ー無邪気と無意識への葛藤。正しい英語が伝わらないのはなぜ?ー
駅員との会話から学び取るもの
先日、ブリティッシュレイルの最寄り駅で、ロンドン行きの乗車券を購入したときのこと。慣れない駅で、券売機のデザインが異なっていたせいか、間違えた券を購入してしまいました。券売機の正面にはチケットオフィスがあって、だるそうな顔をしている30歳くらいの職員と目が合いました。「すみません。間違えて片道券を買ってしまったのですが……」と、当方が言うと、駅員はニヤニヤしながら言いました。“Thank you for telling me(教えてくれてありがとう).”。ちょっと変な奴だなと思いながら、当方は駅員から次のような言葉が繰り出されることを期待して、少し間をおきました。「それで、どうしたいんですか?リファンドしてもらいたいのですか?」しかし、ニヤけた駅員が口にしたのは、先ほどとまったく同じ言葉 “Thank you for telling me.”だったのです。ここで当方は、「ああ、なるほどね。ここはイギリスだった。具体的に要件を言わないとコミュニケーションが成り立たないんだった」と気づきました。「券を買い直したいので、リファンドしてください」と告げると、無言で片道券を受け取り、返金の手続きを始めました。そして、駅員は「券売機で買うよりもここで買い直した方が早いよね」と皮肉っぽく言うので、「どういう意味か」と尋ねても、駅員はそれには応じません。それどころか、頼んでもいないのに、いつの間にか往復券を発行していました。当方は、リファンドが終えたら、「ロンドン往復+ロンドン市内の終日利用券(One day Travel Card)」に買い替えようとしていたのに、駅員JBは彼の勝手な判断で往復券だけを発行したのです。デビッドカードは一度しかタップしなかったのに、なぜリファンドと再発券の両方ができるのかが不思議でしたが、よくある処置なので、一度の決済でリファンドと再発券の両方ができるようにプログラミングされているとのこと。それは良いとしても、欲しいチケットではありません。
出発時刻が迫っていましたが、避けられない議論に発展。「私は往復券など頼んでいないよ。終日券を買おうと思っているんだ。君にはまだそのことを伝えてないのに、なぜ勝手な判断で往復券を発行するんだ?君の行動は矛盾しているよね。こちらは、最初に『間違えて、片道券を買った』と言っているんだから、客がリファンドを要求することは、当然のコンテクスト(話の流れ)として分かる筈なのに分かろうとしなかった。しかし、今はこちらが頼んでもいないことを、自分の勝手な判断で行った。君は自分の都合や気分に合わせてコンテクストを調整しているのか?」すると、駅員は言いました。「俺は俺の仕事をしているだけだ」と、応じるのみ。この種の人間とはこれ以上の議論にならないと思って、「まあ、いい。とにかく、その往復券は要らない。もう一度終日券を発行してくれ」と頼むと、駅員はふてくされた態度で当方の要求に応えました。
コンテクストのおおよその違いが分かるように作成した図解。右に行けば行くほど、ひと言を発すればコミュニケーションが成り立つ高コンテクストな言語文化。そして、左に行けば行くほど、詳細な説明が必要とされる低コンテクストな言語文化になります。
この出来事には、典型的なイギリスらしい文化的要素が2つ含まれています。ひとつは無意識のレイシズム(人種差別)です。もう一つは、コンテクスト(文脈の伝わり方)の違いです。前者のレイシズムは、法で規制され、イギリスの小学校でも「罰則があるので、やってはなりませ~ん」などの指導が施されています。そのせいか、ここ40年間に、イギリス人の若者が外国人に対する態度には著しい変化が見られます。表面上だけかもしれませんが、配慮を示すことも増え、在英有色人種に対して次第に親切な態度を取るようになってきたと思われます。しかし、実際は、法でどんなに厳しく規制されても人の心の中までは規制されないことは、我々のような在英外国人には肌感覚で伝わってくるものです。差別している意識が無くても、差別的な行為は、作為や不作為に関わらずどこでも行われていて、差別する側は皆、その自覚を持っていません。差別を感じるのはあくまで被る側だけの問題になってしまいます。
また、後者のコンテクストについては後ほど詳しく述べますが、「アナタの英語がどんなに完璧でも、状況によってコンテクストを考えないと、相手に伝わらないこともあるよ」という話です。
こちらの努力では改善しない無意識の差別
さて、今回の駅員の態度は、外国人に対する意地悪や悪ふざけであると思うのですが、悪意ではないにしても、完全な人種差別です。再発券が済んだ後、発言衝動に駆られた当方は言いました。「私がイギリス人の見かけだったら、同じような態度を取るのか」と言って、差別者として当局に連絡すると伝えると、ガラス越しの事務所の中で駅員は怒鳴り始めました。非を認めずに怒鳴るのも、彼にはひとつのやり方かもしれませんが、プロフェッショナルならば、当方に対してどのような態度を取るかは、いくつも選択肢があった筈です。彼が小学校で指導されたように外国人やどんな民族に対しても、対イギリス人と同じように公正な態度を取ることも出来た筈ですし、当方に対して行った差別行為を詫びることも出来た筈です。あるいは、その駅員には差別をしている自覚がなかったのかもしれません。だからこそ、差別行為であることを指摘されたために、「いったい何を言っているんだ」と、怒り出したとも考えられます。このようなことは、知識や情報の問題ではなく、日ごろから意識しているかどうか、配慮しているかどうかという問題であって、しかも世界中で起きていることです。
実は、我々日本人も外国人に対して、無意識に行っていることのひとつです。たとえば、日本の居酒屋での話。外国人が流暢な日本語で注文しているのに、「ノーイングリッシュ。アイムソ~リィ~」と言っては、外国人の発話に聞く耳を持たない店員さんがいます。その店員さんは外国人が「すみません。落ち着いてください。私は日本語を話していますよ」と言っても、日本語が出来ないと思い込んでいるので、一切耳に入ってきませんから、コミュケーションはまったく成り立ちません。この店員さんに差別の意識はないのでしょうけど、一度ハマってしまったツボから抜け出せくなって、状況の収拾がつかなくなります。当方の妻はイギリス外務省で最も日本語が上手と言われた元外交官ですが、日本でこのような状況に何度も直面しています。
このことは、無意識でやっているんだから、差別ではないという意見もあるでしょう。しかし、拙妻などの外国人の立場になれば、差別を被っていることに他なりません。
今回の議論の場となったブリティッシュレイル(BR)のチケット売り場。日本のJR職員の丁寧な言葉使い、行き届いた配慮などに慣れてしまうと、BR職員はとても不親切、イレギュラーな対応力が不足、配慮のないサービスに感じられてしまいます。
実用面を見極めるのは……
さて、当方がここで述べているのは、「無意識の差別」についてです。当方自身もイギリスやその他の外国で同じ種類の差別をいくつも経験しています。たとえば、白人率90%のパブリックスクールに我が子らが寄宿していた頃の話。たまに、所要で学校を訪れるわけですが、当方が構内を歩いていると、通りかかった教員たちは、多少距離があっても、わざわざ当方に近づいて来て口にする言葉は“Excuse me, Sir. Can I help you?”これは、相当に失礼な「ご挨拶」です。しかも、Sirまで付けて慇懃無礼(いんぎんぶれい)。なぜなら、イギリス人の妻が同じ状況にあっても、“Good morning, ma`am”か“Good afternoon”と挨拶されるだけで、それ以上の言及はほとんどありえないからです。意地悪な気持ちになった当方は言い返します。“Why should I excuse you? Is it because you can’t properly greet a parent of your pupil?(君の何を許せばいいんだい? 君が生徒の親にちゃんと挨拶ができないことかい?)”。 このパブリックスクールの教員たちは、もともとが優秀な人たちですし、日ごろから生徒たちの発言に対して言外の意味をくみ取ることを生業としています。これだけ言えば、自分の犯した非礼に気づきます。しかし、彼ら自身が無意識に差別を行っていることには気づいていません。そこで、当方はこうしたチャンス(笑?)に、畳みかけるように「無意識の差別は、知識や偏見とは無関係に、自分の言葉や態度が相手にどのように伝わるかという配慮の問題なのだよ」と、笑顔でサラリと述べるようにしています。ええ、もちろん、その場限りで関係の終わる、前述のような駅員と、子供たちが長年お世話になっている教員たちとでは、当方の取る態度も異なります。当方が行っているのは差別ではなく、区別に基づいた公正な行為です。
ただ、教員たちもセキュリティの理由で、「見知らぬ人」を構内で見かけたら、積極的に声を掛けるように」という指導を受けていますから、ある程度仕方のないことかもしれません。しかし、それならば、普通に挨拶をすればいいんじゃないでしょうかね?ちなみに、当方はその学校のために、数独の父と言われた今は亡き鍛冶真起氏の講演をオーガナイズしたり、彼の講演を全校生徒の前で日英通訳したりして、同校内では「K(息子)のお父さん」として広く知られている筈でした。おまけに、我が子らはプリフェクト(最高学年の監督制)やヘッドボーイ(生徒会長)まで務めていた誰にでも知られていた生徒でしたし、当方はむくつけき大柄の東洋人ですので、「まさかこの私を教員たちが知らない筈がない」と思っていましたから、再三再四受ける“Excuse me”対応にはうんざりさせられたものです。この件について、子どもたちが卒業した後に、校長から「教員たちが何度も不快な思いをさせてしまったようで申しわけない」という謝辞のメイルが届いたのは、ちょいと意外でした。そう言う校長も数独講演の翌日に街中で会って、挨拶したら“Can I help you?”と、当方にいぶかしげな表情を向けていましたけどね。笑
おそらく、教員たちには東洋人の顔がどれも同じに見えるのかもしれません。それも、ある意味で無意識の差別観ですね。また、この無意識の差別については、無自覚、無意識、無邪気で不作為という点を織り交ぜて“Critical Discourse Analysis(批判的言説分析)”という見地から論文を書いてみなはれと大阪大学の教授から薦められていますが、さてどうなるでしょうか。論文にして、「無意識な差別」の撲滅に繋がるのでしたら、あるいは、皆さまやBRITISH MADEのためになるのでしたら、頑張って調査、分析してみようと思いますが……。
長い場合は、5歳から18歳まで同じ学び舎で過ごすパブリックスクール(私立の小中高一貫校)では並々ならぬ深い絆を保って、生涯の友となります。彼らには内輪だけの言葉が多々あり、独自の高コンテクスト文化を形成しています。
コンテクストの違いとは?
さて、次はコンテクスト(文脈)の話です。英語は低コンテクスト、日本語は高コンテクストな言語文化論と一般的にも言語比較論でも言われています。先の駅員との会話で、“Thank for telling me.”というのは、この場合に限って意訳すると「だから、どうしたというんだ?」という言外の意味を含むことになります。こうしてみると、低コンテクスト文化の言葉でも多少の付加的な意味が含まれることもあるようですが、この言葉を発する側には、言外の意味をくみ取れという気持ちはありません。当方は「間違えて切符を購入したこと」を駅員に告げただけでしたから、彼に対して、当方が進んで具体的な要求をしないとコミュケーションが成り立たないという点が、コンテクストの低さを表しているのです。つまり、一つのコンテクストの意味する範囲が狭いことが、コンテクストとしてのレベルが低いということになります。 しかし、日本で同じ状況であれば、駅員さんは誰でも「では、返金と再発券ですね」と切り返してくるでしょう。こちらから具体的な要求などを言わずとも、駅員さんは次のことを考えて対応してくれる。つまり、一つのコンテクストが実際の文の長さ以上に多くの情報を備えているので、コンテクストのレベルが高いことになります。もっと簡単に言うと、具体的に言わないと分かってくれないのが、低コンテクスト文化であって、具体的に言わなくても、阿吽(あうん)の呼吸で相手の言わんとすることを悟り合うのが高コンテクスト文化です。すなわち、我々日本人は高コンテクスト文化言語に慣れ過ぎてしまって、英語を話すときに、相手にその意図が通じないことがあるのです。当方の周囲の例で言うと、日本企業の駐在員の多くが、現地で採用された(イギリス人などの)職員に必ず言われる言葉があるそうです。「あなたの英語は間違っていないけど、何が言いたいのかがよく分かりません」特に、英語圏や社内で英語を公用語としている企業の中で、駐在開始から最初の1~2年間は日本人の多くが辿る道筋です。そのうち慣れてくると、低コンテクストの英語表現を会話でも、コレスポンデンス(文書)でも具体的な説明ができるようになってきます。もちろん、コンテクストの調整がダメなまま駐在期間を終える日本人も少なくありませんが……。
また、英語を使っている国でも、アメリカのように言語自体が低コンテクストであるだけでなく、移民の多い社会、人口密度の高い社会でも、具体的に、且つはっきりと主張しないと、相手に意図が伝わりませんので、損得の問題にも発展します。英語だけでなく、外国語を話す以上は、低コンテクスト社会で自分の述べるべきことを「自分が損しないための主張」として意識しておく必要があると思います。
会話の内容は英語と日本語とではまったく異なります。英語では出来事を語り、ロジックと比較して、経験的なセオリーを述べ、セオリーとロジックとの差を埋めるという方法が一般的かな、と思います。
イギリス文化の高コンテクストな側面
ところで、英語の環境にいると、どうしても意味の分からない場面に遭遇します。妻の家族や親類(妻の伯父伯母、子供たちの近親者など)と過ごすことが多いので、その場面に出くわすと、当方は味噌っかすになった気分になります。その味噌っかす場面を分析すると、その単語を知らなかったり、その表現を知らなかったり、そして方言だったり、発音・アクセント・リズムなどがことごとく自分の知っている言葉とはかけ離れている場合です。単語、表現、方言というのは、知識を持っていないと分かりません。発音・アクセント・リズムも聞き分けるという点では経験の積み重ねで慣れていくものだと思います。しかし、ここで述べたいのはコンテクストの話です。これらの場面に出てくる単語、表現、方言、発音などの要因を分析してみると、コンテクストに関わるものと言えば、「表現」です。簡単な単語を並べてしゃべっているのに、何を言っているのかまったく分からないことがあります。皆さまの身近な例で言えば、X(twitter)とかfacebookの英文の書き込みです。当方には、短すぎてまったく分からないのに、拙妻や我が子らが笑っているのを見て、さっぱり分からない当方は個人的にいら立ちを覚えます。で、家族に質問してみると単なるジャーゴン(専門用語)であることもある一方で、子供の頃から彼らがふつうに使ってきた表現だったりすることもあります。
当方が仕事で英語を使い出したのは、20代からですし、イマージョン教育(算数などの教科を外国語で学ぶこと)などを受けたこともありませんから、子どもの使う言葉など分かる筈もありません。また、表現という点では、最も顕著な高コンテクストな英語表現の例はイディオム(熟語)です。“I am in the red this month.”とか“It rings bell with me.” とか字面本来とは異なった意味になるわけですから、知識に頼るしかありません。イディオムは、漢字の訓読みのように、地道に増やしていくしかないのかなぁと思うわけです。そして、多くの子ども言葉やイディオムに接して、英語はコンテクストの高低の両面を備えた言語文化なんだなということに、最近になって気づいた次第です。もちろん、高コンテクスト言語の頂点にあるのは、日本語である、というのが通説ですので、我々日本人は英語を意識する限り、低コンテクストのコミュニケーション方法を意識し、自ら考えて慣れて行くしかないのだろう、と思います。
ティケットバリア(改札)で、次の列車の情報を質問しても、何も答えられない駅員。電光掲示もスケジュールのスクリーンも無言です。とにかく、待つしか方法がないという状況には、次第に慣れてくるもので、これからも長く続くであろうイギリスの象徴的な光景です。
チケットの種類が多いので、毎度毎度とても考えさせられます。まず、往復券と片道券は値段の差がほとんどありません。 ロンドンへの単純往復券と地下鉄バスが終日乗り放題になるトラベルカードのどちらにするか、はたまた出発時刻によって料金が異なるので、オフとピークの時刻を考えます。
チケットの種類が多いので、毎度毎度とても考えさせられます。まず、往復券と片道券は値段の差がほとんどありません。 ロンドンへの単純往復券と地下鉄バスが終日乗り放題になるトラベルカードのどちらにするか、はたまた出発時刻によって料金が異なるので、オフとピークの時刻を考えます。
さて、最初の登場人物である駅員ですが、「間違えて片道券を買ってしまった」という当方の言葉で、本当に当方の伝えたかったことが判らなかったとしたら、無邪気な差別ではなく、本当の低コンテクスト会話の場面になるわけです。そして、当方の意図が分かっていたとしても、低コンテクストの文化的スタイルを当方に押し付けるのが一般的なイギリス人。しかし、その後の彼は、言葉や業務の流れを読んで、こちらが頼んでもいないのに、往復券を発券しています。往復券の発券は明らかに高コンテクストな配慮です。
ひとりの人物がほとんど同時に見せた2つのコンテクストが入り混じった例、読者の皆さまはどのようにお考えでしょうか。イギリス人のこころを覗いてみる手がりになったでしょうか?人間は然様(さよう)に、特にイギリス人は複雑なコンテクストを持ち合わせた生き物なのかもしれませんね。ちなみに、人種と価値観の混濁したアメリカは、イギリス人の皮肉やジョークがまったく通じないほどのさらなる低コンテクスト文化圏です。Debateなどで白黒や勝ち負けをはっきりさせたい人には良いかもしれませんが、低コン文化の人には、高コン文化の巨頭である京都人の気持ちは一生分からないでしょう。……というくだりの意味を知りたい方は、以下の過去記事にアクセスしてみてください。以上、かなり低コンテクストに書き上げてみましたので、長文になりました。でも、お楽しみ頂けたら幸いです。繰り返し、お読み下さるといいかもしれません。
マック木下
ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。