そろそろ牡蠣の季節も終わりですが、オイスター・バーってお洒落ですよね。しかも、生ガキをちゅるんと食べられるあの手軽さが堪りません。当方が1980年代にシティで働き始めた頃、地下鉄モニュメント駅の近くに有名なオイスター・バーがありました。(まだあるのかな?)
しかし、当時はお洒落なアルフレスコ・タイプ(屋外テーブル)も無く、店内喫煙が可能な時代。年配の英国紳士が葉巻とワインを交互に口にしながら、仕事帰りの軽い夕飯を楽しむ居酒屋でした。タバコはおろか葉巻のニオイでクラクラと眩暈がしてしまう軟弱体質で見かけ倒しな当方は、いつか行ってみたいと思いながら、長い在英期間にもとうとう行く機会には恵まれませんでした。今から数年後には、英国在住が再開するので、その際に行けばいいのかもしれませんが、ともあれ、英国では牡蠣は生食が好まれるのだなあ、と実感したのもこのバーを横目に見たからでした。
ところで、英国の中には至るところにローマンヴィラの遺跡があります。そこでは貝塚を必ず見掛けます。しかも、多くが牡蠣の貝殻であることが素人目にも判ります。
現代の英国で消費される牡蠣の産地は、ロンドンの中心から30マイルほど東に位置するケント州のWhistable(ウィスタブル)が有名です。王室御用達ということで、信頼度も高く、お腹に当る確率も低いとされています。そのケント州と言えば、その周囲は東京―大阪間に相当する距離を海で囲まれていますから、ローマ時代の遺跡が点在しています。ローマ時代には川を遡上して多くのローマ人が入殖して来たのですね。もちろん、先住民のケルト人が居ましたので、ローマ式に開拓するという意味での入殖です。
ローマ人たちは、河川のポイントとなる箇所に村を作り、そこでは海から引っ張って来た牡蠣を食べたのでしょう。あちこちに築きあげられた山盛の貝塚は現代に至って遺跡となってローマ時代の人々の暮らしぶりを想像させてくれるわけです。
考古学にも興味ある当方は、数多くのローマンヴィラに訪れてみました。ほとんどのヴィラが川沿いにあります。川沿いでなければ、見晴らしの良い砦になる位置に設置されています。共通点はやはり牡蠣の貝塚です。そして、遡上する川と平行して通じる道(ローマ街道)が尾根伝いに海からロンドンへと通じていることも共通点のひとつです。
もちろん、川は蛇行していますし、低地であるロンドン方向に進むとも限りません。しかし、地図で川筋と旧道とを見比べると、明らかに「川」と「尾根伝いの道」との両方がロンドンに通じる幹線の役割をしているのです。ただし、ローマ時代に船で遡上していた支流河川も、現代に至っては水量が多くありませんから、ショボイ3級河川になってしまいました。また、尾根伝いの道路も現代に至っては不要となり、産業革命以後は平坦な道路にとって代わっています。 水量が減り川幅が狭くなった理由は、14世紀以降の広葉樹の伐採です。温暖期に人口が増えた欧州はやがて小氷河期を迎えると、家を作るための木材や暖炉の燃料として必要な森林を伐り出したため、伐採後の森林は20~30年間ほど荒れた禿山となり、その後は現在のように見ため美しいなだらかなカルスト台地の牧草地になりました。一方で、広葉樹が無くなったことで雨水を蓄えられなくなった山から供給される水量が減り、広葉樹の落ち葉から出る栄養素が海岸まで流れなくなり、ケント州の多くの牡蠣産地は消滅したのです。 ウィスタブルが牡蠣の産地として残ったのは、テムズ河支流の上流にElmley Conservationという大規模な森林の保全区域と湿地帯が存在することが大きな理由のひとつです。しかし、残ったと言うよりも、前世期初めまで存在した大規模なセメント工場が閉鎖され、放置された跡地が森林として蘇生したので、むしろ過疎のお蔭で近年になって再生した牡蠣産地と言えるでしょう。
オイスター・バーがロンドン金融街にいくつか点在していたのは、高級食であったからです。以上のような経過を眺めると、歴史的に牡蠣がどのように増減し、何故その価値を変えていったかが判ります。当方がロンドンで商社マンだった頃、上司は連れだって高価なオイスター・バーを楽しんでいました。その上司から聞いた話ですが、当時でも既に珍しかったシルクハットとステッキを持った紳士が常連の中に居たそうです。ご本人はBank of Englandに勤める定年直前の行員。たまに経済ニュースに登場する人物でした。毎日、一杯の白ワインとひと殻の大粒な牡蠣だけを頼んで、ゆっくりと白ワインを2/3ほど楽しむと、やおら牡蠣をちゅるんと飲みこんだそうです。小さな幸せをルーティーンにするだけで気持ちをほっこりさせて、心豊かに…。これも英国式コンフォート・フードですね。
尚、ローマ街道の話は…「相当」長くなるので、機会を改めます。
しかし、当時はお洒落なアルフレスコ・タイプ(屋外テーブル)も無く、店内喫煙が可能な時代。年配の英国紳士が葉巻とワインを交互に口にしながら、仕事帰りの軽い夕飯を楽しむ居酒屋でした。タバコはおろか葉巻のニオイでクラクラと眩暈がしてしまう軟弱体質で見かけ倒しな当方は、いつか行ってみたいと思いながら、長い在英期間にもとうとう行く機会には恵まれませんでした。今から数年後には、英国在住が再開するので、その際に行けばいいのかもしれませんが、ともあれ、英国では牡蠣は生食が好まれるのだなあ、と実感したのもこのバーを横目に見たからでした。
St. Martin`s Hotelのバー。かつてはオイスターも振る舞っていましたが、今はどうでしょうか?近くにSheekey`s Oyster Barなどの名店があるものですから、最近はあまり奮わないようです。お粗末な話ですが、目の悪い当方が夕方にこのホテルに行った時、この椅子のデザインが美味しそうな牡蠣に見えてしまったこともあります。
ところで、英国の中には至るところにローマンヴィラの遺跡があります。そこでは貝塚を必ず見掛けます。しかも、多くが牡蠣の貝殻であることが素人目にも判ります。
現代の英国で消費される牡蠣の産地は、ロンドンの中心から30マイルほど東に位置するケント州のWhistable(ウィスタブル)が有名です。王室御用達ということで、信頼度も高く、お腹に当る確率も低いとされています。そのケント州と言えば、その周囲は東京―大阪間に相当する距離を海で囲まれていますから、ローマ時代の遺跡が点在しています。ローマ時代には川を遡上して多くのローマ人が入殖して来たのですね。もちろん、先住民のケルト人が居ましたので、ローマ式に開拓するという意味での入殖です。
ローマン・ヴィラの遺跡は英国中の至るところに点在します。川沿い、砦となる景色の見渡せるところ、川の淵近辺などが遺跡のあるところです。貝塚が出て来るのは、川沿いですが、要衝の砦跡ともなると当時の将軍のために供されたのでしょうか、丘の上なのに牡蠣殻がたくさん出て来ます。英国のコーストラインが如何に豊かな漁場であったかが判る歴史の証拠です。
ローマ人たちは、河川のポイントとなる箇所に村を作り、そこでは海から引っ張って来た牡蠣を食べたのでしょう。あちこちに築きあげられた山盛の貝塚は現代に至って遺跡となってローマ時代の人々の暮らしぶりを想像させてくれるわけです。
考古学にも興味ある当方は、数多くのローマンヴィラに訪れてみました。ほとんどのヴィラが川沿いにあります。川沿いでなければ、見晴らしの良い砦になる位置に設置されています。共通点はやはり牡蠣の貝塚です。そして、遡上する川と平行して通じる道(ローマ街道)が尾根伝いに海からロンドンへと通じていることも共通点のひとつです。
銘柄が判るほど牡蠣を食べている人は、英国では嫌われます。判っても判らないフリをするのが、粋ってもんです。美味しいモノを食べながら薀蓄を語るのではなく、相手を楽しませる会話の方が大事ですね。何しろ生牡蠣は「ちゅるん」と一口ですから。
もちろん、川は蛇行していますし、低地であるロンドン方向に進むとも限りません。しかし、地図で川筋と旧道とを見比べると、明らかに「川」と「尾根伝いの道」との両方がロンドンに通じる幹線の役割をしているのです。ただし、ローマ時代に船で遡上していた支流河川も、現代に至っては水量が多くありませんから、ショボイ3級河川になってしまいました。また、尾根伝いの道路も現代に至っては不要となり、産業革命以後は平坦な道路にとって代わっています。 水量が減り川幅が狭くなった理由は、14世紀以降の広葉樹の伐採です。温暖期に人口が増えた欧州はやがて小氷河期を迎えると、家を作るための木材や暖炉の燃料として必要な森林を伐り出したため、伐採後の森林は20~30年間ほど荒れた禿山となり、その後は現在のように見ため美しいなだらかなカルスト台地の牧草地になりました。一方で、広葉樹が無くなったことで雨水を蓄えられなくなった山から供給される水量が減り、広葉樹の落ち葉から出る栄養素が海岸まで流れなくなり、ケント州の多くの牡蠣産地は消滅したのです。 ウィスタブルが牡蠣の産地として残ったのは、テムズ河支流の上流にElmley Conservationという大規模な森林の保全区域と湿地帯が存在することが大きな理由のひとつです。しかし、残ったと言うよりも、前世期初めまで存在した大規模なセメント工場が閉鎖され、放置された跡地が森林として蘇生したので、むしろ過疎のお蔭で近年になって再生した牡蠣産地と言えるでしょう。
どんなに好きでも、少量で充分。という食べ方を昔のオイスター・バーでは許してくれました。今ではミニマムで5つとか?そりゃ野暮ってもんです。少しだけ食べるから美味しいんです。
オイスター・バーがロンドン金融街にいくつか点在していたのは、高級食であったからです。以上のような経過を眺めると、歴史的に牡蠣がどのように増減し、何故その価値を変えていったかが判ります。当方がロンドンで商社マンだった頃、上司は連れだって高価なオイスター・バーを楽しんでいました。その上司から聞いた話ですが、当時でも既に珍しかったシルクハットとステッキを持った紳士が常連の中に居たそうです。ご本人はBank of Englandに勤める定年直前の行員。たまに経済ニュースに登場する人物でした。毎日、一杯の白ワインとひと殻の大粒な牡蠣だけを頼んで、ゆっくりと白ワインを2/3ほど楽しむと、やおら牡蠣をちゅるんと飲みこんだそうです。小さな幸せをルーティーンにするだけで気持ちをほっこりさせて、心豊かに…。これも英国式コンフォート・フードですね。
尚、ローマ街道の話は…「相当」長くなるので、機会を改めます。
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。