オックスフォードを経てコッツウォルズに入った一行は、ミックルトンで宿を取った。宿泊したのは、スリーウェイズハウスホテルだ。このホテルは、英国の伝統料理プディングを復活させる”プディングクラブ”の旗手としても名高い。だが、愚かなことにその肝心のプディングをすっかり食べ忘れてしまった。きっと前日のオックスフォードでの雉事件が尾を引いたせいだろう。プディングは食べ損ねたが、ラムのコンフィ、スモークサーモン&サバ、季節野菜のサラダ、自家製スープ&パンなど、次々に運ばれてくる英国料理に舌鼓を打った。 昨夜からの篠突く雨が上がり、旅を後押しするかのように晴れた。この日は、ミックルトンを起点とし、チッピン・カムデン、ウインチカム、アッパースローター、ストウ=オン=ザ=ウォルド、バイブリーを車で駆け巡る。
静寂なミックルトンを早朝に出発し、車でおおよそ10分のヒドコート・マナー・ガーデンを訪れた。この庭園は、コンセプトごとに庭を区切るアウトドアルームという手法が特長で、一つの庭園の中で様々な様式を楽しむことができる。この美しい庭園を造園したのは、ローレンス・ジョンストンという退役軍人だ。彼は、ガーデニングの素人であったにも関わらず、自ら中国やアフリカなどにプラントハントに出かけ、およそ40年の歳月をかけてこの庭園を作り上げたのである。庭園内で見かけた可憐な赤紫色の花に惹かれ、スタッフのマダムに尋ねた。その花は”フクシャ”といいイギリスでは人気のある花のようだ。もし日本でも種が手に入れられるのならば、ベランダで育ててみたい。
ヒドコート・マナー・ガーデンをさらに南西に下り、ウインチカムという町にあるスードリー城を訪れた。突飛だが、”スードリー”という名を耳にしてすぐに連想したのはZ ガンダムだ。元来ガンダムシリーズの機体などには歴史に由来した命名が多いからだ。調べた結果、残念ながら大型輸送機スードリのルーツは北欧神話にあり、スードリー城とは無関係のようである。
さて、このスードリー城で興味深いエピソードを耳にした。ヘンリー8世の最後の妻キャサリン・パーは、王の亡き後にここを居城とした。ヘンリー8世と言えば、教科書にも登場する名君だが、6度の結婚をした稀代の色男でもある。波乱万丈の人生を送ったキャサリンは、死後城内の教会に埋葬されていた。だが、城は廃墟となり彼女が埋葬されていることは世間から忘れ去られた。後の研究で、彼女がスードリー城に眠っていることが判明するが、墓の管理はずさんで亡骸も悲惨な状態であった。満足に供養されなかったせいか、今も城内をさまよう彼女の姿をしばしば見かけるようである。この話を耳にして、残された廃墟と秀麗な庭園のコントラストになんとも言えぬ感傷的な気持ちになった。
城内には様々な調度品が展示されていて、ワードローブ内にはHenry Maxwellの乗馬靴とChurch’s の短靴が確認できた。また、スードリー城は、世界最高級手袋と称されるDENTSの創業者一族が所有していたこともある。メンズ、レディース共に実に多くの手袋が展示されていて感興をそそられた。
スードリー城を後にし、南東に位置するアッパースローターへ向かった。この小さな村にあるローズ・オブ・ザ・マナーで、初のアフターヌーンティーを体験するためだ。ここは、17 世紀中頃に建てられた荘園領主の邸宅を改修したマナーハウスだ。敷地内のロータリーに到着するやいなや、紳士が出迎えてくれて車の運転を代行してくれる。まるで貴族にでもなったような気分だ。
見聞する限りアフターヌーンティーは自分の手に負える代物ではないと悟り、父と共にクリームティーに留めた。焼きたてのスコーンとクロテッドクリームの相性は抜群で非の打ち所がない。英国では様々な場所で紅茶を飲むことができるが、基本的にティーバッグが市民権を得ている。ティーポットやティーカップにはずいぶんとこだわっていても、存外凡庸な茶葉を使用していることが多い。だが、このローズ・オブ・ザ・マナーは、茶葉で淹れてくれる上に、選択できる種類も豊富だ。ティーストレイナーを使用しているティールームも初めて目にした。
当初、庭でのティータイムを希望していたのだが、この日はハリケーン”ロレンソ”が英国本土に接近していた。しばしば突風が吹き付ける悪天候に見舞われたため、その願いは叶わなかったが、手入れの行き届いた静閑な庭を見ながらの紅茶の時間は格別だった。
この日の最終目的地バイブリーへ向かう途中、休憩がてらストウ=オン=ザ=ウォルドに立ち寄った。これまで訪れた町の中では比較的大きく賑やかだ。訪れてみたかったアンティークショップがいくつかあったが、日曜日のせいか閉店していたり、残念ながら閉業していた。日が沈む頃にはバイブリーに到着し、旅の疲れを癒した。
静寂なミックルトンを早朝に出発し、車でおおよそ10分のヒドコート・マナー・ガーデンを訪れた。この庭園は、コンセプトごとに庭を区切るアウトドアルームという手法が特長で、一つの庭園の中で様々な様式を楽しむことができる。この美しい庭園を造園したのは、ローレンス・ジョンストンという退役軍人だ。彼は、ガーデニングの素人であったにも関わらず、自ら中国やアフリカなどにプラントハントに出かけ、およそ40年の歳月をかけてこの庭園を作り上げたのである。庭園内で見かけた可憐な赤紫色の花に惹かれ、スタッフのマダムに尋ねた。その花は”フクシャ”といいイギリスでは人気のある花のようだ。もし日本でも種が手に入れられるのならば、ベランダで育ててみたい。
ヒドコート・マナー・ガーデンをさらに南西に下り、ウインチカムという町にあるスードリー城を訪れた。突飛だが、”スードリー”という名を耳にしてすぐに連想したのはZ ガンダムだ。元来ガンダムシリーズの機体などには歴史に由来した命名が多いからだ。調べた結果、残念ながら大型輸送機スードリのルーツは北欧神話にあり、スードリー城とは無関係のようである。
さて、このスードリー城で興味深いエピソードを耳にした。ヘンリー8世の最後の妻キャサリン・パーは、王の亡き後にここを居城とした。ヘンリー8世と言えば、教科書にも登場する名君だが、6度の結婚をした稀代の色男でもある。波乱万丈の人生を送ったキャサリンは、死後城内の教会に埋葬されていた。だが、城は廃墟となり彼女が埋葬されていることは世間から忘れ去られた。後の研究で、彼女がスードリー城に眠っていることが判明するが、墓の管理はずさんで亡骸も悲惨な状態であった。満足に供養されなかったせいか、今も城内をさまよう彼女の姿をしばしば見かけるようである。この話を耳にして、残された廃墟と秀麗な庭園のコントラストになんとも言えぬ感傷的な気持ちになった。
城内には様々な調度品が展示されていて、ワードローブ内にはHenry Maxwellの乗馬靴とChurch’s の短靴が確認できた。また、スードリー城は、世界最高級手袋と称されるDENTSの創業者一族が所有していたこともある。メンズ、レディース共に実に多くの手袋が展示されていて感興をそそられた。
スードリー城を後にし、南東に位置するアッパースローターへ向かった。この小さな村にあるローズ・オブ・ザ・マナーで、初のアフターヌーンティーを体験するためだ。ここは、17 世紀中頃に建てられた荘園領主の邸宅を改修したマナーハウスだ。敷地内のロータリーに到着するやいなや、紳士が出迎えてくれて車の運転を代行してくれる。まるで貴族にでもなったような気分だ。
見聞する限りアフターヌーンティーは自分の手に負える代物ではないと悟り、父と共にクリームティーに留めた。焼きたてのスコーンとクロテッドクリームの相性は抜群で非の打ち所がない。英国では様々な場所で紅茶を飲むことができるが、基本的にティーバッグが市民権を得ている。ティーポットやティーカップにはずいぶんとこだわっていても、存外凡庸な茶葉を使用していることが多い。だが、このローズ・オブ・ザ・マナーは、茶葉で淹れてくれる上に、選択できる種類も豊富だ。ティーストレイナーを使用しているティールームも初めて目にした。
当初、庭でのティータイムを希望していたのだが、この日はハリケーン”ロレンソ”が英国本土に接近していた。しばしば突風が吹き付ける悪天候に見舞われたため、その願いは叶わなかったが、手入れの行き届いた静閑な庭を見ながらの紅茶の時間は格別だった。
この日の最終目的地バイブリーへ向かう途中、休憩がてらストウ=オン=ザ=ウォルドに立ち寄った。これまで訪れた町の中では比較的大きく賑やかだ。訪れてみたかったアンティークショップがいくつかあったが、日曜日のせいか閉店していたり、残念ながら閉業していた。日が沈む頃にはバイブリーに到着し、旅の疲れを癒した。
部坂 尚吾
1985年山口県宇部市生まれ、広島県東広島市育ち。松竹京都撮影所、テレビ朝日にて番組制作に携わった後、2011年よりスタイリストとして活動を始める。2015年江東衣裳を設立。映画、CM、雑誌、俳優のスタイリングを主に担い、各種媒体の企画、製作、ディレクション、執筆等も行っている。山下達郎と読売ジャイアンツの熱狂的なファン。毎月第三土曜日KRYラジオ「どよーDA!」に出演中。
江東衣裳
http://www.koto-clothing.com