今取り組んでいるプロジェクトで、この夏はずっとコッツウォルズに通っている。
ウィンチカムを訪ねたとき、最初はこの窯に来る予定はなかったのだけれど、ハッと啓示を受けて突然行くことに決めた。そうだ、ウィンチカム・ポタリー。ここを忘れるわけにはいかない。もう10年ほど前から我が家で日常使いしている中サイズのボウルがあるのだが、確かセント・アイヴスで手に入れたウィンチカム・ポタリーのものだ。パスタ、カレー、シチュウ、何でもござれのマルチ・ボウル。どっしりとした朴訥なボディ、手になじむ温かな土の風合い、ブラックの落ち着いた様子が気に入っている。
20年前にイギリスに来てすぐに気づいたのだが、この国には和を感じさせる焼き物が多い。否、はっきり言って個人で作陶しているイギリス人のほとんどが東洋風のテイストであることは間違いない。個人商店はたいていそうだし、チャリティ・ショップの棚にさえ和風の食器は当たり前のように紛れ込んでいる。
その源流に、バーナード・リーチその人がいることに気づくのに、さほど時間はかからなかった。リーチの弟子の、そのまた弟子たちが切り拓いてきたイギリスにおける日本の焼き物の流れは確実に受け継がれ、今ちょうどひ孫の世代ががんばっているはずだ。今日ご紹介するウィンチカム・ポタリーを開いたマイケル・カーデューは、セント・アイヴスでリーチの助手をしていた第一世代の陶芸家。その弟子であるレイ・フィンチの流れを受け継ぐ現代の職人たちが、現在も脈々と技を磨いている。
工房の前に広がる土地の一画には、国内最古級の徳利窯(ボトル・キルン)が飄々と佇んでいる。赤いレンガで作られた手作りの窯は有機的な美しさが際立ち、ここがかつて「ベケッツ・ポタリー」と呼ばれていた18世紀後半から植木鉢や各種ボウル、タイルなどを庶民のために生産していた。1914年にいったん閉じられるが、若きマイケル・カーデューが1926年にウィンチカム・ポタリーを開いてから再稼働を始め、最後の火が入れられる1954年まで元気に歴史を刻んでいた。今だって陶芸の神様にちょっと間貸しているだけ、といった趣で、その生き生きとした表情はみじんも変わっていないように思えた。
ウィンチカム・ポタリーが英国内でも有数の古参窯として現役稼働できている理由の一つに、チームワークがある。レイ・フィンチが自分だけに注目が集まることを嫌い、同僚とともに一陶工として働き、何十年にもわたって後進を育てることに力を注いだのは、手作業である程度の量を生産しつつ工房が存続していくためには、匿名のチームワークが欠かせないことを痛感していたからだ。教え子の中にはバーナード・リーチの孫であるジョン・リーチの名前も見える。
20世紀半ばといえば、折しも急速な産業化が進んでいた時代でもある。産業革命の最なかに手工芸の良さを叫んだアーツ&クラフツ運動から半世紀を下り、その精神を継承し、美しい工芸品を日常の中で使えるよう現在もリーズナブルな価格で提供していく姿勢に一貫した哲学を感じずにはいられない。
その伝統の工房を、現在の陶工頭であるマシュー・グリミットさんに案内していただく光栄を得た。ランチ時間を削る形になってしまい恐縮してしまったのだが快く案内してくださった。マシューさんはお祖父さんがこの窯で働いていたご縁で、8年前にやってきた。陶工としてはすでに14年の経験があるそうだ。
マシューさんによると現在のほうが格段に粘土の質は良くなっているそうだ。「粘土の質が良い」というのは、一にも二にも焼き上がりが良い=品質が優れているということと同義。歴代の陶工たちが研究に研究を重ねた末の配合なのである。日常使いという意味では、スリップウェアと並行して作られていた絵柄なし釉薬だけのシンプルなストーンウェア(炻器)が1960年頃から主流になっていった。より高温で焼き締めることで頑丈に仕上がるという理由もある。
「ふだんは3人の陶工で切り盛りしているけれど、年間を通して世界中から見習いが来るよ。数週間だけ体験する人もいれば、1年滞在してみっちり勉強していく見習い工もいる。ここは今も昔と変わらず、後進を育てる役割を担う工房なんだ」と説明してくださるマシューさん。とても清々しい空気をまとっている。
その笑顔を見ていると「ここで働くのは好き?」と、分かり切った質問が思わず口をついて出た。「ものすごく。すごいお金持ちにはなれないかもしれないけれど、ここには何ものにも代えがたい生活があるよ。精神的にも、とても健やかに過ごせる。自然と切り離されることがないから」。
アーツ&クラフツや民藝が言わんとしている本質は、究極的にはそこに行きつく。生活の中に当たり前のように在る地に足がついた用の美。コッツウォルズは奇しくもウィリアム・モリスが賞賛した土地だが、産業革命の鉄道網から逃れ、18世紀のまま取り残された鄙びた田舎の美しさこそ現代人を惹きつける最大の理由であり、そこにはモリスの審美眼を十二分に満足させたナチュラル・ビューティーが今なお残る。
コーンウォールに登り窯あり、コッツウォルズにウィンチカム・ポタリーあり。時代は下っても自然と強く結びつく手工芸を、人々はなお愛し続けるようだ。
Winchcombe Pottery
www.winchcombepottery.co.uk
ウィンチカムを訪ねたとき、最初はこの窯に来る予定はなかったのだけれど、ハッと啓示を受けて突然行くことに決めた。そうだ、ウィンチカム・ポタリー。ここを忘れるわけにはいかない。もう10年ほど前から我が家で日常使いしている中サイズのボウルがあるのだが、確かセント・アイヴスで手に入れたウィンチカム・ポタリーのものだ。パスタ、カレー、シチュウ、何でもござれのマルチ・ボウル。どっしりとした朴訥なボディ、手になじむ温かな土の風合い、ブラックの落ち着いた様子が気に入っている。
20年前にイギリスに来てすぐに気づいたのだが、この国には和を感じさせる焼き物が多い。否、はっきり言って個人で作陶しているイギリス人のほとんどが東洋風のテイストであることは間違いない。個人商店はたいていそうだし、チャリティ・ショップの棚にさえ和風の食器は当たり前のように紛れ込んでいる。
その源流に、バーナード・リーチその人がいることに気づくのに、さほど時間はかからなかった。リーチの弟子の、そのまた弟子たちが切り拓いてきたイギリスにおける日本の焼き物の流れは確実に受け継がれ、今ちょうどひ孫の世代ががんばっているはずだ。今日ご紹介するウィンチカム・ポタリーを開いたマイケル・カーデューは、セント・アイヴスでリーチの助手をしていた第一世代の陶芸家。その弟子であるレイ・フィンチの流れを受け継ぐ現代の職人たちが、現在も脈々と技を磨いている。
ここからチェルトナム行きのノスタルジックな蒸気機関車が見えるのです。
現在の陶工頭、マシュー・グリミットさんは2012年からここで働いています。
ウィンチカムの村からポタリーまでは車でほんの3分ほど。私が訪れたのは、ちょうど2人の職人さんがランチ休憩をとっている時間帯だった。「どうぞ、自由に見ていってね」と声をかけていただいたので、まずはショップへ。アポなし突撃取材なのだ。 出た! ウィンチカム・ポタリーの特徴的な作品たちがズラリ。ぽってりとしたシェイプと日常使いにピッタリのシンプルさが身上。和食にバッチリ合いますよね。
私は黒い土物の陶器に目がないのですが、こういうのもいいですねぇ。
シンプルを極めた基本の形を丁寧に作っていきます。
レイ・フィンチ本人による作品もありました。彼は1999年、陶芸における生涯の業績を称える特別功労賞を受賞しています。
ショップでたっぷりと目の保養をさせていただいた後、敷地内をずんずんと自由に探検させていただいた。まず目についたのはたくさんの木材、そして綺麗に割られた薪。現在使っている薪窯のための燃料となる大切な資材だ。工房の前に広がる土地の一画には、国内最古級の徳利窯(ボトル・キルン)が飄々と佇んでいる。赤いレンガで作られた手作りの窯は有機的な美しさが際立ち、ここがかつて「ベケッツ・ポタリー」と呼ばれていた18世紀後半から植木鉢や各種ボウル、タイルなどを庶民のために生産していた。1914年にいったん閉じられるが、若きマイケル・カーデューが1926年にウィンチカム・ポタリーを開いてから再稼働を始め、最後の火が入れられる1954年まで元気に歴史を刻んでいた。今だって陶芸の神様にちょっと間貸しているだけ、といった趣で、その生き生きとした表情はみじんも変わっていないように思えた。
工房の裏手にはもっとたくさんの薪が積み上げられていましたよ。薪割も重要な仕事の一つなのです。
18世紀の徳利窯。奥に見えている建物はちょっとした研修などに使われています。
石炭と薪を燃料として焼成していた徳利窯の細部。 歴史的重要建築としてグレードIIに認定されており、今や国宝級です。
マイケル・カーデューが開いたウィンチカム・ポタリーだが、現在の土台を築いた功労者は間違いなく1946年にカーデューからポタリーを買い受けたレイ・フィンチだ。ウィンチカム・ポタリーが英国内でも有数の古参窯として現役稼働できている理由の一つに、チームワークがある。レイ・フィンチが自分だけに注目が集まることを嫌い、同僚とともに一陶工として働き、何十年にもわたって後進を育てることに力を注いだのは、手作業である程度の量を生産しつつ工房が存続していくためには、匿名のチームワークが欠かせないことを痛感していたからだ。教え子の中にはバーナード・リーチの孫であるジョン・リーチの名前も見える。
20世紀半ばといえば、折しも急速な産業化が進んでいた時代でもある。産業革命の最なかに手工芸の良さを叫んだアーツ&クラフツ運動から半世紀を下り、その精神を継承し、美しい工芸品を日常の中で使えるよう現在もリーズナブルな価格で提供していく姿勢に一貫した哲学を感じずにはいられない。
その伝統の工房を、現在の陶工頭であるマシュー・グリミットさんに案内していただく光栄を得た。ランチ時間を削る形になってしまい恐縮してしまったのだが快く案内してくださった。マシューさんはお祖父さんがこの窯で働いていたご縁で、8年前にやってきた。陶工としてはすでに14年の経験があるそうだ。
現在、3名の陶工がこの広々とした工房で働いているそうです。
右奥に粘土を保存している容器が見えています。粘土はデヴォンやコーンウォールから取り寄せ、そこに砂や鉄を混ぜてより適した土へ昇華させます。粘土を混ぜているのは、パン生地を混ぜる機械と同じものなんですって!
作品は二度焼きします。この素焼きの感じ、たまりません。
シンプルな力強さを感じる伝統の形。質実剛健の魅力はウィンチカム・ポタリーの真骨頂です。
創業の当初から日常使いの皿を作ることを旨としていたウィンチカム・ポタリーでは、随分と時代が下るまで地元の土を使ったスリップウェアの作陶に力を入れていた。平らな粘土板に模様や絵を先に施したあとで成形して焼きあげるスリップウェアは、18、19世紀のイギリスで盛んに作られた。パターン化した美しい模様を均等に施せることから、後に日本の民藝運動で陶芸家たちが大いに熱をあげたお気に入りの技法でもある。 マシューさんによると現在のほうが格段に粘土の質は良くなっているそうだ。「粘土の質が良い」というのは、一にも二にも焼き上がりが良い=品質が優れているということと同義。歴代の陶工たちが研究に研究を重ねた末の配合なのである。日常使いという意味では、スリップウェアと並行して作られていた絵柄なし釉薬だけのシンプルなストーンウェア(炻器)が1960年頃から主流になっていった。より高温で焼き締めることで頑丈に仕上がるという理由もある。
右は薪を燃料として焼き上げる現役窯。1974年に手作業で作られたもので、計算された構造はとても優れているのだそう。
レイ・フィンチがろくろを回していた歴史ある作業台。今は事務机なんですって。
右が陶工頭のマシューさん。左はこの工房へ来て3年になるジョセフさん。ランチを二人でとっている様子はとても自然で、横で伺っていると仲の良い兄弟のような関係性に思えました。
ここでは歴史がシームレスに現在と結びつき、その技術には歴代の陶工たちの努力と知恵が宿っている。もちろんリーダーはいる。けれど作り上げる工程にはいくつもの匿名の手が関わり、あくまでも一つの工房として機能する。そのあり方そのものが、100年前のままなのだ。「ふだんは3人の陶工で切り盛りしているけれど、年間を通して世界中から見習いが来るよ。数週間だけ体験する人もいれば、1年滞在してみっちり勉強していく見習い工もいる。ここは今も昔と変わらず、後進を育てる役割を担う工房なんだ」と説明してくださるマシューさん。とても清々しい空気をまとっている。
その笑顔を見ていると「ここで働くのは好き?」と、分かり切った質問が思わず口をついて出た。「ものすごく。すごいお金持ちにはなれないかもしれないけれど、ここには何ものにも代えがたい生活があるよ。精神的にも、とても健やかに過ごせる。自然と切り離されることがないから」。
アーツ&クラフツや民藝が言わんとしている本質は、究極的にはそこに行きつく。生活の中に当たり前のように在る地に足がついた用の美。コッツウォルズは奇しくもウィリアム・モリスが賞賛した土地だが、産業革命の鉄道網から逃れ、18世紀のまま取り残された鄙びた田舎の美しさこそ現代人を惹きつける最大の理由であり、そこにはモリスの審美眼を十二分に満足させたナチュラル・ビューティーが今なお残る。
コーンウォールに登り窯あり、コッツウォルズにウィンチカム・ポタリーあり。時代は下っても自然と強く結びつく手工芸を、人々はなお愛し続けるようだ。
Winchcombe Pottery
www.winchcombepottery.co.uk
江國まゆ
ロンドンを拠点にするライター、編集者。東京の出版社勤務を経て1998年渡英。英系広告代理店にて主に日本語翻訳媒体の編集・コピーライティングに9年携わった後、2009年からフリーランス。趣味の食べ歩きブログが人気となり『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房)を出版。2014年にロンドン・イギリス情報を発信するウェブマガジン「あぶそる〜とロンドン」を創刊し、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむかたわら、オルタナティブな生活について模索する日々。