでした。
息子はこのチームでリーグ最多得点を取り、優勝に貢献しました。ここから上位リーグの別チームに招かれ、翌シーズンには異なるユニフォーム姿でプレーしました。しかし、それからのレベルが高過ぎて、本人も悩み始めていました。
このことから、後年になって気付いたことですが、たぶん、味方だけでなく参加選手全員に対する気配りや、プレー全体を見渡す「優しい」配慮などは、敵はもちろん味方をも蹴落としてプロになるには不要なもの、あるいは優先順位の低いマナー(道徳観)であって、彼をプロのフットボーラーから遠ざけた原因のひとつだったのかもしれないと、思うようになりました。
次回はこの続きです。お楽しみに。
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英国は年がら年中スポーツの季節
ハムのコンフォートな誘惑 コンフォートフード・シリーズ その4/4
ソーセージが引き寄せる肉汁のコンフォート コンフォートフード・シリーズ その3/4
チーズのもたらすコンフォート コンフォートフード・シリーズ その2/4
コンフォートを見つける達人 コンフォートフード・シリーズ その1/4
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。