忘れられ行くスローガン「ゆりかごから墓場まで」 日本とイギリスで異なる入院事情 | BRITISH MADE

Little Tales of British Life 忘れられ行くスローガン「ゆりかごから墓場まで」  日本とイギリスで異なる入院事情

2021.08.03

先日、怪我の治療のために日本の病院に手術入院しました。配偶者として外交生活を営む当方の場合、イギリスのNHS(国民健康保険)に所属するために、日本を含む世界のどの赴任地でも、その健康状態はNHSの指導管理下に置かれています。原則として、どんな病気やケガでも本国のイギリスに戻って治療を受けなればなりません。とは言っても、日本とイギリスは1万キロを隔てた遠隔地であるだけでなく、今回はコロナ禍中の対応が困難であり、放置すれば治療困難となる症状ゆえ緊急治療が望まれるうえに、イギリスの医療事情もひっ迫していることや、当方自身が旅行できないほどの症状であったことなど、様々な要因から緊急案件として日本での施術入院が認められるに至りました。そして、その経過には多くの困難を伴いました。

日本とイギリス、どちらの国で手術をするか、緊急を要するにも関わらず、その交渉期間は実に2か月半。おまけに、日本で治療を受けるとしても、イギリス式のルールや施術条件をいくつも課されました。たとえば、日本の病院であれば、1週間の入院を要する手術なのですが、当方に許されたのはday surgery、すなわち日帰り手術です。なぜ、このように日英では異なる条件を課されるのでしょうか? 今回は、日英の入院事情の違いを当方の体験から述べてみたいと思います。

チャーチル首相を打ち破ったアトリー内閣

かつて、イギリスの社会福祉政策は「ゆりかごから墓場まで」と、謳(うた)われたことをご存じの方も多いと思います。これは第二次大戦後のイギリス労働党が掲げたスローガンです。1945年5月にヨーロッパ戦線が終わると、長年の戦禍による厭戦気分からの解放を求めたイギリス国民は、戦後社会の復興を目指して、政府に社会福祉の充実を求めました。保守党のチャーチル首相は第二次大戦をイギリスの勝利に導いたにも関わらず、同年7月の総選挙で このスローガンを掲げる労働党の党首アトリーに敗北します。そして、チャーチル首相は、ポツダム会談の最中に辞職し、アトリー首相にその座を譲ったのです。

ゆりかご 当方が「ゆりかごから墓場まで」というスローガンに出合ったのは、1970年代初めで、中学歴史の授業でした。金持ちも貧者も収入に合わせて公正に払った税金を国が基金にして、国民の誰もが平等な医療サービスが受けられるというのは、社会主義国が生産と分配を管理することに似ている、と思いました。、幸せの分配については、出来ることからやろうということで、社会福祉には前向きなアトリー内閣でした。

その数年後の総選挙で、チャーチル率いる保守党が第二次内閣として政権に返り咲くと、アトリー首相の掲げた社会福祉政策は継続され、「ゆりかごから墓場まで」の体制は政権が変わっても、一応今日まで続いています。その政策のメインとなったのが、イギリス国民全員が無料(財源は税収)で医療サービスを受けられる国民健康保険サービス(NHS)です。 この医療制度の元で、ひとりのイギリス人は生まれた時から亡くなるまで、つまり「ゆりかごから墓場まで」の医療サービスを受けられることになったのです。

教会 生まれてから死ぬまで平等に医療サービスを受けられるなんて、まさに「阿吽の呼吸」だなとも思ったものです。神社仏閣で2頭の狛犬が「あ」と口を開いているのは、「おギャー」と泣く生誕であり、「うん」と口を閉じているのは息が絶えることを示しています。教会も生から死までの全行程に関わる機関ですから、コンセプトは神社仏閣と同じですね。

公正に、平等に治療します

当方は日本人ですが、イギリスでの永住資格を持ち、イギリスで納税者でもあり、イギリス政府の事情で(日本を含む)海外に住んでいるという条件の元、イギリス国外でもイギリス国内の納税者と同様にNHSの医療サービスを受けることが可能なわけです。そして、そのおかげでいくつかの国の医療制度、入院制度を体感・体験することになりました。ロンドンとジュネーブでは救急搬送を経験しましたし、日本、イギリス、スイス、韓国の各国で手術を受け、入院したことがあります。その経験は困難と、ちょっとした恐怖と、理不尽さから生じる苛立ちを伴うものでしたが、同時に各国の医療制度の実情と長短を学ぶことになりました。

医師 病院は教会などの宗教機関に比べて、その歴史は割りと短く、創立も18世紀になってからです。当方が語れるNHSとは、ここ最近の40年間に過ぎませんが、そんな短期間でも多くの変化があります。インド系イギリス人の医師が増えていることはよく知られていますが、彼らももはや第三世代なので、普通のイギリス人と同じ教育を受け、イギリス人と同じ英語を話します。以前は、会話の聞き取りが大変でしたと言っても、差別しているわけではありません。ヒンドゥ語なまりの英語に苦労した人も多かったはずです。

NHSによる公正な医療サービスは、日本人の皆さま方のような、イギリスへのインバウンド旅行者にも適用されます。たとえば、イギリスに旅行中のあなたが痛みを伴う原因不明の発作を起こして、救急車で救急病院に担ぎ込まれたとします。病院では、あなたに至れり尽くせりの治療を施します。症状に合わせてX線撮影や投薬もしますし、入院もさせてくれますし、必要であれば手術もしてくれます。ただし、救急病院として対応するのはNHSだけであって、昨今イギリス国民の間で人気の高まっている私営(プライベート)の病院ではありません。そして、NHSの病院を退院するときにお会計を探そうとしても見つかりません。案内所に尋ねても、「NHSの病院に会計はありません。お帰り下さい」と案内されます。このケースは実際に、2016年ごろに、尿管結石で救急搬送された当方の知人(日本人)が体験したことです。ここ10年間では、同じようなケースであれば、後でインボイス(請求書)が日本の住所に送られてくるようになっている筈とのことですが、まだ実例を耳にしていません。パスポートを見ても、日本の住所はチェックできませんからね。そして、日本と比べて治療費はかなり高額に昇る筈とのこと。

なぜ、異なる条件が課されるのか

NHSのサービスはイギリス国民やイギリス在住者の支払う高額な税金で賄われていますから、納税の義務を果たす者は公正かつ平等なサービスを受ける権利があります。しかし、納税者ではない旅行者にその支出を回すのは、公正とは言えないという議論は、かなり以前から続いていました。その一方で、旅行者の治療はごく少数だから・・・という理由で本格的な議論に上がらない案件でもありました。昨今のイギリスの財政状態を考慮すれば、NHSの対応が旅行者の治療費に寛容ではなくなるなどの変化は無理もありません。ただし、日本の皆さんがイギリスにお出での際には、旅行傷害保険を掛けておられると思いますので、イギリスのNHSの対応が変化しても、その点は心配ないでしょう。

そして、医療サービスの範囲は日本とイギリスとでは概念が異なります。イギリスの医療サービスは治療の中のひとつの目的だけに応じるため、限定的で、且つ画一的なことがあります。たとえば、今回の当方の治療について、日本の病院は、入院期間は6泊7日が必要であり、5か月後のMRIチェック約半年間のリハビリ、9か月間の毎月の定期健診という判断でしたが、NHSが許可したのは日帰り手術と数回のリハビリのみ。日本の医療制度では患者が、安全でかつ快適な状態に回復するまでを一連の治療サービスとする一方で、NHSでは施術というひとつの目的だけに治療サービスの焦点を絞っていて、術後は自己責任、自己裁量という自由主義的な思想の元、患者に対する義務を果たすとNHSは患者を放任します。全身麻酔が切れたら即退院して帰宅、または、予約しておいた近くのホテルのベッドの上で、何の看護も無く、消炎鎮痛剤、抗生剤などの処方薬を自ら管理しながら数日間休むという事例が通常です。患者が完治したかどうか、というチェックはなく、治療方法を特定したら、それだけ済ませて終わり。という考え方です。

すなわち、イギリス国内の患者と同じ扱いを平等に受ける権利がある以上、当方もその扱いをクレーム(当然の権利を要求)できます。つまり、NHSは当方に対して本国に住む一般のイギリス人と同様に、施術サービスのみ許可する(けど、日本のような治療サービスは許可しないよ)というロジックです。

病院の子供 2007年、当方がロンドン南部の病院に1週間入院した時に知り合った女の子を思い出させる画像。入院中は老人との話や子どもとの遊びで暇つぶしをしました。紙に漢字や日本語を書いてあげるだけで喜んでくれました。男女が10名ずつカーテンで仕切られているだけの20名ほどの大部屋なので、いろいろな音や話声が聞こえてきます。90代で末期癌患者の女性が、目を輝かせてエスペラント語を勉強していたことと、その成果を語る彼女の姿が印象的でした。

必然的に身につくロジカル交渉術

これほど理念に忠実で、ロジックを曲げないNHSの姿勢は頼もしくもあります。しかし、「コロナ禍のイギリスに戻って、2週間の隔離期間後は、3か月後か、半年後かのいつになるか分からない手術の順番を待て」という「公正な」指示を、最初の返信メイルで受け取った当方の絶望感は相当なものでした。激痛で夜も眠れず、腕の動かない不便と、スーツケースさえ運べないなど当方の身体的事情や、コロナや緊急性との関連など付帯的状況を述べて、交渉に交渉を重ねて、今回は日本で施術を受ける権利を勝ち得たのです。いえいえ、勝ち負けではありませんね。NHSは敵ではありませんし、彼らも原理原則に基づいただけであって、当方に交渉負けしたとは思っていませんから。 公正と平等の理念に基づいて、NHSは人道主義的な判断をしてくれたと受け取るべきです。 ちなみに、当方は近い将来イギリスに戻り、終生を過ごす予定です。今後も以上のような葛藤と議論の生活が待ち受けています。イギリスは素晴らしい国かもしれませんが…ね。 たとえ英会話能力に自信がなくても、数年間普通に生活していれば、おのずからロジカルなプレゼンテーション能力とディベート力が培われることでしょう。今回もっとも述べたかったことは、そういうことだったかもしれません。

高齢者 イギリスには、品があり、言動にはユーモアと余裕が感じられる高齢者が多い気がします。かなりのお金持ちでもNHS(国民健康保険サービス)を支持すると強く語る人々も多いのですが、NHSの医療体制はコロナ以前からひっ迫していますし、サービスも低下しているので、資産家や高額所得者には、むしろ有料診療の世話になってもらった方がいいような気がします。先に述べたエスペラント語のおばあさんも、とても裕福な人でしたが、「NHSの世話になることが、NHSを支持することになる」とおっしゃっていました。彼女の見舞いに来る家族の全員が美しくて、豊かで、穏やかで、そして、おばあさんをとても大切にしていることが伺われました。

ところで、第二次大戦間もないころのイギリスでは、労働党が政権を取り、世の中全体は社会主義的な方向に向かっていたことを示しているという意味で、歴史的に重要な注目点になる筈ですが、この「ゆりかごから墓場まで」という政治的なスローガンを、40歳代以下の日英両国の人々がともにご存じない事例が増えているように見受けます。単なる記録や記憶ではなく、過去の事実と現代の状況とを結びつけて、どうしてそうなったのかを理解・解釈し、未来に活かすための知恵になれば好いという意味でも、「ゆりかごから墓場まで」は重要なキーワードでもあります。日英の入院事情の違いを経験したことで、このキーワードに触れることになったわけですが、EUの歴史的背景とEUの機能を民衆が知らないがゆえに生じたEU離脱以来、改めて日英の歴史教育に何が起こっているのか、という疑問を抱く機会にもなりました。ちなみに、NHSの医師や看護師さんの献身度は日英どちらも同じです。もちろん、プライベート診療では、医は算術という態度を露骨に示すイギリス人医師も少なくありませんが…。

病院の発展は戦争と無関係には語れません。有名なところでは、クリミア戦争とフローレンス・ナイチンゲールでしょう。彼女は白衣の天使として知られていますが、実際は、傷病者と死亡者との関連性をデータ化し、統計学の基礎を打ち立てたうえで、看護学を創始しました。クリミア戦後のイギリスでは兵士に対する戦後補償や医療補償も社会問題化する一方、政府は統計学に基づいた看護学の重要性に気づかされました。傷病兵をできるだけ無事に生還させることが、結果的に戦費など国庫の支出を抑えることになったのです。

Text by M.Kinoshita


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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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