人生を一変させた早春のマザリングサンデー 映画『帰らない日曜日』 | BRITISH MADE

ブリティッシュ“ライク” 人生を一変させた早春のマザリングサンデー 映画『帰らない日曜日』

2022.05.26

人生を一変させた早春のマザリングサンデー 映画『帰らない日曜日』
英国には“マザリングサンデー”と呼ばれる移動祝日がある。日本でもおなじみの母の日に該当し、イースターの3週間前の日曜日と決まっている。その歴史は1600年代までさかのぼり、奉公人は実家に帰省し、シムネルケーキを食べ、ウェールズの国花でもあるダフォディル(ラッパスイセン)を贈るのが習わしだ。

物語は1924年3月のマザリングサンデー。ニヴン家のメイドとして従事するジェーン・フェアチャイルドは、孤児院出身で寄る辺なく、帰郷する場所はない。屋敷で読書を楽しむつもりだったが、隣家の御曹司ポールから呼び出される。英国中のメイドたちが帰郷するこの日、ジェーンのマザリングサンデーがはじまる。
本作を鑑賞後、原作であるグレアム・スウィフト「マザリング・サンデー」も読んだ。ひときわ印象深かったのが細かく描写されたジェーンの目線だ。ベッドに横たわるジェーンが、ポールを観察する場面は最たるものだ。一糸まとわぬポールが鷹揚と着衣する ところを凝視している。それは素材やデザインだけではなく、着衣の順番まで一挙手一投足描かれており、なんと5ページも費やされている。劇中においても、ジェーンの精神世界のような雰囲気を帯びた印象的なシークエンスとして描かれている。スティーヴンソンの「宝島」やコンラッドの「青春」などの書籍から影響を受けた彼女はのちに作家として大成する。優れた洞察力と対象物への飽くなき興味、そして豊かな想像力をもってして麗筆をふるったに違いない。

本作の中心となるのは、ジェーンを演じるオデッサ・ヤングと、ポールを演じるジョシュ・オコナーだが、彼ら以外にも魅力的な俳優がずらりと並んでいる。ジェーンが奉公するニヴン夫妻役を演じるのは名優コリン・ファースオリヴィア・コールマンだ。このコラムで一体全体何度登場するのかというくらい常連のコリン・ファースは、斜陽の貴族を演じる原作のゴドフリー・ニヴンのイメージに近い。彼は、第一次世界大戦で子供2人を相次いで亡くしても恭しく、毅然とした態度を保とうとしている。しかし、その表情や背中から虚無感や哀愁が垣間見え、戦争で悲惨な経験をした英国の傷が癒えていないことがよくわかる。それでも社会の模範となるよう振る舞うべきだという社会的責任、ある種の貴族の性である“ノブレス・オブリージュ”を感じさせるのである。そんな夫に業を煮やし、惰性な上流社会に辟易する妻クラリー・ニヴンも、子供たちの死の悲しみから立ち直れていない。戦争の爪痕は夫婦関係にも甚大な影響を及ぼしている様子がなんともいたたまれない。その深い溝を表現している2人の芝居は必見であると同時に、その夫婦を俯瞰するジェーンの目と心情が見どころだ。
人生を一変させた早春のマザリングサンデー 映画『帰らない日曜日』
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人生を一変させた早春のマザリングサンデー 映画『帰らない日曜日』
ジェーンは貴族社会を目の当たりにしながら、その貴族と叶わぬはずの禁断の密通を続ける。ただし、玉の輿を狙うでもなく、ほどほどに舞い上がっ ている感情が独特だ。ジェーンは道理に明るく、教養があるため、貴族と平民との階級差が決して縮まないことを悟っている。それは許嫁があり、結婚を目前に控えていながらもジェーンとの密通を重ねるポールにも当てはまる。ヘンリー8世と同じ轍は踏まないのである。階級差や棲み分けが徹底されている英国のお国柄を感じ、アンダーステイトメントな英国流メルヘンに唸らされた。このクールな若人に感嘆する一方で、情熱的に若さ故の過ちを経験してもいいのではないだろうかなどと考えてしまうのはいらぬ世話に違いない。
人生を一変させた早春のマザリングサンデー 映画『帰らない日曜日』
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『帰らない日曜日』
https://movies.shochiku.co.jp/sunday/
監督:エヴァ・ユッソン『バハールの涙』
製作:エリザベス・カールセン、スティーヴン・ウーリー『キャロル』
原作:グレアム・スウィフト「マザリング・サンデー」(新潮クレスト・ブックス)
2021年|イギリス|104分|英語|カラー|5.1ch|R-15|原題:Mothering Sunday|日本語字幕:牧野琴子|後援:ブリティッシュ・カウンシル
©CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION, THE BRITISH FILM INSTITUTE AND NUMBER 9 FILMS SUNDAY LIMITED 2021
配給:松竹
Photo&Text by Shogo Hesaka


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部坂 尚吾

部坂 尚吾

1985年山口県宇部市生まれ、広島県東広島市育ち。松竹京都撮影所、テレビ朝日にて番組制作に携わった後、2011年よりスタイリストとして活動を始める。2015年江東衣裳を設立。映画、CM、雑誌、俳優のスタイリングを主に担い、各種媒体の企画、製作、ディレクション、執筆等も行っている。山下達郎と読売ジャイアンツの熱狂的なファン。毎月第三土曜日KRYラジオ「どよーDA!」に出演中。
江東衣裳
http://www.koto-clothing.com

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