軒並みパブがクローズしているロンドンから、愛しのパブへオマージュ! 歴史パブの宝庫でもあるシティの西側で働く20代の同僚、James とMickの会話を通して、イギリス人にとってパブとは? などの考察も含めてパブの有難さをお伝えします。時代はアフターコロナ‥‥
James「おい、久しぶりにパブのハシゴでもしようぜ」
Mick「おっ、いいね。どこ行く?」
J「おれ、あそこ行きたい。コックピット。St Andrew’s Hillの」
M「あぁ裏で立ち飲みできるところね」
J「そうそう。あそこ好きなんだよね。昔ながらのパブってこの辺少なくなったじゃない? 実はああいうところが一番落ち着く」
M「同じく。歩いて行けるよな」
J「ああ・・・」
J「あそこだ。すげぇ久しぶりだな」
M「おれ最初のラウンドね。何がいい?」
J「ラガーだな。アムステル。裏にいるよ」
M「アムステル2パイント。あれゴードンさん、早いですね。よくここには来るの?」
G「やぁミック、駆けつけ一杯ってやつよ。部長に叱られなかったか?」
M「大丈夫ですよ・・・あれ、こんなにニワトリの置物や絵が多かったかな・・・。ここってCockpitって名前だけど、本当に闘鶏やってたんですかね? 」
G「知らねぇのか? 19世紀の半ばくらいだったかな。お上に禁止されるまでかなり長い間、ここで雄鶏を闘わせてたんだ。血が出るくらいやってな。だから2階に見物用のギャラリーがあるだろ。血走った目の野郎たちがわさわさしてたらしいぞ」
M「へぇ、知らなかったっす。賭けもやってたんですよね」
G「そうだ。古いパブっていうのはな、いろんな歴史があるもんだ。このパブだってきっとシェイクスピアの時代からあったはずだが、残念ながら記録としては残ってない」
M「中でゴードンさんに会ったよ。あの人、違う部署のウワサ話にも詳しいんだよね・・・。パブの歴史にも詳しそうだったけど」
J「ゴードンさんか。歴史に詳しいっていうか、あの人、先祖代々から生粋のロンドンっ子だろ。土地のことには詳しいのさ」
M「ここって本当に闘鶏やってたんだな」
J「そうらしい。シェイクスピアがこのパブのあたりに家を買ったっていう記録もあるらしいぞ」
M「あぁ、だからゴードンさんがシェイクスピアのこと言ってたんだ」
J「次はどこ行く? 」
M「おれはね、こういう静かなパブも好きだけど、ガヤガヤしてるところでも落ち着けるタチなんだ(笑)。交差点のところのブラックフライアーに行こう」
J「いいね。賛成」
M「いっつも思うんだけどさ、この三角形の細いビル、シビれるよね」
J「このへんは新旧の道路が入り乱れてるからな。造成のいろんな都合でこういう形になったんだよ。このパブだって・・・えっといつくらいのパブだっけ?」
M「1875年。このパブが好きすぎて前に調べたことがある。Queen Victoria Streetができてすぐにオープンしたらしいよ」
J「そうそう、19世紀のパブだ。昔、このあたりにいた修道士たちが黒いローブを着てたからBlackfriarって名前になったって聞いたことあるけど、随分昔のことだよな」
M「ドミニコ会の修道僧たちだ。中世だよね。この近くの修道院にいた僧侶っていうのはロンドンの重要事項を扱うからね、他の地域に比べて格が高かったんだ。ま、権力を握ってたわけだな。それでパブは修道僧をモチーフにして装飾されたってわけ」
J「うわー、いつ来ても混んでるね。有名な歴史パブだからきっと旅行者も多いんだろうな。今度はおれの番だな。何にする?」
M「エールで。アドナムスがあるはずだ」
M「サンキュ。やっぱパブはこのくらい混んでないとな。やばい、やっぱこの空気が好きだ」
J「パブってさ、心のふるさとって感じがするよ。人と会うと活性化するし、とにかく酒飲みながら話をするのが楽しい。よその国から来てる人とか見るのも好きだね。外国人ってパブをどう見てるんだろうな?」
M「イギリス人の遊戯場くらいに思ってるんじゃないの?笑」
J「笑 そうだな」
M「さ、次はどこにする?」
J「おれ旨いギネスが飲みたい」
M「なら、あそこだな! Fleet Streetまで戻らないと」
J「ティペラリーも久しぶりだなー。いいアイリッシュ・パブだよな」
M「おれの母方ってアイリッシュって知ってた?」
J「え、そうなの? なんて姓? 」
M「オコーネル」
J「へぇ。どアイリッシュだな。じゃここがロンドンで初めてギネスを売り出したパブだって知ってた?」
M「もち。ここからギネスがイングランドに広まった」
J「そういうことになるか」
M「ギネス買ってくる」
M「お待ち。小腹空いたからナッツも」
J「サンクス! まだアイルランドに親戚とかいるの?」
M「普通にいる。イングランドに移住してる親戚も多いよ。でもどこにいてもアイリッシュ・パブに集合する 笑。このパブのある場所は、13世紀頃は修道院の醸造所だったって聞いたことがある。そのあと、ちょうど18世紀の頭くらいに、ダブリンにあった醸造所が当時ここにあったパブを買い取ってイングランドに進出してきたんだ。それがアイルランド外にできた初アイリッシュ醸造所だったわけ」
J「なるほど。それで我々もこの黒いビールの恩恵に・・・。しかし平日の夜はそれほど混んでないね」
J「こういう人が少ないパブに来ると、ほら、おれたちが生まれるか生まれないかの頃にあったっていうコロナ期って、こんなだったのかなって思う。親にすごく聞かされて育ったからな」
M「あー、コロナ。うちの親も何かあるたびに持ち出してくるよ。あの頃はこれが不便だった、あれができなかった、だからこれくらい我慢しなさいみたいな」
J「うちの親がいつも言うのは、その頃、全国のパブが閉まってた時期があって、本当に耐えられなかったって。何ヵ月も閉まってたらしいよ。パブが開いてないなんて、考えられないよな。パブじゃなきゃ、いったいどこに人が集まるんだ? 」
M「おれも想像したことがある。パブのないイギリス。でも想像できないよ。パブって飲み屋っていうだけじゃなくて、人が交流する場だろ。友達だけじゃなくって、子供も含めて一族集合みたいなのもやるじゃん? 会社の寄り合いとかにも使うし。最初のデートにも使うだろ」
J「そうだよな。パブがないと、どうするんだろう」
M「あの頃は、人の家に行くのも禁止されてたらしいよ。こっちもオドロキだけど」
J「ちょっと想像できんな。人ってさ、会って話してなんぼじゃね? そうじゃないと人間やってる意味がない」
M「そうだよな。ウイルスよりも孤独から来るストレスでやられた人も多かったらしい。おれらより前の世代って少し弱い人が多いと感じる」
J「政府は心理面の対策はやらなかったのかな?」
M「あの頃はウイルスしか見てなかったのさ」
J「今じゃどこにいてもモニターがあって話ができるけど、人が肉体を持って会うパブの意義っていうのは、何百年も前から変わらないものだな」
M「全然違うよ。ホログラム開発してる会社もあるみたいだけど、ホログラム相手に話すってなんか哀しい」
J「しょせんはマボロシか・・・」
M「実際に人と会うことは、一種のレメディなんじゃないかな。会うことによって癒される。ワクチンより有効だとおれは思うぜ」
J「最新科学だな。そういう医学論文、読んだことある」
M「てことはだ、実際に会って話してるおれらって、生きたレメディ同士だな 笑」
J「haha、そうかも。チアーズ!」
M「チアーズ!」
James「おい、久しぶりにパブのハシゴでもしようぜ」
Mick「おっ、いいね。どこ行く?」
J「おれ、あそこ行きたい。コックピット。St Andrew’s Hillの」
M「あぁ裏で立ち飲みできるところね」
J「そうそう。あそこ好きなんだよね。昔ながらのパブってこの辺少なくなったじゃない? 実はああいうところが一番落ち着く」
M「同じく。歩いて行けるよな」
J「ああ・・・」
J「ラガーだな。アムステル。裏にいるよ」
G「やぁミック、駆けつけ一杯ってやつよ。部長に叱られなかったか?」
M「大丈夫ですよ・・・あれ、こんなにニワトリの置物や絵が多かったかな・・・。ここってCockpitって名前だけど、本当に闘鶏やってたんですかね? 」
M「へぇ、知らなかったっす。賭けもやってたんですよね」
G「そうだ。古いパブっていうのはな、いろんな歴史があるもんだ。このパブだってきっとシェイクスピアの時代からあったはずだが、残念ながら記録としては残ってない」
J「ゴードンさんか。歴史に詳しいっていうか、あの人、先祖代々から生粋のロンドンっ子だろ。土地のことには詳しいのさ」
M「ここって本当に闘鶏やってたんだな」
J「そうらしい。シェイクスピアがこのパブのあたりに家を買ったっていう記録もあるらしいぞ」
M「あぁ、だからゴードンさんがシェイクスピアのこと言ってたんだ」
J「次はどこ行く? 」
M「おれはね、こういう静かなパブも好きだけど、ガヤガヤしてるところでも落ち着けるタチなんだ(笑)。交差点のところのブラックフライアーに行こう」
J「いいね。賛成」
J「このへんは新旧の道路が入り乱れてるからな。造成のいろんな都合でこういう形になったんだよ。このパブだって・・・えっといつくらいのパブだっけ?」
M「1875年。このパブが好きすぎて前に調べたことがある。Queen Victoria Streetができてすぐにオープンしたらしいよ」
J「そうそう、19世紀のパブだ。昔、このあたりにいた修道士たちが黒いローブを着てたからBlackfriarって名前になったって聞いたことあるけど、随分昔のことだよな」
M「ドミニコ会の修道僧たちだ。中世だよね。この近くの修道院にいた僧侶っていうのはロンドンの重要事項を扱うからね、他の地域に比べて格が高かったんだ。ま、権力を握ってたわけだな。それでパブは修道僧をモチーフにして装飾されたってわけ」
M「エールで。アドナムスがあるはずだ」
J「パブってさ、心のふるさとって感じがするよ。人と会うと活性化するし、とにかく酒飲みながら話をするのが楽しい。よその国から来てる人とか見るのも好きだね。外国人ってパブをどう見てるんだろうな?」
M「イギリス人の遊戯場くらいに思ってるんじゃないの?笑」
J「笑 そうだな」
M「さ、次はどこにする?」
J「おれ旨いギネスが飲みたい」
M「なら、あそこだな! Fleet Streetまで戻らないと」
M「おれの母方ってアイリッシュって知ってた?」
J「え、そうなの? なんて姓? 」
M「オコーネル」
J「へぇ。どアイリッシュだな。じゃここがロンドンで初めてギネスを売り出したパブだって知ってた?」
M「もち。ここからギネスがイングランドに広まった」
J「そういうことになるか」
M「ギネス買ってくる」
J「サンクス! まだアイルランドに親戚とかいるの?」
M「普通にいる。イングランドに移住してる親戚も多いよ。でもどこにいてもアイリッシュ・パブに集合する 笑。このパブのある場所は、13世紀頃は修道院の醸造所だったって聞いたことがある。そのあと、ちょうど18世紀の頭くらいに、ダブリンにあった醸造所が当時ここにあったパブを買い取ってイングランドに進出してきたんだ。それがアイルランド外にできた初アイリッシュ醸造所だったわけ」
J「なるほど。それで我々もこの黒いビールの恩恵に・・・。しかし平日の夜はそれほど混んでないね」
M「あー、コロナ。うちの親も何かあるたびに持ち出してくるよ。あの頃はこれが不便だった、あれができなかった、だからこれくらい我慢しなさいみたいな」
J「うちの親がいつも言うのは、その頃、全国のパブが閉まってた時期があって、本当に耐えられなかったって。何ヵ月も閉まってたらしいよ。パブが開いてないなんて、考えられないよな。パブじゃなきゃ、いったいどこに人が集まるんだ? 」
M「おれも想像したことがある。パブのないイギリス。でも想像できないよ。パブって飲み屋っていうだけじゃなくて、人が交流する場だろ。友達だけじゃなくって、子供も含めて一族集合みたいなのもやるじゃん? 会社の寄り合いとかにも使うし。最初のデートにも使うだろ」
J「そうだよな。パブがないと、どうするんだろう」
M「あの頃は、人の家に行くのも禁止されてたらしいよ。こっちもオドロキだけど」
J「ちょっと想像できんな。人ってさ、会って話してなんぼじゃね? そうじゃないと人間やってる意味がない」
M「そうだよな。ウイルスよりも孤独から来るストレスでやられた人も多かったらしい。おれらより前の世代って少し弱い人が多いと感じる」
J「政府は心理面の対策はやらなかったのかな?」
M「あの頃はウイルスしか見てなかったのさ」
J「今じゃどこにいてもモニターがあって話ができるけど、人が肉体を持って会うパブの意義っていうのは、何百年も前から変わらないものだな」
M「全然違うよ。ホログラム開発してる会社もあるみたいだけど、ホログラム相手に話すってなんか哀しい」
J「しょせんはマボロシか・・・」
M「実際に人と会うことは、一種のレメディなんじゃないかな。会うことによって癒される。ワクチンより有効だとおれは思うぜ」
J「最新科学だな。そういう医学論文、読んだことある」
M「てことはだ、実際に会って話してるおれらって、生きたレメディ同士だな 笑」
J「haha、そうかも。チアーズ!」
M「チアーズ!」
The Cockpit
https://londonist.com/pubs/the-cockpit
The Blackfriar
https://www.nicholsonspubs.co.uk/restaurants/london/theblackfriarblackfriarslondon
The Tipperary
http://www.thetipperarypub.com
江國まゆ
ロンドンを拠点にするライター、編集者。東京の出版社勤務を経て1998年渡英。英系広告代理店にて主に日本語翻訳媒体の編集・コピーライティングに9年携わった後、2009年からフリーランス。趣味の食べ歩きブログが人気となり『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房)を出版。2014年にロンドン・イギリス情報を発信するウェブマガジン「あぶそる〜とロンドン」を創刊し、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむかたわら、オルタナティブな生活について模索する日々。