ドレスコードはどれくらい重要か
1980年代にロンドンで商社マン生活を始めたばかりの頃ことです。今にして思えば、女優アン・ハサウェイとイメージが少し重なる同僚(当時20代後半)が、華やかにドレスアップして出社して来ました。イギリス人の彼女は優秀な女性トーレーダーで、普段からローラアシュレイのワンピースが似合っていました。その日はボールガウンというのでしょうか? 床に届きそうなドレスでおめかしをして、仕事中はカーディガンを羽織っています。「どうしたの、今日は? 何か晴れがましいイベントでも予定されていたっけ?」 なぜか流し目で彼女は答えます。「今晩は12回目のファントムなの。夕方には夫がここまで迎えに来るわ。もちろん、TUX(タキシード)でね」ファントム、すなわち“Phantom of the opera”「オペラ座の怪人」を観劇するために正装して出勤とのこと。もちろん、12回も通うと盛(正)装でも板についてくるでしょうね。これは昭和の日本人が歌舞伎座に行くのに和服正装したことと同じかな、と思ったのですが、当時のロンドンではまだ劇場によってはドレスコードがあって、特にHer Majesty’s Theatreでは簡易正装(燕尾服ではなくタキシード)以上が義務付けられていました。現在に至って、さすがに正装を義務づけるシアターは減った気がしますが、今でもジャケットを着用していないと入場が許されないことはあります。
中世劇を専門に扱うプロの役者さんたち。皆、大学で歴史学を専攻しただけでなく、博士号を取るほど考古学、歴史、文学、民族、そして舞台芸術を研究しています。インテリだけど、金持ちではありません。でも、心豊かな生活を営んでいると彼らは言い切っていました。
夏にありがちなことですが、事務所にジャケットを置いて出てしまうと思い掛けない失態に繋がることがあります。昼休みや午後の紅茶を所望しようと入ったクラリッジ・ホテルのフォイェ(foyer:ロビー、休憩室)で、執事に“Jacket, Sir?”と言われて、やんわりと入店拒否されたこともあれば、招かれた紳士倶楽部などで門前払いを食らうなど何度か恥ずかしい経験をしたことがあります。そんな場合、困るのは同伴者や招待者です。当方に言わせれば、階級社会の悪しき慣習そのものですが、その理不尽さに身もだえして不公正を訴えても、ルールより高潔且つ雅な規範であるプロトコルに準じていない無作法者は決して入れてもらえないのです。日本ではジャケットを貸してくれるところもあるようですが、イギリスでは経験がありません。
Her Majesty’s Theatreというほどの格式ですから、その名の変遷にも興味深いものがあります。開場した1705年はアン女王の治世でしたから、Queen’s Theatreと命名され、その後ジョージ一世が即位するとKing’s Theatreと改名し、ヴィクトリア女王の治世に至ってHer Majesty’s Theatreと3度目の改名を経て、女王の没後には男性の王様が続いたためにHis Majesty’s Theatreと4度目の改名で王室への敬意を表し、そして現在のエリザベス二世女王が即位すると再びHer Majesty’s Theatreに帰り咲いたというわけです。
90年代に航空マンだった頃、当方と仲良しだったお客様ご自身が急用で行けなくなったということで、シアター券を譲って頂いたことが何度かありました。頂戴した券の劇場はHer Majesty’s Theatreではありませんでしたが、券にはドレスコードが書かれていました。ところが、正装をして劇場まで行くと当方と妻以外の来場者はほとんどが平服(男性はネクタイ着用)でした。イギリスでは年に2週間も続かない真夏の30度の日、しかも空調など無い満席の劇場内では一度着ただけでタキシードが汗まみれになり、イギリスの高いクリーニング代(当時でも日本の約5倍)を支払う羽目に遭います。“you said so”(you正装と聞こえます)と言う妻に対して「駄洒落か!空耳か!」と少し切れかかったことと、観劇中に脱水症状になりかかって気持ち悪くなったことを思い出します。思えば、ペットボトルが普及する直前の時代でした。
優先すべきは、楽しみたいと思う気持ち
シアターランドとはウェストエンドのリージェント・ストリートから東側一帯のことで、北はホールボーンから南のオールドウィッチに掛けて40軒以上の劇場が密集しています。それぞれの劇場の門構えを撮影して、この記事に備えようと思いましたが、劇場によっては意外に冴えないのですね。やはり、劇場はインフラではなく上演内容が肝心です。座り心地の良いとは言えぬ古臭い座席に妥協を強いられながら楽しむものです。当方は観劇に熱心なわけではありませんが、イギリスに住んでいると、パントマイム(イギリスの場合はクリスマスシーズンなどに家族で楽しむ「大衆劇」)を含め、年に数回は脚を運びます。そして、古い劇場に入るなり、意を決します。なぜなら、窮屈な座席で観劇の姿勢を維持すると、どうしても身体に力が入ってしまうのです。何度も深呼吸しては、硬直した筋肉を緩め、身もだえを抑えようと努めるのですが、観終えた頃には、どうしても身体中がクタクタに疲れてしまいます。それでも、劇の内容を残念に思ったことや、時間の無駄遣いに感じたことはほとんどありません。 地域振興のために、あるいは観光客に分かり易くアピールするために、シアターランドという所在地表示には行政の工夫が感じられます。
困難を強いられる他の外的要因を挙げるとすれば、前の席に座るヒト次第で観劇の心地具合が影響されることでしょうか。座高の高さと頭の大きさによって、舞台の見え方に影響するのですが、苦情を言えないところが辛いところです。たまに苦情を言っている人を見掛けますが、前席の人は後席の苦情が聞こえても無視して気にしないことが社会通念というか、イギリスのコモンセンスなのかもしれません。この経験で学んだことは、視界に多少の困難はあっても、楽しみに来ていると思えばなんとか楽しめるということ。ただし、前席にアフロヘアの巨人が座ったらどのように対処すべきか、まだ考えておりません。
インターミッション中のヴィクトリア・シアター。いつも上演開始のギリギリまで座りたくない劇場の座席。快適度は30年以上前のロンドン―東京線エコノミークラス並みです。
また、内容には好みや、向き不向きがあることも確認しておいた方が良いと思います。イギリスに来る日本の友人、知人たちは、「何の演目でもいいからシアターの券を取っといて」と乱暴なリクエストを出すことがあります。 そんな場合は「何でもええんやったら、当日のマチネ(昼興行)で選んで自分で券を買えばええやん」と、なぜか関西弁で突っぱねることにしています。しかし、人生最初で最後の海外旅行に来る、英語も話せない先輩とか高齢の親類縁者には、突っぱねるわけにも参りませんから、あらかじめ券を用意したこともあります。しかし、例外なくいい気持ちになったことはありません。観て貰った後で「さっぱり分からんかった」とか、「はい、実費。日本円でええやろ」とか、まったく感謝されないばかりか、人様のためにあれやこれやと考えを巡らせる事前準備の手間さえ理解してもらえないことが多かった気がします。当方が旅行代理店なら手数料を頂けるのでしょうに。
Downton Abbeyが大人気であるその裏側には、現代イギリス人の厭世観やescapismが反映しているからという説を唱える社会学者や心理学者がいます。催しものには、世相が反映するものですが、そのことに気づくこともなく、自らを突き詰めることもなく、自己分析などしなくても、純粋に作品を楽しめたら、それはそれで結構なことだと思います。小さな幸せを感じられる鑑賞の仕方も大切ですね。
やはり、自分自身の楽しみなのですから、内容の吟味から観劇するまでの経過も楽しみたいものです。観劇したいものを選ぶところからエンターテインメントが始まり、どんなに券の購入が困難であっても、その経過をワクワクドキドキする体験が得られるわけですから、観劇当日にはどんなことがあっても楽しもうという気合が入るものです。2018年にはオクスフォードサーカス駅が最寄りとなる劇場Palladiumで渡辺謙さんの『王様と私』を息子が誕生日プレゼントしてくれました。その際、会場では「子どものころからユル・ブリンナーの映画「王様と私」を100回以上観た。今日という日を心待ちにしていた。今日は人生最高の日」と、興奮するバーミンガム訛りの40代イギリス人女性のご一行様は、ショーが始まるなり感激の涙を周囲に撒き散らして喜びに身もだえておられました。どうやら、ロンドンの観劇で身もだえるのは、当方だけではないようです。
「王様と私」でロイヤルワイフたちを演ずる一場面。ティアラを冠したチャン夫人を好演するのはMiiya Alexandra。まだ20代半ばなのに貫禄は充分。役者としての幅が感じられます。画像提供者:Miiya Alexandra
Miiya Alexandraがマリア役として主演を張ったミュージカル「メトロポリス」。こうして場面を見ているだけで、作品に対する想像が広がり、劇場に足を運びたくなります。好みの俳優を追っかけてミュージカルを楽しむ人々も多いですね。画像提供者:Miiya Alexandra
観劇前の段取り
拙息子が我ら夫婦の誕生日プレゼントとして観劇を提案してくれた際、彼は「何が観たいか」と数か月前に聞いてくれたので、当方は迷わず『王様と私』と開口一番に指定したのですが、いざ観劇当日になって妻が口にしたのは「なんでAlexander Hamiltonにしなかったの?『王様と私』なら筋も知っているし、子どもの頃からテレビ映画で何度でも観ている筈じゃない」という小言でした。当方の答えは「出演者の中にウチの子どもたちと同じ学校に通っていた役者がいて、しかも彼女のおっかさんとは個人的に仲良しだし、彼女を応援したいから…」ということで納得して貰いました。そして、結局妻も息子も大いに楽しんでくれたようです。正直な話、渡辺謙さんによる演技には強い説得力があり、並みの役者では到底演じきれない迫力を感じたのですが、彼が英語で歌い始めたところで「あれ…れ、どうなっちゃうんだろう」と、日本人として周囲の反応が少し気になり、歌い終わるまで爪を噛んでしまうほど心配してしまったことはここで述べても差し支えないでしょう…か。歌唱とは難しいものなのですね。 観劇後はオーディエンスをかき分けてステージドアに直行。観劇前の明るいうちに下見をして、予めステージドアの場所も調べておきましょう。「King & I」の時は、女優のMiiya Alexandraに花束を持って行こうとしましたら、出遅れたために、あやうく渡し損ねるところでした。渡辺謙さんと拙妻とのツーショットも撮れましたが、掲載はご勘弁を
ともあれ、その後はAlexander Hamiltonが気になって仕方ありません。そして、翌2019年に息子から送られる誕生日プレゼントはこの時点で必然的に決まっていました。
劇場はロンドン・ヴィクトリア駅が最寄りとなるヴィクトリア・パレス・シアターです。観劇前の腹ごしらえが必要でした。シアターランドエリアであれば、あちこちにPre-theatre dinnerの看板が出ていますが、ヴィクトリア駅周辺ではあまり見かけられません。しかも、ヴィクトリア駅からバッキンガム宮殿にかけて位置していた場末の土産店やローカルショップが一掃されてしまったBressenden Place界隈は、再開発後の今やお洒落なレストラン群に占領されていて、観劇前の軽食だけでなく、どんな客層でも受け容れる体制が整っています。USAの有名なバーガーショップやトレンディなラーメン屋もあります。当方ら一行はシアターから徒歩2,3分のRail Way Caféで軽食を摂ることにしました。もの判りの良い店員さんに観劇前であることを伝えると、それなりに素早い対応をしてくれます。観劇前、特に気を付けたいのは、食事と飲酒の量です。ともに控えめにしないと観劇中に生理的な身もだえを被ることになりかねません。
観劇前のシアターディナーは軽めに。でも、例外なく、観劇中にお腹が空いて身もだえます。
ア~レクサンダー・ハ~ミルトン
ネタバレにならぬようにお伝えするのは少し難しい気がしますが、このミュージカルの内容自体はアメリカの建国史を事前に知っておかないと全体の理解が得られず、観劇後の満足感が得られないのではないかな、という感想を抱きました。当方は高校社会科の教員免許保持者で、最近は「イギリス大使館の地下室から」を出版しましたので、世界史を得意とする筈ですが、忘却も得意なので、念のために時代背景を見直しておきました。アレクサンダー・ハミルトンに関わる人間模様と、その周辺の歴史的に有名な登場人物をキーワードとして覚えておくと理解し易いと思います。もちろん、当方の意見を押し付けるつもりはありません。時代背景や内容の理解よりも、ただ単にミュージカルを楽しむこともひとつの在り方だと思います。舞台は二部構成で、前半はミュージカルとダンスそのものに圧倒され、後半はストーリーとヒップホップを取り入れた新しいスタイルのミュージカルとして堪能させてくれる内容に仕上がっています。一般的に、ミュージカル途中のインタミッションでよく見かける光景として、幕間の直前に盛り上げられる演出に圧倒されて感涙を流す人(自分)を見掛けることがありますが、このミュージカルAlexander Hamiltonの前半終了時では、劇中の歌詞「ア~レクサンダー・ハ~ミルトンッ…」と、口ずさみながら満面の笑みで、満足感に溢れていた観客たちの表情が印象的でした。
ミュージカルAlexandre Hamiltonの上演されるVictoria Theatre前の広場にはLittle Benが設置されています。第二次世界大戦直後の船の時代まで、大陸から海を渡ってドーヴァー港やフォークストン港からLondon Victoria駅までやって来た欧州人とイギリス人との待ち合わせ場所でした。日本人の当方がこんな昔話を知っていると、イギリス人の親類たちや友人たちはとても戸惑うのだそうです。でも、まあ単なる知識ですから。
ヒップホップを導入したことによって評価を高めたミュージカルであるだけに、黒人が多数配役されています。ショーが始まるなり黒人俳優が初代大統領のジョージ・ワシントンを演じていることを歌で表現したので、当初は「歴史的に見て、なんで、黒人の配役?」と違和感を覚えたのですが、第三代大統領のトマス・ジェファーソン、政治家で冒険家のアーロン・バー、そしてハミルトンの奥方であるイライザなどの役柄が、要所要所のパフォーマンスをヒップホップや、ラップバトル形式などで表現するからこそ、この人選に至ったのだろうと納得しました。厳しいコンペで生き残った俳優の大勢が黒人であったこと、そしてその臨場感に彼らが適役であることに気付かされます。いずれ、黒人俳優がハミルトンを演じることもあると思います。
また、独立戦争時代のアメリカが舞台なので、臨場感を出すならイギリス英語だろうと思い込んでいましたが、イギリス語だけでなく、いろいろな国の英語発音が飛び交っていたことは、最後まで当方には少々耳障りでした。しかし、拙妻や拙息子のようなイングリッシュ・ネイティブでも台詞は60%くらいしか聞き取れないので、あまり気にしなくてもよいことなのかもしれません。配役には英語圏以外の人も多く、素晴らしいダンスを魅せてくれるのですが、彼らが短い台詞を放つと、なぜ長い台詞を与えて貰えなかったのか、その理由が判ってしまうような気がしました。と言うのは、少々辛口意見かもしれませんね。
以上の経験と感想を齢80代に達したイギリス人の義両親に伝えると、It does not seem to be our cup of tea(私たちの好みではなさそうね)とのことでしたので、どんなに傑作と評されるものであっても、ある程度の向き不向きや、好き嫌いは否めないのでしょうか。もちろん、我ら夫婦は高額で、予約の困難なミュージカルを息子にトリート(待遇)して貰ったので感謝していますし、こうして皆さまにお伝え出来ることは、皆さまのためにも有益であると考えます。物理的には狭い空間で身もだえながらも、頭の中でイメージを増幅させて展開するエンターテイメント。それが、シアターランドを楽しむ極意かもしれません。もちろん、さらに高額なボックス席をご利用であれば、物理的な身もだえなどとは無縁でありましょう。身もだえても、なお楽しめる術を持つということは、むしろ我々庶民に与えられた特権なのかもしれません。
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。