1980年代、英国の仕事場で初めて電話を取った20代中頃のことです。電話の向こうの相手が何を言っているのかさっぱり判りませんでした。
「あれ?これって英語?」と思ったものの、そんなことは相手に聞けません。英人の同僚たちは皆電話中で、替わって貰うことも出来ません。仕方なく電話の相手にお願いしました。”Excuse my English. But would you mind to say that again and please speak slowly?”(英語が下手でごめんなさい。もう一度ゆっくりと話して貰えませんか?) 在英日系企業に電話して来た相手は、ため息を付いた後、”O.K. I`m from 〇〇 company in Essex. I want to place an order for your commodities of ~” (O.K.判ったわ。エセックスの〇〇会社ですけど、お宅の商品の~を注文したいの)とゆっくり話し始めてくれたので、メモの紙を何枚も使って、相手の繰り出す英単語をどんどん書き写して行きました。しかし、聞いたことのない発音と抑揚とリズムなので、相手の気持ちが推し量れずに頭の中が混乱して来ました。
後から考えると、言葉全体の意味は把握出来ていたので、相手の要求を繰り返して確認するか、その要求に応ずるだけでよかったのですが、顔が見えない電話の相手の発する頻繁な溜息と不機嫌そうな声にとてもプレッシャを感じたために、怖気づいて(ビビッて)しまったわけです。
その場を凌ぐために、「同僚と相談して、後から確認のファクスを送ります」と言って丁重に電話を切りました。ほんの5分間ほどの会話でしたが、気付くと身体中から冷たい汗が流れ出て、一日分のエネルギーを使い切ったことを今でも思い出します。
日本で1980年代の就職と言えば、英語が話せるというだけで大手の企業でも採用され易い社会環境でした。学生時代は日本の大学でしたが、全国スピーチコンテストやディベートなどにも参加し、英会話倶楽部の会長もこなしていましたし、語学検定でもビジネスマン・レベルにも達していたので、社会人になってからも英語で特に困ったことはありませんでした。そんなわけですから、英国での新生活と新しい仕事にも自信を持って臨んだのですが、仕事は以上のような有様だったわけです。
転職したばかりで、商品のことは愚か、英国の商習慣も判りません。言葉が出来ると言っても、仕事を理解していないのであれば、使いこなせない食材と立派な調理器具を目の前にしながらインスタントラーメンを作っている素人と何ら変わりがありません。この場合の英会話能力は、単なる道具に過ぎず、使いこなし方が判らなければ、何の役にも立たないわけです。
当時はテレックスとファクシミリと電話の3つが通信手段でしたので、電話やミーティングの後は、必ずファクシミリやテレックスなどの文書を使って、話し合った事柄や互いの理解内容を確認したものです。言葉が完璧であっても、理解の差が生じることはよくあることです。コミュニケーションには、語学以上に相手を思い遣る配慮が欠かせないと思いました。
事務所はロンドンにあったのですが、電話はスコットランドやウェールズなど英国中と欧州大陸から掛かって来ますし、その方言や外国語訛りは多岐に渡っています。先方が何を言っているのか全然判らないことは年に数回あったのですが、その度に同僚の英人に電話を替わって貰っていました。その際に最もショックだったのが、ロンドン東部と言っても、当時の我事務所から地下鉄でたった20分圏内に住む人たちのロンドン訛り「コックニー」がまったく判らなかったことでした。
「英語が判らないなら、電話に出るな!」と罵られたこともあります。その時電話を替わってくれた若い英人女性の同僚(仮に「ドナ」と呼びましょう)にも、先方は同じ苦情を繰り返したようでした。「彼は日本人だけどちゃんと英語を話せるよ。私たちに正しい英作文を教えてくれるし、言葉をたくさん知っているし、BBCイングリッシュで話せるんだよ」とドナが電話口で抗議してくれたことは、有難く、心温まる話になる筈なのですが、我が事務所の他の同僚たちはドナの言葉を聞いて、自虐的に大爆笑していました。「そうだよ!日本人の英語は正し過ぎて笑っちゃうのさ」 どうやら、当時は英国庶民の前で公家言葉を使っているように思われていたようです。 でも、丁寧な言葉使うように躾けられていたら仕方ないことですよね。英語をマジメに勉強したのは大学受験まででしたが、それでも英語は何とかなるものです。と言っても、現在のビジネス界の皆様の英会話スタンダードは当時よりも大分厳しいようですね。読者の皆様にあっては釈迦に説法した気持ちになってしまいます。
ただ言いたいのは、イギリス人は話し相手の国籍に関係なく、且つ容赦なく難しい言い回しや教科書には出て来ない厳しい表現をしてくるので、我々日本人は自信を持った態度で「判らないことは判らないので、教えて下さいますか」と相手に敬意を持って接することが肝要だということです。
やがて、その敬意にちゃんと応えてくれる英国人が現れ、徐々に友人になっていくのだと思います。British Madeの仕入れ担当の方々も、英国人の職人や商売人たちとのやり取りで、以上と同様の体験を積み重ねて信用を勝ち取ってことが想像されます。職員の皆様はあまり苦労話をされませんが、店頭に並ぶ一連の商品がその成果であることに違いないのです。
「あれ?これって英語?」と思ったものの、そんなことは相手に聞けません。英人の同僚たちは皆電話中で、替わって貰うことも出来ません。仕方なく電話の相手にお願いしました。”Excuse my English. But would you mind to say that again and please speak slowly?”(英語が下手でごめんなさい。もう一度ゆっくりと話して貰えませんか?) 在英日系企業に電話して来た相手は、ため息を付いた後、”O.K. I`m from 〇〇 company in Essex. I want to place an order for your commodities of ~” (O.K.判ったわ。エセックスの〇〇会社ですけど、お宅の商品の~を注文したいの)とゆっくり話し始めてくれたので、メモの紙を何枚も使って、相手の繰り出す英単語をどんどん書き写して行きました。しかし、聞いたことのない発音と抑揚とリズムなので、相手の気持ちが推し量れずに頭の中が混乱して来ました。
後から考えると、言葉全体の意味は把握出来ていたので、相手の要求を繰り返して確認するか、その要求に応ずるだけでよかったのですが、顔が見えない電話の相手の発する頻繁な溜息と不機嫌そうな声にとてもプレッシャを感じたために、怖気づいて(ビビッて)しまったわけです。
その場を凌ぐために、「同僚と相談して、後から確認のファクスを送ります」と言って丁重に電話を切りました。ほんの5分間ほどの会話でしたが、気付くと身体中から冷たい汗が流れ出て、一日分のエネルギーを使い切ったことを今でも思い出します。
意外なことかもしれませんが、英国の教育はリーダーを育てますが、他の生徒に「もっと頑張りましょう」というような向上心を抱かせる指導はほとんど行いません。画像の『貧困マップ』は地域の教育レベルも現わしていて、子供たちは親と同じような生活レベルのままで満足している場合も多いのです。日本では日本人全体が向上心に溢れているように思えてきます。
日本で1980年代の就職と言えば、英語が話せるというだけで大手の企業でも採用され易い社会環境でした。学生時代は日本の大学でしたが、全国スピーチコンテストやディベートなどにも参加し、英会話倶楽部の会長もこなしていましたし、語学検定でもビジネスマン・レベルにも達していたので、社会人になってからも英語で特に困ったことはありませんでした。そんなわけですから、英国での新生活と新しい仕事にも自信を持って臨んだのですが、仕事は以上のような有様だったわけです。
転職したばかりで、商品のことは愚か、英国の商習慣も判りません。言葉が出来ると言っても、仕事を理解していないのであれば、使いこなせない食材と立派な調理器具を目の前にしながらインスタントラーメンを作っている素人と何ら変わりがありません。この場合の英会話能力は、単なる道具に過ぎず、使いこなし方が判らなければ、何の役にも立たないわけです。
当時はテレックスとファクシミリと電話の3つが通信手段でしたので、電話やミーティングの後は、必ずファクシミリやテレックスなどの文書を使って、話し合った事柄や互いの理解内容を確認したものです。言葉が完璧であっても、理解の差が生じることはよくあることです。コミュニケーションには、語学以上に相手を思い遣る配慮が欠かせないと思いました。
事務所はロンドンにあったのですが、電話はスコットランドやウェールズなど英国中と欧州大陸から掛かって来ますし、その方言や外国語訛りは多岐に渡っています。先方が何を言っているのか全然判らないことは年に数回あったのですが、その度に同僚の英人に電話を替わって貰っていました。その際に最もショックだったのが、ロンドン東部と言っても、当時の我事務所から地下鉄でたった20分圏内に住む人たちのロンドン訛り「コックニー」がまったく判らなかったことでした。
ウィンブルドンのテニスを観に来る人たちは、極めて紳士・淑女の集まりです。身なりも、言葉使いもちゃんとしています。いわゆる中産階級という人々でしょうか。外国人を相手にしても、判り易い英語で話してくれる人たちなので、大変に助かります。
「英語が判らないなら、電話に出るな!」と罵られたこともあります。その時電話を替わってくれた若い英人女性の同僚(仮に「ドナ」と呼びましょう)にも、先方は同じ苦情を繰り返したようでした。「彼は日本人だけどちゃんと英語を話せるよ。私たちに正しい英作文を教えてくれるし、言葉をたくさん知っているし、BBCイングリッシュで話せるんだよ」とドナが電話口で抗議してくれたことは、有難く、心温まる話になる筈なのですが、我が事務所の他の同僚たちはドナの言葉を聞いて、自虐的に大爆笑していました。「そうだよ!日本人の英語は正し過ぎて笑っちゃうのさ」 どうやら、当時は英国庶民の前で公家言葉を使っているように思われていたようです。 でも、丁寧な言葉使うように躾けられていたら仕方ないことですよね。英語をマジメに勉強したのは大学受験まででしたが、それでも英語は何とかなるものです。と言っても、現在のビジネス界の皆様の英会話スタンダードは当時よりも大分厳しいようですね。読者の皆様にあっては釈迦に説法した気持ちになってしまいます。
Billings Fish Marketでウナギを扱うロンドン生まれのご主人はロンドンのチープサイド生まれで、ボウ・ベルの聞こえるところで育った生粋のロンドンっ子ですが、職人気質で、言葉も少ないので、インタビューで何かを聞き出すには相当手強い人物でした。コックニー訛りであることは判ったのですが、その言葉は肉声ではしっかりとは聞き取れず、録音した言葉を帰宅してから何十回も再生しました。英人の妻でもちょっと首を傾げていました。将来、英国の魚に関する記事で、彼から教えて貰ったことをお披露目できると思います。
ただ言いたいのは、イギリス人は話し相手の国籍に関係なく、且つ容赦なく難しい言い回しや教科書には出て来ない厳しい表現をしてくるので、我々日本人は自信を持った態度で「判らないことは判らないので、教えて下さいますか」と相手に敬意を持って接することが肝要だということです。
やがて、その敬意にちゃんと応えてくれる英国人が現れ、徐々に友人になっていくのだと思います。British Madeの仕入れ担当の方々も、英国人の職人や商売人たちとのやり取りで、以上と同様の体験を積み重ねて信用を勝ち取ってことが想像されます。職員の皆様はあまり苦労話をされませんが、店頭に並ぶ一連の商品がその成果であることに違いないのです。
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。