今年もクリスマスまであと少し。アドヴェントと呼ばれるクリスマスまでの4週間をきり、イギリスに暮らす人たちも準備におおわらわです。
これまで毎年少しずつ、レモン家の長男ミックと白いムク犬のジャックの冒険について書いてきました。ミックとジャックはミンスパイの国に行ってミンスパイの女王に会ったり(「ミンスパイの国に行くお話」)、黒猫のミーシャを追ってヒイラギの秘密を探ったりしました(「黒猫ミーシャのクリスマスの冒険」)。
さぁ、今年はどんな冒険が待っているのでしょうか。今回はサンタクロース(イギリスでは伝統的にファーザー・クリスマスといいます)とトナカイのお話をしまょう。
*******
「ママー! チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』ってうちにあったっけ? もう一回読んでおきたいんだ」
「パパの書斎に行ってみて。小説がまとまっているところにあるはずよ」
ミックは12歳になって演劇に興味が出てきたので、イギリスのクリスマスに欠かせない定番物語『クリスマス・キャロル』のあらすじを確認しておきたいと思ったのでした。父ドナルドの書斎で本を見つけ、長い前髪をかき上げママの手作りミンスパイを頬張りながら居間のソファで読んでいると、愛犬の白いムク犬ジャックが入ってきて、外へ散歩しに行こうと促します。
「ジャック、もう少し待って。この章を読み終わったらね」
「バウっ」
ちょっと哲学者のような顔をしたムク犬のジャックは、ミックが5歳の時にやってきて以来、大の親友なのです。ふだんはミックのほうから散歩に誘うまで行きたいそぶりを見せないのですが、今日はミックの読書のせいで散歩の時間が大幅に遅れているようです。
ところで皆さんはチャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』は読んだことがありますか? 出版されたのはヴィクトリア女王の時代です。ミスター・スクルージという無慈悲な金貸しが、摩訶不思議な経験を通して慈善の心を取り戻し、街の皆が幸せなクリスマスを迎えてめでたしめでたし。とても温かい気持ちになる物語です。
「ねぇ、ママもこの本読んだ? とても不思議な話だよね。スクルージに幻影を見させているのは、一体なんなんだろう?」
「あぁ、あの。ママはね、あれはクリスマスの精霊だと思うの。ほら、イギリスではサンタクロースってわりと新しい存在でしょ。ママが子どもの頃はファーザー・クリスマスって呼んでたのよ」
「知ってる。今だってそう呼ぶ人がいるもの」
「ファーザー・クリスマスは古い民間伝承にもよく出てくるの。クリスマスが人の形をしていたらっていう想定で、皆が想像を膨らませたのね」とシェリー。ミックのママはオンライン大学の英文学の先生なので、意外と物知りなのです。
「ファーザー・クリスマスはふだんは山の方に住んでいて、クリスマスの時期だけ街の様子を見にやってくるような存在だったんじゃないかしら。ミスター・スクルージの荒んだ心に、クリスマスの慈悲の心を取り戻させるために、クリスマスの精霊が一計を案じたのね・・・」
「僕はサンタさんって言うよりも、ファーザー・クリスマスって言い方のほうが好きだな」
「あら、どうして?」
「だってコカコーラは好きじゃないもん」
「やだ、ミックったら。ふふふ」
「そういえばママね・・・すごく不思議なクリスマスのお話を、おじいちゃんに聞いたことがあるわ。今思い出しちゃった」
「おじいちゃんって、ママの?」
「そうよ。おじいちゃんがね・・・子どもの時に見たって話してくれたこと・・・クリスマスの季節、たまたま早朝にリッチモンド・パークに散歩に行ったとき、鹿たちがトナカイみたいに飛ぶための訓練をしてたって・・・!」
「バフっ!」
突然ジャックが耳を立て、こちらを向いてひと吠えしました。
シェリーもミックもびっくりしてジャックを見ましたが、ジャックはチラッとこちらを見た後、また知らんぷりをして前足に頭を乗せて目をつぶってしまいました。
「本当かどうか知らないけれど、毎年12月も半ばを過ぎると、リッチモンド・パークの鹿たちは、北欧のトナカイの代わりにファーザー・クリスマスのお使いをすることを楽しみにしているんですって」
「鹿がトナカイの代わりをするなんて・・・そんなヘンテコなことがあるかな」
「私もおじいちゃんに聞いただけだからわからないけど、クリスマスの2週間前くらいから、どうも猛特訓が始まるらしいの」
「ふうん。じゃあ、その頃に公園に行けば特訓の様子を見られるってこと?」
「どうかしらね・・・うふふ」シェリーはちょっと楽しそうな顔になり、こう話を切り上げました。
「あと2週間くらいしたら始まるのかしら。行ってみれば? 早朝の明るくなる頃らしいわよ。さ、私は夕飯の支度をしなくちゃ」
ミックは突拍子もない話に面食らいながらも興味津々で、時期が来たら行ってみようと思いました。
レモン家はリッチモンド・パークのすぐそばにあり、ミックも幼少時からよく訪れている身近な場所。広大な公園ですが、だいたい鹿が現れるあたりはミックもよく知っています。それに、ジャックがいれば早朝だってちっとも怖くなんかないですから。
そして、クリスマスまで2週間を切ったある日の早朝・・・
ベッドで寝ているミックを、ジャックがキュンキュンという鼻声で起こしてきました。まだ薄暗い時間です。ジャックがしきりに外に出たがるので、ミックは眠い目をこすりながらベッドから起き出し、食卓の上に「ジャックと散歩に出てくる」と書き残して、静かな家を抜け出しました。
外に出ると朝靄がかかっています。真っ白い息を吐きながら靄の中を歩いていると、ジャックはどんどんリードを引っ張って、リッチモンド・パークの方に行きたがるのです。ミックはピンときて「さては・・・」
「もうアレが始まっているんだね、ジャック!」そう声をかけて一緒に公園へと勇み足で進んでいきます。
公園の入り口にたどり着くと・・・
早朝のリッチモンド・パークはキリリとした空気。靄がかかってどこかミステリアスな雰囲気が漂っています。
目を凝らすと、鹿たちが朝靄の中に見えてきました。
ミックが明け方の空気の中でブルっと武者震いをした瞬間、ジャックの表情が突然キリリと引き締まり、紳士然とした口調でミックに話しかけてきました。
「ミック坊や、ご機嫌よう。早起きは三文の徳と申すが、鹿たちの飛行訓練について相談を受けておりましての。それで今朝はここへお連れしたわけでございます」
「ジャック!」ミックは嬉しさのあまりジャックの首に抱きつき、こう聞きました。「君は鹿たちの飛行訓練について知っていたの?」
「もちろんでございます。その昔、シェリー様のお祖父様の代にも、私の何代か前の犬奉行がそれとなくお連れしたはずでございます」
「ふ〜ん。ジャックたちはずっとママの祖先と一緒なの?」
「シェリー様のオレンジ家には代々、犬奉行がお仕えし、レモン家には黒猫ミーシャの猫族がお仕えしているのでございます。私ども犬族がオレンジ家の血筋の者をこのリッチモンド・パークにお連れするときには、毎回ワケがあるのですぞ」
「へぇ。どんな理由?」
「それは・・・問題が発生しているワケでして・・・人間の知恵が必要なのでございます!」そう言うと、ジャックがチラと野原に目をやるのです。
ミックもつられてそちらの方を見ると、飛行訓練をしているはずの鹿たちがどことなくダラダラとしていて、ちっとも乗り気でない様子が窺えます。空の方ばかりを眺めていて、一向に飛ぼうとしないのです。
「そういうわけなので、ミック坊や、それがしについて来ていただきたい」
ジャックはそう言うと、トコトコと朝靄の中を歩いて、ミックを導いていきます。しばらく歩くと茂みの影に、何やら小さなお堂が立っているではありませんか。イギリス風に言うと、フォリーという庭や敷地を装飾するための小さな建物です。
「あれ? こんなところにこんなのあったっけ?」
「ささ、この中へどうぞ、お入りください」ジャックに言われるまま足を踏み入れ、お堂の中にすっぽりと収まってしまうと、グニューンと景色が歪んであたりは様変わりし、立派なお屋敷の中になりました。
「わー、すごいね! ここはどこなの?」
「ファーザー・クリスマス様のご自宅にございます」
「ファーザー・クリスマスの!?」
「さ、ミック坊や、こちらへず・ず・ずい〜とお進みくださいませ」
ミックがクリスマスの装飾でいっぱいの廊下を歩いていくと、突き当たりにファーザー・クリスマスとその奥方が食事をしている居間へたどりつきました。
「あ、あなたはファーザー・クリスマス!?」
白髭をたくわえた老人は、こう答えました。
「いかにも。わしはファーザー・クリスマス。現代風に言うとサンタじゃよ。ようこそミック坊や。ジャック殿、ご苦労であった」
「閣下におかれましては、ご機嫌うるわしゅう。して、例の問題は解決しましたかな?」
「それがまだなのじゃ。鹿どもめ。どうにもこうにも・・・最近の鹿は軟弱でいかんな」
「ジャック、どう言うこと? 説明して」
「コホン、つまりこういうことなのです。鹿が飛行するためには、力いっぱい勢いをつけて走り回り、血を昇らせて鼻を赤くする必要があるのです。赤い鼻は、いわばパワーの象徴なのでして・・・。『赤鼻のトナカイ』という歌がありますでしょう? あれは本当なのです。
ファーザー・クリスマスは夜中にそりを引く必要があるため、赤く光る鼻で道先案内をするトナカイは、とても大切な役割をするんですな。それはイギリスの鹿も同じこと。クリスマスの時期には特別なパワーを授かり、鹿たちも力いっぱい走り回ると、トナカイのように鼻が赤くなる。そこから飛行のパワーをもらうのです。しかし最近の鹿は、赤い鼻がクールではないと言い出しまして、とんと練習に身が入らないのでございます」
「問題っていうのは、鹿たちが自分たちの鼻を赤くするのを嫌っているということなんだね」
「さよう」とジャック。「このままではイギリス中の子どもたちに、プレゼントを届けられなくなってしまう・・・」
ファーザー・クリスマスは目の前のご馳走を美味しそうに平らげながら、ジャックの言葉を引き継いでこう言うのです。
「ミック坊や、そなたの母上のシェリー嬢の祖父にあたるお方は、当時、我らが抱えていた難題をみごと解決してくださった。そこでジャック殿に頼んで、そなたを遣わしていただいたのじゃ。何か良い知恵はないものかの?」
「そうだな・・・鹿たちにモチベーションを与えてあげるといいんじゃないかな。」
「モチベーションとは?」
「鼻を赤くする方がカッコいいと思ってもらうんだ。そうだな・・・人間の世界では、毎年『Red Nose Day』というのがあるんです。ご存じですか?」
レッド・ノーズ・デーというのは、イギリスで毎年3月に行われるチャリティー・イベントのことで、コメディアンたちが赤い鼻を付けて笑いを提供し、お金を集めて必要なチャリティーに寄付するという伝統ある活動のこと。この日は、ともかくコメディアンたちが大活躍!笑いをたくさん届けて人々の心を明るくするのです。
「最近は3月だけでなく、クリスマス時期の歳末助け合い期にトナカイの赤い鼻を利用したチャリティー活動が行われているんです。コメディアンはイギリスではヒーローです。普通の俳優たちよりも人気があるくらい。社会の憧れの的なんです」とミック。
「なるほど! 鹿たちに、鼻を赤くすることはヒーローになることだと伝えればいいのじゃな。クリスマスのヒーローになれと」
ファーザー・クリスマスはこう言うと、さっそく野原に出て鹿たちにこう告げました。
「今年の大ヒーローになりたい者は、どんどん練習して飛んでほしい! そして、家庭のすみずみまで笑いを届けるのじゃ!」
鹿たちはレッド・ノーズ・ヒーローの話を聞くと武者震いが止まらなくなり、我先にと練習を再開しました。そして、ミックとジャックが見守る中、“飛行のベテラン”になっていくのでした。
ミックたちはファーザー・クリスマスに別れを告げ、清々しい気持ちで帰宅しました。ジャックは「バフっ」とひと吠えシェリーに挨拶すると、そのまま寝そべって眠ってしまいました。
「どうだった? 鹿の飛行訓練は見られたの?」
「うん、すごい勢いで駆け回るんだ。力がみなぎって鼻が赤くなったら、飛べる仕組みみたい。ママも来られたらよかったのにな」
「あら、来年はぜひご一緒したいわ♪」
そして迎えたクリスマス・イブ・・・。もちろんミックも暖炉のそばに靴下をかけて眠りにつきます。
明け方。ミックがふと目覚めて窓の外を見ると、鹿たちが軽やかに空を駆けめぐり、ファーザー・クリスマスと見事な連携プレイをしているのが見えました。赤い鼻に、たくさんのエネルギーを蓄えて。
♪シャンシャンシャン♪
さぁ、今年のクリスマスのお話はおしまい。
クリスマスの時期は、たくさんの不思議なことが起こるものです。戦争をしていても、休戦して仲良くしてみたりね。地球もきっと一休みしたいに違いありません。
ではロンドンから、ファーザー・クリスマスのハグをお届けしましょう! メリー・クリスマス。
これまで毎年少しずつ、レモン家の長男ミックと白いムク犬のジャックの冒険について書いてきました。ミックとジャックはミンスパイの国に行ってミンスパイの女王に会ったり(「ミンスパイの国に行くお話」)、黒猫のミーシャを追ってヒイラギの秘密を探ったりしました(「黒猫ミーシャのクリスマスの冒険」)。
さぁ、今年はどんな冒険が待っているのでしょうか。今回はサンタクロース(イギリスでは伝統的にファーザー・クリスマスといいます)とトナカイのお話をしまょう。
*******
「ママー! チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』ってうちにあったっけ? もう一回読んでおきたいんだ」
「パパの書斎に行ってみて。小説がまとまっているところにあるはずよ」
ミックは12歳になって演劇に興味が出てきたので、イギリスのクリスマスに欠かせない定番物語『クリスマス・キャロル』のあらすじを確認しておきたいと思ったのでした。父ドナルドの書斎で本を見つけ、長い前髪をかき上げママの手作りミンスパイを頬張りながら居間のソファで読んでいると、愛犬の白いムク犬ジャックが入ってきて、外へ散歩しに行こうと促します。
「ジャック、もう少し待って。この章を読み終わったらね」
「バウっ」
ちょっと哲学者のような顔をしたムク犬のジャックは、ミックが5歳の時にやってきて以来、大の親友なのです。ふだんはミックのほうから散歩に誘うまで行きたいそぶりを見せないのですが、今日はミックの読書のせいで散歩の時間が大幅に遅れているようです。
「ねぇ、ママもこの本読んだ? とても不思議な話だよね。スクルージに幻影を見させているのは、一体なんなんだろう?」
「あぁ、あの。ママはね、あれはクリスマスの精霊だと思うの。ほら、イギリスではサンタクロースってわりと新しい存在でしょ。ママが子どもの頃はファーザー・クリスマスって呼んでたのよ」
「知ってる。今だってそう呼ぶ人がいるもの」
「ファーザー・クリスマスは古い民間伝承にもよく出てくるの。クリスマスが人の形をしていたらっていう想定で、皆が想像を膨らませたのね」とシェリー。ミックのママはオンライン大学の英文学の先生なので、意外と物知りなのです。
「ファーザー・クリスマスはふだんは山の方に住んでいて、クリスマスの時期だけ街の様子を見にやってくるような存在だったんじゃないかしら。ミスター・スクルージの荒んだ心に、クリスマスの慈悲の心を取り戻させるために、クリスマスの精霊が一計を案じたのね・・・」
「僕はサンタさんって言うよりも、ファーザー・クリスマスって言い方のほうが好きだな」
「あら、どうして?」
「だってコカコーラは好きじゃないもん」
「やだ、ミックったら。ふふふ」
「おじいちゃんって、ママの?」
「そうよ。おじいちゃんがね・・・子どもの時に見たって話してくれたこと・・・クリスマスの季節、たまたま早朝にリッチモンド・パークに散歩に行ったとき、鹿たちがトナカイみたいに飛ぶための訓練をしてたって・・・!」
「バフっ!」
突然ジャックが耳を立て、こちらを向いてひと吠えしました。
シェリーもミックもびっくりしてジャックを見ましたが、ジャックはチラッとこちらを見た後、また知らんぷりをして前足に頭を乗せて目をつぶってしまいました。
「本当かどうか知らないけれど、毎年12月も半ばを過ぎると、リッチモンド・パークの鹿たちは、北欧のトナカイの代わりにファーザー・クリスマスのお使いをすることを楽しみにしているんですって」
「鹿がトナカイの代わりをするなんて・・・そんなヘンテコなことがあるかな」
「私もおじいちゃんに聞いただけだからわからないけど、クリスマスの2週間前くらいから、どうも猛特訓が始まるらしいの」
「ふうん。じゃあ、その頃に公園に行けば特訓の様子を見られるってこと?」
「どうかしらね・・・うふふ」シェリーはちょっと楽しそうな顔になり、こう話を切り上げました。
「あと2週間くらいしたら始まるのかしら。行ってみれば? 早朝の明るくなる頃らしいわよ。さ、私は夕飯の支度をしなくちゃ」
レモン家はリッチモンド・パークのすぐそばにあり、ミックも幼少時からよく訪れている身近な場所。広大な公園ですが、だいたい鹿が現れるあたりはミックもよく知っています。それに、ジャックがいれば早朝だってちっとも怖くなんかないですから。
そして、クリスマスまで2週間を切ったある日の早朝・・・
ベッドで寝ているミックを、ジャックがキュンキュンという鼻声で起こしてきました。まだ薄暗い時間です。ジャックがしきりに外に出たがるので、ミックは眠い目をこすりながらベッドから起き出し、食卓の上に「ジャックと散歩に出てくる」と書き残して、静かな家を抜け出しました。
外に出ると朝靄がかかっています。真っ白い息を吐きながら靄の中を歩いていると、ジャックはどんどんリードを引っ張って、リッチモンド・パークの方に行きたがるのです。ミックはピンときて「さては・・・」
「もうアレが始まっているんだね、ジャック!」そう声をかけて一緒に公園へと勇み足で進んでいきます。
公園の入り口にたどり着くと・・・
目を凝らすと、鹿たちが朝靄の中に見えてきました。
「ミック坊や、ご機嫌よう。早起きは三文の徳と申すが、鹿たちの飛行訓練について相談を受けておりましての。それで今朝はここへお連れしたわけでございます」
「ジャック!」ミックは嬉しさのあまりジャックの首に抱きつき、こう聞きました。「君は鹿たちの飛行訓練について知っていたの?」
「もちろんでございます。その昔、シェリー様のお祖父様の代にも、私の何代か前の犬奉行がそれとなくお連れしたはずでございます」
「ふ〜ん。ジャックたちはずっとママの祖先と一緒なの?」
「シェリー様のオレンジ家には代々、犬奉行がお仕えし、レモン家には黒猫ミーシャの猫族がお仕えしているのでございます。私ども犬族がオレンジ家の血筋の者をこのリッチモンド・パークにお連れするときには、毎回ワケがあるのですぞ」
「へぇ。どんな理由?」
「それは・・・問題が発生しているワケでして・・・人間の知恵が必要なのでございます!」そう言うと、ジャックがチラと野原に目をやるのです。
ミックもつられてそちらの方を見ると、飛行訓練をしているはずの鹿たちがどことなくダラダラとしていて、ちっとも乗り気でない様子が窺えます。空の方ばかりを眺めていて、一向に飛ぼうとしないのです。
ジャックはそう言うと、トコトコと朝靄の中を歩いて、ミックを導いていきます。しばらく歩くと茂みの影に、何やら小さなお堂が立っているではありませんか。イギリス風に言うと、フォリーという庭や敷地を装飾するための小さな建物です。
「ささ、この中へどうぞ、お入りください」ジャックに言われるまま足を踏み入れ、お堂の中にすっぽりと収まってしまうと、グニューンと景色が歪んであたりは様変わりし、立派なお屋敷の中になりました。
「わー、すごいね! ここはどこなの?」
「ファーザー・クリスマス様のご自宅にございます」
「ファーザー・クリスマスの!?」
「さ、ミック坊や、こちらへず・ず・ずい〜とお進みくださいませ」
ミックがクリスマスの装飾でいっぱいの廊下を歩いていくと、突き当たりにファーザー・クリスマスとその奥方が食事をしている居間へたどりつきました。
白髭をたくわえた老人は、こう答えました。
「いかにも。わしはファーザー・クリスマス。現代風に言うとサンタじゃよ。ようこそミック坊や。ジャック殿、ご苦労であった」
「閣下におかれましては、ご機嫌うるわしゅう。して、例の問題は解決しましたかな?」
「それがまだなのじゃ。鹿どもめ。どうにもこうにも・・・最近の鹿は軟弱でいかんな」
「ジャック、どう言うこと? 説明して」
「コホン、つまりこういうことなのです。鹿が飛行するためには、力いっぱい勢いをつけて走り回り、血を昇らせて鼻を赤くする必要があるのです。赤い鼻は、いわばパワーの象徴なのでして・・・。『赤鼻のトナカイ』という歌がありますでしょう? あれは本当なのです。
ファーザー・クリスマスは夜中にそりを引く必要があるため、赤く光る鼻で道先案内をするトナカイは、とても大切な役割をするんですな。それはイギリスの鹿も同じこと。クリスマスの時期には特別なパワーを授かり、鹿たちも力いっぱい走り回ると、トナカイのように鼻が赤くなる。そこから飛行のパワーをもらうのです。しかし最近の鹿は、赤い鼻がクールではないと言い出しまして、とんと練習に身が入らないのでございます」
「問題っていうのは、鹿たちが自分たちの鼻を赤くするのを嫌っているということなんだね」
「さよう」とジャック。「このままではイギリス中の子どもたちに、プレゼントを届けられなくなってしまう・・・」
ファーザー・クリスマスは目の前のご馳走を美味しそうに平らげながら、ジャックの言葉を引き継いでこう言うのです。
「ミック坊や、そなたの母上のシェリー嬢の祖父にあたるお方は、当時、我らが抱えていた難題をみごと解決してくださった。そこでジャック殿に頼んで、そなたを遣わしていただいたのじゃ。何か良い知恵はないものかの?」
「そうだな・・・鹿たちにモチベーションを与えてあげるといいんじゃないかな。」
「モチベーションとは?」
「鼻を赤くする方がカッコいいと思ってもらうんだ。そうだな・・・人間の世界では、毎年『Red Nose Day』というのがあるんです。ご存じですか?」
レッド・ノーズ・デーというのは、イギリスで毎年3月に行われるチャリティー・イベントのことで、コメディアンたちが赤い鼻を付けて笑いを提供し、お金を集めて必要なチャリティーに寄付するという伝統ある活動のこと。この日は、ともかくコメディアンたちが大活躍!笑いをたくさん届けて人々の心を明るくするのです。
「最近は3月だけでなく、クリスマス時期の歳末助け合い期にトナカイの赤い鼻を利用したチャリティー活動が行われているんです。コメディアンはイギリスではヒーローです。普通の俳優たちよりも人気があるくらい。社会の憧れの的なんです」とミック。
「なるほど! 鹿たちに、鼻を赤くすることはヒーローになることだと伝えればいいのじゃな。クリスマスのヒーローになれと」
ファーザー・クリスマスはこう言うと、さっそく野原に出て鹿たちにこう告げました。
「今年の大ヒーローになりたい者は、どんどん練習して飛んでほしい! そして、家庭のすみずみまで笑いを届けるのじゃ!」
鹿たちはレッド・ノーズ・ヒーローの話を聞くと武者震いが止まらなくなり、我先にと練習を再開しました。そして、ミックとジャックが見守る中、“飛行のベテラン”になっていくのでした。
「どうだった? 鹿の飛行訓練は見られたの?」
「うん、すごい勢いで駆け回るんだ。力がみなぎって鼻が赤くなったら、飛べる仕組みみたい。ママも来られたらよかったのにな」
「あら、来年はぜひご一緒したいわ♪」
そして迎えたクリスマス・イブ・・・。もちろんミックも暖炉のそばに靴下をかけて眠りにつきます。
明け方。ミックがふと目覚めて窓の外を見ると、鹿たちが軽やかに空を駆けめぐり、ファーザー・クリスマスと見事な連携プレイをしているのが見えました。赤い鼻に、たくさんのエネルギーを蓄えて。
♪シャンシャンシャン♪
クリスマスの時期は、たくさんの不思議なことが起こるものです。戦争をしていても、休戦して仲良くしてみたりね。地球もきっと一休みしたいに違いありません。
ではロンドンから、ファーザー・クリスマスのハグをお届けしましょう! メリー・クリスマス。
江國まゆ
ロンドンを拠点にするライター、編集者。東京の出版社勤務を経て1998年渡英。英系広告代理店にて主に日本語翻訳媒体の編集・コピーライティングに9年携わった後、2009年からフリーランス。趣味の食べ歩きブログが人気となり『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房)を出版。2014年にロンドン・イギリス情報を発信するウェブマガジン「あぶそる〜とロンドン」を創刊し、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむかたわら、オルタナティブな生活について模索する日々。