英国で花火と言えば、このガイ・フォークス・ナイト(1605年11月5日、政府転覆が未遂に終わったことを祝う祭り)に寒空を彩る風物詩として登場します。ガイ・フォークスの人形を火あぶりにしたついでに、もうちょっとアトラクションがあるといいねという安易な発想で、花火が導入されたのは1650年頃ですが、当時の花火はボンっと破裂して一瞬だけ明るくなる程度のもの。1980年代のガイ・フォークス・ナイトには日本で夕涼みに使う手持ち花火が使われていました。今日のような仕掛け花火が登場するのは、もうちょっと後の事だったと思います。
話は少し脱線しますが、花火が売られているところと言えば、80年代はニューズ・エージェントでした。大層な名前ですが、元々は単なる新聞販売所です。ガーディアン紙、ザ・タイムズ紙などどんな新聞でも扱う店、つまり、あらゆる新聞を「代理」販売するという意味のエージェントです。007のような殺しのライセンスを持つエージェントとは異なります。
日本のコンビニほど便利ではありませんが、長年に渡り地元に合わせた需要を提供して来た街角の店です。一般的には新聞や雑誌の他にチョコやキャンディなどの甘いモノ、牛乳、卵などのディリーフーズ、果物などが置かれています。その一方、「あ、これが売れそうかな」という店主の思い付きで、時節の商品がすぐに陳列されます。販売アイテムは季節や土地柄によって多少変化することもあり、子どもの多い住宅街のニューズ・エージェントに行けば、10月の終わりごろから花火が販売されていました。
その花火の使い道、今となってはハロウィンで若者が騒ぐための道具になってしまいました。深い暗闇と湿った寒気に包まれる11月の屋外では、花火の用途も日本とはまったく異なります。日本では、花火は夕涼み、怖い話も納涼ということで夏のアイテムですが、英国では、寒い暗闇の季節であっても皆で楽しく過ごす冬のアイテムということになります。
昨年も当記事で語ったように、ここ20年間で、ハロウィンが隆盛となり、ガイ・フォークス・ナイトが廃れつつあるという状況と、ガイ・フォークスが政治的な象徴になりつつある現象を眺めていると、「あれ?ガイ・フォークス事件って、結局(我々英国人にとって)何だったんだろう。何を学ぶべきだったんだろう」という疑問を持つ英国人が増えて来ました。
ガイ・フォークス事件について、本当のことを知ろう、という動きが近年になって始まっています。そして、真面目に当時の公文書や古い文献を研究した学者や学生のお蔭で、ガイ・フォークスについていろいろなことが判って来ました。フォークスは元々プロテスタントとして洗礼を受けたけど、再婚した母親の相手がカトリック信者だったために、新しい父の影響で子供の頃に改宗(した?)させられたこと。フォークスが掴まったとされる地下室は(消失前の)国会に存在せず、後世のでっち上げであったかもしれないこと。そして、この政府転覆未遂事件の首謀者は彼ではなかったけど、拷問に耐えてずっと自らの計画であったと言い張ったこと。(後に官吏に騙されて白状してしまいますが) さらに、最後は八つ裂きの刑に処せられた。若しくは、その苦痛から逃れるために拷問台から飛び降りて自ら命を絶ったことです。
但し、以上のことには諸説あり、学者先生の間でも意見が分かれています。詳細な真実はどうあれ、400年以上前のこの事件全体を眺めていると、現代の社会状況と被るモノが多い気がしています。当時のガイ・フォークスの行動が、現代になってからウィキリークスやアノニマス集団の活動など匿名性の高い活動などに象徴され、「抵抗と匿名のシンボル」になりつつあるという話も耳にします。
カトリックと英国国教会との宗教対立や、矛盾した王制の世直しなどの理由で政府の転覆を図ったガイ・フォークス事件ですが、事件全体を俯瞰すると、どうしてもガイ・フォークスたちが一方的な悪者には見えないのですね。むしろ、新しい自由の国を作ろうと模索していたわけです。客観的に言えば、クーデターに失敗すると犯罪者になってしまいますけど、もし成功していたら彼らは英雄になった筈です。事件後の英国と言えば、ジェームズ一世(スコットランドでは六世)が王権神授説(王は自由に法や勅令を制定できる)として、国政を私物化し弱体化させてしまいました。次の王チャールズ一世は清教徒革命を経てクロムウェルに殺害され、王制が一旦途絶えています。
現代の英国や日本では、クーデターのような過激な政治紛争は起こらないと思いますが、ガイ・フォークスたちが国会の地下で匿名の志士として理想に燃えていたように、現代社会ではネットワークの中で匿名の人々によって異なった思想で様々な議論が交わされています。つまり、匿名で顔は見せなくても「我々の真意はここにある」という主張が、ネット社会で行われている状況であることは皆さんもご存知のとおりです。現代に至って、ガイ・フォークス事件とは、社会に対して独自の意見を発信する匿名(アノニマス)な人たちの文化的なグラウンド(背景)になっているという説もあります。ガイ・フォークス事件という英国で起きた歴史の事実が、本来とはカタチを換えてアノニマスの象徴として世界に広がりつつあるのです。
アノニマスの彼らがニューズ・エージェントで新聞を購入したついでに買った花火を打ち上げるのは、特定の思いを達成した時になるのでしょうか。しかし、急激な変革ではなく、多くの人々とのコンセンサスを得られるような熟成したネットワーク社会の中で、じわじわとゆるやかに幸せを感じる人が増えて行くような社会にしたいとは、日英間だけでなく、コズモポリタン(世界市民、国際人)としての義務と感じる人も増えています。我が家では家族の食卓で語るトピックスになってきました。変革は大事ですが、急進的な変化をする場合は、権力の隔たりなどが生じて、必ずなんらかの無理が生じていることは歴史が証明しています。単にカッコよさだけに乗せられて迎合しないように、よく考えてから行動するべき時代の警鐘として、中庸の精神を育くんだ大人の国、英国では現代版ガイ・フォークスの仮面を被る人たちを客観的に眺めているようです。
話は少し脱線しますが、花火が売られているところと言えば、80年代はニューズ・エージェントでした。大層な名前ですが、元々は単なる新聞販売所です。ガーディアン紙、ザ・タイムズ紙などどんな新聞でも扱う店、つまり、あらゆる新聞を「代理」販売するという意味のエージェントです。007のような殺しのライセンスを持つエージェントとは異なります。
第二次大戦中、チャーチル首相の命令で、ピカデリー線のダウン・ストリート駅の地下には臨時内閣室が設置されました。ドイツ軍の激しい空襲にも備えた施設。試験的に1度だけ会議に使用されたことがあります。臨時内閣室以前から地下鉄駅としては利用されていません。現在はニューズ・エージェント(コンビニ)で、地下は変電室。ダウン・ストリート駅はハイドパーク駅とグリーンパーク駅との間にあります。
日本のコンビニほど便利ではありませんが、長年に渡り地元に合わせた需要を提供して来た街角の店です。一般的には新聞や雑誌の他にチョコやキャンディなどの甘いモノ、牛乳、卵などのディリーフーズ、果物などが置かれています。その一方、「あ、これが売れそうかな」という店主の思い付きで、時節の商品がすぐに陳列されます。販売アイテムは季節や土地柄によって多少変化することもあり、子どもの多い住宅街のニューズ・エージェントに行けば、10月の終わりごろから花火が販売されていました。
怖いというよりも可愛いらし過ぎて思わずtreat、 お菓子を上げたくなってしまいます。
その花火の使い道、今となってはハロウィンで若者が騒ぐための道具になってしまいました。深い暗闇と湿った寒気に包まれる11月の屋外では、花火の用途も日本とはまったく異なります。日本では、花火は夕涼み、怖い話も納涼ということで夏のアイテムですが、英国では、寒い暗闇の季節であっても皆で楽しく過ごす冬のアイテムということになります。
昨年も当記事で語ったように、ここ20年間で、ハロウィンが隆盛となり、ガイ・フォークス・ナイトが廃れつつあるという状況と、ガイ・フォークスが政治的な象徴になりつつある現象を眺めていると、「あれ?ガイ・フォークス事件って、結局(我々英国人にとって)何だったんだろう。何を学ぶべきだったんだろう」という疑問を持つ英国人が増えて来ました。
ガイ・フォークス事件について、本当のことを知ろう、という動きが近年になって始まっています。そして、真面目に当時の公文書や古い文献を研究した学者や学生のお蔭で、ガイ・フォークスについていろいろなことが判って来ました。フォークスは元々プロテスタントとして洗礼を受けたけど、再婚した母親の相手がカトリック信者だったために、新しい父の影響で子供の頃に改宗(した?)させられたこと。フォークスが掴まったとされる地下室は(消失前の)国会に存在せず、後世のでっち上げであったかもしれないこと。そして、この政府転覆未遂事件の首謀者は彼ではなかったけど、拷問に耐えてずっと自らの計画であったと言い張ったこと。(後に官吏に騙されて白状してしまいますが) さらに、最後は八つ裂きの刑に処せられた。若しくは、その苦痛から逃れるために拷問台から飛び降りて自ら命を絶ったことです。
ガイ・フォークス事件の後に国会議事堂は火事で焼失しています。ビッグベンは19世紀中ごろの建築。
但し、以上のことには諸説あり、学者先生の間でも意見が分かれています。詳細な真実はどうあれ、400年以上前のこの事件全体を眺めていると、現代の社会状況と被るモノが多い気がしています。当時のガイ・フォークスの行動が、現代になってからウィキリークスやアノニマス集団の活動など匿名性の高い活動などに象徴され、「抵抗と匿名のシンボル」になりつつあるという話も耳にします。
カトリックと英国国教会との宗教対立や、矛盾した王制の世直しなどの理由で政府の転覆を図ったガイ・フォークス事件ですが、事件全体を俯瞰すると、どうしてもガイ・フォークスたちが一方的な悪者には見えないのですね。むしろ、新しい自由の国を作ろうと模索していたわけです。客観的に言えば、クーデターに失敗すると犯罪者になってしまいますけど、もし成功していたら彼らは英雄になった筈です。事件後の英国と言えば、ジェームズ一世(スコットランドでは六世)が王権神授説(王は自由に法や勅令を制定できる)として、国政を私物化し弱体化させてしまいました。次の王チャールズ一世は清教徒革命を経てクロムウェルに殺害され、王制が一旦途絶えています。
もし政府転覆事件が成功していたら、この景色も変わっていたことでしょう。
現代の英国や日本では、クーデターのような過激な政治紛争は起こらないと思いますが、ガイ・フォークスたちが国会の地下で匿名の志士として理想に燃えていたように、現代社会ではネットワークの中で匿名の人々によって異なった思想で様々な議論が交わされています。つまり、匿名で顔は見せなくても「我々の真意はここにある」という主張が、ネット社会で行われている状況であることは皆さんもご存知のとおりです。現代に至って、ガイ・フォークス事件とは、社会に対して独自の意見を発信する匿名(アノニマス)な人たちの文化的なグラウンド(背景)になっているという説もあります。ガイ・フォークス事件という英国で起きた歴史の事実が、本来とはカタチを換えてアノニマスの象徴として世界に広がりつつあるのです。
アノニマスの彼らがニューズ・エージェントで新聞を購入したついでに買った花火を打ち上げるのは、特定の思いを達成した時になるのでしょうか。しかし、急激な変革ではなく、多くの人々とのコンセンサスを得られるような熟成したネットワーク社会の中で、じわじわとゆるやかに幸せを感じる人が増えて行くような社会にしたいとは、日英間だけでなく、コズモポリタン(世界市民、国際人)としての義務と感じる人も増えています。我が家では家族の食卓で語るトピックスになってきました。変革は大事ですが、急進的な変化をする場合は、権力の隔たりなどが生じて、必ずなんらかの無理が生じていることは歴史が証明しています。単にカッコよさだけに乗せられて迎合しないように、よく考えてから行動するべき時代の警鐘として、中庸の精神を育くんだ大人の国、英国では現代版ガイ・フォークスの仮面を被る人たちを客観的に眺めているようです。
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。