ミナック・シアターというケルトの記憶装置 | BRITISH MADE

Absolutely British ミナック・シアターというケルトの記憶装置

2022.10.11

コーンウォールは、間違いなくケルトの土地だ。

イングランド最西端を形成するこの地方はウェールズの南隣に位置し、かつてはコーニッシュ語として知られる独自の言語が話されていた。

Cornwallはケルト語で「突端」を意味し、そのとんがった半島を表していると言われる一方で、鉄器時代やローマ期にはここがコルノヴィー(Cornovii)と呼ばれるケルトの人々の土地だったからなど、語源には諸説ある。

夏の終わり、ささやかな国内旅行をすることにした私は、旅先にコーンウォールの最西端を選んだ。ケルトには昔から漠然とした親近感があり、この土地に戻っていくことにはさほど違和感はない。ケルトはアングロサクソン的な視点からみれば異教ではあるが、今現在も英国全体を守護するエネルギーであると感じている。

旅の目的は「最果てを見る」。そこでランズ・エンドをまず目的地に定め、次に長年に渡って憧れの地でもあったミナック・シアターにも立ち寄ることにした。
ランズ・エンドから眺めるケルト海。

コーンウォール最西端まで、ロンドンから電車で片道5時間半。その最突端の一画は、東西南北どこへ動くにも車で10分から20分程度であることを、今回の旅で初めて知ることになった。

私たちは列車の終点、ペンザンスを拠点に動くことにした。ここから宿に定めたランズ・エンドへと移動し、荷物を置くとすぐミナック・シアターへと向かう。
ランズ・エンドについてはまた稿を改めて書きたいほど素晴らしかった。
ポースカーノと呼ばれる土地に佇むミナック・シアター / Minack Theatreを、皆さんはご存知だろうか? 

その名の通り劇場なのだが、ロケーションに驚かされる。世界でも稀に見る岸壁の上に立つ石造りの野外劇場なのだ。背景には海が迫り、大空と一体化した劇場はまるで大自然の一部のようで、観る者を圧倒する。
到着時の様子です。
そこは電波の届きづらい土地だった。幸いなことに天候は穏やかで、空には白い雲がたなびいている。開演は19:30。夏の終わりを辺境の野外劇場で過ごそうと、大勢が集まってきていた。
少しずつ席についていきます。満員御礼でした!
ケルト海へと突き出た岸壁を土台にシアターを作ろうなどと思いついたのは、ロウィーナ・ケイドという女性だった。

第一次世界大戦が終わり、当時30代後半だったロウィーナは北イングランドからコーンウォールのこの地に引っ越し、すぐ地元に馴染んでいった。シェイクスピア好きが夏のアトラクションとして牧草地を利用した演劇を始めると毎年恒例の行事となり、ある年、「来年はテンペストをやろう」という話になった。そしてロウィーナは、こう思った。

「テンペストか。岸壁に沿ったうちの庭が、最適の舞台になる。」

彼女は庭師の手を借りながら自らも石を運び、形を整え、1年でローマ劇場のような不思議な円形劇場を作り上げた。大海原を背負ったこの劇場のこけら落としに、テンペストほどふさわしい演目があっただろうか。

この1932年の初演から、ロウィーナの劇場は毎年観客を迎えることになる。
夕日に輝く岸壁……美しかったです。
実はロウィーナにとって、これはほんのスタートだった。

初演の成功に気を良くした彼女は、もっと劇場らしくしたいと思い、春から夏にかけては開放し、それ以外の季節は土地の人たちの助けを借りて、手作業で主に客席を拡大していったのだ(ときにダイナマイトを使って!)。

私は初めてこの地に舞い降り、実際にこの目で見て思った。手作業で少しずつ劇場を掘り出していくことは、彼女にとってはセラピーのような行為だったのかなと。壁面や柱などに施したアートは、彼女自身の手によるもので、自然の造形を利用した客席が見事に背景との融合を果たしている。
舞台が始まりました!

私たちは少し上の方に陣取り、円形劇場を見下ろしご満悦だった。

ただちょっと失敗したと思ったのは、防寒をおろそかにしたこと。長いイギリス生活で9月半ばの夜間、海沿いが寒くなることくらい承知していたつもりだが、それでも地元の人らしき常連さんの防寒対策を見て少々ひるんだ。真冬のような厚手のレインコートを着ている人も多く、座る場所がどうしても石や芝生なので、クッションを持参している人も大勢いた。それを見てこちらも構えてしまったが、自分たちの工夫でなんとかしのげたのはよかった。
手作りの劇場。まるで小さなローマ劇場のようでしょう?

この日の演目は「眺めのいい部屋」。映画でおなじみのストーリーが陽気な音楽とコミカルな演技で進んでいき、会場は心地よい活気に包まれた。

ふと目をあげると、日没の光線が雲をピンク色に染めているのが見えた。気温もグッと下がり、ひざ掛けを足の下にたくし込んで夜の舞台に見入る。 濃いブルーになった空と海の境界がにじみ、溶け合っていく……。

舞台だけがぽっかり、オレンジ色のまま宙に浮いていた。そこには人と自然が織りなす究極のアートのかたちがあった。一人の女性のブレインチャイルドとして、手ずから創り上げたケルトの舞台が、自ら語りかけてくるようでもあった。
ミナック・シアターは年月を経て人々に知られるところとなり、第二次世界大戦後はプロダクションも大きくなった。1976年にはチャリティ団体として登録され、現在はロウィーナの血縁を含め地元の人々が運営している。

ロウィーナ(Rowena)という名前は、調べてみるとウェールズにルーツを持つようだ。「白い芽」または「有名な友人」という意味だそうで、純粋な思いから劇場を生み出し、創業者として著名になった彼女をそのまま表しているようでもある。

そういえばタクシーの運転手の一人が「俺は純粋のコーンウォール産なんだ」と、自慢していたっけ。遠い祖先まで地元の出身で、ミナック・シアターの建設に関わっていたと。

この劇場は、地元の人々の誇りでもあるようだ。

私はその後、セント・マイケルズ・マウント、セント・アイヴスなどコーンウォールらしい名所を回り、ケルトの息吹を胸いっぱい吸い込んで充電し、ロンドンへ戻った(コーンウォールにはなぜか「セント」と名のつく土地が多い)。

コーンウォールにはまだ訪れていない名所が山ほどある。次回の再訪が楽しみでならない。


Photo&Text by Mayu Ekuni




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江國まゆ

江國まゆ

ロンドンを拠点にするライター、編集者。東京の出版社勤務を経て1998年渡英。英系広告代理店にて主に日本語翻訳媒体の編集・コピーライティングに9年携わった後、2009年からフリーランス。趣味の食べ歩きブログが人気となり『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房)を出版。2014年にロンドン・イギリス情報を発信するウェブマガジン「あぶそる〜とロンドン」を創刊し、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむかたわら、オルタナティブな生活について模索する日々。

http://www.absolute-london.co.uk

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