海辺の街ブライトンと私には、いくばくかの歴史がある。
90年代後半に渡英したての頃、すぐに友達になったイギリス人がブライトンに住んでいた。駅から歩いて5分。丘の上にあるフラットに、共通の友人たちと一緒に何度通ったことか。
当時、週末になると電車賃が割引となり、ロンドンから真南に1時間のロンドン−ブライトン間は、往復で数ポンドという安さだった。(たまに車掌さんが回ってこないこともあり、改札チェックのないイギリスの鉄道では無賃乗車さえ可能だった。当時の私はなんて鷹揚な国なのだろうと面白がったものだ。)
その高台にあるフラットから10分ほど南へ向かってブラブラと散歩すると、海辺にたどり着く。
ブライトンの浜は素足に優しくないジャリジャリの砂利浜として悪名高く、なめらかな白い砂浜を想像していると痛い目にあう。それでもイングランドきっての人気リゾート地だけあり、晴れた週末は大勢の地元民と観光客で賑わう。
海辺には新旧3つの観光用の桟橋があり、この街がどれほど栄光に包まれていたかを物語っている。
90年代には一番西にあるウェスト桟橋もボロボロだったけれどまだかろうじて形を残していて、好奇の目に晒されていた。現在も古きよき観光地の趣を残してくれているのが真ん中にあるパレス桟橋で、展望台、ティールーム、お土産物屋など三種の神器を揃えている。
雨や曇りのブライトンはまた、全く異なる表情を見せてくれる。そこはかとない退廃感というか、栄華の残り香のようなものを感じることができるだろう。そんな日は「まるでイギリスのコニーアイランドだな」などと思ってしまう。コニーアイランドなんて行ったこともないくせに。
90年代の日本ではアメリカの大衆文学が大流行りで、ある作家が一時期衰退していたコニーアイランドの哀愁について旅情あふれるエッセイを書いていて、私はなぜかとても興味を引かれた。確かピート・ハミルとかアーウィン・ショーとか、そういうタイプの作家だったと思う。あるいはビートニク世代の詩人だったかもしれない。NYを旅した時は残念ながらブルックリンの先端まで足を伸ばさなかったのだが、私はそのエッセイから60年代のコニーアイランドを肌で感じることができた。
大人気だった観光地が廃れてしまうのは寂しいものだ。失われてしまった活気。遊園地を楽しむ人々の残影。無邪気で罪のない記憶だけが大気に漂い、それも風が吹けば飛ばされてしまう。
けれども、ブライトンはそうした土地とは一線を画する安定した人気を誇ってきた稀有な海辺の街でもある。ちょっぴりボヘミアンでファンキーな住民たち。独特の音楽やファッションの文化。LGBT+の聖地でもあり、圧倒的に若い世代に人気がある。
今や骨組みだけになってしまったウェスト桟橋も、彼らにしてみれば過去の遺物ではなく、存外にイケてるランドスケープ・アートのようなものなのかもしれない。
90年代から現代にかけて、多くの地方都市が変化を余儀なくされたことだろう。ブライトンの細やかな変遷について私はここに書く資格を持たないが、つい最近歩いた街は相変わらず活気があり、音楽やストリート・アート、ファッションの独自文化を変わらず主張してきた。現地の別の友人に街の知らないエリアも案内してもらったが、そこには期待を裏切らないブライトンらしさがあった。
LGBT+の人々が誇りとともにパレードする「プライド」は、ブライトンでは夏の風物詩だ。たまたまパレードの日の近くに訪れたときは、町中がプライド・カラー一色になっていてこの街のLGBT+人口の多さを物語っていた。今では50万人が参加する一大イベントで、町中がお祭り騒ぎとなる。ブライトン・パレードはロンドンと同じ1972年に始まったので、歴史あるイベントだとも言える。
ブライトンが「自由の街」として認識されているのは、もしかするとヴィクトリア女王の叔父さんに当たるジョージ4世が大きく関わっているのかもしれない。
ジョージ4世は王太子時代、父王の健康が思わしくなくなると「摂政王太子」(プリンス・リージェント)として国を治めた。その彼が一目惚れした保養地ブライトンに別荘を作ったことが、現在のおしゃれなブライトンの始まりなのだ。
ジョージ4世は当時としてはかなり進取の精神のあった人で、よく言えば芸術を愛する自由人、悪く言えば女好きの放蕩息子。現在ブライトン中心部にそびえるロイヤル・パビリオンと呼ばれる建物は、彼が保養地として訪れたこの街を気に入り、さっそく作り上げた別荘なのだが、いやはやなんという建築なのだろう。
ジョージ4世は、摂政王太子時代から多くの建築事業を成し遂げた人だ。そのお抱え建築士のような立場だったのがジョン・ナッシュで、このロイヤル・パビリオンだけでなく、ロンドンのバッキンガム宮殿を改築し、摂政王太子の称号にちなんだ“リージェント”ストリートを設計デザインしたのも彼。ジョージ4世とはツーカーの仲でおそらく似たような美的感覚の持ち主だったのだろう。
ロイヤル・パビリオンができたおかげでブライトンには多くの貴族が出入りするようになり、他の地方都市から一歩抜きん出た存在になった。つまりジョージ4世がブライトンに現在のような「ファッショナブルな街」というアイデンティティをもたらした当の本人なのである。
周辺は公園や緑道が整備されたお散歩エリアとなっている。そしてこのロイヤル・パビリオンの近くに、食の救世主がいた。
ブライトンでお腹が空いたら、どこに行くべきなのだろうか? その問いへの答えを探すべく、潤沢なネット情報と格闘していたときのこと、地元の友人がそっと耳打ちしてくれた。昨年オープンしたばかりのイタリア料理店、Tuttoはなかなか良いよと。
歴史あるヴィクトリア・ガーデンズに面した最高ロケーションに位置するTuttoは、ネオ・ジョージアン様式の旧銀行を利用したどっしり重厚感のある佇まい。とても静かな環境なのである。(そのためか外に聴こえるようダンス音楽をかけているのだがこれは要らないと思う。全体とミスマッチでせっかくの風情に水を差すことに・・・)
店内は広い。オリジナル建築の良さは極力保存され、アール・デコ調のレトロなインテリアは味わい深く好ましい。壁にかけられた地元アーティストの絵画は温かく大胆な色使いで周囲に溶け込んでいるようだ。
知らなければ絶対に来なかった場所、かもしれない。そういう意味では友人には感謝の気持ちしかない。なぜって最高に落ち着く空間で、ご飯も美味しく、スタッフ全員がプロフェッショナルで素晴らしかったから。
前菜代わりにいただいたのは、ブラッド・オレンジとビーツのサラダ、海老の炭火焼きンドゥイヤ・オイル、そしてテンダーステム・ブロッコリーのフリット!
あとで調べてみると、Tuttoはすでにブライトン市内で3軒の上質なレストランを手がけるレストラン・グループによる新プロジェクトだと分かった。だからこそ市民から絶大な信頼を寄せられているのだ。目立つところにある穴場。そんな印象の店なので、機会あればぜひ立ち寄ってみてほしい。(入り口でかかっている安っぽいダンス音楽に怯まないで!建物の中までは聴こえてこない。)
もう1軒、地元友人がお勧めしてくれたカフェがある。知る人ぞ知るヴィーガン・カフェの「Helm Ston」だ。
なんて小さな店! せり出したカウンターが店の大半を占め、その上にはヴィーガン・スナックやケーキがぎっしり。テーブル席が一つだけ店の奥にあるのだが、ランプの灯りなくしては顔も見られないような暗さで、どこかボヘミアンな魅力をたたえている。オーナー男性がたった一人で調理からサービス、デリバリーまで全てを切り盛りしている街の愛されカフェだ。いただいたヴィーガン・ブラウニーも丁寧に淹れてくださるお茶も、最高だった。
ブライトンの魅力は、自由な気風そのものにある。若く活気にあふれ、観光客とのミックスで独自の魅力を紡ぎ出す。飲食も面白いが、ショップ巡りも外さない。クラブやライブハウスなど、音楽シーンもチェックしておきたい。イギリスらしい現代カルチャーを満喫できる、ロンドンから近い個性ある街なのである。
夏にかけて日が長くなると、イギリスでは午後の遅い時間が、日本の正午から2時にかけてのような眩しく輝かしい時間帯となる。
午後4時。
私は浜辺へと戻り、温かい砂利に足をうずめ、帽子を目深にかぶって目を閉じる。潮騒と人々の話し声がやがて遠のき、ゆったりと自分に返っていく。海のある街はいいなぁ。
90年代後半に渡英したての頃、すぐに友達になったイギリス人がブライトンに住んでいた。駅から歩いて5分。丘の上にあるフラットに、共通の友人たちと一緒に何度通ったことか。
当時、週末になると電車賃が割引となり、ロンドンから真南に1時間のロンドン−ブライトン間は、往復で数ポンドという安さだった。(たまに車掌さんが回ってこないこともあり、改札チェックのないイギリスの鉄道では無賃乗車さえ可能だった。当時の私はなんて鷹揚な国なのだろうと面白がったものだ。)
その高台にあるフラットから10分ほど南へ向かってブラブラと散歩すると、海辺にたどり着く。
ブライトンの浜は素足に優しくないジャリジャリの砂利浜として悪名高く、なめらかな白い砂浜を想像していると痛い目にあう。それでもイングランドきっての人気リゾート地だけあり、晴れた週末は大勢の地元民と観光客で賑わう。
90年代には一番西にあるウェスト桟橋もボロボロだったけれどまだかろうじて形を残していて、好奇の目に晒されていた。現在も古きよき観光地の趣を残してくれているのが真ん中にあるパレス桟橋で、展望台、ティールーム、お土産物屋など三種の神器を揃えている。
90年代の日本ではアメリカの大衆文学が大流行りで、ある作家が一時期衰退していたコニーアイランドの哀愁について旅情あふれるエッセイを書いていて、私はなぜかとても興味を引かれた。確かピート・ハミルとかアーウィン・ショーとか、そういうタイプの作家だったと思う。あるいはビートニク世代の詩人だったかもしれない。NYを旅した時は残念ながらブルックリンの先端まで足を伸ばさなかったのだが、私はそのエッセイから60年代のコニーアイランドを肌で感じることができた。
けれども、ブライトンはそうした土地とは一線を画する安定した人気を誇ってきた稀有な海辺の街でもある。ちょっぴりボヘミアンでファンキーな住民たち。独特の音楽やファッションの文化。LGBT+の聖地でもあり、圧倒的に若い世代に人気がある。
今や骨組みだけになってしまったウェスト桟橋も、彼らにしてみれば過去の遺物ではなく、存外にイケてるランドスケープ・アートのようなものなのかもしれない。
2003年の火災でほぼ燃え尽きたウェスト桟橋を望む。 ロイヤル・パレス桟橋が青空に映える。
私とブライトンの蜜月は、突然終わりを迎えた。友人が高台のフラットを人に貸してロンドンに移り住んでからは、かの地を訪れる頻度が格段に減り、時折日本から来る友人を連れて訪れるくらいになった。それが去年から今年にかけて、別々の理由で3度訪れる機会があり、ブライトンと私の間にあった絆が何となくまた強くなったような気がして、嬉しくなった。90年代から現代にかけて、多くの地方都市が変化を余儀なくされたことだろう。ブライトンの細やかな変遷について私はここに書く資格を持たないが、つい最近歩いた街は相変わらず活気があり、音楽やストリート・アート、ファッションの独自文化を変わらず主張してきた。現地の別の友人に街の知らないエリアも案内してもらったが、そこには期待を裏切らないブライトンらしさがあった。
ジョージ4世は王太子時代、父王の健康が思わしくなくなると「摂政王太子」(プリンス・リージェント)として国を治めた。その彼が一目惚れした保養地ブライトンに別荘を作ったことが、現在のおしゃれなブライトンの始まりなのだ。
ジョージ4世は当時としてはかなり進取の精神のあった人で、よく言えば芸術を愛する自由人、悪く言えば女好きの放蕩息子。現在ブライトン中心部にそびえるロイヤル・パビリオンと呼ばれる建物は、彼が保養地として訪れたこの街を気に入り、さっそく作り上げた別荘なのだが、いやはやなんという建築なのだろう。
異国情緒全開のロイヤル・パビリオン。庭の植栽も異国風。
1800年代前半に、こんな異国趣味のヘンテコなビルを堂々と建ててしまうなんて、本当に芸術狂でデカダンな王様である。外観はなにやらインド風だが、内装はかなりのシノワズリ。ドラゴンや東洋の武人が迎えてくれるエキゾチックなインテリアとなっているらしい。(異国情緒への強い憧れというのは実にイギリス人らしいとも言えるのだが。)ジョージ4世は、摂政王太子時代から多くの建築事業を成し遂げた人だ。そのお抱え建築士のような立場だったのがジョン・ナッシュで、このロイヤル・パビリオンだけでなく、ロンドンのバッキンガム宮殿を改築し、摂政王太子の称号にちなんだ“リージェント”ストリートを設計デザインしたのも彼。ジョージ4世とはツーカーの仲でおそらく似たような美的感覚の持ち主だったのだろう。
ロイヤル・パビリオンができたおかげでブライトンには多くの貴族が出入りするようになり、他の地方都市から一歩抜きん出た存在になった。つまりジョージ4世がブライトンに現在のような「ファッショナブルな街」というアイデンティティをもたらした当の本人なのである。
周辺は公園や緑道が整備されたお散歩エリアとなっている。そしてこのロイヤル・パビリオンの近くに、食の救世主がいた。
ブライトンでお腹が空いたら、どこに行くべきなのだろうか? その問いへの答えを探すべく、潤沢なネット情報と格闘していたときのこと、地元の友人がそっと耳打ちしてくれた。昨年オープンしたばかりのイタリア料理店、Tuttoはなかなか良いよと。
店内は広い。オリジナル建築の良さは極力保存され、アール・デコ調のレトロなインテリアは味わい深く好ましい。壁にかけられた地元アーティストの絵画は温かく大胆な色使いで周囲に溶け込んでいるようだ。
前菜代わりにいただいたのは、ブラッド・オレンジとビーツのサラダ、海老の炭火焼きンドゥイヤ・オイル、そしてテンダーステム・ブロッコリーのフリット!
テンダーステム・ブロッコリーのフリットはスナックとして最高。中がダンプリングのようになっていて初めていただく味。パルメザンとよく合う。
メインにはスズキのグリル、カニ肉の手打ちパスタ。両者ともに丁寧に調理され、文句ない味のバランス。サイドに頼んだサルサ・ヴァルデを添えたピンクファー・ポテトはバケツ一杯食べたいほどだった。ここはハーブ使いが天才的だ。 ピンクファーは大好きなジャガイモ品種。絶妙なテクスチャーと風味。
イタリアンにしては珍しく(?)ティラミス以外にも本格的なデザートがあり、これがシンプルで本当に美味しかった。チョコレートとヘーゼルナッツのトルテ、そしてクレメンタインのトルテだ。前者はバランスのとれた素晴らしいチョコレートのシグニチャー・デザート。そして後者はリコッタ・クリームが柑橘類の爽やかさと絶妙にマッチし、上品なアマレットの香りがアクセントを添える逸品であった。午後4時。
私は浜辺へと戻り、温かい砂利に足をうずめ、帽子を目深にかぶって目を閉じる。潮騒と人々の話し声がやがて遠のき、ゆったりと自分に返っていく。海のある街はいいなぁ。
江國まゆ
ロンドンを拠点にするライター、編集者。東京の出版社勤務を経て1998年渡英。英系広告代理店にて主に日本語翻訳媒体の編集・コピーライティングに9年携わった後、2009年からフリーランス。趣味の食べ歩きブログが人気となり『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房)を出版。2014年にロンドン・イギリス情報を発信するウェブマガジン「あぶそる〜とロンドン」を創刊し、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむかたわら、オルタナティブな生活について模索する日々。