圧倒的な才能とドラマチックな人生
「すべてが名曲。すべてが伝説」。何と秀逸なキャッチコピー。私は大好きです。レコード会社の担当(なのかな?誰だか知らないけど)、エラいと思います。ポール・マッカートニーの45年分のソロキャリアからヒット曲を網羅したベスト・アルバム『ピュア・マッカートニー』が先ごろリリースされました。
私事ながら十代から二十代をアマチュアのバンドマンとして過ごしていた自分はロック一辺倒で、ビートルズは好きだったけれど、彼らのソロはどちらかというと明快なロックンロールを奏でていたジョン・レノン(そう、愛と平和のイメージというよりも、私の好きなジョンはシンプルなロックンローラーのイメージでした)を好んで聴いていました。
もちろん好きな曲も多かったし、いまはポールの根っこも彼の楽曲の多くもものすごくロックンロールだと理解しているのですが、ともかくしっかりと腰を据えて聴いたのは恥ずかしながら二十代後半のことだったと記憶しています。つくづくセンスのなかった昔の自分を張り倒してやりたくなりますが(泣)、様々なポップスを、ロックを、その他の音楽を聴けば聴くほど、アレンジ、メロディ、リリック、インスゥトルメンタルといったそれぞれの視点で、彼の凄みをどんどん思い知っていきました。
いまさら私が言うまでもなく、ポールはポップスの天才です。“天才”なんて言葉は容易く乱用しないほうが(特にライターは信用に関わるので)身のためなのですが、彼を天才と呼ぶことにさほど異論は飛んでこないでしょう。この『ピュア・マッカートニー』を聴くと、あらためてその才能に息を呑んでしまいます。
そして本作に付属の60ページに渡る解説と歌詞対訳が記されたブックを読むと、やはり先日この枠で取り上げたエリック・クラプトンのように、彼もまた幾多の悲しみを超えながら音楽の冒険を繰り返してきたことがよく分かります。
音楽史を変えてしまったビートルズという巨大なバンドの解散を経ても、ポールはほとんど休むことなく楽曲を発表し続けてきました。その大きな支えになったのが、愛妻であり音楽的パートナーでもあったリンダ・マッカートニーの存在でした。今回のベスト盤にもリンダに捧げた「メイビー・アイム・アメイズド」、「やさしい気持」「マイ・ラブ」や、当時すでに乳がんのため余命いくばくもなかったリンダがコーラスを担当した「グレイト・デイ」など、リンダにまつわる曲が数々収録されています。リンダはこのレコーディングの翌1998年、惜しくも帰らぬ人となってしまいました。
残念ながら2014年の来日はポールの体調不良をおこし直前で中止となってしまいましたが、2015年には再度来日してリベンジ。ビートルズから49年ぶりとなった武道館公演も行いました。
あ、そういえば、ポールの公式LINEアカウント(日本語)があるのをご存知ですか? これが案外更新されていて、ふとした時にポールから着信があって笑えます。デヴィッド・ボウイ逝去の際は、哀悼のメッセージも送られてきました。
イギリスのEU離脱の可能性がとりだたされている件(※6/23に国民投票で離脱が決定)についてはフランスのメディアに対し「最後には最良の答えが出るのでは?」とコメントしたことから、ビートルズナンバーにかけて「ハローかグッバイかわからない(ハロー・グッバイ)」、「なるようになるさ(レット・イット・ビー)」という見出しで報じられていたポール。もしかしたらこの件についてもLINEが飛んでくるかも知れません。
内田 正樹
エディター、ライター、ディレクター。雑誌SWITCH編集長を経てフリーランスに。音楽をはじめファッション、映画、演劇ほか様々な分野におけるインタビュー、オフィシャルライティングや、パンフレットや宣伝制作の編集/テキスト/コピーライティングなどに携わる。不定期でテレビ/ラジオ出演や、イベント/web番組のMCも務めている。近年の主な執筆媒体は音楽ナタリー、Yahoo!ニュース特集、共同通信社(文化欄)、SWITCH、サンデー毎日、encoreほか。編著書に『東京事変 チャンネルガイド』、『椎名林檎 音楽家のカルテ』がある。