ロンドン・ブラックフライアズ駅の先
さて、いくつもあるロンドン・ターミナル駅ですが、近年と言っても、1900年代になってからは、最近の日本の鉄道と同様に、乗り入れ線と結合した結果として、正確にはターミナル駅とは言い難い、いわば途中駅兼ターミナル駅とも言える駅も作られていました。たとえば、London Blackfriars(ブラックフライアズ)駅は、ターミナル駅である一方で、その先にもうひとつ駅がありました。Holborn Viaduct(ホルボーン・ヴァイアダクト)という歴史ある駅で、1877年に建造されて以来、旅客や貨物など様々な役割を果たし、1990年に閉鎖されたあとは、セント・ポールズ・テムズリンク駅(現在はテムズリンク駅)へと改称され、今では北に向かう旅客・通勤路線に結合された途中駅として使われています。1980年代にシティの商社マンだった当方は、主にブラックフライアズ駅を通勤の最寄り駅として使っていましたが、通勤時間帯だけは金融街に隣接するセント・ポール寺院と、法曹界に近いテンプルとの間に位置するホルボーン・ヴァイアダクト駅まで乗り入れる列車が運行されていました。そして、ターミナル駅でもあったはずのホルボーン・ヴァイアダクト駅の先、つまり北への延長工事が始まっていました。当時は、セント・ポール大聖堂のすぐ近くまで、その工事の影響が及んでいて、街全体がいつも粉塵にまみれていてホコリ臭い印象でした。 在りし頃のホルボーン・ヴァイアダクトの駅。当方の働く事務所がマンション・ハウスの辺りだったので、ソーホーや中華街に行くときは、ルートマスターの8番か25番に乗り、高架橋を渡って、この駅前を通っていました。かつてはイルフォードからヴィクトリア駅まで走っていた8番のバスは、2000年ごろにルートが二分されて短くなってしまいました。しかし、地元住民の強い希望でチープサイドからヴィクトリアまでの区間は残されています。この8番の旧ルートとすべての停留所名、驚いたことに、ロンドン生まれでロンドン育ちの義母(81歳/2021現在)が全部覚えています。
ちなみに、ヴァイアダクト(Viaduct)とは、ご存じのように高架橋を意味します。しかし、スコットランドのグレナフィン・ヴァイアダクトと比べて見ると、ロンドンのホルボーンのどこにこんな大規模なヴィアダクトがあるのか、と不思議に思えますよね。その画像をお見せするには、次のようなリンクを貼るしかありませんでした。
ホルボーン・ヴァイアダクト(英文)
バービカンからホルボーンまでの谷あい、1kmほどの区間に渡された陸橋です。高架橋と言ってもロンドンの街中ですから、やや低めです。テムズ河に向かって南北に走るファリンドン・ストリートの40番地辺りから北向きにホルボーン高架橋を見上げると、けっこう起伏に富んだ谷あいに立たされていることに気づきます。そして、ロンドンのど真ん中にこんな大きなインフラがあったのだなあと気づかされて、ちょっとした感動を覚えたりします。
最も偉大な英国人が関わったヴァイアダクト
インフラと言えば、イギリスの鉄道を語るうえで、絶対に触れなくてはならない人物がいます。 すでにご存じの方も多いと思いますが、ブルネル親子です。ただし、イギリス人と英語で話す場合、ブルネルの発音にご注意ください。日本国内のどこぞのセミナーで使われている発音では英語圏の人には通じません。発音のグローバルエラーです。国際音声記号では[bru:nél ]と表し、「ne」にストレス・アクセントを置いて発音します。無理くりに日英表記すれば「ブルネl」ですかねぇ・・・。 映画ハリー・ポッターにも登場するスコットランドのグレナフィン・ヴァイアダクトです。ブルネルは関係していませんが、世界の高架橋の代表格です。この光景を見た時は、イギリスに来てよかったと胸がいっぱいになりました。フォートウイリアムからスカイ島に向かうフェリー乗り場のマレーグ港に向かう途中の車窓に飛び込んで来たのです。しかし、マレーグ港からのフェリーは全便欠航でしたので、フォートウイリアムまで引き返さざるを得ず、もう一度この高架橋を眺める機会に恵まれました。1989年の9月だったかなあ。
ともあれ、1806年生まれのブルネルですが、53歳でこの世を去っています。早逝にもかかわらず、その残した功績には目覚ましいものが多いこともあって、2002年にBBCによって発表された「100名の最も偉大な英国人」の中でも、第2位に選ばれたイギリス史上の大人物です。ちなみに、1位はウィンストン・チャーチル元首相で、3位はダイアナ妃です。ブルネルの存在意義がイギリス人にとってどれだけのものであるかが判るような気がします。実際に、イギリス人と話していると「ブルネル」という単語は頻繁に耳にします。意外で革新的なことを為し遂げる人のことをブルネルと隠喩することもあれば、技術者や開発者の象徴という立場であることは150年以上を経てもその存在意義が変わらないようです。
イサムバード(アイザム)・ブルネルは、世界最初に横穴掘削機(シールド・マシン:チューブの語源となった円形のトンネルを横に掘削する機械)を実用化し、1825年にテムズ・トンネルの建造に貢献したマーク・ブルネルの息子さんです。つまり、イサムバード・ブルネルは技術者の息子として生まれ、技術者としての教育を受け、技術者として名を挙げた人物です。
これもブルネルが造ったわけではありませんが、ホルボーン・ヴァイダクトの上です。
そして、イサムバード・ブルネルもヴァイアダクトには大きく関わっています。有名なコーンウォール鉄道ヴァイアダクトの建造も手掛けています。ブルネルの功績の中でも意外だったことは、当方がスイスに住んでいた頃に、ローザンヌで彼の名前が紹介されたモニュメントを見掛けたことでした。ローザンヌとは、谷と谷との間を縦横無尽にヴァイアダクトで繋がれた崖の上の街です。特に夏のローザンヌの街の中を歩いていると爽快な気分になります。同時に、天空の城ラピュタの世界に舞い込んだような、あるいは空中浮遊をしているような、不思議な感覚が湧いて来ます。そして、いくつかの高架橋がブルネルの技術的アドバイスによる恩恵を受けている、という話を在スイスイギリス人会や在ジュネーブ英国商工会議所の人々(イギリス人)から教えられました。 意外なところでイギリス人の功績があるものだなあと思ったり、イギリス嫌いのフランス文化圏の人々が認めるほどの技術的貢献なのだなあ、と感心したりしたものです。ブルネルがフランスで教育を受けたこともロマンド・スイス(フランス系スイス)の人々には好印象を与えているのかもしれません。
スイスのローザンヌです。これもブルネルが造ったわけではありませんが、高架橋の街とはこんな感じです、と皆さまにお伝えしたくて、判りやすい画像を探してみました。美しいローザンヌの街では、この高架橋があることで、谷から谷へと水平移動が可能です
ローザンヌの郷土博物館や高架橋博物館に行くと、ヴィアダクトについて学べます。
迷子のクマが見つかる前のロンドン・パディントン駅
ブルネルが鉄道エンジニアであったことから、橋梁やトンネルなどの土木インフラだけでなく、駅舎などの建造にも直接関わっていたという話をしたいのですが、彼の功績が素晴らしすぎて、つい前置きが長くなってしまいました。そのブルネルは、ロンドンではパディントン駅を手掛けています。彼が関わる理由となったのは、彼が父親の代から手掛けていたグレート・ウエスタン鉄道(以下GWR)のロンドンへの乗り入れ拠点の確保をするため。イギリスの南西部、およびウェールズとロンドンを結ぶ路線のターミナル駅を模索していた時点で、ロンドン・ユーストン駅に乗り入れる予定でしたが、その駅を経営するのは同業他社でした。他の鉄道会社駅を利用することで発生する乗り入れ料などの費用対効果と、将来的な市場原理の動向(リバプール港とブリストル港との間で輸送競合が起こる可能性)から、GWRの独自路線を図る必要性に迫られました。そこで、1838年にロンドン・ターミナル駅としては最も北西側の現在地とほぼ同じ辺りに、ターミナル駅としての営業を開始します。ここで、イギリス南西部の都市がロンドンの北西部の端っこで繋がったわけです。文献では、1838年がパディントン駅の開業日とされています。日本大学の生産工学部の五十畑弘教授が2011年6月号の「土木技術」誌で「ロンドンの鉄道駅」という論文で、以下のような記述を残されています。
パディントン駅:グレート・ウエスタン鉄道の開業は1841年で当初は 仮の駅として開業した。1854年完成の現在の駅は完成当時 三連錬鉄アーチがホーム方向に3か所に1箇所の感覚で 鋳鉄柱によって 支持されていた。20世紀初めに駅舎の拡幅のため4連目のアーチが追加され合計189本の鋳鉄柱は鋼製柱に取り替えられた。しかし、屋根アーチのうち3連は開業当時のものがそのまま使われている。当方、かつてはトンネル工事やダム工事を得意とするゼネコン社員でもありました。海外事業部の管理部門職だったので、技術的な詳しいことは分かりませんが、五十畑先生の記述から、パディントン駅の特殊性を読み取りました。 確かに、パディントン駅に行って天井を見上げてみると、他のロンドン駅とは異なる独特なデザイン性が感じられます。
あいにく、当方のコラムでは、クマのパディントンについて語る予定はありません。
先にブルネルが鉄道のエンジニアであるにもかかわらず、駅舎の建造を手掛けたと述べていますが、パディントン駅はまさにブルネルによるエンジニアリング作品なのです。と言うのも、五十畑先生がおっしゃるように、3連のアーチの大屋根とは、長さ213m、幅790mという広大なものです。しかも、天井はガラス張り。このようなガラス張りの大建造物は当時の建築技術の常識からは考えられなかったものです。このガラス張り天井、実は最初に発想したのは、これまたエンジニアリングとは無縁の造園家パクストンという人物です。パクストンは1851年のロンドン万博に向けて、30万枚のガラスを張った大温室クリスタルパレスのデザインを考案していました。そして、この大温室の設計に対して技術力で応え、その実現に貢献したのがブルネルです。頑丈で重たい特殊ガラスを支える枠組みはブルネルの考案でした。つまり、錬鉄や鋳鉄などの強靭な材料を、ガラスの枠組みとして使っているのです。それは、鋼鉄の使い方を熟知している鉄道エンジニアリングの専門家でなければ、発想しえなかった方法です。そして、この技術はパディントン駅に先立って、万博のクリスタルパレスを完成させました。巨大なガラス張りの構造物は世の中を驚かせたばかりではなく、パディントン駅の外観を今も支えています。まさに、パディントン駅構内で(フィクションの)クマがうろつく以前のお話です。
ロンドン・パディントン駅です。GWRはグレート・ウエスタン・レイルウェイです。天井は造園家パクストンのアイディアをヒントに、ブルネルがデザインし、実現した建造物。もはや芸術作品と言えるでしょう。鉄っちゃん、垂涎の一コマでしょうか。
さて、今回はここまで。他の駅や鉄道の話でも、ときどきブルネルが登場します。「ブルネル」…正しい発音は何でしたか? 発音検索でお確かめを。イギリスの偉大な人物の正しい名前を覚えてくだされば幸いです。
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。