さようならスターマン。追悼 デヴィッド・ボウイ | BRITISH MADE

さようならスターマン。追悼 デヴィッド・ボウイ

2016.01.14

新年から悲しい報せが届いてしまいました。皆さんご存知の通り、1月10日、デヴィッド・ボウイが亡くなりました。69歳でした。

訃報が発表された11日の朝、偶然にも私は週刊で音楽評の連載を持っているサンデー毎日の「恋する音楽」で、彼の新作「★」(ブラックスターと読む)について書き、原稿を編集部に送っていました。しばらく仮眠しようとベッドのなかでごろごろしていたら、ふとボウイの公式Twitterの文面に驚き、飛び起きました。
どうせハッキングでもされたのだとタカをくくっていました。しかし追ってすぐボウイの息子であるダンカン・ジョーンズ監督が、その発表が本当である旨をツイートしたのです。

どのくらい呆然としていたのか。ハッと我に返り、気をとりなおしてサンデー毎日の担当に電話をかけ、原稿の進行を止めてもらい、差し替え原稿を書かせてほしいと頼みました。
担当が快く了解してくれたので、私はともかく考えをまとめなくてはと彼の幾つかのアルバムを引っ張り出して聴き始めました。でも、何を聴いても、どうもしっくりこないのです。
そこで再び「★」を聴き始めました。するとふっと腑に落ちて、気がついたらぼろぼろと涙が溢れてきました。自分の状態に驚いて、あらためて日本盤歌詞カードの訳詞を読み直しました。するとさらに涙が溢れてしまい、そこから暫く止まらなくなってしまいました。

20160115_main0David Bowie – Blackstar
その数時間後には書き直したサンデー毎日の原稿を書いて入稿し直しました。書き直している途中に携帯が鳴りました。共同通信社から追悼文のオファーでした。この媒体では、なるべくビギナーの方でも分かるようなテキストを心がけました。ですので、ここでは単なるいちファンの独断による“私の好きなボウイ”を綴らせてもらいたいと思います。
最初に聴いたボウイがどのアルバムでどの曲だったのか、どういうわけか思い出せません。ビートルズやストーンズといった他のフェイバリットについてはよく覚えているのに、何故だか不思議なのですが。私は71年生まれで、洋楽を聴き出したのは中学の頃でしたので、おそらくその頃に聴いたのだと思います。高校生になった頃に何枚かのアルバムを買い求め、よく聴いていた記憶があります。
恥ずかしながら、その昔、バンドのギタリストでした。あ、聞こえが良過ぎるな。ただのアマチュアのバンド兄ちゃんでした(笑)。で、ボウイのナンバーでよく弾いていた曲がありました。「サフラジェット・シティ」(92年)です。高校の頃に組んでいたボーカルに恵まれなかったバンドで、仕方がないからギターを弾きながら自分で歌っていました。

同じアルバムに入っていて同じように好きだった「スターマン」でも「ジギー・スターダスト」でもなく「サフラジェット・シティ」だったのは、あのリズムとミック・ロンソンのギターリフがたまらなく好きだったのと、20世紀初頭の婦人参政権論者を指す“Suffragette”という耳慣れない単語に、何だか妙なインテリジェンスを感じたのだと思います(※ただし“サフラジェット”は薬のディーラーを指しているとか、“サフラジェット・シティ”とは売春宿の名前という説もあるようですが)。
20160115_main3David Bowie – Ziggy Stardust
ともかく《Wham Bam Thank You Ma’am!》とシャウトで見栄を切れるカっ飛んだロックンロールは、当時弾いていたストーンズやエアロスミスやガンズ&ローゼズとも相性が良くて、まあ数え切れないくらい弾きました。歌もギターも下手クソだったけど、あの曲を弾いた時のえも言われぬ快感は今でも覚えています。

哲学的な歌詞、ラジカルな歌詞、カッ飛んだ歌詞。そのどれもがボウイでした。
ボウイのスタイルといえばグラムロック時代やスゥインギン・ロンドンを想起させる60〜70年のファッションやメイクも絶大な支持を受けていますが、私はそれと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に、セットアップやスーツ姿のボウイが好きでした。
初期ビートルズのモッズスーツ、ストーンズの70年代のエドワード調ルックや90年代のマフィアっぽいスーツの着こなしも好きでしたが、モード的な意味合いで最初に“カッコいい”と認識したスーツ姿のアーティストはボウイでした。
例えばリアルタイム体験では93年、「レッツ・ダンス」以来、久々にナイル・ロジャーズとタッグを組み、前述のミック・ロンソンもゲスト参加したアルバム『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』からのシングルカット曲「ジャンプ・ゼイ・セイ」のPVで見られた、カチッとしたスーツの着こなしにはシビれまくりました。自分の現在のスーツ好きのかなりの部分はボウイが担っていると思います(007は近年の後付けだったので)。

このSTORIESの第三回(※つい先日なのに何と無邪気なテキストなのかと…)でも書きましたが、96年、イタリアはフィレンツェで、一度だけ生のボウイに会えました。結果として最後の来日公演となった04年の武道館も観ることができました。私よりも豊富な知識と熱狂を抱いている人は世界にゴマンといるでしょう。でも、それを分かった上で臆せず言えば、やっぱり一度でいいからインタビューの場で会ってみたかった。

私はかつて故・大島渚監督にインタビューをしました。その時のエピソードだけでこのブログ三本は書けますが、ともかくインタビューではなかなかコテンパンにやられました。
決して監督が意地悪だったのではなく、ひとえに若輩だった私の落ち度でした。でも、その原稿の書き出しで「大島渚とは美と義の人である」と書いたら、監督からスタッフを経由して「合格です」という伝言が届きました。この「美と義の人」のくだりは、監督の名前をボウイと置き換えてもイコールであると、私はずっと思ってきました。
20160115_main2映画「戦場のメリークリスマス」
83年の映画「戦場のメリークリスマス」に出演したボウイと大島監督は、美と義の魂で結ばれていた表現者だったと私は思います。人とは違ってもそれを貫く。これが美学です。自分が正しいと思うやり方を曲げない。これが義です。多くの人が知るように、彼らはそれに忠実でした。
日本でのボウイはこの「戦メリ」や「レッツ・ダンス」のヒットや広く知られていたようです。地上波の訃報で紹介されたのがだいたいこのふたつでしたから。
ブレのない美学が根幹にあったから、どこを切り取っても才能の一端を感じられる。この点もまたボウイの凄みです。無論、その一方で評価が振るわなかった時代もドラッグに溺れた時代も経験し、創作意欲を失いかけるような人間臭さも持っていました。

最新作にしてラストアルバムとなった「★」で、彼はこう歌っています。

《俺はブラックスター。ギャングスターでもフィルムスターでもポップスターない》(「★」)。
《天国にいる俺を見上げてくれ、俺は自由になるんだ》(「ラザレス」)。
《見るほどに感覚を失い、否定を口にしつつ肯定する。これが今まで私が伝えたかった全てだ。私が送り続けたメッセージだ》(「アイ・キャント・ギヴ・エヴリシング・アウェイ」。以上訳詞を一部中略して抜粋)。
彼は18ヶ月に渡って肝臓癌と闘っていたそうです。つまり「★」が遺作になることを覚悟していたのです。まさに決死の制作だったでしょう。
しかし彼は馴染みばかりとつるむような安全牌は切らず(そしてこれまでもそうだったように)懐メロも自己模倣も一切なく、盟友トニー・ヴィスコンティと若いミュージシャンらと共に、新しい音楽を探求し続けました。

人生の幕引きを自ら綺麗に遂げることは非常に難しいだろうと私は考えます。自死を除けば突然なことが多く、そうでなければ活力を奪われるからです。でもボウイは見事にアルバムを遺して星になりました。彼の死後、その病状を知らされていたトニーが答えたインタビューによると、本作は「ボウイがファンへの最後の贈り物として作った」アルバムだったそうです。その証拠に、現在本作の収録曲は彼の公式アカウントによって全てYOUTUBE上にアップされています。
いま、過去の数多ある代表曲ではなく、新作が最もフィットしているのは、ここに彼自身と時代のリアリティが見事に投影されていたからではないかと、私は思っています。
不穏で変則的なリズムに現代社会の混沌と自らの遺言を掛け合わせたような全7曲と、ラストの「私は全てを与えることなどできない」(「アイ・キャント〜」)という言葉の真意を探るべく、いまは涙を拭いてただ繰り返し「★」を聴いています。まだ無数の読み解けていないメッセージと答えが、このアルバムには込められているような気がしてなりません。
イギリスで行われた彼の大回顧展が、来春には日本でも開催されるそうです。繰り返しですがカメレオンのように変化し続けた音楽性だったにも関わらず、ベスト盤でも好きなアルバムでも、触れれば必ずそこにボウイの美学が感じられると思います。これまであまり彼の音楽を聴いてこなかったリスナーの方も、よかったらこれを機にトライされてはいかがでしょうか。

最期まで気高い美学と魂を持ち続けた、不世出の表現者でした。何だかまとまりに欠けるテキストを綴ってしまいましたが、世界中のメディアとファンが綴ったこの挨拶の文句を、私もここで使って今回のブログを締めたいと思います。
——たくさんのクールをありがとう。そして、さようならスターマン。


Text by Uchida Masaki


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内田 正樹

内田 正樹

エディター、ライター、ディレクター。雑誌SWITCH編集長を経てフリーランスに。音楽をはじめファッション、映画、演劇ほか様々な分野におけるインタビュー、オフィシャルライティングや、パンフレットや宣伝制作の編集/テキスト/コピーライティングなどに携わる。不定期でテレビ/ラジオ出演や、イベント/web番組のMCも務めている。近年の主な執筆媒体は音楽ナタリー、Yahoo!ニュース特集、共同通信社(文化欄)、SWITCH、サンデー毎日、encoreほか。編著書に『東京事変 チャンネルガイド』、『椎名林檎 音楽家のカルテ』がある。

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