今年は残念な訃報が続きます。4月21日、プリンスが急逝しました。
デヴィッド・ボウイ、ジョージ・マーティン、グレン・フライ、キース・エマーソン……まだ四月だというのに、今年は残念な訃報が続きます。4月21日、プリンスが急逝しました。無論誰であろうが悲しいニュースであり、ファンかどうかでショックの度合いにも差は出るのでしょうが、個人的には特にデヴィッド・ボウイや彼のような、無二の美学を感じさせてくれた絶対的なアイコンに突然去られるのが何とも堪りません。
日本の古参のファンには殿下の愛称で親しまれたプリンス。日本では同世代で一時は親交もあった(そしてやはり本名が芸名だった)マイケル・ジャクソンやマドンナに比べればやや劣っていたかもしれません。広く知られたという意味では格闘技K-1のテーマとなった「エンドルフィンマシーン」(95年)と「バットダンス」となるのでしょうか。
The Gold Experience
Batman
エンパイア・ステート・ビルが、ニューヨーカー誌の表紙が、ナイアガラの滝が、エッフェル塔が、グーグルのトップページのロゴが、彼のイメージカラーである紫色で彩られ、多くのミュージシャンが哀悼を表明しました。そしてアメリカのみならず、全英チャートでも彼のアルバムが上位5位までを独占したことを、NMEが先日報じました。デビューからしばらくの間は大きなヒットに恵まれませんでしたが、プリンス&ザ・レヴォリューション名義で82年にシングル全米チャートで初のトップ10入りを果たすと、84年には半自伝的作品と言われる主演映画「パープル・レイン」と同作のサウンドトラックのヒットで一気にスターダムへと躍り出ます。
バングルズの「マニック・マンデー」などのヒット作を手掛け、プロデューサーとしても才能を発揮しました。そしてジミ・ヘンドリックスを彷彿とさせるファンキーでアグレッシブなプレイから、ギタリストとしても並々ならぬ腕前の持ち主であることで知られました。
ファッションアイコンとしては、なかなかマネのできない、華美で過剰なスタイルも多かったものの、我が道を行く“殿下”ルックは常にブレない美学を感じさせるものでした。「ダーティ・マインド」(80年)ではビキニパンツ姿で、『Lovesexy』(88年)ではフルヌードでジャケットを飾り話題となりました。
自作のセールスが不振を迎えると、その都度、力作で挽回しました。レコード会社とのトラブルから、自身のプリンスという名前を封印してしまい、特殊な記号を用いて名乗っていた時期もあった。
先日、ディアンジェロは彼の1986年のナンバー、「Sometimes It Snows in April」をカバーして追悼の意を表しました。ファンクの志を継ぐ者として、歌うべき人による、歌うべき名曲による弔いを感じさせてくれる名演です。
“4月に雪が降ることがある/ひどい気分になる時がある/人生が永遠だったらと願う時もある/でもよいことは長続きしないみたいだ/そして愛は終わるまでは愛じゃないんだ”。
(「Sometimes it Snow in April」) こう歌っていた当人が、四月に亡くなってしまったわけです。「十二月の旅人よ」と歌っていた大瀧詠一が、やはり師走に突然いなくなってしまったように。
内田 正樹
エディター、ライター、ディレクター。雑誌SWITCH編集長を経てフリーランスに。音楽をはじめファッション、映画、演劇ほか様々な分野におけるインタビュー、オフィシャルライティングや、パンフレットや宣伝制作の編集/テキスト/コピーライティングなどに携わる。不定期でテレビ/ラジオ出演や、イベント/web番組のMCも務めている。近年の主な執筆媒体は音楽ナタリー、Yahoo!ニュース特集、共同通信社(文化欄)、SWITCH、サンデー毎日、encoreほか。編著書に『東京事変 チャンネルガイド』、『椎名林檎 音楽家のカルテ』がある。