有名な魔法使い学校の物語の原作者は、キングスクロス駅とユーストン駅とを間違えていたのではないか? ということは、一般的によく語られていることだと思いますが、原作者に限らず、誰がそんな間違いをしても、まあ仕方ないなあと思います。なぜなら、キングスクロス・セントパンクラス駅というややこしい名前の地下鉄駅があることで「私は今どこにいるの?」と混乱する人はいますし、当方自身も、これら3駅を間違えたことが何度かあるからです。 駅に着いて、初めて「あれ、なんか違うな」と気づいて、慌てて正しい駅に向かうという経験は、北イングランドに出張する際、商社マンや航空マンの時代に何度かありました。 しかも、ユーストン駅、セントパンクラス駅、そして、キングスクロス駅の3駅は徒歩10分以内の距離にあります。
ただ、不思議なのは、あの物語を編集する段階で、なぜ校正作家は正しい駅を指摘しなかったのだろうか?…ということ。 おそらく、フィクションなので事実とは多少異なっていても無問題と判断されたのでしょう。 また、映画でも、セントパンクラスの駅舎が現れることはあっても、キングスクロス駅の全体像は登場していないと思います。もし、お確かめになりたければ、映画『秘密の部屋』編をご覧ください。
さて、イギリス国内のどの方角に出向くかによって、ロンドンのターミナル駅が異なるわけです。ロンドン・ユーストン駅と言えば、WCML線(ウエスト・コースト・メイン・ライン)で繋がるバーミンガムのあるウエスト・ミッドランズ、北西イングランド、北ウェールズ、ランカシャー、そしてスコットランドの西側、グラスゴーのあるハイランド地方へのターミナル駅。 ロンドン・セントパンクラス駅は、ミッドランド線で繋がるレスター、ダービー、ノッティンガム、シェフィールド、リーズなどイングランド中東部だけでなく、欧州大陸へと南下するユーロスターの発着する国際ターミナル駅としての役割を担ったターミナル駅です。 そして、キングズとは呼ばず、なぜかキングスと称されるロンドン・キングスクロス駅から、北イングランドのヨークやスコットランドの東側エジンバラ(アバディーン)などイギリスの東側の海岸線も走るので、ECML線(イースト・コースト・メイン・ライン)と命名されています。
撮影上の都合でロケ地に多様性が生じるのはよくあることですが、 原作者がただ単に駅の外観を間違えただけだとしたら、キングスクロス駅から向かう場所はスコットランドであったであろうと思われます。 もちろん、これは無用の議論です。何しろ、ホグワーツは存在しません。それでも、原作者の意図やイメージを物語から知ることができますし、我々読者は自由に妄想する楽しみに触れられます。 映画に登場するホグワーツエクスプレスの軌道から察するに、ホグワーツはスコットランドの心象風景の中に存在する、というのが、当方の妄想する結論です。皆さまはどのように想像を膨らませるのでしょうか。
イギリスでは、古いものでも何でも長持ちさせる伝統が今でも残っていますが、その頃の地下鉄インフラもご多聞に漏れず、リフト(エレベーター)でもエスカレーターでも、製造から何十年も経った機材を使っていました。イギリス式簿価(機械の価値)では減価償却が進まないというイギリスらしさを感じさせる一方で、効率の上がらない不便さや危険を伴う側面を指摘する人達も少なくありませんでした。「まだまだ使える」けど、実際はかなり老朽化していただけでなく、安全基準もかなり寛容(いい加減?)だったのです。 たとえば、当時の多くのエスカレーターの床面は、まだ木製でした。 エスカレーターで人が立つ溝付きのステップ部分が木で出来ていたのです。しかも、地下鉄内には喫煙者も多くて、たばこの吸い殻やマッチの燃えさしが木製エスカレーターのステップの溝に溜まっていることもありました。
1980年代初めに地下鉄のエレベーターに初めて乗った時に「え、木製のステップ? これ、たばこの残り火で燃えるでしょ」と危険を感じましたし、急傾斜で百段を超えるエレベーターに言い知れぬ恐怖感を覚えた記憶があります。「ジェットコースターのように、遊園地でわざわざお金を払う恐怖体験が、ロンドンでは普通の地下鉄で体験可能」と、当時連載をしていた在英邦人向けのミニコミ誌に寄せたコラム「旅行業日記」にシニカルな寄稿をしたところ、多くの邦人読者様から「本当にそうだ」と納得されてしまうほど、ロンドンの交通インフラの安全性に不信を抱く人は多かったと思います。
やがて、火災や事故に対する安全性は向上したのですが、地下鉄キングスクロス駅の事故の印象が強すぎたせいか、イギリスに旅行で訪問した日本人の中には「ロンドンの地下鉄には絶対乗らない」と言い張る人が出た時期も長く続いたと思います。 たとえば、車掌が乗っているはずなのに、理由も告げられずに停車して、5分、10分と待たされるうちに、ときどき暗闇になる車内で、地下鉄の車両とトンネルの内径との間隔があまりにも狭く、事故が起きても逃げ場がないことに気づいて、焦りと不安を覚えて過呼吸に陥って、救急車で搬送されたというニュースを耳にしたこともあります。
特に地下鉄の円形トンネルを支えるセグメント(下の画像を参照ください)が、真っ黒の鋼鉄製で出来ていて、暗い地下鉄トンネルの中をいっそう暗くしています。そして、地下水がセグメントの錆びた継ぎ目部分からジリ漏れしている様子が見て取れるために、次第に恐怖感が募ってくると言う人もいました。日本の地下鉄では、セグメントがグレー色の鉄筋コンクリート製なので、少し光を照らすと反射して周囲はさほど暗くなりませんし、車輛と内径との間は人が十分に通れるくらいの幅が目視で確認できます。
ただし、当方は慣れてしまったせいか、あまり気にせずロンドンの地下鉄を使っています。日本と比べたら、安全性や利便性の質は異なるかもしれませんが、過去の事故や事件の例を振り返ってみても、ロンドンの地下鉄を過度に怖がる必要はないと考えます。 それでも、地下鉄を好まないのであれば、徒歩、タクシー、貸し自転車、バスなどの代替手段を使えばいいと思います。 実は、ロンドン市内の移動は、どの交通手段を使っても、目的地に到着するまでに掛かる時間に、あまり大差がないのです。 徒歩とバスの乗り降りを駆使していた当方ですが、徒歩で済ませてしまうことが多いため、トラベルカードのZone1を使い忘れて、無駄にしてしまいがちです。
キングスクロス駅の駅舎を造った人物はルイス・キュビットという建築家で、ロンドン・ブリッジ駅の改修にも携わっています。キュビットはオーストラリア、インドなど英連邦内での橋梁造りなど多くの土木工事に携わっていました。また、そのお兄さんも高名な建築家として、ロンドン市内のあちこちの記念碑にその名を留めていますし、その弟は同時代のロンドン市長でした。ロンドンのターミナル駅の萌芽期の立役者となった兄弟と言えましょう。さらに、ロンドンのターミナル駅につきもののターミナルホテルとして、グレートノーザンホテルを建てたのもキュビットの成果でした。 ホテル名が1854年の創建当時のままであることは珍しいケースです。もちろん外観は大きく変わっていませんが、内装の改修は何度も行われている人気ホテルです。
また、キングスクロス駅には2010年に新しいプラットフォームが造られました。従来は11番線までの駅だったのですが、輸送量の増加を背景にした改修工事に伴い、1番線の隣に新しいプラットフォームを増設したのです。 ところが、問題はその新プラットフォームの番号です。 1番線の隣が12番線と2番線というのは混乱を招くだろうし、駅のレイアウトに慣れ親しんだ乗客にとって、既存のプラットフォーム番号をひとつずつずらしてしまうのも混乱を招くだろうという配慮から、0番線プラットフォームが造られたのです。 したがって、1番線プラットフォームは0番線と2番線とに挟まれる形になったわけです。 つまり、キングスクロス駅には、9と4分の3番線という魔法使い専用のプラットフォームと、0番線という我々マグルが現実に使える駅が存在するのですね。
さて、北の3駅について、一挙に語ろうと思いましたが、長くなってきたので、今回はここまで。次回はユーストン駅とセントパンクラス駅について述べたいと思います。
この駅はユーストン、セントパンクラス、キングスクロスのいずれの駅でしょうか。答えはOnlineジャーニーのサイトでお確かめください。
ただ、不思議なのは、あの物語を編集する段階で、なぜ校正作家は正しい駅を指摘しなかったのだろうか?…ということ。 おそらく、フィクションなので事実とは多少異なっていても無問題と判断されたのでしょう。 また、映画でも、セントパンクラスの駅舎が現れることはあっても、キングスクロス駅の全体像は登場していないと思います。もし、お確かめになりたければ、映画『秘密の部屋』編をご覧ください。
さて、イギリス国内のどの方角に出向くかによって、ロンドンのターミナル駅が異なるわけです。ロンドン・ユーストン駅と言えば、WCML線(ウエスト・コースト・メイン・ライン)で繋がるバーミンガムのあるウエスト・ミッドランズ、北西イングランド、北ウェールズ、ランカシャー、そしてスコットランドの西側、グラスゴーのあるハイランド地方へのターミナル駅。 ロンドン・セントパンクラス駅は、ミッドランド線で繋がるレスター、ダービー、ノッティンガム、シェフィールド、リーズなどイングランド中東部だけでなく、欧州大陸へと南下するユーロスターの発着する国際ターミナル駅としての役割を担ったターミナル駅です。 そして、キングズとは呼ばず、なぜかキングスと称されるロンドン・キングスクロス駅から、北イングランドのヨークやスコットランドの東側エジンバラ(アバディーン)などイギリスの東側の海岸線も走るので、ECML線(イースト・コースト・メイン・ライン)と命名されています。
左がセントパンクラス駅、右がキングスクロス駅。両駅ともほとんどくっついています。セントパンクラスの構内には、うどんや天ぷらを提供する和食レストランがあります。この地図外の左側(西側)に位置するユーストン駅は改装工事中。
ホグワーツはどこにあるのか
ところで、かの原作者がキングスクロス駅を他駅と間違えたと言うならば、両駅の行き先が異なるわけですから、原作者はホグワーツをどの辺りに設定したのかという興味が湧きます。しかも、ホグワーツエクスプレスの軌道はハイランド地方に向かっているように描写されていますし、ホグワーツ魔法学校は湖畔の厳々たる急峻にそびえる古城の様相ですから、北の3駅で言うならば、ユーストンがターミナル駅になるはずです。しかし、映画ではセントパンクラス駅が、あたかもキングスクロス駅のように映し出されています。 もちろん、ホグワーツは架空の場所ですから、ロンドンのターミナル駅も架空の場所で良いのかもしれません。ただ、モチーフとなった場所があるはずなので、ロケ地はそのイメージを構成した場所だろうと考えられます。 ホグワーツエクスプレスの場面は、『賢者の石』では北ヨークシャー・ムアズ鉄道という特別に保管された蒸気鉄道でロケを行っています。また、『秘密の部屋』では西海岸鉄道会社の機関車をスコットランドのハイランド地方に敷かれているナショナルレイルの線路上を走らせています。いずれにしても、ロンドンからは、かなり北の方角をモチーフにしているということですね。 魔法使い学校に行く列車はここから出る筈ですが、このセントパンクラス駅には、プラットフォーム9と4分の3はありません。
撮影上の都合でロケ地に多様性が生じるのはよくあることですが、 原作者がただ単に駅の外観を間違えただけだとしたら、キングスクロス駅から向かう場所はスコットランドであったであろうと思われます。 もちろん、これは無用の議論です。何しろ、ホグワーツは存在しません。それでも、原作者の意図やイメージを物語から知ることができますし、我々読者は自由に妄想する楽しみに触れられます。 映画に登場するホグワーツエクスプレスの軌道から察するに、ホグワーツはスコットランドの心象風景の中に存在する、というのが、当方の妄想する結論です。皆さまはどのように想像を膨らませるのでしょうか。
ホグワーツ近影。と言っても、映画会社から某国大使館に送られたレプリカ。実際にこのような断崖絶壁に建築するのはとても無理だと思います。ノイシュバンシュタイン城がモチーフのようですが…
地下鉄キングスクロス駅と言えば
さて、キングスクロス駅と言えば、1998年に世に出た、前述の魔法使い学校の物語に登場するプラットフォーム“9と4分の3”と即応する人も多いでしょう。 一方、当方にとってキングスクロス駅と言えば、それ以前の1987年に地下鉄キングスクロス駅で起きた忌まわしい事故が思い起こされます。 エスカレーター火災が起きて、31名の死者と100名に及ぶ重軽傷者の犠牲が出たのです。 当時の現場にいた人たちがテレビで述べる証言では、「火の玉がゆっくりと飛んできた」とか、「最初、エスカレーターの中腹で火が見えた」とか、「昇り続けるエスカレーターは、逃げ場を失った人たちを、ベルトコンべヤーのように一方的に火の中に運んでいった」という恐ろしさを伝えていました。聞いただけでも、ぞっとする話ですが、見た人々にはまさに地獄絵図であり、被害者の方々は生き地獄そのものを体験され、落命された方々もいらしたのです。イギリスでは、古いものでも何でも長持ちさせる伝統が今でも残っていますが、その頃の地下鉄インフラもご多聞に漏れず、リフト(エレベーター)でもエスカレーターでも、製造から何十年も経った機材を使っていました。イギリス式簿価(機械の価値)では減価償却が進まないというイギリスらしさを感じさせる一方で、効率の上がらない不便さや危険を伴う側面を指摘する人達も少なくありませんでした。「まだまだ使える」けど、実際はかなり老朽化していただけでなく、安全基準もかなり寛容(いい加減?)だったのです。 たとえば、当時の多くのエスカレーターの床面は、まだ木製でした。 エスカレーターで人が立つ溝付きのステップ部分が木で出来ていたのです。しかも、地下鉄内には喫煙者も多くて、たばこの吸い殻やマッチの燃えさしが木製エスカレーターのステップの溝に溜まっていることもありました。
1980年代初めに地下鉄のエレベーターに初めて乗った時に「え、木製のステップ? これ、たばこの残り火で燃えるでしょ」と危険を感じましたし、急傾斜で百段を超えるエレベーターに言い知れぬ恐怖感を覚えた記憶があります。「ジェットコースターのように、遊園地でわざわざお金を払う恐怖体験が、ロンドンでは普通の地下鉄で体験可能」と、当時連載をしていた在英邦人向けのミニコミ誌に寄せたコラム「旅行業日記」にシニカルな寄稿をしたところ、多くの邦人読者様から「本当にそうだ」と納得されてしまうほど、ロンドンの交通インフラの安全性に不信を抱く人は多かったと思います。
欧州大陸では、まだ使われている現役の木製エスカレーター。禁煙にすれば、これだけ綺麗に維持されるのですが、キングスクロス駅地下鉄の事故当時は、とにかく汚くて、たばこ臭が激しかったものです。
事故から得た教訓
87年と言えば、当方は仕事の関係で、日英の相互を行き交う生活をしていた頃で、キングスクロス駅は頻繁に使っていただけに、とても身近に感じられた事故でした。「明日は我が身か」とか、「イギリスは危ない」と口にする邦人も少なくありませんでした。この事故を教訓に安全性は一挙に高まりましたが、その一方で起きたことは運賃の上昇です。安全に関わる費用がどんどん追加されるようになったのです。ロンドン市内の運賃が世界に先駆けて高騰した背景は、事故再発防止のためのインフラ整備でした。それも膨大な保証金を負担した保険会社から鉄道会社への強い要請があったからです。やがて、火災や事故に対する安全性は向上したのですが、地下鉄キングスクロス駅の事故の印象が強すぎたせいか、イギリスに旅行で訪問した日本人の中には「ロンドンの地下鉄には絶対乗らない」と言い張る人が出た時期も長く続いたと思います。 たとえば、車掌が乗っているはずなのに、理由も告げられずに停車して、5分、10分と待たされるうちに、ときどき暗闇になる車内で、地下鉄の車両とトンネルの内径との間隔があまりにも狭く、事故が起きても逃げ場がないことに気づいて、焦りと不安を覚えて過呼吸に陥って、救急車で搬送されたというニュースを耳にしたこともあります。
ロンドンの地下は、すでに上下水道などのライフラインが張り巡らされていました。また、地上の土地や不動産の権利関係が複雑であるために、地下鉄を造る際に開削掘りはできませんでした。そこで登場した技術がシールド工法です。地下鉄を通したい部分の端からモグラのように地下を横に掘り進めて行きます。それは、あたかも缶詰が横になって円形に掘り進めて行く方法。 土木技術者ブルネル親子などの技術者によって、当初はイギリスで発展しましたが、戦後は戦争中に国内外で技術開発を進めた日本のゼネコン数社が技術面で世界のリーダー的存在になりました。
特に地下鉄の円形トンネルを支えるセグメント(下の画像を参照ください)が、真っ黒の鋼鉄製で出来ていて、暗い地下鉄トンネルの中をいっそう暗くしています。そして、地下水がセグメントの錆びた継ぎ目部分からジリ漏れしている様子が見て取れるために、次第に恐怖感が募ってくると言う人もいました。日本の地下鉄では、セグメントがグレー色の鉄筋コンクリート製なので、少し光を照らすと反射して周囲はさほど暗くなりませんし、車輛と内径との間は人が十分に通れるくらいの幅が目視で確認できます。
ウェストミンスター駅など一部の駅では、一部むき出しのセグメントが今でも見られます。イギリスの地下鉄では鉄鋼のセグメントを使用。コンクリート製と鉄鋼製とでは、どちらのセグメントの方が、より耐用年数が長いかということよりも、どちらの方が安く仕上がるか、メンテナンスが簡単かということが論点になります。古い鉄鋼セグメントでは端々から水がジり漏れしていて、錆びていることもあります。ロンドンの地下鉄がトンネル内で止まっている時に見られる光景です。
ただし、当方は慣れてしまったせいか、あまり気にせずロンドンの地下鉄を使っています。日本と比べたら、安全性や利便性の質は異なるかもしれませんが、過去の事故や事件の例を振り返ってみても、ロンドンの地下鉄を過度に怖がる必要はないと考えます。 それでも、地下鉄を好まないのであれば、徒歩、タクシー、貸し自転車、バスなどの代替手段を使えばいいと思います。 実は、ロンドン市内の移動は、どの交通手段を使っても、目的地に到着するまでに掛かる時間に、あまり大差がないのです。 徒歩とバスの乗り降りを駆使していた当方ですが、徒歩で済ませてしまうことが多いため、トラベルカードのZone1を使い忘れて、無駄にしてしまいがちです。
2022年の8月、日本の国会議事堂近くで見かけたコンクリートセグメント。こんな都心でもまだトンネル工事が行われているのですね。このセグメントの反り具合から推測して、直径20m以上の大規模トンネルが施工中と思われます。
キングスクロスのキングって誰?
ところで、キングスクロス駅のキングとは誰のことでしょう? 「王の十字架」という意味の駅ですから、以前はある王様とその十字架が建てられていた場所なのだろうなあ、という見当がつきます。当初は歴代のイギリス君主たちを讃えるためにモニュメントを建てる計画が立てられたものの、資金が集まらなかったため、1830年に没したジョージ4世ひとりのための記念像が、ロンドン・スモールポックス病院(天然痘の専門病院。他の場所に移転)の跡地に建てられました。1846年までに解体されるのですが、十字架を携えたこのジョージ4世の記念像がキングスクロスと呼ばれたことから住民投票で地名が改名され、後にロンドンターミナル駅の名前としてキングスクロスが採用されることになったのです。つまり、キングとはジョージ4世のこと。 ジョージ4世は父親ジョージ3世の病から摂政(リージェント)を務める一方で、伊達男ボー・ブラメルを寵愛して貴族や紳士のファッションリーダーとして有名になっただけでなく、放蕩の限りを尽くした人物として有名ですね。 かつて、歴代のイギリス王を記念する目的で計画されたキングスクロス像でしたが、何名の像を鋳造するのか、費用をどうやって捻出するのかということが論点となって、結局当時の王様ジョージ4世のみを記念するために建てられることになりました。
キングスクロス駅の駅舎を造った人物はルイス・キュビットという建築家で、ロンドン・ブリッジ駅の改修にも携わっています。キュビットはオーストラリア、インドなど英連邦内での橋梁造りなど多くの土木工事に携わっていました。また、そのお兄さんも高名な建築家として、ロンドン市内のあちこちの記念碑にその名を留めていますし、その弟は同時代のロンドン市長でした。ロンドンのターミナル駅の萌芽期の立役者となった兄弟と言えましょう。さらに、ロンドンのターミナル駅につきもののターミナルホテルとして、グレートノーザンホテルを建てたのもキュビットの成果でした。 ホテル名が1854年の創建当時のままであることは珍しいケースです。もちろん外観は大きく変わっていませんが、内装の改修は何度も行われている人気ホテルです。
また、キングスクロス駅には2010年に新しいプラットフォームが造られました。従来は11番線までの駅だったのですが、輸送量の増加を背景にした改修工事に伴い、1番線の隣に新しいプラットフォームを増設したのです。 ところが、問題はその新プラットフォームの番号です。 1番線の隣が12番線と2番線というのは混乱を招くだろうし、駅のレイアウトに慣れ親しんだ乗客にとって、既存のプラットフォーム番号をひとつずつずらしてしまうのも混乱を招くだろうという配慮から、0番線プラットフォームが造られたのです。 したがって、1番線プラットフォームは0番線と2番線とに挟まれる形になったわけです。 つまり、キングスクロス駅には、9と4分の3番線という魔法使い専用のプラットフォームと、0番線という我々マグルが現実に使える駅が存在するのですね。
キングスクロス駅のプラットフォーム9と4分の3の壁を抜けると、そこはセントパンクラス駅の異次元空間になっているのかもしれません。おとぎ話ですから、何でもありですね。
さて、北の3駅について、一挙に語ろうと思いましたが、長くなってきたので、今回はここまで。次回はユーストン駅とセントパンクラス駅について述べたいと思います。
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。