英国の作家と言えば、シェイクスピア、ミルトン、ワーズワース、オースティン、ディケンズ、ジョイス、ゴールディングあたりが最も知られているでしょうか。
作品や登場人物を見ても、ガリヴァー、アリス、シャーロックホームズ、ジェイムズボンド、ハリーポッターなど、世界中に熱狂的なファンを持つキャラクターが数多く生み出されています。
海外の作品から読者が受け取る印象は、訳者との相性に大きく左右されるものです。
もちろん、原書で読むに越したことはないでしょう。
しかし、どれほど語学に精通したところで、語感には、その言語を母語としてきた人間にしか感受されない領域があります。
宗教や人種、階級などにおいても、同じことが言えるかもしれません。
作者の意図を、文章の感触を、物語の背景を、人物の心象を。
ユーモアを、ペーソスを、アイロニーを、レトリックを。
その全てを、異なる言語で余すことなく再現しようなど、そもそもが無理難題というものです。
ひとつの古典を訳者違いで読み比べてみたり、作家縛りならぬ翻訳家縛りで次なる一冊に手を伸ばしてみたり。
訳によってイメージが変化してしまうというなら、読者はただ、開き直ってそれさえも楽しみとするべきなのでしょう。
“文学はどこまでも芸術である。……そして芸術は、楽しみのために存在するのである。”(S.モーム)
異言語の文学を楽しむということ。
どうやら、難しく考える必要はなさそうです。
読みたいものを、読みたいように。
ぜひ。