“私は紳士になりたかった …” 映画『生きる Living』 | BRITISH MADE

ブリティッシュ“ライク” “私は紳士になりたかった …” 映画『生きる Living』

2023.03.30

“私は紳士になりたかった …” 映画『生きる Living』
舞台は1953年、第二次世界大戦後のロンドン。役所の市民課に勤務する主人公ウィリアムズは、毎日決まった時刻の列車に乗車し、同じ車輌に座って出勤している。書類の処理に追われる日々を過ごしていたある日、ウィリアムズは癌で余命半年であることを医師から告げられる。長年勤めた仕事を放棄し途方に暮れるが、職場と自宅の往復に明け暮れていたため、憂さ晴らしをしたくても肝心の遊び方がわからない。カフェで出会った男に助言を請い放蕩生活を送ってみるが、刺激を受けるのは一時のことで心の底からは満たされない。そんな中、かつての職場の部下であるマーガレットと再会しウィリアムズの言動に変化が表れる。

主人公ウィリアムズは紺色のチョークストライプスーツ、白シャツ、小紋柄のタイ、ボーラーハット、そして、手には傘を持った典型的な英国人の身なりだ。保守的で変化を好まず、仕事に対する熱意も持ち合わせていない。息子夫婦との同居 生活に気苦労が絶えず、家庭での居場所はない。“遊び方 がわからない”と吐露する台詞は自身の人生を呪うようでなんとも物悲しい。コラムのタイトルは、そんなウィリアムズの最も印象深かった台詞だ。巷ではよく見聞きする言葉だが、本作で指す紳士とは、ブランドがどこそこで着こなしがどうこうというような外見ばかりに気を取られた紛い物や伊達男とは一線を画す。世のため人のため、すなわち公共の福祉のために自身を犠牲にできる高潔な精神を持った男性である。ウィリアムズは人生に意義を見出せず、惰性と言われても致し方ない生活を送ってい た。しかし、心を入れ替えたあとは まるで別人のような変貌を遂げて周囲を感嘆させる。とどのつまりが、謙虚さを持った人間であれば、若くても老いていて も年齢は関係なく紳士になれるのだ。黙して語らない率先垂範は現代的な価値観には合わない部分もあるかもしれないが、少なくとも自身には紳士とはかくあるべしという類稀な生きた道標に思えた。
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本作を語る上で、オリジナルである黒澤明作品との比較は避けて通れない。黒澤明版の主人公渡辺を演じた志村喬には絶望感、虚無感が漂っており、真に迫った芝居に圧倒される。一方、英国版の主人公ウィリアムズを演じたビル・ナイには、感情を押し殺し、何を考えているのかが読めないどこかミステリアスな雰囲気が漂っている。先述した劇的な心情の変化をドラマティックに見せる芝居には舌を巻くしかない。両作ともに人間の善し悪しが巧妙に描かれているが、功績を巡って起こる手柄争いの醜さが痛烈に風刺されている点は見逃せない。死人に口なしとなった途端、本性を現す俗物たちには閉口する。故野村克也氏の“功は人に譲れ”という金言があるが、この状況を目の当たりにしたらさぞボヤかれるに違いない…

英国には“ブルドッグスピリット”という不屈の精神力を例える言葉がある。我が国にも火事場の馬鹿力なんて言葉があるが、人間尻に火がつけばなんとでもなる。自身の殻を破った闘志みなぎる紳士のレジリエンスによって、空虚感は雲散霧消する。人のために何か役に立ちたいという義侠心が瀕死の人間を奮い立たせ、見事にゾンビから脱却するのだ。その姿に感動するとともに、心の奥底から燃え上がるような何かを宿されたのは言うまでもない。
“私は紳士になりたかった …” 映画『生きる Living』

『生きる LIVING』
https://ikiru-living-movie.jp/
2023年3月31日(金)より全国ロードショー
製作年:2022年
製作国:イギリス
配給:東宝
上映時間:103分
©Number 9 Films Living Limited

Photo&Text by Shogo Hesaka

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部坂 尚吾

部坂 尚吾

1985年山口県宇部市生まれ、広島県東広島市育ち。松竹京都撮影所、テレビ朝日にて番組制作に携わった後、2011年よりスタイリストとして活動を始める。2015年江東衣裳を設立。映画、CM、雑誌、俳優のスタイリングを主に担い、各種媒体の企画、製作、ディレクション、執筆等も行っている。山下達郎と読売ジャイアンツの熱狂的なファン。毎月第三土曜日KRYラジオ「どよーDA!」に出演中。
江東衣裳
http://www.koto-clothing.com

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