今回も旅のお話をひとつ。点と線がつながっていくような、日英にまたがる不思議なご縁に導かれた旅だった。
時はプレコロナの晩秋にさかのぼる。
日本に一時帰国していた私は、いつものように宇都宮のスイーツ・ガールこと、Galettes and Biscuitsの安田真理子さんとの再会を楽しんでいた。このとき彼女はこう言ったのだ。「まゆさん、器が好きなら今度は益子に一緒に行きましょうよ〜ここから車で40分くらいなのよ」「ええー、行きた〜い。絶対行く!」
そして「次回は必ず益子へ」と心に決めていたのだが、いつしかそれもコロナ鎖国によってぼんやりと輪郭を失っていったのだった。
わが郷土、岡山県倉敷市は、知る人ぞ知る民藝の街なのである。倉敷美観地区と呼ばれる景観保存区域には、益子に劣らず民藝の足跡がいっぱい。なぜって・・・土地の名士として現在もその名を轟かせる大原財閥の大原孫三郎が、民藝に大きく心を寄せていたから。孫三郎は日本初の本格的な私立西洋美術館、大原美術館を創り上げた人でもあり、芸術への深い造詣のある実業家だった。
柳宗悦の音頭取りで東京目黒に日本民藝館が創設されたとき、大原孫三郎が最大級の功労者だという事実を、どれほどの人が知っているだろうか。柳に資金援助を申し出たのが孫三郎なのだが、それは民藝の価値を彼自身が認め、柳の理念に共鳴していたからであり、単なる財閥の気まぐれなどでは決してなかった。孫三郎はのちに、民藝への貢献は自分ができたことの中で最も意義があった、と回想していたという。
この歴史的な流れは、実は倉敷で生まれた陶芸、酒津焼につながっている。
酒津焼は明治初期に生まれ、倉敷・高梁川の清流に育まれた地元の工芸だ。益子焼に通じるどっしりとした民藝調の風合いが手に馴染んで使い良い。
昭和に入ると瀬戸や有田など近隣地域の有名な焼き物に押され、酒津焼は一時衰退していた。その再興を助けたのが、のちに益子を陶芸の里として興隆させた、濱田庄司その人だった。
濱田を倉敷に引っ張ってきたのは、京焼でのちに人間国宝になる近藤悠三。濱田と言えば柳宗悦の盟友でもあり、そのつながりでイギリス人陶芸家であり日本で活動していたバーナード・リーチも酒津を訪れた。リーチや濱田だけでなく、河井寛次郎や富本憲吉など当時の民藝スターたちが酒津の陶工たちを指導し、このときから酒津にはしっかりと民藝の礎が築かれた。
むろん大原孫三郎はその流れの中で、息子の聰一郎とともに重要な役割を演じた。大原美術館には現在、民藝運動の黎明期に活躍したリーチ、濱田、富本、河井、棟方志功、芹沢銈介という6名のアーティストたちの作品を展示した別棟の工芸館があるのだが、そのことにも倉敷と民藝の強いつながりを見ることができる。
益子焼はそんなつながりもあってか、倉敷でも折に触れて作家展があり、私は日本にいる頃からその素朴で温かみのある造形に心惹かれていた、という次第。簡単に言えば焼物好きとして、いつかは訪ねたい土地だったということだ。
そしてついにポストコロナとなり、約3年半ぶりの一時帰国が実現。宇都宮の安田真理子さんと交わしたプランを実行するときがきたのだ。
しかしこのたびのご縁は、さらに広がっていく傾向にあった。
仕事でよく益子に出入りされている民藝好きBritish Madeマーケティング部T氏に「益子に行くことになった」と伝えると、しばらくしたある日、長々とした「益子で行くべきリスト」が送られてきた(!)
そこで私と真理子氏はそのリストに沿って動くことにした。T氏のメールにはこうも書かれていた。
「リーチ工房の陶工頭、ルロフ・エイスさんが今、リーチ工房創設100周年記念のプログラムで益子に滞在中らしいですよ。イベントもあるみたいです」
すでに決めていた宇都宮に行く日程を確認すると、なんとルロフさんのイベント日とぴったり重なっているではないか。これは行くしかない。
私の初の益子行きは、リーチ工房の陶工頭であるルロフさんのワークショップ見学が加わり、にわかに彩りを増してきた。もちろんT氏のリストも制覇するつもりだ。
そして不思議な流れではあるのだが、実はこの益子行きが決まる数ヵ月前、私は偶然にもコーンウォールのセント・アイヴスを再訪していた。バーナード・リーチと濱田庄司がともに築いたリーチ工房が存在する場所である。
日本での活動に区切りをつけ、一大決心をして帰英した陶芸家バーナード・リーチが、濱田庄司の助けを借りてセント・アイヴスに登り窯を打ち立てたのは、1920年。その後、濱田が益子に濱田窯を築き、別々の場所で活動することにはなったが、二人の交流は最期まで続くことになった。
バーナード・リーチと濱田庄司のおかげで、日英の工芸交流はじつに奥深いものとなった。そのあたりのことについては、こちらのエッセイでも書いたので、ご興味あればぜひ読んでいただきたい。
二人のご縁により、セント・アイヴスと益子は2012年に友好都市としての絆を結んだ。そして国内外のアーティストとのさらなる交流を目指し、2014年に「益子国際工芸交流事業」を立ち上げ、毎年2回1〜2名の海外アーティストを益子に招待し、滞在制作をしてもらう事業「アーティスト・イン・レジデンス in 益子」をスタートさせたのである。
初回の招待アーティストはバーナード・リーチの孫であるフィリップ・リーチさんだった。彼を皮切りに5年間で12名にのぼるアーティストを招待し、益子の土と窯を使った作品作りを通して交流を深めたそうだ。
2021年には、前年に予定されていた「益子×セントアイヴス100年祭」が、濱田庄司のお孫さんである濱田友緒さんを委員長として開催。いきさつについてはご本人が書かれたエッセイを、ぜひご一読ください。
そして、リーチ工房の現陶工頭である、ルロフ・エイス / Roelof Uysさんの2ヵ月に及ぶ益子招聘の実現! 私が訪れた日はたまたま制作実演ワークショップがある日で・・・とてもラッキーだった。
実演をしながら、ルロフさんはこうおっしゃっていた。
「同じものを同じように作る技術も大切ですが、僕はそれぞれが持つ個性も大切にしたい。」
名もない陶工として土地に伝わる形を再現し続けることが民藝に求められていることかもしれないが、手仕事だからこそ、個性も出てくる。そう言い切れるルロフさんの姿勢と、現リーチ工房の伸びやかな気風が感じられる発言だなと思った。きっとどちらも正しいのだろう。
それにしてもリーチ工房の陶工頭の実演を、益子で見られるとは。これは本当に偶然なのだろうか。British Made T氏のおすすめの場所を回って行くことにした私たちは、偶然が偶然ではなくなる体験をすることになる・・・。
益子巡りの第一歩として、T氏リストの一番上に高らかに書かれていた「えのきだ窯」へ、まずは行ってみようということになった。
これは前述した「アーティスト・イン・レジデント in 益子」の逆バージョンとも言える交流プログラムで、益子陶芸美術館が主催する「リーチ工房研修プログラム」の一環なのだそう。本来は100周年に当たる2020年開催の予定だったが、こちらも2年延びて今年の夏、7月半ばから9月半ばの2ヵ月となった。
素敵なえのきだ窯の空間で、榎田智さんに当時の感想や展望などを少し伺ってみた。
「僕は大阪で生まれ育ち結婚を機に益子へ来て焼物の世界へ入りました。元々バーナード・リーチやリーチ工房の作品、民藝が好きで仕事をしていますので、セント・アイヴスで本場の空気を存分に吸い込めたのは本当に良い体験になりました。
セント・アイヴスではたくさんの人たちと交流でき、たくさんのことを学ばせていただきました。こういう生活スタイルから、こういう雰囲気の器が生まれるんだな、と気づけたことは大きな財産でしたね。
工房の皆さんに『100年以上続くリーチと濱田の絆をこれからはみんなで繋いでいこう!』と言ってもらい、帰国後自分にできることはなんでもやっていきたいと思うようになりました。そしてルロフが益子へやって来て、その思いはさらに強くなりました。
南アフリカ出身のルロフは、イギリスや日本などいろんな国に行きいろんな人と交流してきているので、あの優しい人柄なんだなと思います。テーブルフットボールに熱中する姿は子供のようでこちらも負けじと熱中しました! ルロフの次は絶対この人に益子に来てもらいたい!と思える友人ができたことは宝物です。
遠く離れたイギリスで、 益子焼と同じような素朴であたたかい器を作っている人たちがいること自体驚きです。いろんな考え方でみんな生きていることを見て感じて体験することの大切さを、身をもって経験できました。
コロナの前までは益子の中学生がセント・アイヴスに短期間留学するプログラムがありましたが、現在はストップしています。再開できるように何か手助けしていきたいなと思っています」
えのきだ窯だけでなく、その他の窯元もお店も、益子では素晴らしい出会いが数多くあった。小さな町だけれど見どころがたくさんあり、人も温かく穏やかだ。何よりものすごい数の陶芸作品! またぜひ訪れたいと思わせる陶芸の里だった。
これを見つけてしまった。え、榎田さん!?
そう言えば・・・と、今回セント・アイヴスと益子で買い求めた品物を引っ張り出してみた。
すると益子で買い求めたえのきだ窯の器に入っていた陶印と、リーチ工房で買い求めた器に入っていた陶印が見事に同じだとわかり・・・これには自分でも心底驚いてしまった。
私は遠いコーンウォールのリーチ工房のショップで、えのきだ窯に出会っていたのだ。それとは知らずに。
いや、それだけ益子とセント・アイヴスが近いということなのだろうか。
これからも益子とセント・アイヴスの交流は、続いていくのに違いない。二つの土地で、陶土がそこにある限り、きっといつまでも。陶芸は、地球と人とのコラボレーションなのだから。
時はプレコロナの晩秋にさかのぼる。
日本に一時帰国していた私は、いつものように宇都宮のスイーツ・ガールこと、Galettes and Biscuitsの安田真理子さんとの再会を楽しんでいた。このとき彼女はこう言ったのだ。「まゆさん、器が好きなら今度は益子に一緒に行きましょうよ〜ここから車で40分くらいなのよ」「ええー、行きた〜い。絶対行く!」
そして「次回は必ず益子へ」と心に決めていたのだが、いつしかそれもコロナ鎖国によってぼんやりと輪郭を失っていったのだった。
私が益子に行く理由
陶芸の里であり、民藝の中心地である栃木県・益子は、私にとって特別な響きのある、まだ見ぬ土地だった。心惹かれる理由は、自分自身のルーツにもある。わが郷土、岡山県倉敷市は、知る人ぞ知る民藝の街なのである。倉敷美観地区と呼ばれる景観保存区域には、益子に劣らず民藝の足跡がいっぱい。なぜって・・・土地の名士として現在もその名を轟かせる大原財閥の大原孫三郎が、民藝に大きく心を寄せていたから。孫三郎は日本初の本格的な私立西洋美術館、大原美術館を創り上げた人でもあり、芸術への深い造詣のある実業家だった。
柳宗悦の音頭取りで東京目黒に日本民藝館が創設されたとき、大原孫三郎が最大級の功労者だという事実を、どれほどの人が知っているだろうか。柳に資金援助を申し出たのが孫三郎なのだが、それは民藝の価値を彼自身が認め、柳の理念に共鳴していたからであり、単なる財閥の気まぐれなどでは決してなかった。孫三郎はのちに、民藝への貢献は自分ができたことの中で最も意義があった、と回想していたという。
この歴史的な流れは、実は倉敷で生まれた陶芸、酒津焼につながっている。
酒津焼は明治初期に生まれ、倉敷・高梁川の清流に育まれた地元の工芸だ。益子焼に通じるどっしりとした民藝調の風合いが手に馴染んで使い良い。
昭和に入ると瀬戸や有田など近隣地域の有名な焼き物に押され、酒津焼は一時衰退していた。その再興を助けたのが、のちに益子を陶芸の里として興隆させた、濱田庄司その人だった。
濱田を倉敷に引っ張ってきたのは、京焼でのちに人間国宝になる近藤悠三。濱田と言えば柳宗悦の盟友でもあり、そのつながりでイギリス人陶芸家であり日本で活動していたバーナード・リーチも酒津を訪れた。リーチや濱田だけでなく、河井寛次郎や富本憲吉など当時の民藝スターたちが酒津の陶工たちを指導し、このときから酒津にはしっかりと民藝の礎が築かれた。
むろん大原孫三郎はその流れの中で、息子の聰一郎とともに重要な役割を演じた。大原美術館には現在、民藝運動の黎明期に活躍したリーチ、濱田、富本、河井、棟方志功、芹沢銈介という6名のアーティストたちの作品を展示した別棟の工芸館があるのだが、そのことにも倉敷と民藝の強いつながりを見ることができる。
益子焼はそんなつながりもあってか、倉敷でも折に触れて作家展があり、私は日本にいる頃からその素朴で温かみのある造形に心惹かれていた、という次第。簡単に言えば焼物好きとして、いつかは訪ねたい土地だったということだ。
蔵屋敷が連なる倉敷美観地区。意外と西洋風の建築も多いのです。
益子へはセント・アイヴス経由で
そんなわけで「いつか益子へ」はずっと心にあった。そしてついにポストコロナとなり、約3年半ぶりの一時帰国が実現。宇都宮の安田真理子さんと交わしたプランを実行するときがきたのだ。
しかしこのたびのご縁は、さらに広がっていく傾向にあった。
仕事でよく益子に出入りされている民藝好きBritish Madeマーケティング部T氏に「益子に行くことになった」と伝えると、しばらくしたある日、長々とした「益子で行くべきリスト」が送られてきた(!)
そこで私と真理子氏はそのリストに沿って動くことにした。T氏のメールにはこうも書かれていた。
「リーチ工房の陶工頭、ルロフ・エイスさんが今、リーチ工房創設100周年記念のプログラムで益子に滞在中らしいですよ。イベントもあるみたいです」
すでに決めていた宇都宮に行く日程を確認すると、なんとルロフさんのイベント日とぴったり重なっているではないか。これは行くしかない。
私の初の益子行きは、リーチ工房の陶工頭であるルロフさんのワークショップ見学が加わり、にわかに彩りを増してきた。もちろんT氏のリストも制覇するつもりだ。
そして不思議な流れではあるのだが、実はこの益子行きが決まる数ヵ月前、私は偶然にもコーンウォールのセント・アイヴスを再訪していた。バーナード・リーチと濱田庄司がともに築いたリーチ工房が存在する場所である。
テート・セント・アイヴスからの眺め。海がキラキラでした。
日本での活動に区切りをつけ、一大決心をして帰英した陶芸家バーナード・リーチが、濱田庄司の助けを借りてセント・アイヴスに登り窯を打ち立てたのは、1920年。その後、濱田が益子に濱田窯を築き、別々の場所で活動することにはなったが、二人の交流は最期まで続くことになった。
秋晴れの日。ふたたびリーチ先生のお膝元へ。
リーチ工房は後進を育てる陶芸センターとしても今も機能しています。
工房で見つけたリーチ先生。
バーナード・リーチと濱田庄司のおかげで、日英の工芸交流はじつに奥深いものとなった。そのあたりのことについては、こちらのエッセイでも書いたので、ご興味あればぜひ読んでいただきたい。
二人のご縁により、セント・アイヴスと益子は2012年に友好都市としての絆を結んだ。そして国内外のアーティストとのさらなる交流を目指し、2014年に「益子国際工芸交流事業」を立ち上げ、毎年2回1〜2名の海外アーティストを益子に招待し、滞在制作をしてもらう事業「アーティスト・イン・レジデンス in 益子」をスタートさせたのである。
初回の招待アーティストはバーナード・リーチの孫であるフィリップ・リーチさんだった。彼を皮切りに5年間で12名にのぼるアーティストを招待し、益子の土と窯を使った作品作りを通して交流を深めたそうだ。
セント・アイヴス築窯100年を迎えて
そのリーチ工房が、2020年に創設100周年を迎えた。この年は日英で記念プログラムが企画されていたのだが、パンデミックで延期に。それがここへ来てようやく再開し始めたというわけ。2021年には、前年に予定されていた「益子×セントアイヴス100年祭」が、濱田庄司のお孫さんである濱田友緒さんを委員長として開催。いきさつについてはご本人が書かれたエッセイを、ぜひご一読ください。
そして、リーチ工房の現陶工頭である、ルロフ・エイス / Roelof Uysさんの2ヵ月に及ぶ益子招聘の実現! 私が訪れた日はたまたま制作実演ワークショップがある日で・・・とてもラッキーだった。
益子陶芸美術館の敷地内で行われたイベントです。
マグカップ制作の実演をしてくださいました。
大盛況!
実演をしながら、ルロフさんはこうおっしゃっていた。
「同じものを同じように作る技術も大切ですが、僕はそれぞれが持つ個性も大切にしたい。」
名もない陶工として土地に伝わる形を再現し続けることが民藝に求められていることかもしれないが、手仕事だからこそ、個性も出てくる。そう言い切れるルロフさんの姿勢と、現リーチ工房の伸びやかな気風が感じられる発言だなと思った。きっとどちらも正しいのだろう。
それにしてもリーチ工房の陶工頭の実演を、益子で見られるとは。これは本当に偶然なのだろうか。British Made T氏のおすすめの場所を回って行くことにした私たちは、偶然が偶然ではなくなる体験をすることになる・・・。
益子巡りの第一歩として、T氏リストの一番上に高らかに書かれていた「えのきだ窯」へ、まずは行ってみようということになった。
リーチと濱田がつなげているもの
えのきだ窯は130年の歴史を誇る窯で、現在は榎田智・若葉の若いご夫婦で作陶され、切り盛りされている。ご挨拶をして少しだけ歓談させていただいたのだが、なんとご主人の智さんは、この夏にセント・アイヴスへ研修に行かれていたというのだ!これは前述した「アーティスト・イン・レジデント in 益子」の逆バージョンとも言える交流プログラムで、益子陶芸美術館が主催する「リーチ工房研修プログラム」の一環なのだそう。本来は100周年に当たる2020年開催の予定だったが、こちらも2年延びて今年の夏、7月半ばから9月半ばの2ヵ月となった。
素敵なえのきだ窯の空間で、榎田智さんに当時の感想や展望などを少し伺ってみた。
「僕は大阪で生まれ育ち結婚を機に益子へ来て焼物の世界へ入りました。元々バーナード・リーチやリーチ工房の作品、民藝が好きで仕事をしていますので、セント・アイヴスで本場の空気を存分に吸い込めたのは本当に良い体験になりました。
セント・アイヴスではたくさんの人たちと交流でき、たくさんのことを学ばせていただきました。こういう生活スタイルから、こういう雰囲気の器が生まれるんだな、と気づけたことは大きな財産でしたね。
工房の皆さんに『100年以上続くリーチと濱田の絆をこれからはみんなで繋いでいこう!』と言ってもらい、帰国後自分にできることはなんでもやっていきたいと思うようになりました。そしてルロフが益子へやって来て、その思いはさらに強くなりました。
南アフリカ出身のルロフは、イギリスや日本などいろんな国に行きいろんな人と交流してきているので、あの優しい人柄なんだなと思います。テーブルフットボールに熱中する姿は子供のようでこちらも負けじと熱中しました! ルロフの次は絶対この人に益子に来てもらいたい!と思える友人ができたことは宝物です。
遠く離れたイギリスで、 益子焼と同じような素朴であたたかい器を作っている人たちがいること自体驚きです。いろんな考え方でみんな生きていることを見て感じて体験することの大切さを、身をもって経験できました。
コロナの前までは益子の中学生がセント・アイヴスに短期間留学するプログラムがありましたが、現在はストップしています。再開できるように何か手助けしていきたいなと思っています」
えのきだ窯だけでなく、その他の窯元もお店も、益子では素晴らしい出会いが数多くあった。小さな町だけれど見どころがたくさんあり、人も温かく穏やかだ。何よりものすごい数の陶芸作品! またぜひ訪れたいと思わせる陶芸の里だった。
ロンドンに帰って気づいたこと
とても素敵なご縁ができたな〜と嬉しく思いつつこの原稿を書き始め、セント・アイヴスのリーチ工房を訪れたときの写真を整理していたところ・・・これを見つけてしまった。え、榎田さん!?
リーチ工房のショップにて。
そう言えば・・・と、今回セント・アイヴスと益子で買い求めた品物を引っ張り出してみた。
すると益子で買い求めたえのきだ窯の器に入っていた陶印と、リーチ工房で買い求めた器に入っていた陶印が見事に同じだとわかり・・・これには自分でも心底驚いてしまった。
私は遠いコーンウォールのリーチ工房のショップで、えのきだ窯に出会っていたのだ。それとは知らずに。
いや、それだけ益子とセント・アイヴスが近いということなのだろうか。
これからも益子とセント・アイヴスの交流は、続いていくのに違いない。二つの土地で、陶土がそこにある限り、きっといつまでも。陶芸は、地球と人とのコラボレーションなのだから。
江國まゆ
ロンドンを拠点にするライター、編集者。東京の出版社勤務を経て1998年渡英。英系広告代理店にて主に日本語翻訳媒体の編集・コピーライティングに9年携わった後、2009年からフリーランス。趣味の食べ歩きブログが人気となり『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房)を出版。2014年にロンドン・イギリス情報を発信するウェブマガジン「あぶそる〜とロンドン」を創刊し、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむかたわら、オルタナティブな生活について模索する日々。