未知の謎に満ちたウイスキー成分
端的に言うと、アルコール濃度の高い(60~80%)の蒸留酒(ニューポット)を樽に詰めて数年間貯蔵すれば、ウイスキーは出来上がるわけですが、実際にはたくさんの言葉で肉付けをしないとウイスキーの真実は伝わらないだろうと思う一方で、その技術面、科学面の未知の部分も含めて当方のような素人が追究してもキリがないと感じています。ウイスキーに魅入られた職人さんでさえ、経験に裏打ちされた技術と科学、それぞれの見地からその美味さの理由を探ろうとしていますが、まだはっきりしたことは判っていないのですね。前々回で取り上げたウイスキーのエキス、すなわちウイスキーコンジナーとは、ウイスキーを濃縮し凍結乾燥して、ビーカーの底に沈殿した、いわば見た目はカスのような茶色い粉末です。そして、その粉はおいしい成分を含んでいるに違いないと、研究者たちはワクワクして舐めてみたところ、見た目どおり地味で苦みだけが際立ったとのことです。 ウイスキーの製造に不可欠な条件のひとつは「清澄な環境」。寒暖差が適度で、きれいな空気で、澄んだ水が得られる場所なのですが、最近は空調技術でその環境を造り、世界最先端の浄水技術で個性のある水も作り出せるとのこと。いわば、電気仕掛けや、ガス・化石燃料でもウイスキーの製造環境を創り出せるのですね。
天使の分け前
ウイスキーの成分は2つに大別されます。①発酵した麦芽やトウモロコシなど穀類のモロミを蒸留して、抽出されたニューポット(ニュースピリッツ)をルーツとする低温で揮発しやすいアルコール成分と、②樽から溶け出してきた樽(ブナ、ナラなど)材をルーツとする揮発しにくい成分です。当初のコンジナーとは②の成分だけであると考えられた時代を経て、樽から溶けて出たセルロース、リグニン、タンニンなどの「抽出成分」と、樽成分とニューポットのエタノール分解によって生じた「エタノリシス成分」とに分けられることは今日までに判明しています。しかし、それらが味にどう関わるのかという研究はまだ続いています。そして、職人さんたちは技術と経験と勘を駆使してウイスキーを作り出す状況が続いています。 ニューポットを炊く代表的な蒸留装置には、モルトウイスキーを製造するアランビック蒸留「器」と、グレーンウイスキーを製造する連続式蒸留「機」があります。画像はアランビック蒸留器で、アラビアの錬金術師が8世紀に開発したものが由来。アラビア由来の蒸留器なので、アランビックと呼ばれるのですね。
また、樽は外界の空気を取り込む一方で、樽内のウイスキー成分は、貯蔵期間の長さに比例してゆっくりと樽内から蒸発しています。つまり、樽というフィルターを通じて外界と空間でつながっているわけで、ウイスキーは生物のごとく呼吸しているような状態になっているのです。そして、樽に詰められた長い時間内にニューポットはウイスキーとして、その状態を質量ともに徐々に変化させていきます。ウイスキー職人たちは、蒸発してその目減りした分量のことをangel`s share(天使の分け前)と言い伝えています。ウイスキーを飲む(盗む)などと、可愛らしい天使をいたずら者扱いするのは、イギリス人ならではのユーモアでしょうか。
当方の大好物はグレンリベット。空港の免税店で必ず購入してしまいます。ラウドスピリット(主張する酒)と言われる個性の強いシングルモルトのひとつですが、適度な刺激、香り、味わいを体感します。そう、つまり、ウイスキーとは口ですすって身体全体で感じるものなのです。もちろん、ラウドな(うるさい)個人の意見ですが。
燻す、焼く、そして貯蔵する
樽貯蔵の方法、場所、環境、技術などがウイスキーの味の決め手となることは間違いありませんが、樽以前の行程も注目すべきです。ウイスキーの味は麦芽の種類に影響を受けるだけでなく、製麦(麦を麦芽にする行程)の仕方によっても味わいが異なります。さらに、ピート(泥炭)を使う量によって香りも個性を伴います。ドラマ「まっさん」でも注目されたウイスキーの専門用語スモーキーフレーバーの正体は、麦芽を乾燥させるために燃料に使われるピートの煙です。燻(いぶ)された麦芽に染み付いた香りは高温加熱で蒸留しても失われることはありません。燻製料理の中でも、温燻された濃厚なチーズや旨味の強いソーセージ(イギリス製パン粉なしレシピ)だけでなく、強い風味を放つ冷燻の魚介類(牡蠣、ムール貝、ホタテなど)が、ピートで燻されたモルト強めのウイスキーにマッチングする理由とも言えましょう。 20年以上前にロンドンの航空業を退職した時、敬愛する同僚たちが当方の名前(ニックネーム)を印字したウイスキー・フラスクとビア・カップを餞別品として贈ってくれました。ウイスキーアイテムとしては重要なフラスクですが、狩りをする身分でもないので、真冬の散歩以外ではあまり役立ちません。昔はフットボールの観戦中にグビリとあおったものですが、フーリガン抑止による禁酒対策以後はスポーツ観戦の場では見かけなくなりました。
樽の中で寝ている香り、うまみ、そして…
また、貯蔵する樽にも秘訣があります。現代の貯蔵ウイスキーの発祥が18世紀、シェリー酒の樽に隠した密造酒であることは前回にも述べました。シェリー(ワインとブランデーの混成酒)の生産地はスペインですが、最大の消費地はイギリスでしたので、その空き樽(カスク)はイギリス国内に数多(あまた)と放置されていましたから、シェリー風味も混じった上質のウイスキーが生産されるきっかけになったわけです。やがてウイスキーの生産量が増えていくと、カスクだけでは不足しますから、イギリス国内産のオーク樽も増えていきます。新品の樽ですので、さぞかし木香も爽やかで上質のウイスキーが出来上がるだろうと思いきや、ニューポットを詰める前に樽の内側を焼く「チャー」という行程をウイスキー職人たちは見出します。その目的は、新品の樽材表面に付着した目に見えない虫や微生物による品質への影響を避けることと、木香を弱め、キャラメル香やバニラ香を引き立たせるため。木香を弱める理由は、新樽の木の香りが強すぎて、ウイスキーとしての品質のバランスを崩すこともあるからとのことです。トウモロコシを主原料とするバーボンの種類によっては、チャーの強弱レベルが異なるせいか、チャーに拠る香りが強烈に感じられることもあります。 ご参考「チャーの様子」1分50秒ごろ
20秒ごろ
当方の場合、どのウイスキーも好ましいのですが、いくつかのバーボンの香りが苦手です。チャーのことを学んで初めてその理由が判った気がしました。ただし、チャーにも科学的に解明できていない部分もあるようで、熟練の職人さんたちは経験値に従ってその作業を行っています。もちろん、今でも科学者たちはデータ化し、チャーの謎を解明しようとしています。ちなみに、ひとつの樽の平均的な償却期間は70年とのことで、人間の平均寿命よりもやや短い期間。その間6,7回ニューポットを向かい入れるとのことです。生産性を考慮して、使いまわす期間を考慮すると12年もののウイスキーが多いこともうなずける気がします。樽の中で静かに寝かしつけられたウイスキーが、その香りとうま味を育み、その美貌(の琥珀色)に磨きをかけるわけですから、樽と職人さんは、あたかも親子関係にあるように思われます。
ちょいと長くなりましたので、今回はここまで。次回は「科学を包み込むウイスキーのテイスト表現」「溶かして楽しむ」 そして、試してみるかどうかはアナタ次第の「ウイスキーレシピ」などに触れてみるつもりです。
1980年代から見てきたロンドンのパブも変わってしまいました。画像はもはやパブではく、バーと呼ぶのでしょうかね。主な飲み物がビールからワインに変わったのが90年代、パブでもワインを出すようになりましたが、このところは多様化が激しくて、サービスされる飲み物の種類は増えました。テーブルの上は飲み物だけが置かれることが普通でしたが、ガストロパブという言葉が出てきてからは、食事中にジン&トニックを飲む人も見かけます。そして、たまにイギリスに戻ると、うっかり和製英語を使ってしまいます。Whisky Highball, please.と注文したら、Sorry, Never heard of it. と返されてしまいました。和製英語ではないという説もありますが、40年近くに及ぶ当方のイギリス経験では通じたことがありません。Whisky & Soda (water), pleaseと頼みますけど、それは日本人の同伴者のため。当方が頼むのはstraight、またはon the rocksそして酔い止めのチェイサー(tap water for chaser)。
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。