表題の言葉は、日本国憲法9条の作成に深くかかわったある有名な英国人作家の残した言葉を当方が意訳したものです。この人物が誰であるかは後々種明かしします。
さて、英語でbike(バイク)とは自転車を意味します。オートバイはモーターバイクです。バイシクルと言えば、理論的には2輪車全般のことを言いますが、英国では自動二輪車をモーターサイクルとは呼んでも、バイシクルの略語、バイクは大抵の場合自転車の呼び名です。バイクを今日の形に近づけたのは英国の馬車作り職人だっただけに、ダンディ・ホースと命名されたそうです。
などという薀蓄はともかく、近年になってボリス前ロンドン市長や外核団体の働き掛けもあって、ロンドンの街中には通勤などの実用的なバイク利用者が増えています。市長時代のボリス氏が終業後にシティからウェストエンド方向に自転車で疾走して行く姿を見かけたこともあります。大きな独特の体躯が細いスポーツ車に跨っていたので、ヘルメットを被り、サングラスを掛けていてもすぐに判りました。彼はどんなに偉くなっても自転車通勤しそうな気がします。
1980~90年代、当方が会社員をしていた場所はシティとウエストエンドの2か所ですが、自転車通勤する若い人たちが事務所の各階に数名いました。自宅から10マイル(16キロ)くらいの距離でしたら、スポーツタイプのバイクに乗って20分で着くという猛者もいました。ただし、自転車通勤はまだ少数派で、若くて貧しい職員が交通費を浮かせるためのバイク通勤、という印象が残る時代でした。近年のバイク人気にはゼロエミッション運動やら環境マネージメントの考え方や行政の働きかけから、ロンドンにも交通の新しい時代が来ていると実感させられます。
女子マラソンで五輪に2回出場したマーラ山内さんも日本の英国大使館に勤務していた2000年はじめ頃、自転車通勤していました。ママチャリに買い物を載せた当方も彼女と同じ方向に進む機会がありまして、新宿通りで後方の安全確認の際に、近づいて来るマーラに気付いて手を振ると「ゴメン。急いでますからぁ…」と言葉をフェイドアウトさせながら、当方を追い抜きざまに手を振りかえしてくれた彼女は「あれよ、あれよ、あれれれ…」と前方に進み、ほとんど一瞬のうちに見えなくなってしまいました。渋滞してはいませんでしたが、車並みの速さでした。彼女の場合はオクスフォードの学生時代からずっと自転車が生活の必需品でしたから、東京都内でも公共交通以上に当然の移動手段でした。
ところで、ロンドンのコンジェスチョン・チャージ(混雑税って語感が似てません?笑)が導入されて1年少しを経た2005年の初め頃、「大ロンドン域内では馬車の時代と同じ平均速度で移動できるようになった」という報道がありました。地下鉄とバスとタクシーと乗用車の4つの移動手段から割りだした統計結果であったと記憶しています。
公共交通には制約や我慢が求められますが、自転車での移動はけっこう気ままで自由なので、雨さえ降らなければ、且つ駐輪場所に困らなければ、ロンドンの街中でこれほど快適且つ便利な移動手段はありません。馬車の速度以上で走ろうとも自由です。まあ、英国人は多少の雨は気にしませんし、駐輪場所も確保されつつ、自転車道のインフラ(Transport of Londonのサイクル・スーパーハイウェイ計画)も整備が進んでいます。
2005年、英国でヒットしたフォークポップ「900万台の自転車」は、行き交う自転車で渋滞する北京の天安門広場にイメージを楽曲に取り入れたものです。歌詞の一部を訳すと「北京には900万台の自転車が走っているという事実は、私が死ぬまでアナタを想い続けるという事実と同じように、否定できないことなのよ」え~と、解説は必要でしょうか?Meluaの歌詞は哲学的で示唆に富んでいます。ただ、10年以上前に流行ったこの歌詞を中国人の25歳以下の若者に聞かせたら、「どこの国の話だ?」という顔をされてしまうでしょう。
YouTube:「900万の自転車」Nine Million Bicycles by Katie Malua
今や、北京市内の幹線道路にはいくつもの車線があって、自転車はほとんど見当たらないばかりか、自動車で渋滞しています。一方、英国では渋滞と大気汚染を作りだす自動車を乗り捨てて、自転車に乗ろうという機運が高まっています。経済発展とは何かという問い掛けも盛んに議論され、経済の指標とルールが変わりつつある現代にあって、我々がどのような方向に進んで行くべきかを示す街として、ロンドンは注目を浴び続けています。当方もロンドンに行く度に、ボリス・バイク(レンタサイクル)を利用してマイペースで運転しています。気ままに移動できるという点で、バイクは人間に最も近い乗り物と言えます。
表題の言葉を残した人物は「タイムマシン」「透明人間」などSF小説の著者H.G.ウエルズです。ウェルズは第一次大戦後に国際連盟の設立にも関わり、当時のアメリカ大統領ウィルソンに直談判するほどの人物でした。戦争という絶望を経験した時代の人たちが、平和と人権をモットーに社会秩序を再構築していく段階で必要になったのは、本来の人間らしさを取り戻すことでした。武器を背負う姿ではなく、人間らしく自転車に乗る人々の平和の光景の中に、日常の回復を実感したウェルズが思ったことは「人間に絶望することは無いな。未来がちょっと見えて来たような気がする」これが名言に繋がったと考えられます。但し、その後の人類はウェルズが期待したほど賢くなっていないようですが…。
ともあれ、バイクには人間味があっていいぞ!という話でした。
“Whenever I see an adult on a bike, I do not despair for the human race.”by H.G. Wells
さて、英語でbike(バイク)とは自転車を意味します。オートバイはモーターバイクです。バイシクルと言えば、理論的には2輪車全般のことを言いますが、英国では自動二輪車をモーターサイクルとは呼んでも、バイシクルの略語、バイクは大抵の場合自転車の呼び名です。バイクを今日の形に近づけたのは英国の馬車作り職人だっただけに、ダンディ・ホースと命名されたそうです。
などという薀蓄はともかく、近年になってボリス前ロンドン市長や外核団体の働き掛けもあって、ロンドンの街中には通勤などの実用的なバイク利用者が増えています。市長時代のボリス氏が終業後にシティからウェストエンド方向に自転車で疾走して行く姿を見かけたこともあります。大きな独特の体躯が細いスポーツ車に跨っていたので、ヘルメットを被り、サングラスを掛けていてもすぐに判りました。彼はどんなに偉くなっても自転車通勤しそうな気がします。
英国では自転車は車道を走らなければなりません。歩道を走っていると警官に警告されるか、行政処分を受けることがあります。最悪の場合逮捕されます。
原則として自転車は車道を走れませんが、交通量の多い大きなラウンドアバウトにはこのような信号もあります。ゆっくり走るか、手押しであれば、警官に咎められることもありません。
1980~90年代、当方が会社員をしていた場所はシティとウエストエンドの2か所ですが、自転車通勤する若い人たちが事務所の各階に数名いました。自宅から10マイル(16キロ)くらいの距離でしたら、スポーツタイプのバイクに乗って20分で着くという猛者もいました。ただし、自転車通勤はまだ少数派で、若くて貧しい職員が交通費を浮かせるためのバイク通勤、という印象が残る時代でした。近年のバイク人気にはゼロエミッション運動やら環境マネージメントの考え方や行政の働きかけから、ロンドンにも交通の新しい時代が来ていると実感させられます。
ルートマスターはヒップレスとも言われ、飛び降り乗りが自由でした。現在では15番以外のバスのヒップレス型は開閉式になっています。この時も信号待ちのこのバスに乗ろうとしたら、普段はいない筈の車掌さんに制止されました。当方はセールスマン時代、このヒップレスを乗り継いで目的地に向かうことを楽しんでいました。
女子マラソンで五輪に2回出場したマーラ山内さんも日本の英国大使館に勤務していた2000年はじめ頃、自転車通勤していました。ママチャリに買い物を載せた当方も彼女と同じ方向に進む機会がありまして、新宿通りで後方の安全確認の際に、近づいて来るマーラに気付いて手を振ると「ゴメン。急いでますからぁ…」と言葉をフェイドアウトさせながら、当方を追い抜きざまに手を振りかえしてくれた彼女は「あれよ、あれよ、あれれれ…」と前方に進み、ほとんど一瞬のうちに見えなくなってしまいました。渋滞してはいませんでしたが、車並みの速さでした。彼女の場合はオクスフォードの学生時代からずっと自転車が生活の必需品でしたから、東京都内でも公共交通以上に当然の移動手段でした。
オクスフォード大学近くの道端に駐輪された自転車は学生によって代々乗り継がれて行きます。
オクスフォードの街並みは学生たちの自転車だらけ。右に見えるのはボドリアン図書館の分館。
ところで、ロンドンのコンジェスチョン・チャージ(混雑税って語感が似てません?笑)が導入されて1年少しを経た2005年の初め頃、「大ロンドン域内では馬車の時代と同じ平均速度で移動できるようになった」という報道がありました。地下鉄とバスとタクシーと乗用車の4つの移動手段から割りだした統計結果であったと記憶しています。
馬車の時代のスピードに戻ったとは言われていますが、これは観光用ですからゆっくりと走って貰いたいですね。
公共交通には制約や我慢が求められますが、自転車での移動はけっこう気ままで自由なので、雨さえ降らなければ、且つ駐輪場所に困らなければ、ロンドンの街中でこれほど快適且つ便利な移動手段はありません。馬車の速度以上で走ろうとも自由です。まあ、英国人は多少の雨は気にしませんし、駐輪場所も確保されつつ、自転車道のインフラ(Transport of Londonのサイクル・スーパーハイウェイ計画)も整備が進んでいます。
自転車競技と言えば、ツール・ド・フランスばかりではありません。1945年に開催されたヴィクトリー・マラソンを起源に、2004年からヨーロッパ・ツアーのカテゴリに取り込まれたプロのロードレース“ツアー・オブ・ブリテン”です。画像は2007年にケント州を疾走する様子
ロードレースでは故障に備えて、予備の自転車をレースのスポンサー企業が輸送しています
2005年、英国でヒットしたフォークポップ「900万台の自転車」は、行き交う自転車で渋滞する北京の天安門広場にイメージを楽曲に取り入れたものです。歌詞の一部を訳すと「北京には900万台の自転車が走っているという事実は、私が死ぬまでアナタを想い続けるという事実と同じように、否定できないことなのよ」え~と、解説は必要でしょうか?Meluaの歌詞は哲学的で示唆に富んでいます。ただ、10年以上前に流行ったこの歌詞を中国人の25歳以下の若者に聞かせたら、「どこの国の話だ?」という顔をされてしまうでしょう。
YouTube:「900万の自転車」Nine Million Bicycles by Katie Malua
今や、北京市内の幹線道路にはいくつもの車線があって、自転車はほとんど見当たらないばかりか、自動車で渋滞しています。一方、英国では渋滞と大気汚染を作りだす自動車を乗り捨てて、自転車に乗ろうという機運が高まっています。経済発展とは何かという問い掛けも盛んに議論され、経済の指標とルールが変わりつつある現代にあって、我々がどのような方向に進んで行くべきかを示す街として、ロンドンは注目を浴び続けています。当方もロンドンに行く度に、ボリス・バイク(レンタサイクル)を利用してマイペースで運転しています。気ままに移動できるという点で、バイクは人間に最も近い乗り物と言えます。
ボリスバイクのスポンサーもバークレイ銀行からサンタンダー銀行へと替わっています。並走しているのはRikshaw(人力車)と呼ぶ人もいますが、bike cab, velo taxi, Cycle Rikshawなど呼び方がたくさんあります。
2014年はバークレイ銀行がスポンサーでした。
表題の言葉を残した人物は「タイムマシン」「透明人間」などSF小説の著者H.G.ウエルズです。ウェルズは第一次大戦後に国際連盟の設立にも関わり、当時のアメリカ大統領ウィルソンに直談判するほどの人物でした。戦争という絶望を経験した時代の人たちが、平和と人権をモットーに社会秩序を再構築していく段階で必要になったのは、本来の人間らしさを取り戻すことでした。武器を背負う姿ではなく、人間らしく自転車に乗る人々の平和の光景の中に、日常の回復を実感したウェルズが思ったことは「人間に絶望することは無いな。未来がちょっと見えて来たような気がする」これが名言に繋がったと考えられます。但し、その後の人類はウェルズが期待したほど賢くなっていないようですが…。
ともあれ、バイクには人間味があっていいぞ!という話でした。
“Whenever I see an adult on a bike, I do not despair for the human race.”by H.G. Wells
2016年6月17日に行われたチャリティ・バイク・イベント。ロンドンのクラパムからブライトンまでの54マイルを走ります。完走者の充実した表情をご覧ください。同イベントは毎年行われますので、是非ご参加を。
https://www.bhf.org.uk/get-involved/events/london-to-brighton-bike-ride
https://www.bhf.org.uk/get-involved/events/london-to-brighton-bike-ride
チャリティ・イベントの後はコンテナーに載せて自宅まで自転車を運んで貰う人たちの列。チャリティの目的を果たしたので、帰りはBrightonのパブで一杯やってからのご帰宅です。笑
当方も自転車乗りなので、サドルは気になります。長時間の運転に適したサドルはBRITISH MADEでも扱っています
オクスブリッジの学生たちの大半が貧しく暮らしていますが、3~4年の間、重い教科書や書類を詰め込んでも耐久性のある良いバックパックを使っています。誕生日や入学祝いにプレゼントされるのですね
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。