2022年がスタートして早ひと月。ロンドンの睦月はことのほか晴れの日が多く、通常であれば暗いこの時期に落ち込みがちなロンドナーたちも、若干明るい年のスタートを切ることになった。最近は春めいた空気さえ漂い始めて……ここ数年のイギリスでは珍しい年初めとなっている。
時事的な状況というと、ご存知のようにボリス・ジョンソン内閣のパーティー疑惑で、イギリスのメディアは連日の大騒ぎ。厳しいコロナ規制下にあって、政府関係者だけが秘密のパーティー? 本来なら「そいつはけしからん!」と腹を立てるべきかもしれないのだが、これが個人的にはどう転んでも座ってみても、ただ含み笑いがこぼれでるばかり……。もっともこのニュースで傷ついたかもしれない無数の善良な市民の皆さんの気持ちを逆撫でする気は毛頭ないのだけれど、この不祥事が示唆することはたくさんある気がしてならないのだ。
同じようなことが、1年半前にもあった。首相の上級顧問だったドミニク・カミングス氏の不祥事だ。あのときもボリス本人は随分と柔らかく受け止めていたっけ。不要不急の外出は禁じられたけれど、自分の子どもを遠い親戚に預けるために遠出をすることは許されているのだと、首相自らが教えてくれた。個人的にカミングス氏の行動にさほど違和感は感じなかったのだが、「特権階級が好き放題に振る舞っている」と捉えた国民の反発は凄まじくて、私は一人、世論から取り残されることになった。
規制下における首相官邸でのクリスマス・パーティーや誕生日パーティー。パーティー好きなイギリス人だもの、そういうこともあるよねと個人的には思うのだが、今回は本音と建前を使い分け損ねた政府の……というよりも首相自身の詰めの甘さが露呈してしまった格好なのではないか。詰まるところ「パーティーをしたい」気持ちを優先する方が、よほど人間的かつ合理的で、人は幸福になれるのではないかと思うし、イギリス政府は自らそれを実践していたのである。
パンデミック下における政府の一連の行動を見ていて思うのだが、すでにカミングス氏の行動が首相によって擁護された時点で、「合理的な理由って個人それぞれで、柔軟に受け止めればいいんだなぁ」と自分に照らし合わせ、都合よく捉えればそれでよかったのではないかと感じている。仮に規制ルールに抵触する行動をとって当局による査察が入ろうとも「これは自分にとって合理的な理由なのだ」と主張できれば、それで許されることも多かったはずなのだ。「だってカミングスさんを見てみてよ。許されてるでしょ?」と。
例えば昨年末はクリスマス前にオミクロン株が華々しく登場し、イギリス政府は「こういう状況なので、クリスマスだからと言って気を抜かないでね。クリスマス後に規制を強めちゃう可能性があるけれど、今のところ各自それぞれで自粛しつつクリスマスを楽しんでね」と国民に通達した。ご丁寧にも政府の御用達新聞とでもいうべきザ・タイムズでは、「クリスマス後にロックダウンの強い可能性」について“リーク”し、国民の気を引き締める役割を果たした。
しかしながら案の定、クリスマス後に規制が強まる気配はなく、そのタイムズの情報もガセ。この原稿を書いている1月末の段階で規制は一段階引き下げられ、マスク着用も法的拘束力はなくなり、世の中はあたかもアフターコロナの様相を呈しつつある……。
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そんなこんなの政府クリスマス・パーティー・スキャンダルが世を賑わせ始めた、昨年12月。
私はウェストミンスターの国会議事堂前で行われたコロナ規制に反対するデモに参加してきた。正午に集合し、13時からデモ行進というスケジュールで、数千人が集合したと伝えられている。
基本的にコロナパスポート導入やワクチンの義務化に反対するためのデモなのだが、実質的にこれらについてイギリス政府は義務化も強要も“していない” ので、本当のところ、実はまだ何も起こっていない。むしろボリスは率先して国民に「自由でいること」を示唆しているような気がしてならないのだが……。
デモそのものは、私の目には未来に起こりうるディストピアへのアンチを唱える人たちが集まる集会のように映った。アンチ・コロナ規制というよりも、人権を守るための集会だ。
集まった人々を観察すると、主要な構成層はホワイトカラーの中間層。労働者の権利要求デモというよりも、成熟した空気をまとった大人が多い。おしゃれな服装をした若い世代も多く、スマイルマークを掲げているのは、ごく若い人たちのはずだ。
プラカードで特に目についたのは、「My body My Choice」(自分の体のことは自分で選択させろ)「No Mandates」(義務化するな)「Medical Freedom」(医療に自由を)など、医療ファシズムに対する警告。これは至極納得できる主張であり、私自身、この立場に立つ者である。
折しも国民医療制度(NHS)で運営される病院職員たちへのワクチン接種義務化を導入した直後で、思いのほかNHS病院職員の参加も多かった。(健康上の理由で接種できない人は受けなくても良いという条件がある“義務化”なので、こちらも完全な強制力を発揮するものではない。)
イギリス政府のやり方で特徴的なのは(他の政府のやり方は知らないけれど)、「xxしなさい」というとき、それを無効化する救助項目をちゃんと用意していることだ。例えばマスク着用が義務化されていた期間も、義務化を推奨する政府のウェブページを最後まできちんと読めば「でも一身上の理由で着けられない場合はつけなくてよいし、それを証明するものを携帯する必要もないよ」と一言書かれていた。こういった権利は、生活のあらゆる場面で自ら見つけることが可能だ。
日々の生活の中で個人的に感じているのは、「ワクチンパスポートを導入し、ワクチン接種を強要することが非常に馬鹿げている」と言う認識を多くの人が共有しているということだ。 そして、それは間違いなくボリス・ジョンソン首相本人が「やりたくもない」と思っているはずだと私は直感している。
上の写真でもうたわれているように、「Choose love over fear(恐れではなく愛を)」という精神が、今後のアフターコロナを生きていく上での鍵になるのではないかと思う。恐れにより自らの魂を狭めたりすることなく、より軽やかに、自由に2022年を謳歌したいものである。
コロナウイルスのパンデミックで多くの人命が失われたことに対して、深い追悼の意を表したい。身近な方々を亡くされた皆さんにも、心からのお悔やみを申し上げたいと思う。このパンデミックを機に、人類の免疫機能、何よりメンタリティーに何らかの進歩がもたらされたことを信じて疑わない。
晴れの日が多い1月でした。
さて、旅もままならないご時世になってしまっているけれど、日本にお住いの皆さんはいかがお過ごしだろうか。今回は時事的なことも含め、私自身の感じているイギリスの社会的な状況についてパンデミックに絡めてちょっとお話してみたいと思う。時事的な状況というと、ご存知のようにボリス・ジョンソン内閣のパーティー疑惑で、イギリスのメディアは連日の大騒ぎ。厳しいコロナ規制下にあって、政府関係者だけが秘密のパーティー? 本来なら「そいつはけしからん!」と腹を立てるべきかもしれないのだが、これが個人的にはどう転んでも座ってみても、ただ含み笑いがこぼれでるばかり……。もっともこのニュースで傷ついたかもしれない無数の善良な市民の皆さんの気持ちを逆撫でする気は毛頭ないのだけれど、この不祥事が示唆することはたくさんある気がしてならないのだ。
同じようなことが、1年半前にもあった。首相の上級顧問だったドミニク・カミングス氏の不祥事だ。あのときもボリス本人は随分と柔らかく受け止めていたっけ。不要不急の外出は禁じられたけれど、自分の子どもを遠い親戚に預けるために遠出をすることは許されているのだと、首相自らが教えてくれた。個人的にカミングス氏の行動にさほど違和感は感じなかったのだが、「特権階級が好き放題に振る舞っている」と捉えた国民の反発は凄まじくて、私は一人、世論から取り残されることになった。
規制下における首相官邸でのクリスマス・パーティーや誕生日パーティー。パーティー好きなイギリス人だもの、そういうこともあるよねと個人的には思うのだが、今回は本音と建前を使い分け損ねた政府の……というよりも首相自身の詰めの甘さが露呈してしまった格好なのではないか。詰まるところ「パーティーをしたい」気持ちを優先する方が、よほど人間的かつ合理的で、人は幸福になれるのではないかと思うし、イギリス政府は自らそれを実践していたのである。
パンデミック下における政府の一連の行動を見ていて思うのだが、すでにカミングス氏の行動が首相によって擁護された時点で、「合理的な理由って個人それぞれで、柔軟に受け止めればいいんだなぁ」と自分に照らし合わせ、都合よく捉えればそれでよかったのではないかと感じている。仮に規制ルールに抵触する行動をとって当局による査察が入ろうとも「これは自分にとって合理的な理由なのだ」と主張できれば、それで許されることも多かったはずなのだ。「だってカミングスさんを見てみてよ。許されてるでしょ?」と。
街角の花屋さんもすっかり春色に。
考えてもみてほしい。政府こそが最も“正しい”コロナウイルス情報やデータを集積している中枢機関であることは間違いないのだから、政府のやっていることを見れば、私たちがどういう行動を取ればいいのか、取っても問題がないのか、自ずとわかるというもの。今回のパーティー疑惑の露呈には、何か真相のようなものが見え隠れしている気がしてならない。例えば昨年末はクリスマス前にオミクロン株が華々しく登場し、イギリス政府は「こういう状況なので、クリスマスだからと言って気を抜かないでね。クリスマス後に規制を強めちゃう可能性があるけれど、今のところ各自それぞれで自粛しつつクリスマスを楽しんでね」と国民に通達した。ご丁寧にも政府の御用達新聞とでもいうべきザ・タイムズでは、「クリスマス後にロックダウンの強い可能性」について“リーク”し、国民の気を引き締める役割を果たした。
しかしながら案の定、クリスマス後に規制が強まる気配はなく、そのタイムズの情報もガセ。この原稿を書いている1月末の段階で規制は一段階引き下げられ、マスク着用も法的拘束力はなくなり、世の中はあたかもアフターコロナの様相を呈しつつある……。
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そんなこんなの政府クリスマス・パーティー・スキャンダルが世を賑わせ始めた、昨年12月。
私はウェストミンスターの国会議事堂前で行われたコロナ規制に反対するデモに参加してきた。正午に集合し、13時からデモ行進というスケジュールで、数千人が集合したと伝えられている。
ウェストミンスターの地下鉄駅の改札付近では警察のお出迎え。なぜか武者震いが(笑
地上に出ると仲間と落ち合おうとしている人たちがいっぱい。
騎馬警察も出動中です。お疲れサマー。
集合場所はParliament Square。ちょうどウェストミンスター・ブリッジの西側、ウィンストン・チャーチルとマハトマ・ガンジーの彫像が見下ろすちょっとした広場。
この写真の女性、かっこよかったなぁ。
デモの主旨はこうだ。パンデミックを言い訳として、国民に選択肢を与えない強制力を発揮するような政府になることは許さないと。基本的にコロナパスポート導入やワクチンの義務化に反対するためのデモなのだが、実質的にこれらについてイギリス政府は義務化も強要も“していない” ので、本当のところ、実はまだ何も起こっていない。むしろボリスは率先して国民に「自由でいること」を示唆しているような気がしてならないのだが……。
デモそのものは、私の目には未来に起こりうるディストピアへのアンチを唱える人たちが集まる集会のように映った。アンチ・コロナ規制というよりも、人権を守るための集会だ。
集まった人々を観察すると、主要な構成層はホワイトカラーの中間層。労働者の権利要求デモというよりも、成熟した空気をまとった大人が多い。おしゃれな服装をした若い世代も多く、スマイルマークを掲げているのは、ごく若い人たちのはずだ。
折しも国民医療制度(NHS)で運営される病院職員たちへのワクチン接種義務化を導入した直後で、思いのほかNHS病院職員の参加も多かった。(健康上の理由で接種できない人は受けなくても良いという条件がある“義務化”なので、こちらも完全な強制力を発揮するものではない。)
日々の生活の中で個人的に感じているのは、「ワクチンパスポートを導入し、ワクチン接種を強要することが非常に馬鹿げている」と言う認識を多くの人が共有しているということだ。 そして、それは間違いなくボリス・ジョンソン首相本人が「やりたくもない」と思っているはずだと私は直感している。
コロナウイルスのパンデミックで多くの人命が失われたことに対して、深い追悼の意を表したい。身近な方々を亡くされた皆さんにも、心からのお悔やみを申し上げたいと思う。このパンデミックを機に、人類の免疫機能、何よりメンタリティーに何らかの進歩がもたらされたことを信じて疑わない。
江國まゆ
ロンドンを拠点にするライター、編集者。東京の出版社勤務を経て1998年渡英。英系広告代理店にて主に日本語翻訳媒体の編集・コピーライティングに9年携わった後、2009年からフリーランス。趣味の食べ歩きブログが人気となり『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房)を出版。2014年にロンドン・イギリス情報を発信するウェブマガジン「あぶそる〜とロンドン」を創刊し、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむかたわら、オルタナティブな生活について模索する日々。