ウイスキーは飲む場所と時刻を選びます。冬時間で明るいうちはちょいと早いかな。イングランド南部の冬至の日没は午後4時前。3時にはもうだいぶ暗いのです。
前回はウイスキーのフレーバーを、フルーティ、フローラル、スモーキー、消毒液っぽい、ウッディ、レジン(樹液)、硫黄、潮騒の香りなどいくつかの言葉で表してみました。では、それらの味にたどり着くために製造や技術を担当する技術者と研究者はそれぞれどんなことをしているのか? 気になるところですが、科学的な解明が済んでいない分野については感覚的な表現が数多く生み出されています。
科学を包み込むフレーバーの表現
ある現象と然(さ)る要因との関係性を客観的な変数で可視化することが科学の一側面であると思います。しかし、ウイスキーの味とフレーバーに関しては、その関係性を数値化するところまで研究がまだ及んでいない理由は2つあるとのこと。ひとつは、樽から抽出される成分の種類が多すぎること。もう一つは、微量で測定不可能な2つの成分、つまり、樽からの「抽出成分」と、樽とアルコールとが反応して出来上がる「エタノリシス成分」、それらの成分の化学的な因果関係と、成分間相互に生じる関係とがまだ充分に解明されていないのだそうです。 生牡蠣のモルト掛けは、ラウド・スピリッツとストロング・テイスト、すなわち主張するモノ同士の意外な組み合わせですが、独特の調和感があります。ただし、一回の食事では、ひと粒で充分満足。ちなみに、このウイスキーは読者様から、皿は平成天皇(現上皇)から、そして牡蠣はふるさと納税の返礼品として授かりました。
そのウイスキーの品質を示す専門用語は107あると言われています。それぞれの用語につながる物質名と量、そしてその関係性を見つける研究はウイスキーが生まれてからずっと続いています。香りについて言えば、「上品」「ふくらみ」「個性的」など、味については「うまみ」「後味」「なめらか」など。将来は、「ふくらみ」数値とか、「なめらか」数値という具合に変数化されるのかもしれません。
専門家の皆様の間では共通に使われている用語ですが、感覚的で、抽象的なので、無骨な当方には判然としません。もちろん、批判しているわけではありませんが、科学的な思考や理屈を好む人に説明したり、フレーバーを的確に伝えたり、感覚を共有するには107つ以上にもっと多くの表現を駆使することになります。食べ物の味、つまり五味に関わる成分や、口当たり、舌触りなどの感覚的な評価などの食感的な描写でも、ある程度までは香りや味わいについての伝達は可能です。しかし、当方が混乱してしまう表現もかなり見つけます。水分なのに、丸みがあるとか、おだやかであるとか、そう言われてもぼんやりした印象しか残りません。そして、それは五味に分類されるのか?五感を超えた感性なのか?刺激なのか?と…。
頂きもののイチゴをウイスキーに漬け込んでみました。3日も経つと色素が落ちてきてイチゴは白っぽくなり、ウイスキーにはイチゴの香りが移ります。10日間ほど漬け込んだイチゴは出涸らしのように味も色も薄まってしまいますが、ストロベリー・フレーバーのウイスキーが出来上がります。果物の種類によって漬かり具合が異なります。いろいろなモノを混ぜて、ピムズ(ジン)のようなカクテルにする方法も美味しいかもしれません。
溶けるので溶かす
さて、ウイスキーの話からちょいと脱線します。スペアリブを食べた後、緑茶、ウーロン茶、紅茶(無糖のアイスティ)などで、油まみれになった素手を洗うと、油がすっきりと落ちるという経験をされた方もいらっしゃるでしょう。もちろん、温(ぬく)い、あるいは冷たいお茶です。さて、ここで実験です。口にチョコレートを含んでから数秒後、熱めのお茶をすすってみるとどうでしょうか。やはり、お茶に含まれているポリフェノールがチョコレートの油分を溶かします。でも、ウーロン茶の場合は、その渋みがチョコレートの味を少しダメにしてしまいます。ウーロン茶と同じ茶葉にもかかわらず、温かい紅茶の場合は溶けやすくなった分、味わう時間は短縮されますが、その分だけチョコレート単体を口にするときよりも、その風味は口の中に充満して美味さが強く感じられます。(個人の感想です)。 ウイスキーが使われているのはポークジンジャーのソース。赤ワインはまろやかなコクを醸し出しますが、ウイスキーはその香ばしさと食欲をそそるスタミナ感のある強いコクでその存在感を主張します。ソースは玉ねぎのいちょう切り、ニンニク、ショウガ、バターを弱火でじっくりと炒めてから、砂糖、みりん、牡蠣しょうゆ、ウイスキーを混ぜて煮込むだけ。
では、紅茶と同じ琥珀色をしたウイスキーではどうでしょうか? もっとも飲みやすいと言われる濃度40~42度のアルコールは、コロナ・ウイルスの表面を覆う油性被膜を溶かすほどですから、当然のようにチョコレートの油分も溶かします。チョコレート本体だけを口に含んでいるときよりもウイスキーを含んだ途端に溶解速度に勢いがついたチョコレートが口腔内に広がります。その風味は紅茶のときよりもさらに強く、爆発的な美味みが味蕾を刺激します。カカオ濃度の高いチョコレートを口に含んで、ストレートのウイスキーをちびりとすすってとろりとしたメルティング・チョコレートを味わうという我流、これを週に何度か楽しんでいます。チョコは2、3欠けで充分に満足。ストレート・ウイスキーとチョコとの組み合わせを楽しんだら、そのあとのウイスキーには氷を浮かせてウイスキー自体のピリ辛な美味さを楽しめます。ちなみに、「メルティなんとか」というチョコレートがありますが、製品としては良いと思います。しかし、その商品名に英人は違和感を覚えるそうです。
ストレートで飲むときは必ずチェイサーを付けましょう。イギリスの国民健康保険サービスの指導によると、シングルのウイスキーの代謝に必要とされる水の量は1パイント分だそうです。当方はパブで A pint of tap water, no ice pleaseと頼みます。画像のスタウトはチェイサーならぬ、追いアルコールですね。
まず琥珀色を視覚で確認し、香りで好きかどうかを判断し、味を確認し、刺激を楽しみ、たまにチョコをかじってから、その日のコンディションに合わせて、氷や水で濃度調整するというのが、当方にとって通常のウイスキーの楽しみ方です。
自己申告の文化
ところで、ゴルフやハンティングのスコアを自己申告するだけでなく、ラグビーの試合などでもレフェリーが選手に重要な判定に関わる意見を聞くこともある、という背景から、「イギリス人は自らに公正な申告をする紳士的な人々」という印象があると思います。ウイスキーの樽貯蔵も職人さんたちの手によって、ニューポットを樽に詰めた後は日時を記したタグで封印され、しっかりした自己申告の慣習に支えられて、貯蔵期間の管理が成されている筈です。ところが、このウイスキー・シリーズに着手した頃に、こんな記事を見つけちゃいました。
“Using Carbon Isotopes to Fight the Rise in Fraudulent”
Nuclear fallout reveals fake ‘antique’ whisky | Live Science
ウイスキーに含まれる炭素量で、いつごろ造られたウイスキーであるかが判ってしまい、虚偽表示のラベルが貼られたウイスキーがたくさん発見された。という内容です。調査した理由は、億円単位のヴィンテージ・ウイスキーがあまりにもたくさん出回ることに疑問を持った人々が、製造時期を確かめる客観的な方法はないものか。と言い出したので、この疑問に応えたのはスコットランド大学連合環境研究センター。放射性炭素年代測定法によって、ウイスキーの製造年を特定する方法を考案したのです。大気中には放射線が拡散していますので、屋外で育つ麦は放射線にさらされます。その麦を使ったウイスキーに残存する放射性同位体の炭素14から出る放射線量と、各年で記録された自然界の炭素14の量との両者を比較してみれば、ウイスキーの本当の製造年が判るという理論の元、実際に測ってみたら、多くのウイスキーから1800年代ものにはあり得ない炭素量が検出されました。
モルトウイスキーの別名はラウドスピリット(主張する酒)ですが、ウイスキー製造企業の姿は総じて謙虚に見えます。この蒸留所はハイランドの標高352mに位置し、いわゆる清廉な空気の中でウイスキーを製造しています。カティサーク、デュワーズ、ジョニー・ウォーカーなどを製品化したJames Buchananが所有し、1898年に王室御用達にも認定された名門。
核実験とウイスキー
その炭素量は2000年以降の大気に含まれる炭素量に匹敵するものですが、ウイスキーのラベルには1800年代の刻印が押されていたということです。炭素量は核実験など、その使用頻度によって大気中で増減します。特に、大気に放射線が大量に拡散された時代と言えば、広島や長崎の核爆弾投下以後に頻発した核実験です。イギリスも1950年代にクリスマス島などいくつかの場所で核実験を行っています。その後も、炭素量は記録されているので、比較が可能になったわけです。 fire ballだからとて、火に近づけてはなりません。暖炉の火を見つめながらウイスキーをすすっていると、瞑想の世界に引き込まれます。意識ははっきりしていても、あっと言う間に時間が過ぎ、脳内がデトックスされる気がします。
科学的に製造年代を調べる方法がなかった時代では、公正な申告をすることが当然とされていた慣例を利用(悪用?)して、ラベルと内容が異なる、いわば偽の表示をしてしまったのですね。コンプライアンスに触れることはもちろんですし、販売者の倫理観、互いを信頼し合う自己申告の美徳、イギリス紳士としてのたしなみなどが問われる大事件である筈ですが、実際に樽を記録管理している職人さんたちは、販売時の自己申告には関与していないでしょうから、彼らに罪は無いと思います。でも、彼らが真実を告発できなかった理由は何なのでしょうね。ウイスキーの世界には、科学で解明できないこと以外にも未知の部分があるようです。 以上、ウイスキー文化のツッコミどころを述べてみました。今回でウイスキーのお話は一旦終了としますが、意外なエピソードがたくさん転がっている世界なので、小出しにしていこうと思います。
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。