聖なるヤドリギを仰ぐ 人類もまた寄生種 | BRITISH MADE

Little Tales of British Life 聖なるヤドリギを仰ぐ 人類もまた寄生種

2021.06.01

1980年代にロンドンで商社マンだった頃のこと。クリスマスイブの朝に出勤すると、前日の退勤時にはなかった筈のヤドリギ(mistletoe:ミスルトゥ)が、天井の照明からぶら下がっています。ヤドリギもクリスマス・デコレーションとしては重要なアイテムなのですが、「ああ、これはひと悶着起こりそうだな」と予感しました。案の定、当方のすぐ後に出勤してきたイギリス人の女性職員がヤドリギを見るなり、舌打ちをしました。「たぶん、これを飾ったのはアナタじゃないわよね」と、やや立腹した様子。彼女も当方も、職員の誰が飾ったのかは判っていました。ヤドリギに手が届く当方は、「取って捨てようか」とオファーしましたが、彼女は言いました。「応じなければいいことだから、別にいいわ」

1992年に話題となったイエローページのテレビCMです。この子供たちの関係は判りませんが、微笑ましい場面が人気でした。この時代のイエローぺージのCMはどれも楽しいので、今でも語り継がれています。

洒落にならないヤドリギの下

クリスマス前日ですから、シティの事務所に出勤しても、誰も仕事はほとんどしません。朝10時か11時ごろからワインやシャンパンで乾杯して、社員は昼までに帰宅することが慣例となっていました。コロナ禍以前であれば、その慣例を残す企業は少なくなかったでしょう。クリスマス前の乾杯の慣例は皆に歓迎されることですが、問題はkissing under Mistletoe、つまり、「ヤドリギの下で女性に自由にキス」をしてもいいという習慣を、しつこく強要する男性が、どの会社にも必ず(?)存在することでした。キスされるのが嫌な女性がいる一方で、全然キスしてもらえない女性もいるので、妙な差別を認識する場でもありました。昨今の企業文化では民主的な対応が根付いていて、少なくとも、拙息子の会社や現代の妻の職場では、クリスマス前にわざわざヤドリギを天井からかざすことはないとのことです。

ヤドリギ 住宅街を歩いていて、クリスマス・リースではない飾りに気づきました。じっくり見てみると生のヤドリギでした。

パラサイトなゴールデン・ボウ

さて、当方はkissing under Mistletoeの習慣はなぜ生じたのだろうかと、久しく考えてきました。そして、イギリスで司祭や牧師に質問しても、彼らは笑うだけで、誰も正確な起源を知りませんでした。たぶん、俗説から来た習慣なので、キリスト教の教義や聖職者には無関係なのですね。

宿木(ヤドリギ)という漢語には寄生というニュアンスが含まれているので、中国では古くから生物学的に認識していたことが分かります。日本でも、ホヤとかホヨという固有語が漢語以前から使われていて、真冬でも瑞々しいヤドリギを稲穂のホのように霊力のこもった枝(ヨ)や矢(ヤ)として、且つ呪力を備えた植物として神聖視されていたという故事や記録が残されています。しかし、中国と日本の文献を眺めてもkissing under mistletoeの謎が解けるはずはありません。

そこで、英語でmistletoeの文献を探っていくと、The Golden Bough「金枝篇」という分厚い本を見つけました。イギリスの社会人類学者ジェームズ・G・フレイザーによって1890年に初版が上梓されました。1936年までに13巻が出版されています。人間とヤドリギとの様々な関係を通して、人類の考え方の起源や、原初的な原理を見極めたいというフレイザーの想いと目的から、この本は著されています。本書を読み進めると原始、古代,近世、そして現代など、それぞれの時空とのつながりを知ることになるので、歴史と科学との往還を楽しんでいるような気分になり、不朽の名作と言われるゆえんが判った気がします。

ヤドリギ 金糸とはよく言ったもので、枝に絡まる糸のように見えなくもありません。

神々しくパワフルなヤドリギ

金枝篇というタイトルは、セイヨウ・ヤドリギが、切り取られてからしばらくすると金粉を吹いたような色になるからと言われています。その金色が神々しさへと繋がり、ヤドリギが神聖視されていくことになります。そして、そのヤドリギ自体が寄主(ブナやナラの木の枝)に絡まる糸のような姿なので、金糸という表現が導き出されたのだろうと考えられます。

また、夏目漱石が小説「坊ちゃん」の中で述べているJ.M.W.Turnerの絵画が「金枝篇」というタイトルであることに気づかれた方もいらっしゃるかもしれません。この絵画はトロイヤの神話で、画中の女性アイエーエスがあの世の亡父に会いに行く直前の場面です。彼女は「あの世からこの世に戻るために、黄金の枝を持て」と女神に教示されます。その黄金の枝とは、オークの木に寄生するヤドリギのことで、生命エネルギーの再生を可能にする呪木なのです。著者フレイザーの言葉を端的に言えば、ヤドリギには生命力の根源、象徴としての太陽光、再生復活の呪力等々さまざまなエネルギーの観念の連鎖が絡み合っているとのことです。

ターナー ターナーの「金枝篇」画の左側で左腕を上げている女性がアイエーエス。彼女が命を賭けて亡き父に会いに行くほどの用事はなんだったのか。

フレイザーの文献にはないkissing under mistletoe

学者フレイザーは、北欧神話で登場する光と善の神バルドルの死の話によって、ヤドリギが神聖視される背景を説いています。多神教の北欧神話によると、神々はバルドルの命を守るために、地上に存在するあらゆるモノどもに、バルドルを傷つけないようにと誓いを立てさせました。しかし、なぜかヤドリギだけが、その誓いを立てる機会を与えられませんでした。そんな状況で、バルドルを妬むロキという神は、盲目の神をだましてヤドリギの矢を射させます。その矢はバルドルの身体を貫きます。そして、光の神の死によって世界は暗い終末を迎えます。ところが、神話は急展開します。やがて新しい太陽が昇り、世界を復活させ人類が誕生するという神話です。なにやら天照大神の天岩戸神話を彷彿とさせる内容ですね。 ともあれ、この神話から、フレイザーはバルドルの命がヤドリギの中にあったという(隠喩的な)示唆を見出し、同時にヤドリギがバルドルを死に至らしめる武器になったという結論を導いています。この結論は、エジプトのミイラや、浦島太郎の玉手箱の物語のように、トーテミズムの外魂思想(魂を肉体の外に保存し、復活の機会を待つという考え方)と適合する理論なのだそうです。

フレイザーによって、ヤドリギにまつわる文献や、ヤドリギが神聖視される説は欧州中から数多(あまた)紹介されています。それらの話と前述のトロイヤ神話や北欧神話の中で共通しているのは、ヤドリギの再生復活の呪力です。つまり、ヤドリギは洋の東西を問わず、神聖視されるべきものとして、古代から注目されてきたのです。そして、長い期間に渡って神聖視されたことによって、その内容も変質していきます。クリスマス・デコレーションのひとつとなり、家族や隣人への愛を誓う象徴へとつながり、やがて、愛を交換する象徴としてのkissing under mistletoeへと関係してきたのかもしれません。ただし、フレイザーの文献には、キスとヤドリギとの関係は載っていません。

真実の愛さえあれば、どんな植物の下でキスしてもいいのではないでしょうか。

神聖視されるもうひとつの理由

ロンドンで、冬の公園を歩いていると、たくさんのヤドリギを見つけます。その光景は枯れて死んだようなオークなどの広葉樹に、青々として元気な姿をしたヤドリギ、というコントラストです。実際のところ、広葉樹は秋になって落葉しただけであって、枯れても無いし、死んでもいませんが、冬の寂しい光景の中に新鮮な緑葉を湛えて元気なヤドリギを見つけると、その部分にだけ活き活きとしたオーラが掛かっているようにも見えるので、生命や活力の象徴として神聖視された理由が伺われます。

ヤドリギ ロンドン西部のブッシ―パークの冬の光景です。ヤドリギが多すぎて有難みが感じられません。

さりとて、神聖な(?)キスという妙な理屈をつけて、唇を尖らせていたあのオジサンたちの姿は前世紀代までにほぼ消滅したと思います。今では、もはやハラスメントに当たるでしょうし、男女同権を推進している社会では話題にすらならないでしょう。

古来より、再生と復活を象徴してきた神聖な呪木であったヤドリギだけに、かつては愛を誓うキスに関しては、精神を浄化し、神聖化する呪力を持ち合わせていたのかもしれません。しかし、コロナ禍以後のキスは、家族内でも感染していない者同士に限るなど、慎重な手続きと科学的な対応が求められています。今後、ヤドリギの下には、つい立てと発熱計測器と消毒スプレーが置かれるのでしょうか。

次いでながら、フレイザー繋がりでお伝えします。来る6月4日は、イギリス特命全権公使ヒュー・フレイザーの命日(1894年、東京の公使公邸にて逝去)です。墓石のある青山霊園の「南1種イ8側61~63、70~72番」にて、いつでも墓参ができます。また、6月5日土曜日の14:00頃には、イギリスの外交官たちによって墓参と草むしりが行われる予定です。
Photo&Text by M.Kinoshita


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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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