パブリック・スクールとは、元来が「公共に奉仕する人材を養成する学校」を意味するところから始まった機関であって‥‥
6月24日の記事「其の一」に引き続いて、英国のパブリック・スクールの話です。これまで皆さまのイメージされていた世界とは異なるように思われるかもしれませんし、日本の学校とはまるで別世界にも感じられるでしょうが、二人の我が子らにその世界を体験させた親として真の姿を述べることで、皆さまの英国に対する理解が深まるのではないかと願っております。まず、数多く同じ質問が寄せられましたので、ここでお応えします。パブリック・スクール(Public School)と公立学校(State School)とは全く異なるものです。パブリック・スクールとは、元来が「公共に奉仕する人材を養成する学校」を意味するところから始まった機関であって、現代のパブリック・スクールはプライベート・スクール(私立学校)です。経済面でも、運営面でも卒業生が育てていった学校とも言えます。
某パブリックスクールの航空写真。これで全体の一部ですが、全寮制ではなく、30%ほどの生徒が寮生活をしている学校ですので、規模としては中堅クラスです。この距離で見ても、日本のゴルフ場並みに整備された絨毯のような芝生であることが判ります。健康な馬の毛並のような芝生こそが潤沢な資産を有するパブリックスクールの象徴の一つなのです。グラウンドの真ん中にある長方形の部分は、クリケットのスローウィング(ピッチング)とバッティングが行われる箇所です。
さて、そのパブリック・スクールで受ける指導内容は、世界でもトップレベルにあると言われています。同時に、高価な教育サービスであるだけに、貧しい者や知力を伴わない人々に対して排他的にも見えるので、事情をよく知らない人々の中には不平等だと主張する人も少なくありません。
元来のパブリック・スクールでの育成対象は、教育者(牧師、宣教師を含む)と統率者(軍隊、官僚組織、政治家など)でしたが、現代に至っては、リーダーを育て、リーダーシップを理解し、リーダーをサポートするための人材を育成する教育機関へとして変化してきています。
その背景にある基本的な考え方は「神の下での平等と公正」なのですが、英語ではそれぞれequalityとequityになります。確かに誰もが神の前ではequalityという意味の平等の下に置かれていますが、ご承知のように能力は平等には与えられていません。
先生たちは神に替わって、生徒全員に平等(equality)なチャンスを与えます。そして、その生徒たちの中から与えられた課題を上手にクリアした生徒たちを選んで、新たなチャンスを与えていきます。課題をクリアした人物を選抜することをequity(公正)と言うのです。「選ばれた人」と「選ばれなかった人」との違いは「リーダーになる人」と「リーダーを支える人」との違いになるだけであって、言わば機能分担になるわけですから、本来は差別や不平等を生み出すものではなかったのです。
もちろん、選ばれなかったことに不満を持つ人は”It is not fair”「公正ではない」と主張することも出来ます。自分が適格者であると思えば、「チャンスを自分にも(もう一度)与えろ」という意味で”It is not fair”と主張することが可能であり、実際にリターン・マッチする機会を与えられることもありうるのです。そして、リーダー、サブリーダー、セクションリーダーなど役割分担が決まります。学校の中では社会人になった時の人間関係の縮図が出来上がって来るのです。つまり、この役割分担こそが階級社会の元来の構成要因のひとつなのです。
2012年ごろ、某パブリックスクールの創立200周年記念行事の様子。場所は英国国教会の総本山のひとつウェストミンスター寺院です。プルピット(説教壇)にはヘッドガール(女子総代)、聖書台にはヘッドボーイ(男子総代)が立って、歴代の卒業生と学校に対する感謝や、現代の学校生活についてスピーチしています。この聖書台で、ハリー王子はウィリアム王子に婚姻の祝辞を宣べたわけです。学業、スポーツ、そして人格で選ばれるヘッドボーイやヘッドガールが、学内や世間でどれだけの権威のものであるかがお判り頂けると思います。
パブリック・スクールの子供たちは、入学する時点で、学力、親の財力などの要因で既に選ばれた子供たちです。入学から18歳で卒業するまで、学校によっては10年間、あるいは6年間にequityの機会の中で誰もが認めるリーダーを育てるところが今日的なパブリック・スクールの役割の一つなのです。
いわゆる全人教育というスタイルになるわけで、人間が持ついくつもの資質を,全面的かつ調和的に育成するということです。その場合,何を基本的な資質とするかは時代により,文化によって異なり,その違いに応じて,全人教育の内容にも違いが生じるので、今後も英国のパブリック・スクールの目指すところもリーダーシップの考え方も変化していくと思われます。
1997年以来、世界でベストセラーとなった英国の児童文学では、全寮制のパブリック・スクールがモチーフにされています。第二主人公の男子生徒Rと女生徒Hがハウスを取り仕切るプリフェクト(監督生)になっていました。でも、作者氏が、なぜ主人公をプリフェクトにしないのだろう、と思いました。監督生の最上位の役職(生徒と教師からの人望に篤く、成績優秀、運動万能の生徒会長)であるヘッドボーイ(女子の場合はヘッドガール)にしないのだろうか、と小説を読みながら不思議な気がしました。なぜなら、小説の中の主人公の行動は現代のリーダーそのものであるからです。
ホグワーツ近影。と言っても、映画会社から某国大使館に送られたレプリカです。実際にこのような断崖絶壁に建築するのはとても無理だと思います。ノイシュバンシュタイン城がモチーフのようですが…
主人公は問題を見つけ、自ら行動を取るけど、必ず他者の意見を聞きますし、思い込みがあれば後で反省します。そして、致命的な結果にならないように皆の意見(全知)を眺めて最良の行動を執っています。主人公と伴に行動する仲間は、ある時はその仲間自らが自然発生的なリーダーとなり、主人公を動かしたり、助けたりします。現代のリーダーシップ理論で最も強調される点は信頼関係で人を動かせることです。学校の中で主人公は誰もが認めるリーダー格でしたが、彼が小説の中で最高位のリーダー(ヘッドボーイ)にならなかったのは、単に小説の構成上の都合かもしれません。世界的な児童文学は単なるヒーローの物語ではなかった。ということなのですね。
ともあれ、リーダーシップという観点、そしてパブリック・スクールでの教育という観点の両面で同書を読んでみるのは意外に面白いかもしれません。現代の英国社会と生活文化の歴史とが一体化した同作品を読み返すことで、英国やBRITISH MADEの製品の見方が変わるかもしれませんし、改めて新鮮に感じて頂けると思います。
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。