なぜ英国からハロウィンの祭りがいったん消えてしまったのか。それは17世紀初めに国会議事堂爆破陰謀事件が起きたからです。
当コラムでは、英国の歳時記に触れていくつもりでしたが、うっかりとしてハロウィンのことを忘れていました。なぜなら、ハロウィンは英国にとって、とても古いものでもあると同時に、とても新しいものでもあるからです。1980年代から英国に棲み始めたと言っても、英国人から見れば新参者です。古いモノには目が行っても、新しいモノにまで気が回らないのですね。 ハロウィン恒例のTrick or Treat. もちろん、Treatをお願いします。子供たちはスウィートを全部持ち去りました。
かつては英国人の多くも、ハロウィンのことをアメリカ発祥の文化だと思い込んでいましたが、実際はブリテン島の先住民ケルト人たちのドルイド教に関わる行事で、秋の収穫と悪霊退散を願い、1年の終わりの10月31日に祝って、1年の始まりを迎える日だったのです。ケルト人社会から発祥し、古代ローマやカトリックの影響も受けて来た文化という意味では、英国ではとても古いものであり、キリスト教世界になっても、祝う習慣は17世紀初めまでは続いていたのです。しかし、英国ではある事件をきっかけにハロウィンは廃れてしまったのです。
1970年に日本でも紹介されたアメリカのアニメ「チャーリー・ブラウン」では、いつも毛布を引きずっているライナス君がハロウィンとともに「かぼちゃ大王」が到来すると騒いでいる場面が出て来ます。このかぼちゃも本来はスコットランド辺りでは、根菜の大きなカブを使っていたそうです。アメリカに渡ったハロウィン文化では、大きなカボチャが採用されました。日本のスイカお化けのようにくり抜いて、カボチャお化け(かぼちゃ大王?)を拵えるのに都合が良かったのでしょう。
アメリカで盛んになった理由はよく判りませんが、ハロウィンの文化をもたらしたのは、英国から、とくにスコットランドやアイルランドから渡った移民によるものという説が有力であります。
英国で再びハロウィンを祝う。と言うか、この日に騒ぐようになったのは、1990年代の後半になってからのことです。今や英国の若者はアメリカの文化に影響されやすいのです。
では、なぜ英国からハロウィンの祭りがいったん消えてしまったのか。それは17世紀初めに国会議事堂爆破陰謀事件が起きたからです。時は既にイングランド国教会が優遇される時代で、カトリック教徒の過激派が爆弾テロで政府転覆を図ったのです。陰謀は未遂に終わり、実行犯のガイ・フォークスら一行は掴まり、拷問とロンドン市中引き回しの上で処刑されたという事件です。
ガイ・フォークスは拷問の後、ロンドン市中を引き回されて、最後は絞首刑になったのですが、何故かガイ・フォークス・ナイトでは彼を模した人形は火あぶりにされてしまいます。魔女裁判の名残でしょうか
この事件はその後イングランドでは、11月5日の晩にかがり火を焚き、そこにガイ・フォークスを模した人形を張り付けにして、焼いてしまうという愛国心に基づくのだろうけれど、ちょっと残酷な風習の原型となりました。その際に花火を上げたり、かんしゃく玉や爆竹を鳴らしたりするので、英国の花火の季節は日照時間の長い夏ではなく、真っ暗な11月に行われるということなのです。
ハロウィンが米国から英国に逆輸入されたこの近年、ガイ・フォークス・ナイトを行う英国人が減ってしまいました。これまた何故でしょうか?個人的な意見ですが、それは暦と演出のせいだと思います。アメリカのおもちゃ資本で演出され、子供たちがいろいろなものに扮装して楽しめるお祭りハロウィンを10月31日に祝ってから数日後の11月5日に、地味で寒空に何時間も立っていなければならないガイ・フォークス・ナイトにわざわざ参加したい人はいるでしょうか? 宗教的にも、政治的にもまったく強制力がありませんものね。英国の真っ暗な寒空の元、マルド・ワインとハナミズを啜りながら眺める花火の習慣も廃れつつ、ハロウィンの子供たちはモンスターのコスチュームを着込んで元気にはしゃいでいます。
ガイ・フォークス・ナイトは、11月5日の寒い夜にボン・ファイア(Bonfire:大きなかがり火)を焚いて、マルド・ワインで温まりながら花火や焚火を楽しむ風習です。ワインに浮いているのは割り箸ではありません。シナモンスティックです。
マルド・ワインは、赤ワイン、リンゴ、オレンジ、シナモン・スティック、クローブ、ナツメグ、しょうが、砂糖を混ぜて沸騰させないように温めて作ります。口当たりが良くて飲み過ぎてしまうことも多いのでご用心。
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。