イギリスに住みつく直前の1980年頃のこと。私用でマンチェスターに行く用事が出来ました。当時はまだ東京に住んでいたのですが、ロンドン出張がてら電車で行こうと、トーマス・クック社版『イギリス・ナショナルレイル時刻表』でマンチェスターへのルートを辿ってみると、「あれれ、『ロンドン・何某駅』と付く国鉄駅がたくさんある」と気付き、同時に戸惑いを覚えました。
東京には東京駅ひとつ(もちろん、信州の玄関新宿駅や北の玄関上野駅もありますが)が、日本の鉄道の中心になっているのに、ロンドンには何でこんなにたくさんのロンドン駅があるんだろう? ロンドンの駅もひとつにすりゃイイじゃん。と、まったくもってイギリス史の無知を曝け出すかのような疑問を持ちました。
なにしろ、不便なのです。その時の宿からマンチェスター行きの国鉄駅(当時はまだ国鉄)のロンドン・ユーストン駅に行くまでに乗り換えが4つあり、それぞれの駅間を歩く距離も長いのです。ロンドン・ヴィクトリア駅を経由しないとロンドン・ユーストン駅まで辿りつけないという、二つの国鉄ターミナル駅間の移動がどうしても納得できません。おまけに、ロンドンの地下鉄は週末のメインテナンス工事のために完全ストップです。ヴィクトリア駅からユーストン駅まではバスを乗り継ぐか、高価なブラックキャブを使うしかありません。当時は換算レートが300円以上/£1.00でしたが、時間を節約するために£15を叩いてブラックキャブを使ったと記憶しています。キャスター付きのスーツケースなど存在しない時代で、荷物も多かったので仕方なく使ったキャブでしたが、ロンドンの交通事情を呪いたくなった最初の経験でした。
シティ(・オブ・ロンドン)を放射状に囲むように、ロンドン・ヴィクトリア駅、ロンドン・ブラック・フライアズ駅、ロンドン・パディントン駅、ロンドン・ユーストン駅という具合で「ロンドン何某駅」と呼ばれるナショナルレイル(旧国鉄のブランド名として使われています)駅は全部で18駅もあります。ロンドンを枕詞にしないで駅名を呼ぶことが一般的ですが、正式な標識には必ず “London Euston”とか”London Victoria”として、列車がロンドンに着いたことを強調するかのように、あるいは地下鉄駅とは格が違うんだぞと言わんばかりの主張をしているように(当方には)思えます。
ロンドンの18駅は、元来が蒸気機関車の時代に造られた駅舎ですから、天井は巨大なコルゲート状になっていて、今でもいくつかの駅は当時のまま煙を逃がす構造になっています。駅中の光景はどの駅でも壮観ですね。各ロンドン駅からそれぞれの主要地方都市に繋がる様を地図で俯瞰しては、「現代に続くローマ街道だな」と歴史マニアは一人鼻息を荒くしてしまいます。旧来のローマ街道は水はけのために尾根伝いに敷石で舗道を造成しましたが、近現代の自動車道や鉄道は世界共通で谷伝いに造成しますので、今後もどんなに交通技術が発達しようとも、旧ローマ軌道の道筋だけは残るだろうと、歴史散歩愛好者たちは幾分安心しています。
ローマ時代を由来とするロンドンのシティウォールには、ムアゲートとか、ビショッピスゲートとか、7つのゲートがあります。それらのゲートは旧ローマ街道の基点であり、今でも各地方都市に放射状に繋がります。そして、シティの内部にはイギリス経済の核(ギルドホール、金融街、商業施設などなど…)がありますので、東京駅のようなすべての玄関口になる中心駅を1マイル四方しかない手狭なロンドンの中核にわざわざ作るわけにいかなかったのですね。リバプールストリート駅、キャノン・ストリート駅、ブラック・フライアズ駅などはシティ内に造られたこと自体が例外と言えましょう。つまり、過去のローマ街道のシティゲートに置き換えて言うならば、現在のロンドン18駅とは古代シティウォールの門に相当するわけです。ご乗車の際にはローマ街道を辿る気持ちで!
余談ですが、オクスフォードやケンブリッジなどの古い街に行くと、ロンドンに繋がるナショナルレイルの駅は、街の中心からえらく離れたところにあります。ヨークシャーやカンタベリーのような塀で囲まれた街の場合にも駅舎は城郭の外側です。鉄道開設時のイギリス社会では鉄道ビジネスに懐疑的な意見も多かったですし、蒸気機関に拠る火災のリスクを考慮した上で、古い街の中には駅を造りたくなかったのですね。
さて、以上のような事情で、ロンドンからどこかの地方都市に行くには、出発駅を確かめるために必ず使う言葉があります。Which London station is it from? もし、ロンドン駅がたくさんあることを知らなかったら、とても変な表現だと思いませんか? 正しく、且つクドい表現になりますが、From which London station does the train to Manchester depart ?と尋ねることも可能ですが、たぶん誰もこうは表現しないでしょう。
ともあれ、ロンドンを俯瞰すると、シティを核にした円周面になっています。円の中心となるシティウォールを最初に囲むのが地下鉄サークルライン、それをほぼ重複して囲むのはロンドン何某の各駅、重ねて囲むのはノース&サウス・サーキュラー(一般の環状道路)、かつて(16世紀)のグリーンベルト、グレイター(大)ロンドンと呼ばれる地区、そして環状モーターウェイのM25という具合で、核からバームクーヘン状(ドーナツ状)へと広がっていくのが円形都市ロンドンのイメージです。シティを中心に、ゾーンという交通帯も設定されていますし、電話の市外局番も核に近いシティ周辺が0207で、大ロンドン地区になると0208という具合で円周毎に区切られています。
当方がイギリスに住み始めた80年代、市外局番は020(現在の0208)内の南東部に住んでいました。義両親宅に近いし、シティの勤め先に便利という理由でしたが、その一方で同じ020番内のヒースロー空港のある西ロンドンや、義弟の棲む北ロンドンの郊外は遠く感じられました。それでも、まだ当時は自家用車で環状道路のサウス・サーキュラーからノース・サーキュラーを伝うように、たまにはロンドン市内を縦断して、蜘蛛の巣のようにつながった幹線道路で東西南北に行き来していました。感覚的には日本で言えば、山手線の軌道を自家用車で行くような使い勝手だったでしょうか。渋滞はしていましたが、信号も少ないので、日本とは比べ物にならないほどスムーズな移動でした。
ところが、1990年代までに、サーキュラーという一般道路はもはや渋滞の避けられない事態になり、幹線道路でどこに行くにも、直線で進むよりもロンドンの中心から25キロほど離れた外周の高速道路M25で迂回した方が早く着くようになって来ます。環状高速道路で大きく迂回するのですから、距離と燃料費が倍以上になってしまうけど、掛かる時間は以前の直線距離で行けた頃と変わらないという状況になってしまいました。
人が増えれば、車や交通量も増えるので、仕方ないことではありますが、ロンドンもだいぶ住み難くなったなあ。運賃が高くなれば、あらゆるコストが上がって当然だなあ。と理解は出来ても、納得したくない状況になっています。さらに、EUの経済統合以来、市場の問屋機能が撤廃されて物流はスムーズになる一方、欧州の多国籍なトレイラーが販社や消費者に直接配送するさまは、やがて交通渋滞に至り、箱型の大型車両で渋滞する高速道路は、あたかも現代の新たなシティウォールになっていると表現したイギリス人ジャーナリストもいるほどです。
Brexit(EU離脱)の手続きが進んでも、イギリス国内の流通は保たれるであろうと楽観視していますが、この渋滞、つまり飽和状態は加速し、ロンドンからの遠心力は強まるのではないかと思います。
イギリスでは、街中でも、田園風景の中に囲まれているときでも、どんな時でもその景色のワンピースになっている自分自身が、どんな種類の円周の中に属していて、蜘蛛の巣の如き道筋がどことどこに繋がっているかという認識をします。たぶん、都市設計が放射状に広がっているためにそうのように習慣づけられて来たのでしょう。イギリスの地元民はもちろん、我々在イギリス邦人も自分の立ち位置を確かめながら生活を営んで来ました。円周の中では、東西南北どの方向に向かうにも、まず渋滞具合から考慮して出発時刻を決めなくてはなりません。以前は、走行距離とPetro station(ガソリンスタンド)の位置だけに気を付ければ、それで充分だったんですけどねえ。ロンドンとその周辺の移動は、直線よりも円周状に迂回することが常識になって来ました。
近年のカーナビでも、急がば回れとでも言わんかの如く、何のためらいも無く迂回路が最適ルートとして表示されます。果たして、それを信じてよいものやらどうか。直線への誘惑と、急がば回るべき慎重さとで生じる思考の葛藤を忘れてしまうと、科学技術に頼り過ぎて、人類の思考力が退化してしまうのではないかと葛藤を葛藤で囲うような葛藤に苛まれています。
東京には東京駅ひとつ(もちろん、信州の玄関新宿駅や北の玄関上野駅もありますが)が、日本の鉄道の中心になっているのに、ロンドンには何でこんなにたくさんのロンドン駅があるんだろう? ロンドンの駅もひとつにすりゃイイじゃん。と、まったくもってイギリス史の無知を曝け出すかのような疑問を持ちました。
架空ではありますが、ロンドンの新しいサークルとして、2012年ロンドン五輪の直前に発表されたロンドン・アンダーライン。水陸両用車だけでなく、空を使った様々な輸送方法も紹介されています。パロディですが、本当に実現したらいいね、と言う声が多く聞かれました。左上にあるTHE ZIPLINEはエミレーツ・エア・ラインで実現されていますね。
なにしろ、不便なのです。その時の宿からマンチェスター行きの国鉄駅(当時はまだ国鉄)のロンドン・ユーストン駅に行くまでに乗り換えが4つあり、それぞれの駅間を歩く距離も長いのです。ロンドン・ヴィクトリア駅を経由しないとロンドン・ユーストン駅まで辿りつけないという、二つの国鉄ターミナル駅間の移動がどうしても納得できません。おまけに、ロンドンの地下鉄は週末のメインテナンス工事のために完全ストップです。ヴィクトリア駅からユーストン駅まではバスを乗り継ぐか、高価なブラックキャブを使うしかありません。当時は換算レートが300円以上/£1.00でしたが、時間を節約するために£15を叩いてブラックキャブを使ったと記憶しています。キャスター付きのスーツケースなど存在しない時代で、荷物も多かったので仕方なく使ったキャブでしたが、ロンドンの交通事情を呪いたくなった最初の経験でした。
地図上にサークルを描いただけですが、距離感を判り易くさせた画期的な地図デザインとして高く評価されています。この地図を見ながら「なんでこんな簡単なことに気付かなかったのだろう」と言ったのは、この時一緒に歩いていた意匠デザイナーを目指す英人の姪っ子でした。
シティ(・オブ・ロンドン)を放射状に囲むように、ロンドン・ヴィクトリア駅、ロンドン・ブラック・フライアズ駅、ロンドン・パディントン駅、ロンドン・ユーストン駅という具合で「ロンドン何某駅」と呼ばれるナショナルレイル(旧国鉄のブランド名として使われています)駅は全部で18駅もあります。ロンドンを枕詞にしないで駅名を呼ぶことが一般的ですが、正式な標識には必ず “London Euston”とか”London Victoria”として、列車がロンドンに着いたことを強調するかのように、あるいは地下鉄駅とは格が違うんだぞと言わんばかりの主張をしているように(当方には)思えます。
シティはシティ以外の意外な場所(郊外のフットパス、農場、公園など)に土地や施設を所有しています。以前にも述べたことがありますが、熱海に世田谷区保養所があるような、そんな考え方をすれば、ご理解頂けると思います、つまり、ロンドンはシティとグレイター・ロンドンというサークルだけでなく、点在するシティもあるということです。
ロンドンの18駅は、元来が蒸気機関車の時代に造られた駅舎ですから、天井は巨大なコルゲート状になっていて、今でもいくつかの駅は当時のまま煙を逃がす構造になっています。駅中の光景はどの駅でも壮観ですね。各ロンドン駅からそれぞれの主要地方都市に繋がる様を地図で俯瞰しては、「現代に続くローマ街道だな」と歴史マニアは一人鼻息を荒くしてしまいます。旧来のローマ街道は水はけのために尾根伝いに敷石で舗道を造成しましたが、近現代の自動車道や鉄道は世界共通で谷伝いに造成しますので、今後もどんなに交通技術が発達しようとも、旧ローマ軌道の道筋だけは残るだろうと、歴史散歩愛好者たちは幾分安心しています。
何の変哲もないヨーク行きの乗車券ですが、ロンドン・キングスクロス駅で列車に乗ったところからドラマが始まりました。この券は12月9日の日付けですが、当方が乗車した日は1週間後の16日。指定席往復3名で£35.50という格安前売り券を無駄にしてしまいました。結局新しい片道券£60/人を購入することに…。しかし、「クリスマスだから…」と言う乗務員の粋な計らいで半額にしてもらいました。
ローマ時代を由来とするロンドンのシティウォールには、ムアゲートとか、ビショッピスゲートとか、7つのゲートがあります。それらのゲートは旧ローマ街道の基点であり、今でも各地方都市に放射状に繋がります。そして、シティの内部にはイギリス経済の核(ギルドホール、金融街、商業施設などなど…)がありますので、東京駅のようなすべての玄関口になる中心駅を1マイル四方しかない手狭なロンドンの中核にわざわざ作るわけにいかなかったのですね。リバプールストリート駅、キャノン・ストリート駅、ブラック・フライアズ駅などはシティ内に造られたこと自体が例外と言えましょう。つまり、過去のローマ街道のシティゲートに置き換えて言うならば、現在のロンドン18駅とは古代シティウォールの門に相当するわけです。ご乗車の際にはローマ街道を辿る気持ちで!
シティ・ウォールとシティ・ゲートという古代からのサークルは消滅してしまいましたが、この場所から北に向かう道程がローマ街道なんだなあ。と、歴史にロマンを馳せる場所のひとつになっております。
余談ですが、オクスフォードやケンブリッジなどの古い街に行くと、ロンドンに繋がるナショナルレイルの駅は、街の中心からえらく離れたところにあります。ヨークシャーやカンタベリーのような塀で囲まれた街の場合にも駅舎は城郭の外側です。鉄道開設時のイギリス社会では鉄道ビジネスに懐疑的な意見も多かったですし、蒸気機関に拠る火災のリスクを考慮した上で、古い街の中には駅を造りたくなかったのですね。
ロンドン・キングスクロス駅のプラットフォーム5番。現代のローマ街道を高速で辿るとヨークまでたった2時間。乗車券はヴァージンレイルから購入しました。レコード会社だったヴァージンが航空業や鉄道業に乗り出した時、その将来性を訝(いぶか)る人は少なくなかったと記憶しています。当方はヴァージン・コーラが最も疑問に思いましたが、最近は見掛けなくなりましたね。
さて、以上のような事情で、ロンドンからどこかの地方都市に行くには、出発駅を確かめるために必ず使う言葉があります。Which London station is it from? もし、ロンドン駅がたくさんあることを知らなかったら、とても変な表現だと思いませんか? 正しく、且つクドい表現になりますが、From which London station does the train to Manchester depart ?と尋ねることも可能ですが、たぶん誰もこうは表現しないでしょう。
南イングランドはいくつもの空港に囲まれています。点在する空港を線で繋ぐと、これまた空港で囲まれたロンドンであることがよく判ります。これらの空港は第一次世界大戦から二次大戦の間に造成されたもので、ドイツへの攻撃とヨーロッパ各国への往来に使用されました。今でも軍の練習や個人のグライダー利用などで使われている空港はたくさんあります。所有者は英国王室空軍あるいは陸軍です。陸軍や海軍の中にも王室空軍とは別個の空軍があります。
ともあれ、ロンドンを俯瞰すると、シティを核にした円周面になっています。円の中心となるシティウォールを最初に囲むのが地下鉄サークルライン、それをほぼ重複して囲むのはロンドン何某の各駅、重ねて囲むのはノース&サウス・サーキュラー(一般の環状道路)、かつて(16世紀)のグリーンベルト、グレイター(大)ロンドンと呼ばれる地区、そして環状モーターウェイのM25という具合で、核からバームクーヘン状(ドーナツ状)へと広がっていくのが円形都市ロンドンのイメージです。シティを中心に、ゾーンという交通帯も設定されていますし、電話の市外局番も核に近いシティ周辺が0207で、大ロンドン地区になると0208という具合で円周毎に区切られています。
地下鉄サークルラインとは文字通り、シティを囲みます。一方、地上鉄道(オーバーグラウンド)も大ロンドン域内をぐるりと囲みます。画像は地下鉄のロゴと同じですが、右上の端っこにある小さなロゴにはOvergroundと書かれています。現在6路線あるブランド名ですが、運営企業は異なります。
当方がイギリスに住み始めた80年代、市外局番は020(現在の0208)内の南東部に住んでいました。義両親宅に近いし、シティの勤め先に便利という理由でしたが、その一方で同じ020番内のヒースロー空港のある西ロンドンや、義弟の棲む北ロンドンの郊外は遠く感じられました。それでも、まだ当時は自家用車で環状道路のサウス・サーキュラーからノース・サーキュラーを伝うように、たまにはロンドン市内を縦断して、蜘蛛の巣のようにつながった幹線道路で東西南北に行き来していました。感覚的には日本で言えば、山手線の軌道を自家用車で行くような使い勝手だったでしょうか。渋滞はしていましたが、信号も少ないので、日本とは比べ物にならないほどスムーズな移動でした。
ところが、1990年代までに、サーキュラーという一般道路はもはや渋滞の避けられない事態になり、幹線道路でどこに行くにも、直線で進むよりもロンドンの中心から25キロほど離れた外周の高速道路M25で迂回した方が早く着くようになって来ます。環状高速道路で大きく迂回するのですから、距離と燃料費が倍以上になってしまうけど、掛かる時間は以前の直線距離で行けた頃と変わらないという状況になってしまいました。
ロンドン歩きのバイブルと言えばこれ。2012年の五輪版です。この地図の変遷も面白いので、版を違えて数冊持っています。シティ近辺の再開発で消えてしまった懐かしい小径のなんと多いことか。
人が増えれば、車や交通量も増えるので、仕方ないことではありますが、ロンドンもだいぶ住み難くなったなあ。運賃が高くなれば、あらゆるコストが上がって当然だなあ。と理解は出来ても、納得したくない状況になっています。さらに、EUの経済統合以来、市場の問屋機能が撤廃されて物流はスムーズになる一方、欧州の多国籍なトレイラーが販社や消費者に直接配送するさまは、やがて交通渋滞に至り、箱型の大型車両で渋滞する高速道路は、あたかも現代の新たなシティウォールになっていると表現したイギリス人ジャーナリストもいるほどです。
Brexit(EU離脱)の手続きが進んでも、イギリス国内の流通は保たれるであろうと楽観視していますが、この渋滞、つまり飽和状態は加速し、ロンドンからの遠心力は強まるのではないかと思います。
A to Zの変遷のひとつがこの混雑税ゾーンマップ。シティよりも広い範囲をサークル状で囲んでいます。この税が導入されてからはこのゾーン内に自家用車で入ったことがありません。危く入りそうになったことはありますが、その時は引き返す場所を探して、とてもドキドキしました。申告無しで入ってしまうと60ポンド以上のペナルティ料金が掛かってしまうのです。60ポンドもあれば、ロンドン中華街でBBQご飯が10杯食べられます。笑
イギリスでは、街中でも、田園風景の中に囲まれているときでも、どんな時でもその景色のワンピースになっている自分自身が、どんな種類の円周の中に属していて、蜘蛛の巣の如き道筋がどことどこに繋がっているかという認識をします。たぶん、都市設計が放射状に広がっているためにそうのように習慣づけられて来たのでしょう。イギリスの地元民はもちろん、我々在イギリス邦人も自分の立ち位置を確かめながら生活を営んで来ました。円周の中では、東西南北どの方向に向かうにも、まず渋滞具合から考慮して出発時刻を決めなくてはなりません。以前は、走行距離とPetro station(ガソリンスタンド)の位置だけに気を付ければ、それで充分だったんですけどねえ。ロンドンとその周辺の移動は、直線よりも円周状に迂回することが常識になって来ました。
近年のカーナビでも、急がば回れとでも言わんかの如く、何のためらいも無く迂回路が最適ルートとして表示されます。果たして、それを信じてよいものやらどうか。直線への誘惑と、急がば回るべき慎重さとで生じる思考の葛藤を忘れてしまうと、科学技術に頼り過ぎて、人類の思考力が退化してしまうのではないかと葛藤を葛藤で囲うような葛藤に苛まれています。
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。