みなさんこんにちは!
土曜日恒例モノ・コトBLOG、今週は「ひつじ」という単語だけでヨダレが出る安藤がお送りします。
さて今回は、諸事情により文字だらけでございます。なんとも恐縮…する気もない文字数に結局なってしまいましたが、どうぞ無謀なつれづれにお付き合いいただければ幸いです。
万国共通に愛されてやまない羊ですが、日本は世界の中でも “最も羊とは無縁の国” のひとつだったことは、意外と知られていません。
日本で初めて「羊」との接点があったのは江戸再末期、羊織物製品が輸入されたことに始まりました。それらを日本で生み出すべく生きた羊が日本の土を踏んだのは、なんと明治に入ってから。
「ん?それはおかしい。干支にも「ひつじ」はいるじゃないか!」とお思いの方もいらっしゃるかと思います。なんとそこが落とし穴。
十干十二支の概念は江戸時代に今の中国から伝わってきました。その中で「辰=龍」と「未=羊」以外の動物は日常の中に、また龍は空想のものながら、滝・雷・川・波など暮らしの中に想起され、信仰に深く根ざした生き物です。
しかし、羊はどうでしょう?八百万の神様がいるこの国にして、羊を祭っていた神社というのは聞いたことがありません(今はあるかもですね!)。
江戸中期に制作された日本初のイラスト入り大百科『和漢三才図絵』(1713)にも、「ひつじ」という欄に添えられているのは、
山羊と鹿を足して割ってキモくしたような絵(大人の都合でここには載せられぬため、ご興味がある方はグーグル先生まで)。干支以外の情報が皆無に近い中で頭をひねった有識者の、どんだけ~!!(爆)な苦しみがよく表れています。
にもかかわらず「じゃあ知ってる動物に変えてしまおう!」とならなかったのも日本の面白いところ。意外と庶民には、妖怪みたいなカテゴリーですんなり収まっちゃったのかもしれませんね。
そんなこんなで、日本に「ひつじ」は存在していなかったにもかかわらず、その言葉の“文字と音”だけが、時間・方角など昔の生活やインフラにどっっっぷり根づくことになりました。
ところ変わってイギリスはどうでしょう。有史の段階ですでに存在していたといわれる「羊」。古くからの民謡にもあるように、身の周りで当たり前にいる存在だったため、宗教・文化すべてにおいて「羊」との関わりには常に生活の実感がありました。
経済においては有名すぎて書くのが怖いですが、番宣がからむので続けます!(笑)
中世にはヨーロッパ各地の家庭で美しい毛織物が作られてきましたが、イギリスは戦争が続きまくってしまい、家庭でほのぼの糸を紡いで…という環境がなかなか得られませんでした。そのため、国家単位で輸出できたのは羊の原毛まで、毛織物の生産は他国に比べてあまりにも大きく出遅れていました。
しかし、イギリスのどんでん返しは13世紀、後に羊毛商人王と呼ばれるエドワード3世に始まります。1337年、彼がスコットランドに進攻した際に、どうやら現地では優秀な毛織物が作られていることに気づかれた様子。
振り返って「35億!!」と言ったかどうかは謎ですが、戻るやいなや直ちに羊の原毛の輸出を全面禁止。さらには同年のうちに輸入の禁止まで踏み切ってしまいました。
そのころ、毛織物の加工品で繁栄を極めていたのがイギリスからドーバー海峡は目と鼻の先な対岸地域、フランドル地方。今の北フランスからベルギーにかけての沿岸部ですね。この法律はイギリス国内でも大混乱を呼びましたが、原毛の主な輸入を最高にコスパの良かったイギリスに頼り切っていたフランドル地方にとって、致命的な打撃となりました。
ここでエドワード3世はフランドルの職人たちにニンマリ告げます。
「スタッフ急募!社保完備!社長は国王!明るく楽しい職場です!続きはwebで!」…国王ごめんなさい(汗)。
とまぁ、安住の地と厚い庇護を約束したところ、織師がどんどんイギリスになだれ込むこと数千人にもなったそうです。
その彼らに与えた地のひとつがLavenham。
「フランドル織師の仕事場」と名を馳せつつ後の大英帝国の礎を築いたこの場所は、近代になり羊毛産業が衰退してからも「イギリス一美しい中世の町」と呼ばれ、その歴史は脈々と受け継がれています。
はてさて、戻れないくらいに脱線しましたが無理やり画像でごまかします!(北海道焼尻島サフォーク、日本一美味いといわれる幻の肉)
イギリスで「羊」という単語がでたら、ぜひその歴史にも興味を持っていただけたら嬉しいです。
ちなみに、20日(金)から待ちに待ったLAVENHAMパーソナルオーダー予約会が始まります!
ぜひ遊びにいらしてくださいね。皆様とお話ができることを楽しみにしています。
青山本店 安藤