期せずして得られたセレンディピティ的な幸運の存在であり、怪しげな錬金術の果てに生み出された偶然の産物でもあり、ウイスキーのそのなぞに満ちた歴史だけでも多くの人々がその魅力を語っています。そして、飲みの文化、健康との関係、溶ける食感を楽しませてくれる溶媒としての役割などなど、ウイスキーには意外な側面から語る材料がそろっています。特に製造に関わる側面は行程や段階を追って科学的に述べるべきかもしれませんが、当方は当方なりに語ってみるつもりです。
前回の記事では、アルコール濃度の高い蒸留酒は簡単、且つ短期間に作れると述べました。そして、ほぼ透明なその蒸留酒、つまりウイスキー原液(ニューポット、ニューメイク、ニュースピリッツ)が琥珀色のウイスキーになるには熟成という行程が不可欠なことは皆さまご周知でしょう。
ウイスキーの樽と言えば、樫木。そして、画像は1975年にエリザベス2世女王がイギリス大使館の公邸2番館前に植樹した、言わばロイヤル・オーク。撮影は伐採前日の2020年7月24日。ご覧のように真夏なのに病気で葉がつかず、枯れて倒木の危険が迫っていました。植樹した時のエピソードとして「日本のイギリス大使館でもウイスキーの樽づくりが始まるといいわね」と女王が宣(のたま)わったとか。
そのエキスのことを専門用語でウイスキーコンジナー(congener)と呼びます。現代の科学ではその成分を正確に突き止めています。しかし、そのコンジナーをニューポットに混ぜたら、貯蔵期間を経ずして直ちにウイスキーが出来上がる、ということはありません。ゆったりとした熟成期間に、樽の中でさまざまな成分との融合で生み出される行程と時間がウイスキーには要されるのです。
ニューポットがウイスキーという状態に変化するためには、ざっくりと言って2つの成分が要されます。①ひとつは、麦芽や穀類を糖化して発酵させた発酵モロミを蒸留して得られたアルコール度数60度くらいの蒸留酒(ニューポット)由来の成分。そして、②もうひとつは貯蔵樽から溶け出して来た樫木(かしのき)の成分です。沸点が低く(揮発性が高く)、アルコール度数の高いニューポットに対して、コンジナーは沸点が高く、その成分の多くは樽からにじみ出てきたものです。2つの成分が長年の間熟成し、融合した結果に出来上がってくるものがウイスキーです。このウイスキーから①の成分を除去して凍結乾燥したものがコンジナーですが、樫木成分だけではコンジナーにはならないのです。つまり、この2つの成分を混ぜ合わせただけの「状態」ではウイスキーとしての味は出ないわけで、ニューポットがウイスキーな状態になるには、年月単位の時間を要するのです。
ウイスキーに何年物とあるのは、その状態を示す熟成の尺度です。7年モノのウイスキーと12年モノとでは状態が異なるように、浅漬けの茄子と漬かり過ぎの茄子とで状態が異なることと同様に、その味も風味も異なるわけです。樽から出て瓶に詰み込まれた時点でウイスキーは熟成を停止します。同様に、糠を洗い流された時点で茄子の漬物も熟成を停止します。長年熟成されたウイスキーの場合、貯蔵期間が長くなれば、それだけ維持費も管理費も掛かりますから、加算されたそれらの原価によって市場での価値が上がっていきます。しかし、それがおいしい状態なのかどうかは、飲む人のお好み次第、つまり主観によるのですね。
また、コンジナーの説明はまだ不十分ですので、この記事でツッコミを入れたい方はご辛抱を。引き続きこのシリーズにご注目ください。主観的なうまさの基準を変数化し、客観的なうまさを標準化する研究に務めるウイスキーの科学者が尽力する一方、そのうまさを導きだすために職人さんは経験と勘に裏打ちされた技術を駆使しています。次回は「味わいの謎」について述べるべきでしょうか。
前回の記事では、アルコール濃度の高い蒸留酒は簡単、且つ短期間に作れると述べました。そして、ほぼ透明なその蒸留酒、つまりウイスキー原液(ニューポット、ニューメイク、ニュースピリッツ)が琥珀色のウイスキーになるには熟成という行程が不可欠なことは皆さまご周知でしょう。
ウイスキーの樽と言えば、樫木。そして、画像は1975年にエリザベス2世女王がイギリス大使館の公邸2番館前に植樹した、言わばロイヤル・オーク。撮影は伐採前日の2020年7月24日。ご覧のように真夏なのに病気で葉がつかず、枯れて倒木の危険が迫っていました。植樹した時のエピソードとして「日本のイギリス大使館でもウイスキーの樽づくりが始まるといいわね」と女王が宣(のたま)わったとか。
ウイスキーの樽と言えば、樫木。そして、画像は1975年にエリザベス2世女王がイギリス大使館の公邸2番館前に植樹した、言わばロイヤル・オーク。撮影は伐採前日の2020年7月24日。ご覧のように真夏なのに病気で葉がつかず、枯れて倒木の危険が迫っていました。植樹した時のエピソードとして「日本のイギリス大使館でもウイスキーの樽づくりが始まるといいわね」と女王が宣わったとか。
漬物とウイスキー、それぞれの味と状態
熟成に年月や時間が掛かる理由は、単に材料を混ぜあわせただけの状態では野菜がすぐに漬物にならないことと同じで、おいしくなってもらうには、その状態を変化させる時間が要されるということ。おいしい漬物が漬かっていた液体の中に、新たな野菜を漬け込んだら、それもまたおいしい漬物になるのか?と問われると、どうでしょうか。ある程度のおいしさには到達するかもしれませんけど、何か調味料を足したり、時間を長くしたりと、少しずつ工夫や手間が掛かります。そして、時間を掛ければ、先に漬かっていた漬物と同じ味や品質の漬物になってくれるかと言うと、なんか違うかも~というレベルにとどまるのではないでしょうか。先の漬物と後漬けの漬物、それぞれの個体は最初から状態が異なるので、同じ時間を費やしてもまったく同じ状態になるわけではないという結論は、当方自身が日常の料理をこなす経験から導かれたことです。 藪に隠れてしまったロイヤル・オークの銘板。公邸2番館の前にこの銘板は残されました。ところで、在ロンドン日本大使館で吉田茂氏が大使に就いていた1930年代から、地下酒蔵にウイスキーがオーク樽で貯蔵されていて、当方の友人が1980年代には50年モノに熟成されていたであろうウイスキーを飲ませて貰って美味であったと聞かされました。2020年在ロンドン日本大使の長峰さんにそのウイスキー樽はまだ残っていますか、と問い合わせてみましたが、まだご返信を頂いておりません。
エキスを混ぜればウイスキーになるの?
ドラマ「まっさん」で少しだけ紹介されていたように、ニューポットにウイスキーのエキスを入れたら、ウイスキーっぽくなるみたいなことを仄めかして、昭和の初めにその「ぽい」ウイスキーを商品化する場面が出ていました。ドラマでははっきりとした表現ではありませんでしたが、日本のウイスキー史には当時の技術レベルで抽出されたエキス、香料、そしてカラメル色素を混ぜて造られた独特のウイスキーが市場に出回ったこともあるようです。ウイスキーの法的な定義が長い間に渡って曖昧だったのですね。そのエキスのことを専門用語でウイスキーコンジナー(congener)と呼びます。現代の科学ではその成分を正確に突き止めています。しかし、そのコンジナーをニューポットに混ぜたら、貯蔵期間を経ずして直ちにウイスキーが出来上がる、ということはありません。ゆったりとした熟成期間に、樽の中でさまざまな成分との融合で生み出される行程と時間がウイスキーには要されるのです。
ウイスキーコンジナーは樽の種類によって、意外な芳香を加えます。The Scotch Malt Whisky Societyではフルーティで甘い香りのウイスキーも楽しめます。
ニューポットがウイスキーという状態に変化するためには、ざっくりと言って2つの成分が要されます。①ひとつは、麦芽や穀類を糖化して発酵させた発酵モロミを蒸留して得られたアルコール度数60度くらいの蒸留酒(ニューポット)由来の成分。そして、②もうひとつは貯蔵樽から溶け出して来た樫木(かしのき)の成分です。沸点が低く(揮発性が高く)、アルコール度数の高いニューポットに対して、コンジナーは沸点が高く、その成分の多くは樽からにじみ出てきたものです。2つの成分が長年の間熟成し、融合した結果に出来上がってくるものがウイスキーです。このウイスキーから①の成分を除去して凍結乾燥したものがコンジナーですが、樫木成分だけではコンジナーにはならないのです。つまり、この2つの成分を混ぜ合わせただけの「状態」ではウイスキーとしての味は出ないわけで、ニューポットがウイスキーな状態になるには、年月単位の時間を要するのです。
状態の科学
「ウイスキーとはモノではなく状態である」と説く専門家の先生がおられます。この言葉を借りて「状態」について説明するには、漬かり具合で常に状態を変えていく漬物は、我々の身近にある最良のたとえにならないでしょうか? ちなみに、当方は1週間以上も漬かって、色褪せて酸っぱくなった一本モノの茄子の糠漬けが大好物です。もちろん、鮮やかな色合いで爽やかな一夜漬けの茄子や、糠の芳香を放つ二日漬けの茄子も、それぞれが異なった「状態」を異なった美味しさで主張しています。同じ茄子でも熟成の状態をどんどん変えるということであって、ウイスキーが状態を変えて、味も変えて行くことと同じだと思うのです。 One finger(シングル:30㏄)ごとに測るタップ。シングルの量などグイっと一口で飲み干せます。アルコール量としては約1パイントのビールに相当します。消毒液にも足りない気がしますが、たぶんそれは気のせいです。アルコール量の医療制限についてもいずれ述べたいと思います。
スコットランドから愛を込められたグラス。当方の指ですと、one fingerが45㏄になってしまいます。もちろん、ウイスキーグラスの底面積によってone fingerの量も変わるわけですが…
ウイスキーに何年物とあるのは、その状態を示す熟成の尺度です。7年モノのウイスキーと12年モノとでは状態が異なるように、浅漬けの茄子と漬かり過ぎの茄子とで状態が異なることと同様に、その味も風味も異なるわけです。樽から出て瓶に詰み込まれた時点でウイスキーは熟成を停止します。同様に、糠を洗い流された時点で茄子の漬物も熟成を停止します。長年熟成されたウイスキーの場合、貯蔵期間が長くなれば、それだけ維持費も管理費も掛かりますから、加算されたそれらの原価によって市場での価値が上がっていきます。しかし、それがおいしい状態なのかどうかは、飲む人のお好み次第、つまり主観によるのですね。
また、コンジナーの説明はまだ不十分ですので、この記事でツッコミを入れたい方はご辛抱を。引き続きこのシリーズにご注目ください。主観的なうまさの基準を変数化し、客観的なうまさを標準化する研究に務めるウイスキーの科学者が尽力する一方、そのうまさを導きだすために職人さんは経験と勘に裏打ちされた技術を駆使しています。次回は「味わいの謎」について述べるべきでしょうか。
拙著「イギリス大使館の地下室から」の製本版のお知らせです。
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。