車庫までしか歩いたことがない男が500マイルを行く、映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』 | BRITISH MADE (ブリティッシュメイド)

ブリティッシュ“ライク” 車庫までしか歩いたことがない男が500マイルを行く、映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』

2024.06.06

車庫までしか歩いたことがない男が500マイルを行く、映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』
コロナウイルスがようやく一段落したかと思えば、今度は歴史的な円安である。羽をのばしたくても海外旅行には多額の費用を伴い容易ではない。そんななかで鑑賞したのが、6/7から公開される映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』だ。驚くことに500マイル(約800キロ)の旅の移動手段は徒歩のみ。今回は、典型的な旅とは異なる特色を持ったこの英国ロードムービーを紹介したい。

主人公ハロルドは、ビール工場を定年退職し、妻モーリーンと共にイングランド南西部キングスブリッジで暮らしていた。ある日、ハロルドのもとにイングランド最北端の町ベリックから一通の手紙が届く。差出人はかつての同僚クイーニーであり、余命幾許もないことが記されていた。どうにか返事をしたためたハロルドは、郵便ポストに向かうが投函できずに逡巡する。手紙では彼女への想いが伝わらないと悟った彼は、そのまま北へ向かって歩を進める。

ハロルドの旅立ちは衝動的にはじまる。余命わずかのクイーニーのため、歩くことで彼女を鼓舞するという強い意志が礎となっている。妻モーリーンには、”車庫までしか歩いたことがない人が、バカげている”と揶揄される。しかし、ハロルドはたとえ雨のなか、風のなか、”君は死なない、死なせない”と鬼の形相で闊歩する。そうまでして彼を歩かせる理由と、クイーニーとの関係は一体なんなのか。旅先で出会う登場人物だけでなく、われわれ鑑賞者も魅せられていくのである。

ハロルドの旅は、念入りに計画された物見遊山の旅行とは一線を画す。携帯電話を置き去り、地図とコンパスを片手にキングスブリッジからベリック・アポン・ツイードまでの500マイルを革靴で行くというのだから驚かずにはいられない。そう多くはないが、筆者自身にもそういった類の旅の経験がある。後々思い返してなにが面白いかというと、準備不足によるハプニングである。行く先々の情報をすべて事前に調べておけば安心で、余程のことがなければ予想した範囲の内に収まる。多くの観光客が押しかける場所で写真を撮り、ガイドブックに掲載された物を食べていると、どこかオリジナリティに欠けると思ってしまうのは元来の天邪鬼なせいだろう。ときに、それでは誰かが用意した道を歩かされているようで刺激が足りないことがある。例えるならば、攻略サイトを片手にこなすドラクエのようでひどくつまらない。見知らぬ国で予期せぬハプニングが起きたならば、その土地の人の助けを借りればなんとかなる。これも旅の醍醐味の一つではないだろうか。

この一筋縄ではいかない旅をするハロルド・フライを演じるのは、俳優ジム・ブロードベンドだ。このコラムの常連中の常連で、『ゴヤの名画と優しい泥棒』や『キング・オブ・シーヴズ』などの作品で何度も紹介している。日本で公開される彼の出演作は見逃さずに鑑賞するほど好きな役者だ。原作を読んでみても頭に浮かぶのは彼そのもので、まるで当て書きのようだった。ハロルドは、どれだけ疲弊しても決してタイをゆるめず、血豆ができても革靴を脱がない。これをジム・ブロードベンドが体現すると、いかにも英国人らしくて自然体だった。英国人の矜持を感じる頑なさが、映画を通してとくに印象的だった。

車庫までしか歩いたことがない男が500マイルを行く、映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』 車庫までしか歩いたことがない男が500マイルを行く、映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』
この映画の概要を妻に伝えると、”あなたそのままじゃない”と断言された。付き合いの浅いころに高尾山に行き、ロープウェイを見た瞬間に歩きたいという衝動に駆られ歩いて登った。ダイヤモンド富士を見たあとは、ロープウェイに並ぶ行列を見てそんな気分ではなくなり歩いて下山した。何の武装もしていないのに平気で歩かされバレーシューズを1足潰された(もちろん筆者は革靴である)といまだに恨み節を吐いている。ほかにも平気で10㎞歩かされたなどの悪例もある。ハロルドのように人生一度きりの大冒険なら我慢するが、数年に一度そんなことがあると思うとたまったものではないらしい。ある種身勝手なハロルドに振り回される妻モーリーンの気持ちがよくわかるそうだ。ひょっとしたら、そんなハロルドに自分を重ねて感情移入してしまっているのかもしれない…。

話はずいぶん横道に逸れてしまったが、自分のためにしか歩いたことのなかった男が、はじめて人のために歩こうと、これまでとは異なる道を進む。 医学的にはなんの根拠もなく、一見常識を逸脱した行動だが友人を勇気づける。“必要なのは常識じゃなくて信じる心”。劇中にこんな美しい台詞があるように、無垢でロマンチックな映画だった。

車庫までしか歩いたことがない男が500マイルを行く、映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』
『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』
https://movies.shochiku.co.jp/haroldfry/
6月7日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋 他全国公開
監督 へティ・マクドナルド
脚本・原作 レイチェル・ジョイス「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」(亀井よし子訳/講談社文庫)
出演 ジム・ブロードベント、ペネロープ・ウィルトン
2022 年|イギリス|英語|108 分|ビスタ|カラー|5.1ch|原題 The Unlikely Pilgrimage of Harold Fry|
日本語字幕 牧野琴子
提供:松竹、楽天 配給:松竹 後援:ブリティッシュ・カウンシル
© Pilgrimage Films Limited and The British Film Institute 2022

ブリティッシュメイド公式アプリ

plofile
部坂 尚吾

部坂 尚吾

1985年山口県宇部市生まれ、広島県東広島市育ち。松竹京都撮影所、テレビ朝日にて番組制作に携わった後、2011年よりスタイリストとして活動を始める。2015年江東衣裳を設立。映画、CM、雑誌、俳優のスタイリングを主に担い、各種媒体の企画、製作、ディレクション、執筆等も行っている。山下達郎と読売ジャイアンツの熱狂的なファン。毎月第三土曜日KRYラジオ「どよーDA!」に出演中。
江東衣裳
http://www.koto-clothing.com

部坂 尚吾さんの
記事一覧はこちら

同じカテゴリの最新記事