アンティーク・ショップは、ロンドン中心部だけでなく、英国の郊外や地方にもたくさんあります。本来まったく興味がなかったのですが、2005年ごろにロンドンの骨董市が消滅の危機にあるという情報を聞き付けた日本の出版社からの依頼を受けて、アンティーク特集記事のために研究してみると大変なことになってしまいました。2か月以上掛けてロンドン市内だけでも200か所以上のアンティーク・ショップを取材しましたが、学べば学ぶほど、アンティーク業界の奥深さと魅力、そしてその怪しさに取りつかれてしまいました。
まず、ロンドンでアンティーク・ショップ自体を探すのは全然難しいことではありません。
Antique Market in London
http://www.visitlondon.com/things-to-do/shopping/market/antiques-market
旅行のついでに簡単に行けるところとして筆頭に挙げられるのは、地下鉄ジュビリー線とセントラル線のボンド・ストリート駅を降りて徒歩30秒のところに常設アンティーク市場のGrays AntiquesとMews Antiquesです。
Grays Antiques/Mews Antiques
http://www.graysantiques.com/location.php
常に200以上の店舗数があり、10年以上経営が続いている店舗も多い一方で、割と頻繁に店舗が入れ変わります。英国在住の邦人店舗もあれば、日本から買い付けに来るディーラーさんも見掛けます。もちろん、アラブ、中国の人々など世界中の人々が集まっては、アンティークを買い求めるのです。
アンティーク・ショップにあるものは、100年以上を経た品物だけではありません。ヴィンテージと呼ばれる特定の年代の特別な価値を持ったモノもあり、目利きの必要な逸品も陳列されています。今回はアンティークをざっくり述べることにして、ヴィンテージや骨董のバリエーションについては、他の機会を設けましょう。
「本物のアンティークとは2000年以上前の遺物だ」と言われた時代もありましたが、もはや博物館に置かれるべき文化財と区別されて久しくなりました。ロンドンのメイフェアという地域(北辺はオクスフォード・ストリート、南辺はピカデリー、西辺はパーク・レーン、東辺はリージェント・ストリートに囲まれた一帯)には富豪や貴族のタウンハウスが建つ地域で、家の中にはそれこそ世界中から持ち込まれた(略奪された?)重要文化財が集まった地域でもあります。文化財級の品物こそが正統アンティークであると断言された時代が長く続いたのです。
しかし、貴族の没落と伴に、アンティークはクリスティズやササビーズなどのオークション会社で競売に掛けられ、富の集積地メイフェアから世界中に再び拡散して行ったのです。人は財産を築くと、家と乗り物にお金を掛け、税金対策として、且つ投資として価値あるモノ、つまり絵画やアンティークの購入にお金を注ぎ込みます。アンティークは時代とともに価値を替えて(どんどん値が吊り上って)、富める人々のところへと移っていくのです。その流れから考えると、現在もっともアンティークを貯め込んだ国と言えば、アラブ、中国の富裕層ということになります。今後、貯めつつある国はロシア、ブラジルという国々でしょう。
大英博物館の正面から入って、左側にはエルギン・マーブルズと言われるコーナーがあります。ギリシアのパルテノン神殿の一部を18~19世紀の外交官第7代エルギン卿が英国に持ち帰り、大英博物館に寄贈したものです。もはや、アンティークではなく、現代で言うところの世界文化遺産です。因みに、第8代のエルギン卿は1858年に日本と修好通商条約を結んだ英国の外交官です。このエピソード自体が、無形で、且つアンティークな話ですね。
British Madeユーザーの皆様が手にする品物は、我々が生きている間にアンティークというジャンルに入ることにはならないでしょう。しかし、将来はヴィンテージとなり、未来に至っては骨董として扱われていくであろうことを想像すると、現在の私たちが目の前にする品物にどんな意味合いを吹き込むのだろうかという宿命や、後世に何かを伝えるべきある種の義務感を覚えます。
現在の我々が過去や歴史から何かを学ぶように、未来の人々も歴史から、つまり過去から何かを学ぶわけです。今のこの時点は既に過去であり、歴史の流れの中の一点です。私たちの思いや行動や言葉や時代背景は、持ち主の気持ちに関係なく目の前にある静物に宿るとも言えます。静物に魂が籠るとは、静物の中に歴史や先人の気持ちを見い出す、ということなのかもしれません。
因みに、ロンドンの骨董市はここ数年で激減しましたが、消滅することは無いと思います。画像で紹介したエドリックのようなディーラーの存在と、そして確かな鑑識眼を持った備えた鑑定士たちが居てくれる限り、ロンドンは骨董を扱う世界の中心地であり続けると思います。
まず、ロンドンでアンティーク・ショップ自体を探すのは全然難しいことではありません。
Antique Market in London
http://www.visitlondon.com/things-to-do/shopping/market/antiques-market
旅行のついでに簡単に行けるところとして筆頭に挙げられるのは、地下鉄ジュビリー線とセントラル線のボンド・ストリート駅を降りて徒歩30秒のところに常設アンティーク市場のGrays AntiquesとMews Antiquesです。
Grays Antiques/Mews Antiques
http://www.graysantiques.com/location.php
常に200以上の店舗数があり、10年以上経営が続いている店舗も多い一方で、割と頻繁に店舗が入れ変わります。英国在住の邦人店舗もあれば、日本から買い付けに来るディーラーさんも見掛けます。もちろん、アラブ、中国の人々など世界中の人々が集まっては、アンティークを買い求めるのです。
今は無きスピタルフィールズの青空骨董市の風景。2005年頃。骨董屋とはすなわち売人であると同時に(仲)買人でもあります。世界中から人々が買い付けに来るのです。漠然と古物を収集しているだけではイイものは見つかりません。優秀な買人は公文書館に通って、真贋を確かめるほど研究熱心です。ひとつのモノを売るために、とてもエネルギーを費やすそうです。
アンティーク・ショップにあるものは、100年以上を経た品物だけではありません。ヴィンテージと呼ばれる特定の年代の特別な価値を持ったモノもあり、目利きの必要な逸品も陳列されています。今回はアンティークをざっくり述べることにして、ヴィンテージや骨董のバリエーションについては、他の機会を設けましょう。
すべて象牙細工の根付です。明治時代の初期に日本から欧州域内に輸出されたものです。他国では類を見ない技術で彫られた作品ですが、何故か固定したオーナーに維持される期間が短い骨董なのです。数多ある骨董商品を取材していて、最も優れた骨董品と思ったのですが、超一流の技術で彫られた根付が世界的には、あまり高く評価されていないことが不思議でなりませんでした。
「本物のアンティークとは2000年以上前の遺物だ」と言われた時代もありましたが、もはや博物館に置かれるべき文化財と区別されて久しくなりました。ロンドンのメイフェアという地域(北辺はオクスフォード・ストリート、南辺はピカデリー、西辺はパーク・レーン、東辺はリージェント・ストリートに囲まれた一帯)には富豪や貴族のタウンハウスが建つ地域で、家の中にはそれこそ世界中から持ち込まれた(略奪された?)重要文化財が集まった地域でもあります。文化財級の品物こそが正統アンティークであると断言された時代が長く続いたのです。
しかし、貴族の没落と伴に、アンティークはクリスティズやササビーズなどのオークション会社で競売に掛けられ、富の集積地メイフェアから世界中に再び拡散して行ったのです。人は財産を築くと、家と乗り物にお金を掛け、税金対策として、且つ投資として価値あるモノ、つまり絵画やアンティークの購入にお金を注ぎ込みます。アンティークは時代とともに価値を替えて(どんどん値が吊り上って)、富める人々のところへと移っていくのです。その流れから考えると、現在もっともアンティークを貯め込んだ国と言えば、アラブ、中国の富裕層ということになります。今後、貯めつつある国はロシア、ブラジルという国々でしょう。
もはや日本にはほとんど存在しない明治日本の骨董、根付(ネツケ)。明治時代の廃刀令で廃業に追い込まれた刀の彫金職人が、明治政府が輸入した象牙に細工をして、手工業大量生産をしました。19世紀中ごろから象牙細工はロンドンやパリなどで大人気。明治時代の外貨獲得の貴重な手段でした。最高級の根付は、最も繁栄している都市に集中すると言われ、経済界の裏の指標とされています。
骨董の第一人者のエドリック。彼の自宅兼店舗は必見の価値あり。要予約。要英会話能力。要骨董知識。要教養とユーモア。コンタクトは、Edric Van Vredenburghで検索可能です。http://www.vanvredenburgh.com/ 所在地はUnit 1 ,105 Portobello Rd, W112QB London 電話 +44(0)20 7727 2739。画像は2005年のものです。
大英博物館の正面から入って、左側にはエルギン・マーブルズと言われるコーナーがあります。ギリシアのパルテノン神殿の一部を18~19世紀の外交官第7代エルギン卿が英国に持ち帰り、大英博物館に寄贈したものです。もはや、アンティークではなく、現代で言うところの世界文化遺産です。因みに、第8代のエルギン卿は1858年に日本と修好通商条約を結んだ英国の外交官です。このエピソード自体が、無形で、且つアンティークな話ですね。
ローマ時代のモザイクを模したレプリカと言っても、年代ものです 。
British Madeユーザーの皆様が手にする品物は、我々が生きている間にアンティークというジャンルに入ることにはならないでしょう。しかし、将来はヴィンテージとなり、未来に至っては骨董として扱われていくであろうことを想像すると、現在の私たちが目の前にする品物にどんな意味合いを吹き込むのだろうかという宿命や、後世に何かを伝えるべきある種の義務感を覚えます。
骨董常設展Mewsの中には、タイバーン川も流れています。かつての斬首刑場は、血を洗い流すために川の近くに設置されました。水利のある斬首刑場から晒しモノに便利な絞首刑場に変わった時、場所も現在の百貨店John Lewis近辺からMarble Archへと移動したのです。
現在の我々が過去や歴史から何かを学ぶように、未来の人々も歴史から、つまり過去から何かを学ぶわけです。今のこの時点は既に過去であり、歴史の流れの中の一点です。私たちの思いや行動や言葉や時代背景は、持ち主の気持ちに関係なく目の前にある静物に宿るとも言えます。静物に魂が籠るとは、静物の中に歴史や先人の気持ちを見い出す、ということなのかもしれません。
因みに、ロンドンの骨董市はここ数年で激減しましたが、消滅することは無いと思います。画像で紹介したエドリックのようなディーラーの存在と、そして確かな鑑識眼を持った備えた鑑定士たちが居てくれる限り、ロンドンは骨董を扱う世界の中心地であり続けると思います。
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。