1997年にトニー・ブレア氏が首相になり、エリザベス2世女王陛下にご挨拶に行った際の有名な話をご存知の方も多いと思います。「あなたは私の会った10人目の首相です。最初はウィンストン(チャーチル)。あなたが生まれる前のことね」
女王陛下からこのお言葉を聞いた43歳の若者はカウンターパンチを食らった思いをしたことでしょう。バッキンガム宮殿に向かった時の気勢が一挙に削がれただけでなく、彼の魂は陛下の掌の上で転がされている気持ちになったであろうと想像します。「自分は単に歴代の首相の一人に過ぎない」ことを自覚したとか、「彼女は元首であり、私は彼女の首相だった」という趣旨のことを、ブレア氏は後年になってからも言葉を微妙に変えながら述べています。
ところで、日本の天皇陛下のお誕生日に英国代表代行の同伴者として、天皇皇后両陛下にも謁見したことがあるのですが、その際に最も意外だったことは各国の全権大使たちが天皇陛下に握手を求めて列を成している時の光景でした。陛下とのご面談に感涙の泪を流されている大使が数名いたのです。その大使の中の一人が知人でしたので、後日謁見の時の様子を尋ねたところ「世界最長の王朝の元首に会えるなんて一生のうちに何度もありませんからね。それに、私の任期は今年で最後ですから…。感激していた他の大使たちも同じ思いだったでしょう」大使の任期は3~4年ですが、その間でも陛下と握手まで出来るほどの距離に近づくことは滅多にないのですね。元首と、その元首から任命された全権代表(出世した公務員)とでは、その立場に雲泥の差があるということです。大使とは国際典礼儀典(プロトコル)の中でも最上位にある方々ですが、元首の前では「あ、自分はこの方の前では単なる一個人に過ぎないのだ」と気付かされるようです。
女王陛下に対する自覚とは、神に対する畏敬の念と似ていると思います。英国歌のタイトル“God Save the Queen”は、元首と個人との関係を考えるきっかけを与えてくれる表現です。つまり「神が女王を救う」ことは、女王の安泰を示すわけで、彼女の姿を確認することで、我々は「まだ世の中は大丈夫だ」と安心します。
一方、女王陛下にとって、国民とはひとりひとりが国家を構成する重大な要因なので、たとえ犯罪者であっても償いの出来る人間である以上は、誰もが平等に肯定されるべき大事な存在であるということです。女王陛下はまるで神と同じ存在ということになりますね。
また、すべての人々の存在だけでなく、現在までに生じている事実や事柄を現実的に受けとめることも元首の役割のひとつと言えます。そして、その受容の姿勢を具体的に示すための伝統的なシステムがあります。例えば、叙勲などは人々に対する信頼の度合いを段階的に評価するシステムなのです。多くの人にとって、叙勲は雲の上のような話です。しかし、自分の近くに叙勲者が居れば、その叙勲者との関係(例えば、縁者、姻戚関係、授与組織のメンバー、影の功労者など)は大きな栄誉となるのですね。
当方の個人的な意見ですが、エリザベス2世女王陛下が存在される意義は、英国民だけが独占するものではないと思っています。なぜなら、陛下から発信されるメッセージとご公務中のお姿は世界中から注目されています。あの御姿を見るだけで、当方はもちろん日本の皆様も気づかぬうちに安心感を抱いているのです。
仕事で初めての外国に行って何度か経験したことですが、未知の文化に何日間も晒され、身も心も疲弊しきって空港に戻ったときに見かける日航機や全日空機を見掛けた時のような、ほっとした気持ちにさせてくれる。それが現代の元首の役割かもしれません。これまた、個人的な話ですが、日本の天皇陛下のお姿を拝見する時にも、現在の平和を確認し、これからもその維持を心に誓う気持ちに似ていると思います。
東京の英国大使館では、毎年4月か6月のどちらかに女王陛下の誕生日パーティ(QBP)が行われます。スペースや保安の理由で、あいにく、誰でも参加できるパーティではありませんが、日本の政財官各界の重鎮、英国益に貢献した方々(BRITISH MADEさんも含め)、そして英国の叙勲者が招待されます。在日している間、当方はホスト側として12回ほど参加したことがあります。参加者の中でも、もっとも印象的だった方は、2014年に逝去された日本の経済学者の教授でした。
“To the Queen”と大使が祝杯を挙げた後に、教授はすぐ横に居た当方に仰いました。「ロンドンの学会後にたまたま参加したQBPで、『Queenに乾杯するのなら、そのご夫君の誕生日にも乾杯するのですか?』と、ケンブリッジ大学の教授に尋ねたところ、『なんで種馬に乾杯する必要があるのですか?』と聞き返されましたよ。しかし、種馬は重要な役割だと思いますけどね」 当時、まだ幼かったウィリアム王子の方が、その父上よりも皇位継承者として相応しいのではないかと、英国の世論で話題にされ始めた頃でした。
首相や大統領は民衆から選ばれますが、皇位は世襲です。ヨーロッパの世襲制度は戦前までに殆ど崩壊していますが、英国の世襲制度は首相の首根っこを押さえ付けられる元首として役割を担っています。国民(今や世界市民)全体のことを考えながら、毎週行われるミーティングで首相に口頭で伝えられる女王陛下の苦言や提言こそが、英国が議論と中庸のバランスを保つ背景になっているのです。もちろん、当方だけの意見ではありません。複数の政治学者が英国の世襲制度の効果について同様のことを述べています。女王陛下のご器量と教養の成果とも言えるでしょう。僭越かもしれませんが、女王陛下の最大の魅力は、強い発言力を持ちながら発揮される、あの独特のご愛嬌と可愛らしさであると思うのです。
女王陛下からこのお言葉を聞いた43歳の若者はカウンターパンチを食らった思いをしたことでしょう。バッキンガム宮殿に向かった時の気勢が一挙に削がれただけでなく、彼の魂は陛下の掌の上で転がされている気持ちになったであろうと想像します。「自分は単に歴代の首相の一人に過ぎない」ことを自覚したとか、「彼女は元首であり、私は彼女の首相だった」という趣旨のことを、ブレア氏は後年になってからも言葉を微妙に変えながら述べています。
1989年、マーガレット・サッチャー首相の訪日の際、英国大使館大使公邸で撮影された一コマです。中央の青年は、当時政治部二等書記官のティム・ヒッチンズ氏。つまり、現在(2016年1月)の英国大使です。これまでに、サッチャー首相と女王陛下とのやり取りは、報道でもかなり頻繁に話題にされていました。サッチャー師の回顧録には負け惜しみかな、と思われるような記述もちらほら。「鉄の女」も女王陛下には叶わなかったようです。
ところで、日本の天皇陛下のお誕生日に英国代表代行の同伴者として、天皇皇后両陛下にも謁見したことがあるのですが、その際に最も意外だったことは各国の全権大使たちが天皇陛下に握手を求めて列を成している時の光景でした。陛下とのご面談に感涙の泪を流されている大使が数名いたのです。その大使の中の一人が知人でしたので、後日謁見の時の様子を尋ねたところ「世界最長の王朝の元首に会えるなんて一生のうちに何度もありませんからね。それに、私の任期は今年で最後ですから…。感激していた他の大使たちも同じ思いだったでしょう」大使の任期は3~4年ですが、その間でも陛下と握手まで出来るほどの距離に近づくことは滅多にないのですね。元首と、その元首から任命された全権代表(出世した公務員)とでは、その立場に雲泥の差があるということです。大使とは国際典礼儀典(プロトコル)の中でも最上位にある方々ですが、元首の前では「あ、自分はこの方の前では単なる一個人に過ぎないのだ」と気付かされるようです。
女王陛下に対する自覚とは、神に対する畏敬の念と似ていると思います。英国歌のタイトル“God Save the Queen”は、元首と個人との関係を考えるきっかけを与えてくれる表現です。つまり「神が女王を救う」ことは、女王の安泰を示すわけで、彼女の姿を確認することで、我々は「まだ世の中は大丈夫だ」と安心します。
一方、女王陛下にとって、国民とはひとりひとりが国家を構成する重大な要因なので、たとえ犯罪者であっても償いの出来る人間である以上は、誰もが平等に肯定されるべき大事な存在であるということです。女王陛下はまるで神と同じ存在ということになりますね。
また、すべての人々の存在だけでなく、現在までに生じている事実や事柄を現実的に受けとめることも元首の役割のひとつと言えます。そして、その受容の姿勢を具体的に示すための伝統的なシステムがあります。例えば、叙勲などは人々に対する信頼の度合いを段階的に評価するシステムなのです。多くの人にとって、叙勲は雲の上のような話です。しかし、自分の近くに叙勲者が居れば、その叙勲者との関係(例えば、縁者、姻戚関係、授与組織のメンバー、影の功労者など)は大きな栄誉となるのですね。
拙宅の宝物です。英国外交使節のトップクラスにもなると外務公務のために海外任地や公邸に棲む場合、女王陛下の肖像画は英国政府から支給されるのですが、個人的にはこのティ・バッグで作成された肖像がとても気に入っています。あるサイレント・オークション(金額を投票し、最高値で落札)で落札しました。2位との金額差は1円でした。例えば、実際の金額ではありませんが、誰かが5万1円にするだろうと予測して、5万2円で勝ち取ったわけです。1円差で負けた人は相当悔しがっていました。作者は韓国の釜山にあるDulwich CollegeのAndy Brown教諭です。因みに、ロンドンのDulwich Collegeはティム・ヒッチンズ大使の17歳までの母校でもあります。どちらの国でも名門校です。 Andy Brown氏記事(英文)
当方の個人的な意見ですが、エリザベス2世女王陛下が存在される意義は、英国民だけが独占するものではないと思っています。なぜなら、陛下から発信されるメッセージとご公務中のお姿は世界中から注目されています。あの御姿を見るだけで、当方はもちろん日本の皆様も気づかぬうちに安心感を抱いているのです。
仕事で初めての外国に行って何度か経験したことですが、未知の文化に何日間も晒され、身も心も疲弊しきって空港に戻ったときに見かける日航機や全日空機を見掛けた時のような、ほっとした気持ちにさせてくれる。それが現代の元首の役割かもしれません。これまた、個人的な話ですが、日本の天皇陛下のお姿を拝見する時にも、現在の平和を確認し、これからもその維持を心に誓う気持ちに似ていると思います。
女王陛下の即位60周年(2012年)にテムズ川沿いに貼り出された巨大画像です。エドワード王子が11~12歳に見えるので、1975年頃の画像と思われます。子供の頃のウィリアム王子にそっくりですね。
東京の英国大使館では、毎年4月か6月のどちらかに女王陛下の誕生日パーティ(QBP)が行われます。スペースや保安の理由で、あいにく、誰でも参加できるパーティではありませんが、日本の政財官各界の重鎮、英国益に貢献した方々(BRITISH MADEさんも含め)、そして英国の叙勲者が招待されます。在日している間、当方はホスト側として12回ほど参加したことがあります。参加者の中でも、もっとも印象的だった方は、2014年に逝去された日本の経済学者の教授でした。
東京の英国大使館大使公邸のボールルームに掛かっている若きエリザベス二世女王陛下の肖像です。戴冠の頃でしょうか。
これも東京の英国大使館の大使公邸に掛かるジョージ五世王の肖像画です。エリザベス二世女王陛下のお爺さまですね。
“To the Queen”と大使が祝杯を挙げた後に、教授はすぐ横に居た当方に仰いました。「ロンドンの学会後にたまたま参加したQBPで、『Queenに乾杯するのなら、そのご夫君の誕生日にも乾杯するのですか?』と、ケンブリッジ大学の教授に尋ねたところ、『なんで種馬に乾杯する必要があるのですか?』と聞き返されましたよ。しかし、種馬は重要な役割だと思いますけどね」 当時、まだ幼かったウィリアム王子の方が、その父上よりも皇位継承者として相応しいのではないかと、英国の世論で話題にされ始めた頃でした。
バッキンガム宮殿で行われた叙勲式の招待状です。残念ながら、授章式の様子は撮影禁止です。この際、叙勲者たちは女王陛下、または皇太子殿下と言葉を交わします。授章式の様子、特に女王陛下と対面してサーベルを両肩に受ける場面も様々な角度からしっかりとビデオと画像に撮られ、受章者全員のために編集してくれます。但し、ビデオも画像も有料(王室の収入)です。撮影禁止の理由とは?もしや?笑。
首相や大統領は民衆から選ばれますが、皇位は世襲です。ヨーロッパの世襲制度は戦前までに殆ど崩壊していますが、英国の世襲制度は首相の首根っこを押さえ付けられる元首として役割を担っています。国民(今や世界市民)全体のことを考えながら、毎週行われるミーティングで首相に口頭で伝えられる女王陛下の苦言や提言こそが、英国が議論と中庸のバランスを保つ背景になっているのです。もちろん、当方だけの意見ではありません。複数の政治学者が英国の世襲制度の効果について同様のことを述べています。女王陛下のご器量と教養の成果とも言えるでしょう。僭越かもしれませんが、女王陛下の最大の魅力は、強い発言力を持ちながら発揮される、あの独特のご愛嬌と可愛らしさであると思うのです。
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。