イギリスはクレームの多い社会です。そして、文句や苦情(コンプレイン)も多い社会です。店に来るお客さんがクレームやコンプレインをするのは当然と思われている一方で、店員さん自身もそのお客さんに対してクレームすることがあります。さて、何のことやらさっぱり分からなくなってしまった方もおられるかもしれませんが、まず当方のクレーム体験からお話ししましょう。
そこでは3時間を超えた駐車をすると、最大で70ポンド(約1万円)の罰金が科されるのです。ルールによると、当方は4時間以上前に使用開始して2時間以上前に、一旦この駐車場から出ているので、一回目の駐車期限は終了し、また新たな二回目の3時間の無料駐車が可能な筈です。しかし、二回目の買い物から車に戻ってみると、当方の車には最初の駐車開始時刻と2時間の超過時間(合計で5時間)が書かれた罰金ステッカーが貼られていました。「一週間以内に支払えば、20ポンドに減額」と書かれています。(*罰金の減額提示はクレーム手続きやトラブルを省くために作られたルールです)
ルールを守っている当方にしてみれば、たとえ減額提示されていても不当な罰金ですから、その場に居た私営の駐車監視人に事情を説明して取り消すようにクレーム(当然の権利を主張)したのですが、気の毒だが「証拠がない」と断られました。そうです。クレームには証拠が必要なのです。
また、ルールを順守する以上、監視人も当方も平等且つ対等の立場にあります。当方には証拠を提示して取り消しを求める権利がある一方で、監視人には当方からの証拠の提示が無ければ、当方の申し立てを拒否する権利を持ちます。同時に、当方に証拠をクレームする(請求する)権利を持ちます。お互いに所有するこの権利。この「当然の権利を請求すること」が本来のクレームの意味です。
このケースのクレームの論点は「罰金の根拠」ですが、その不当性を客観的に説明できないとクレームとしては成り立たないため、単なるに苦情として扱われてしまいます。苦情とは、「状況や出来事に対する不満や不安を述べること」であって、クレーム(権利の要求)とは異なるのです。
この場面では、監視員が要求を飲まないという理由で、もし客の当方が毒づいたり、誹謗中傷したりすれば、その行為がクレーム(請求権)はおろか苦情の範囲を超えているわけであり、仕事を忠実に遂行している監視員に対する侮辱行為になりかねません。論点をはき違えるとか、度を越えた苦情となると、逆に客から監視員に対するハラスメント行為としてみなされる可能性が生じます。
このような話をするのも、日本ではクレーム(請求する権利)と苦情(コンプレイン)との区別が明確ではないからです。最近は、社会問題として日本の大学の先生たちが専門的に取り扱っているようですが、その説明を聞いていても、クレームの本来の意味には重きを置かず、苦情のバリエーションとその対応の仕方についてだけを述べているように見受けます。クレームと苦情とは、それぞれ別次元で扱った方が論理的、且つ効率的です。
もちろん、クレームに至らなくても、同じ苦情が多発したり、その内容が社会問題になったり、店の売り上げに大きく影響したりするようであれば、その苦情の論点を明確にまとめて組織側が自ら改善に乗り出すこともあります。ただ、苦情も客観的に捉えられるべきものであって根本的な原因を明確にして問題の再発を防げば、情緒的な苦情の原因は断たれると考えることが、イギリス社会では苦情の扱い方の基本となっています。
そして、その時の証拠となったものは最初の買い物で発行されたレシートです。当方がストアで支払いを済ませた時刻をそのレシートで証明するだけで罰金を免れるには十分だったのですが、購入アイテムの中にアイスクリームがあったので、「夏の3時間以上に渡って駐車場を利用するのは不可能」というストーリー性を持たせた状況証拠として、レシート(コピー)に記載された ice creamやfrozen foodにラインマーカーを引いてクレームレターの説得性を高める演出を加えたのです。
すなわち、不利益を被ったと主張し、賠償や補償を求める人はクレイマー(当然の権利を要求するヒト)です。極端な場合は、法廷など第三者機関の裁定の元で、客観的な証拠の提示や状況説明を施して、店と本人との権利関係で闘うことになるのです。その際、精神的被害、名誉棄損などについてはそれぞれ別個の訴えをすれば、さらに別のクレームとして認定されることもあります。ちなみに、修理や治療や損害の補填に掛かった費用を保険会社に請求することもクレームと言います。保険金を払っているのですから、請求は当然の権利ですよね。
しかし、この世の中ではいつ主客の立場が変わるか判らないものです。当方は外交プロトコルと民間ビジネスとの両方の世界に身を置くゆえに、何度も主客転倒の場面に遭遇してきました。老若男女、どなたにも変わらぬ言葉遣いと態度とで、公正に接することを当方が心掛けているのは、経験上の処世術と言えなくもありません。「どなたにも敬意を込めた美しいタメ口(ぐち)を…」と常々意識しています。
理想を言えば、苦情を言う人、クレームする人、つまり「お客様」と、苦情とクレームを承る「売る側(主)」との両者が、まず同じ土俵に立つことで互いの公正な関係が始まるのです。いずれは「お客様」という日本的な目上の意識ではなく、客と店員とが法的にも、道義的にも互いに対等であるという意識を持てるようになることが、今後の社会で標準化してくるのではないかなという気がします。おもてなしも結構ですが、その反動として造反する苦情者が続出するゆえに、主客平等を法的に整備する必要に迫られるようでは、モラルとしても、(おもてなし)文化の面でも、未成熟さが残る社会になってしまいそうです。
ところで、英語圏では、店員に質問すると返って来るフレーズがあります。You have to talk to the right person but not to me. 「アナタは担当者に話さなければなりません。しかし、それは(単なる店員である)私ではありません」 You have to…と言われた瞬間に、自分がその店員と同じ土俵に立っていることに気づかされるのです。
クレームの極意
ある夏の日、ロンドン郊外のメガストア(大型量販店)で買い物をした時のこと。最大3時間まで利用可能な駐車場を2時間ほど使って帰宅したのですが、どうしても必要なものを買い忘れていたことに気付きました。そして、時計を見ると先ほどの駐車開始時刻から4時間以上経っているので、再び同じメガストアに車で行って駐車しました。そこでは3時間を超えた駐車をすると、最大で70ポンド(約1万円)の罰金が科されるのです。ルールによると、当方は4時間以上前に使用開始して2時間以上前に、一旦この駐車場から出ているので、一回目の駐車期限は終了し、また新たな二回目の3時間の無料駐車が可能な筈です。しかし、二回目の買い物から車に戻ってみると、当方の車には最初の駐車開始時刻と2時間の超過時間(合計で5時間)が書かれた罰金ステッカーが貼られていました。「一週間以内に支払えば、20ポンドに減額」と書かれています。(*罰金の減額提示はクレーム手続きやトラブルを省くために作られたルールです)
ルールを守っている当方にしてみれば、たとえ減額提示されていても不当な罰金ですから、その場に居た私営の駐車監視人に事情を説明して取り消すようにクレーム(当然の権利を主張)したのですが、気の毒だが「証拠がない」と断られました。そうです。クレームには証拠が必要なのです。
駐車場での一場面。これは70ポンドの罰金だけでは済まない例です。昨今は当て逃げも多いのですが、監視カメラCCTVの情報を開示して貰えるケースは限られているようです。駐車中もドライブレコーダーをオンにしておいた方がいいかもしれません。犯人が特定出来なくても、保険会社にクレームするための証拠資料になります。
また、ルールを順守する以上、監視人も当方も平等且つ対等の立場にあります。当方には証拠を提示して取り消しを求める権利がある一方で、監視人には当方からの証拠の提示が無ければ、当方の申し立てを拒否する権利を持ちます。同時に、当方に証拠をクレームする(請求する)権利を持ちます。お互いに所有するこの権利。この「当然の権利を請求すること」が本来のクレームの意味です。
このケースのクレームの論点は「罰金の根拠」ですが、その不当性を客観的に説明できないとクレームとしては成り立たないため、単なるに苦情として扱われてしまいます。苦情とは、「状況や出来事に対する不満や不安を述べること」であって、クレーム(権利の要求)とは異なるのです。
この場面では、監視員が要求を飲まないという理由で、もし客の当方が毒づいたり、誹謗中傷したりすれば、その行為がクレーム(請求権)はおろか苦情の範囲を超えているわけであり、仕事を忠実に遂行している監視員に対する侮辱行為になりかねません。論点をはき違えるとか、度を越えた苦情となると、逆に客から監視員に対するハラスメント行為としてみなされる可能性が生じます。
このような話をするのも、日本ではクレーム(請求する権利)と苦情(コンプレイン)との区別が明確ではないからです。最近は、社会問題として日本の大学の先生たちが専門的に取り扱っているようですが、その説明を聞いていても、クレームの本来の意味には重きを置かず、苦情のバリエーションとその対応の仕方についてだけを述べているように見受けます。クレームと苦情とは、それぞれ別次元で扱った方が論理的、且つ効率的です。
もちろん、クレームに至らなくても、同じ苦情が多発したり、その内容が社会問題になったり、店の売り上げに大きく影響したりするようであれば、その苦情の論点を明確にまとめて組織側が自ら改善に乗り出すこともあります。ただ、苦情も客観的に捉えられるべきものであって根本的な原因を明確にして問題の再発を防げば、情緒的な苦情の原因は断たれると考えることが、イギリス社会では苦情の扱い方の基本となっています。
クランプに掛けられた状態。誰も幸せにならないこの方法には、寛容さが欠如して感じられます。それだけ、ロンドンの駐車場事情は切迫しているわけです。メーターの駐車位置では、期限の時刻が来るのを待ち構えていた監視員に「1分のオーヴァーだけなのに無慈悲だねえ」と声を掛けると「お前の車か?」と聞くので、「そうだとしたら許してくれるのか?」と聞き返すと「いや、もう遅いね。記録したらもう俺の手には負えないのさ」思わず、” God bless you “と皮肉が出てしまいました。
クレームレターとは?
さて、この駐車場のトラブルで、当方は結果的に罰金を免れました。そのクレーム行動は次の通りです。違反者への取り締まり以外に裁量を持たない駐車監視人と話しても埒(らち)が明かないので、①駐車場を管理するメガストアのサービス部門と、②その監視人の所属する警備会社と、③警察の3か所に宛てて手紙を書きました。三者に提出した理由は当事者①②と第三者③と情報を共有するためです。しかし、警察は民事不介入ですから、第三者としての役割は果たせませんが、念のために送ってみたのです。実際、警察にコピーを送ったことは、メガストアのサービス部門が問題解決に早急に乗り出すきっかけになりました。 クレームと一緒に改善提案を出したのに、利用条件は変わらないままです。おそらく、システムを変更して、4時間を超えた駐車データを消去することにしたのでしょう。
そして、その時の証拠となったものは最初の買い物で発行されたレシートです。当方がストアで支払いを済ませた時刻をそのレシートで証明するだけで罰金を免れるには十分だったのですが、購入アイテムの中にアイスクリームがあったので、「夏の3時間以上に渡って駐車場を利用するのは不可能」というストーリー性を持たせた状況証拠として、レシート(コピー)に記載された ice creamやfrozen foodにラインマーカーを引いてクレームレターの説得性を高める演出を加えたのです。
すなわち、不利益を被ったと主張し、賠償や補償を求める人はクレイマー(当然の権利を要求するヒト)です。極端な場合は、法廷など第三者機関の裁定の元で、客観的な証拠の提示や状況説明を施して、店と本人との権利関係で闘うことになるのです。その際、精神的被害、名誉棄損などについてはそれぞれ別個の訴えをすれば、さらに別のクレームとして認定されることもあります。ちなみに、修理や治療や損害の補填に掛かった費用を保険会社に請求することもクレームと言います。保険金を払っているのですから、請求は当然の権利ですよね。
車を所有するのに、イギリスでは車庫証明が要らないので、路上駐車できるところにはこうして縦列駐車の景観が続きます。路上駐車の場合は、盗難や破損があっても免責事項になってしまうことがあるので、保険金のクレームが受け付けられないことがあります。
これはまさに保険金が免責になってしまった事例。盗難された小豆色のジャギュア車をパトカーが追跡しているうちに起きた事故。3台の車が破損しています。犯人は当方の目の前で御用となりましたが、当てられた路上駐車の一台は近所の友人のものでした。合法な駐車位置に留めていたにも関わらず、路上ということで、50%は自己負担という裁定だったそうです。
同じ土俵に立つ
店の主人に相当する苦情処理の担当者が対応すると、お客様によっては目線を下げられる方もいらっしゃいますが、それでも主客(店の主人とお客様)の立場と言えば、お金を払う側が高位で、払って頂く側が下位というポジションになりがちです。高位側の理不尽な要求にも、下位側が甘んじて応えるべきであるという、「お客様は神様」的な風潮は根強く日本に残っています。しかし、この世の中ではいつ主客の立場が変わるか判らないものです。当方は外交プロトコルと民間ビジネスとの両方の世界に身を置くゆえに、何度も主客転倒の場面に遭遇してきました。老若男女、どなたにも変わらぬ言葉遣いと態度とで、公正に接することを当方が心掛けているのは、経験上の処世術と言えなくもありません。「どなたにも敬意を込めた美しいタメ口(ぐち)を…」と常々意識しています。
理想を言えば、苦情を言う人、クレームする人、つまり「お客様」と、苦情とクレームを承る「売る側(主)」との両者が、まず同じ土俵に立つことで互いの公正な関係が始まるのです。いずれは「お客様」という日本的な目上の意識ではなく、客と店員とが法的にも、道義的にも互いに対等であるという意識を持てるようになることが、今後の社会で標準化してくるのではないかなという気がします。おもてなしも結構ですが、その反動として造反する苦情者が続出するゆえに、主客平等を法的に整備する必要に迫られるようでは、モラルとしても、(おもてなし)文化の面でも、未成熟さが残る社会になってしまいそうです。
グリニッジのパブを特集する記事の取材の途中、パブの外観を撮影したところで、ちょうどこのトランプ大統領のような面相の人物がフレームに入ってしまいました。この人物曰はく、「肖像権使用料を払えや」とのこと。もちろん、冗談で言ってきただけなのですが、近年、個人所有のモノや人物の撮影には街中といえども、許可が必要になりましたので、ちょいとした配慮が必要です。肖像権を理由に請求書が送られてくることもあるそうです。分かり易いクレームの例ですが、何でも金銭の解決になるのはどういうものかと考えてしまいますね。
ところで、英語圏では、店員に質問すると返って来るフレーズがあります。You have to talk to the right person but not to me. 「アナタは担当者に話さなければなりません。しかし、それは(単なる店員である)私ではありません」 You have to…と言われた瞬間に、自分がその店員と同じ土俵に立っていることに気づかされるのです。
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。