映画館郷愁、映画『エンパイア・オブ・ライト』 | BRITISH MADE

ブリティッシュ“ライク” 映画館郷愁、映画『エンパイア・オブ・ライト』

2023.01.26

映画館郷愁、映画『エンパイア・オブ・ライト』
1981年、英国の港町マーゲイト。ヒラリーは映画館エンパイア劇場のマネージャーとして働いていた。ある日、新たな従業員としてスティーヴンがエンパイア劇場に加わる。建築家になる夢を諦め、心機一転せっせと働く彼はあっという間に仲間たちと解け合う。ヒラリーは、そんなスティーヴンに少しずつ心を許し、両者の距離は近づいていく。しかし、不況にあえぐ英国でのスティーヴンの未来は決して明るくなく、過酷な現実が待ち受ける。同様に、彼と出会うことで朗らかになったヒラリーだったが、徐々に様子がおかしくなっていき知られざる辛い過去があらわになる。

本作を鑑賞するにあたり、当時の時代背景を鑑みると物語の解釈により深みが増す。舞台となる1981年の英国は混沌としていた。1979年から首相に就いたマーガレット・サッチャーは、小さな政府を目指して国有企業の民営化を行った。さらには公務員の削減や教育費の抑制など徹底的にコストカットした。失業率は上昇し、11.9%にまで悪化したのが1981年である。サッチャーが首相に就任する以前から不景気だったが、失業者はさらに街にあふれ、政策に反発する労働者は過激なストライキを行った。さらに不況の不満は黒人をはじめとした外国人へと向けられるのである。

人々が映画館に赴く機会は当然減り、映画産業自体も下火になった。1981年は英国映画史上で最も少ない24本の映画しか製作されていない。ただし、本数こそ少ないが『007/ユア・アイズ・オンリー』のような人気作品、エンパイア劇場でも封切られる名作『炎のランナー』、以前このコラムでも紹介した変わり種の『バンデットQ』などなかなかの粒ぞろいである。『エンパイア・オブ・ライト』を監督したサム・メンデスは、“一般的に人格の形成期は10代と言われているが、私の場合は1970年代の終わりから80年代の初めにあたる”とインタビューで言及している。つまり、本作には彼の青春時代の経験が強く投影されている。劇中にトビー・ジョーンズ扮するノーマンというベテランの映写技師がいる。彼の根城である映写室は、ブロマイドや名作のポスターであふれている。これこそサム・メンデスが影響を受けたに違いない映画コレクションであり、彼のルーツが垣間見える好きな場面である。劇中で引用されている『チャンス』、『エレファントマン』、『ブルースブラザーズ』など、同年代の名作にもそういった彼の思いが宿っているのではないだろうか。
映画館郷愁、映画『エンパイア・オブ・ライト』
この年代は音楽やファッションも魅力的だ。たとえば主人公スティーヴンが入れ込むバンド『スペシャルズ』は、イングランドのコヴェントリーで1979年に誕生した。同市は自動車産業の盛んな工業都市で、ジャガーの本社と工場があることでも有名である。第二次世界大戦後、ジャマイカから大量の移民が労働力としてやってくると、彼らが親しんだレゲエ、スカが裾野を広げたことは想像に難くない。『スペシャルズ』をはじめ、彼らが所属した2トーン・レコーズの音楽は、そのスカのリズムにロック、パンク、ポップスの要素を融合させスカ・リヴァイバルをもたらした。衣装のカラーも白と黒で統一されることが多く、スティーヴンのようなポークパイハットを被り、細いタイを締め、細いブレイシーズに丈を短くしたトラウザーズを合わせるのがトレンドだった。残念ながら『スペシャルズ』は、1981年には解散してしまうが、黒人と白人が混合する稀有なバンドだった。人種差別問題にも一石を投じた2トーンスタイルはニュースタイルとして支持を集めた。その一方で、劇中でも暴れまわるスキンヘッズをはじめ、ルーディ、パンクスなど多くのスタイルが共存したのも事実である。ちなみにコム・デ・ギャルソン、ヨウジ・ヤマモトの両ブランドがパリコレクションへ進出したのもこの1981年だ。社会問題から生じる怒りや疑問が属する集団のユニフォームとなり大きな渦となっていく。歴史と共に音楽、ファッション、映画といった文化を知るのにこれほどうってつけの作品はない。
差別や暴力を受けるスティーヴンと、精神のバランスを崩してしまったヒラリーだからこそ両者は分かり合えたのかもしれない。そのヒラリーを演じるのは女優オリヴィア・コールマンだ。”いつだって男は女の首を縛る”と、悲痛な叫びをあげる彼女の芝居は鬼気迫るものがある。出演作を佳作に仕上げる必殺仕事人だ。過去に紹介した『ファーザー』や、『帰らない日曜日』での存在感も素晴らしいが、本作は随一ではなかろうか。

このコラムの常連であり、ここ数年の出演作はすべて紹介するほど好きな俳優コリン・ファースにも注目したい。昨今はベビーフェイスの鳴りを潜め、クセの強いキャラクターを演じる機会が増えている。本作で演じるのは映画館の支配人エリスで、控えめに言っても下衆っぷりは群を抜いており、すべての女性の敵と言っても過言でないほどの憎い男だ。だが、見方によっては自分の弱さを正直に吐露できない孤独な男だ。彼の心情が吐き出される台詞はほとんどないが、コリン・ファースが演じることで、どこか憂いを含む哀れな一面が醸されている。
自身が幼少のころは、祖父に連れられてよく町の映画館に行った。片田舎でも映画館が1つ2つあることが当然の時代だ。加えて2本立てが一般的で、洋画と邦画の組み合わせが多かった。幼いながら2本続けてよく鑑賞したものだが、ひょっとしたらこれが現在のベースとなっているのかもしれない。本作でもたびたび登場するポップコーン、コーラ、それからパンフレットはいわば“三種の神器”であり、映画館で買ってもらうことが楽しみで仕方なかった。何の変哲もない映画館でのこんな経験はきっと各々お持ちだろう。映画館には誰とどうやって行き、何を観たというような記憶がついてまわる。本作ではそこを強く刺激され、過去の記憶が蘇るようで込み上げてくるものがあった。これほどノスタルジックな感情を抱いた映画は久々だ。もし孫ができたときには一緒に映画館へ行ってくれるだろうか…

『エンパイア・オブ・ライト』
https://www.searchlightpictures.jp/movies/empireoflight
2023年2月23日(木・祝)全国ロードショー
監督・脚本:サム・メンデス「1917 命をかけた伝令」「 007/ スカイフォール」「アメリカン・ビューティ」
出演:オリヴィア・コールマン、マイケル・ウォード、コリン・ファース、トビー・ジョーンズ、ターニャ・ムーディ、トム・ブルック、クリスタル・クラークほか
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
製作年:2022年
製作国:イギリス・アメリカ
原題:Empire of Light
©2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.

Photo&Text by Shogo Hesaka



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部坂 尚吾

部坂 尚吾

1985年山口県宇部市生まれ、広島県東広島市育ち。松竹京都撮影所、テレビ朝日にて番組制作に携わった後、2011年よりスタイリストとして活動を始める。2015年江東衣裳を設立。映画、CM、雑誌、俳優のスタイリングを主に担い、各種媒体の企画、製作、ディレクション、執筆等も行っている。山下達郎と読売ジャイアンツの熱狂的なファン。毎月第三土曜日KRYラジオ「どよーDA!」に出演中。
江東衣裳
http://www.koto-clothing.com

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