のっけからイングランドには大変失礼なのだが、歴史の分厚さや真の「英国度」では、スコットランドにはとうてい敵わないと思う。
ご存知のように英国王室の面々はほぼ外国にルーツを持つ人たちだ。現王室はその血の半分はドイツから受け継ぎ、現国王の父親はギリシャとデンマークの血筋。そもそもイギリス王家の開祖と言われるウィリアム1世は、フランスはノルマンディー出身の人。その彼も元を辿れば北欧のバイキングなのである。
その点、スコットランドの人々は由緒正しい。少なくとも初代の王様はピクト人と言われる現地人で、ケルト民族。中世以降だって子どものいなかったエリザベス1世を差しおき、処刑されたスコットランド女王メアリーの子孫が、実質的に現王室の血を綿々と後世に残していることを考えると、実に感慨深い。英国を真に統治できるのは、もしかするとスコットランドの人々なのかな? なんちゃって。(そういう意味でウェールズの人々にも絶大な権利があるのではあるのだが。)
前置きが長くなってしまったが、今回は昨年訪れたスコットランド第2の都市、グラスゴーのことを書きたいと思う。グラスゴー! なんという魅惑的な都市であったことか。工業都市として堅固な地位を築いている反面、近年はクリエイティブな芸術の街としても頭角を現している。
実は昔からグラスゴーにはそこはかとない憧れがあった。理由の一つは、「Glasgow」という言葉の響き。とてもエキゾチックで、そそられるものがある。
調べてみると「グラスゴー」はゲール語における「Cleschi」に由来するとかで、「Dear green place」の 意味があるそうだ。ケルトの人々が使っていた古いブリトン語に由来するため、響きに現在の英語とは異なる異国情緒を感じるからだろう。
正史の王道をゆく古都エジンバラの陰に隠れがちだが、実際にグラスゴーを訪れるとその豊富な水源と緑地、陰影のある建築群に圧倒される文化都市であることがわかる。実は1900年までロンドンに次ぐ英国第2の都市として栄えていた歴史があり、英国の産業分野における屋台骨であることにもリスペクトを送りたい。何はともあれ、カルチャー散歩には、もってこいなのだ。
幸い、今回は現地に暮らす知人に案内してもらうことができた。私が訪れた場所から、愛しのグラスゴーの見どころをいくつかご紹介しよう。
スコットランドのアートを堪能したいならここ! 美しい赤砂岩のバロック建築に圧倒されるグラスゴー随一のミュージアム、ケルビングローブ美術館・博物館へ(赤レンガではないので、ご注意)。とりあえず向かいたいのはパイプオルガンが設置された教会のような荘厳な吹き抜けセンター・ホール。時間が合えば軽やかな音色のオルガン・リサイタルを堪能できるだろう。展示は多岐にわたり、恐竜や海洋生物の標本、古代ミイラ、オランダ絵画、フランス印象派の絵画、現代アーティストの作品、グラスゴーが誇る建築デザイナー、マッキントッシュの作品などなど、それぞれの興味が赴くまま観て回ろう。
私のおすすめは、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍をみせた若きスコットランド人芸術家グループ、グラスゴー・ボーイズの展示。ケルビングローブならではの豊富な点数が魅力だ。グラスゴー・ボーイズは好んで農村の牧歌的風景を描いた一派なのだが、これはエジンバラの保守的なアート・グループへの反発から興ったからだという。フランスの自然主義画家の影響を受けているようにも見えるが、実は間違いなくアート&クラフツ運動などにつながるロマン主義的な抒情性を感じることができる。当時のジャポニズムに魅せられ日本に遊学したグラスゴー・ボーイもいて、関連展示があるのでお見逃しなく。
イースト・コートの巨大空間に展示されている現代アーティスト、ソフィー・ケイヴによる彫刻作品「The Floating Heads」も必見。人間の喜怒哀楽をおかしなオジサンの頭で表現したインパクトのある作品だ。20世紀初頭に完成した古典主義の内装と、こういった現代アートが融合する様子も面白い。その他、ダリが描いた有名なキリスト像が実はこのミュージアムの目玉。
歩き疲れたとき、建築の街グラスゴーならぜひ「グラスゴーが誇る建築家、マッキントッシュがデザインしたWillow Tearoomsへ行こう」と言いたいところなのだが、実際に行ってみての感想は……ここでなくてもいいのかも? というわけで別の休憩処をご紹介したい。まずは中心街にある「The Tea Rooms」。ここでジョージ王朝タウンハウスの1階と2階を占めるヴィンテージ感あふれる空間に一目惚れ。内装、食器、雰囲気の全てがラブリー。自家製のパンとケーキが大活躍し、卵を使った軽食も大人気だ。ちょっと風変わりなスコティッシュ・メニューで知られる地下のレストラン「The Butterfly and the Pig」と同グループ。
もう一つ個性あふれるカフェとして、チャリング・クロス駅のすぐ近くにあるOttoman Coffeehouseをお勧めしたい。中心街のごく静かな通りに現れるトルコ系カフェ。1905 年にグラスゴー音楽家協会によってジャズのコンサート・ルームに改装された保護建築が、2015 年に内装をそのままにカフェに転換。本場の豆で淹れる香り高いコーヒーを求め、超個性的なノスタルジック空間を目指して愛好家が訪れる。
初めて訪れたグラスゴーで度肝を抜かれたのが、グラスゴー大聖堂だ。またの名を聖ムンゴ大聖堂。街の東側一帯が高台になっているのだが、その小高い丘を利用した墓地がある(下記参照)。その墓地から見下ろす場所、つまりその墓地を背負っているのが、12世紀建造の威風堂々たるグラスゴー大聖堂である。それは一見するとまるで中世の堅牢な要塞だ。実際、要塞だったのかもしれない。なぜなら礼拝所としての役割が第一義なら、もう少し街の中心にあっても良さそうなものではないだろうか。しかしグラスゴーの大聖堂は街の東端に佇み、気のせいか外部からの侵入者を威嚇するかのようにも見えるのだ。
建築的にはスコットランドで唯一、宗教改革の嵐を生き抜いた中世のスコットランド式ゴシック建築であり、年季が入っているからか外壁が黒々としている。その黒い壁を見ていると、工業都市グラスゴーに染み付いている精神的な煤のようなものか、はたまた陰影の深いスコットランドの歴史を映しているのか、わからなくなってくる。
大聖堂北側に並ぶガーゴイルも見どころ。「もののけ姫」に登場する乙事主を思わせる不思議な動物の顔が並ぶ様子から、中世以前の匂いを嗅ぎ取ることができるだろう。ちなみに中世初期、グラスゴーの大学機能がまだ完全に整っていなかった頃、この大聖堂がドミニコ修道僧たちのための講義堂として使われていたそうだ。
大聖堂の隣には、これまた心底驚かされる巨大な王立診療所(Glasgow Royal Infirmary)が聳え立っている。なんというか、見ているだけで畏怖の念を起こさせる建築なのだ。歴史をひもといてみると、18世紀創立で現在の建物は20世紀初頭のものだとか。いかにも重厚なグラスゴーらしい病院だと言えるだろう。
この、街の東側の大聖堂一帯は、グラスゴーという都市が持つダークな側面を表しているような気がしてならない。そこにはきっと、語られない歴史が深く横たわっているに違いないのだ。
前述したようにグラスゴー大聖堂の背後には小高い丘があり、そこがうねりのある墓地になっている。この墓地を、人々は「ネクロポリス」と呼ぶ。ネクロポリスとはギリシャ語で「死者の都」という意味であり、イギリス国内でこの名で呼ばれる埋葬所は、ここだけだ。(上の写真はネクロポリスから大聖堂を見下ろす眺め)
グラスゴー・ネクロポリスが現在のような美しい墓標が連なる墓地になったのは、ヴィクトリア朝時代のこと。さほど深い歴史があるわけではない。しかし一説によると、5 世紀頃にこの地方の別の土地からやってきた聖者が、この地にキリスト教の墓地を造ったと言われているそうなので、埋葬地としての歴史はもっと長そうだ。文化的にひもとけば興味深いストーリーも際限なく出てくるだろう。ゆっくり、歴史と文化をかみしめつつ歩いてみることをお勧めしたい。
グラスゴー市内で最も長い通り、Argyle Street。中心部のアーガイル・ストリート駅からクライド川に平行して北西へと伸び、ケルビングローブ美術館・博物館の向こう側まで続いている全長3.4キロの目抜き通り。この通りの西側周辺は活気に満ちていると同時に、少しインダストリアルな雰囲気もあり、まるで東ロンドンのショーディッチのよう! 個性的なカフェやレストラン、バーが立ち並ぶクール雰囲気が魅力。さらなる北西エリアは「West End」と呼ばれ、ヴィクトリア朝時代の建物が並ぶお洒落エリアだ。これに対して昔ながらの商店街の役割を担っているのがBuchanan Street。マッキントッシュのThe Willow Tea Roomsは、この通り沿いにある。
東に行けば行くほど飲食店が多くなり、グルメ通りの印象を受けたのだが、期せずしてこの通り沿いにあるいくつかのレストランを試すことになったので、そちらをご紹介しよう。
まずはアーガイル通り1066番地にある「Fanny Trollopes」。2002年創業の大人気スコッチ・ビストロで、アール・デコ調の正面デザインが目印。19世紀のイギリス人大衆作家、ファニー・トロロープにちなんで名付けられた店名は一度聞くと忘れられない。オーナーシェフのギャリー・ベイレスさんが、旬の地元食材を使ってスコッチ=フレンチのとびきり上等の料理を作ってくれる(写真上)。
さらに通りを北上すると、ケルビングローブ美術館・博物館の目の前という好立地に定番インド料理店「Mother India」がある。地元の人々も大のお気に入りだという1990年創業の老舗。お料理をいただいてみてびっくり。これは本当に美味しい! 調べてみると世界中からグルメたちが訪れる有名店らしい。ミュージアムにお運びの際は、ぜひこちらへ。
そして夜のとばりが降りたなら、陽気で賑やかなレストラン&バーへどうぞ。「The Ubiquitous Chip」(あまねく在るポテトフライ)と言う不思議な店名のこちらは、なんと創業1971年。今もグラスゴーで最も愛される家族経営のレストラン兼バーなのだそうだ。いくつかの部屋に分かれているパブのような造りだが、料理はガストロパブの流儀。正味3日の滞在で一度も食事で外れなかったのは、やはりグラスゴーの食事レベルが高いからだと見ている。
グラスゴーは、誰が何と言おうと建築の街だ。特に570年の歴史を誇る英語圏で4番目に古いグラスゴー大学に関係している建築には、眼を見張るものがある。現にグラスゴー大学はスコットランド内にあるどの大学よりも保護指定建築が多いのだ。
最もよく知られているのは、かのギルバート・スコット卿が設計したギルモアヒル・キャンバス(写真上と下)。古典的なゴシック・リバイバル様式の学舎は学校と言うよりも聖堂のような趣。大学が宗教学などを学ぶ場所だったことを考えるとそれも納得がいくのである。
またグラスゴー出身の建築家、チャールズ・レニー・マッキントッシュがデザインした図書室などもある。今回、マッキントッシュについてざっとおさらいしてびっくりしたのは、彼はなぜか晩年に干されて建築の仕事がこなくなり、水彩画など別のことをしていたという事実。時代を先取りしすぎていたのか、はたまた保守的な建築学会に嫌われたのか……実に気の毒な晩年。これは建築業界の損失ではないだろうか。
この街を歩いていると、ロンドンの赤煉瓦の街並みとはまったく異なることに気づく。同じヴィクトリア朝時代のタウンハウスでも、グラスゴーはブロンド色(または赤色)をしたスコットランド産の砂岩を切り出して作っているので、醸している雰囲気が異なる。時代を経るごとに重厚感が増してくるようだ。つまりレンガではなく石造りの建築文化であることが、スコットランドとイングランドの町並みを大きく分けているのではないかというお話。その重厚な町並みに心地良さを感じ始めたころ、残念ながらロンドンに戻るタイミングになってしまった。
グラスゴーはローマ時代以前から栄えていた古い土地だ。にもかかわらず実質的に中世以前の遺産をさほど残しておらず「比較的新しい街」と思われがちなところが実に残念。今回、憧れを抱いていたグラスゴーを実際に歩いてみて、そんな思いが強くなってしまった。次回の再訪が待ちきれない。
ご存知のように英国王室の面々はほぼ外国にルーツを持つ人たちだ。現王室はその血の半分はドイツから受け継ぎ、現国王の父親はギリシャとデンマークの血筋。そもそもイギリス王家の開祖と言われるウィリアム1世は、フランスはノルマンディー出身の人。その彼も元を辿れば北欧のバイキングなのである。
その点、スコットランドの人々は由緒正しい。少なくとも初代の王様はピクト人と言われる現地人で、ケルト民族。中世以降だって子どものいなかったエリザベス1世を差しおき、処刑されたスコットランド女王メアリーの子孫が、実質的に現王室の血を綿々と後世に残していることを考えると、実に感慨深い。英国を真に統治できるのは、もしかするとスコットランドの人々なのかな? なんちゃって。(そういう意味でウェールズの人々にも絶大な権利があるのではあるのだが。)
前置きが長くなってしまったが、今回は昨年訪れたスコットランド第2の都市、グラスゴーのことを書きたいと思う。グラスゴー! なんという魅惑的な都市であったことか。工業都市として堅固な地位を築いている反面、近年はクリエイティブな芸術の街としても頭角を現している。
実は昔からグラスゴーにはそこはかとない憧れがあった。理由の一つは、「Glasgow」という言葉の響き。とてもエキゾチックで、そそられるものがある。
調べてみると「グラスゴー」はゲール語における「Cleschi」に由来するとかで、「Dear green place」の 意味があるそうだ。ケルトの人々が使っていた古いブリトン語に由来するため、響きに現在の英語とは異なる異国情緒を感じるからだろう。
正史の王道をゆく古都エジンバラの陰に隠れがちだが、実際にグラスゴーを訪れるとその豊富な水源と緑地、陰影のある建築群に圧倒される文化都市であることがわかる。実は1900年までロンドンに次ぐ英国第2の都市として栄えていた歴史があり、英国の産業分野における屋台骨であることにもリスペクトを送りたい。何はともあれ、カルチャー散歩には、もってこいなのだ。
幸い、今回は現地に暮らす知人に案内してもらうことができた。私が訪れた場所から、愛しのグラスゴーの見どころをいくつかご紹介しよう。
グラスゴー・ボーイズに会いに行く
ティータイムはあくまで個性的に
グラスゴー大聖堂とは何者か?
大聖堂北側に並ぶガーゴイルも見どころ。「もののけ姫」に登場する乙事主を思わせる不思議な動物の顔が並ぶ様子から、中世以前の匂いを嗅ぎ取ることができるだろう。ちなみに中世初期、グラスゴーの大学機能がまだ完全に整っていなかった頃、この大聖堂がドミニコ修道僧たちのための講義堂として使われていたそうだ。
大聖堂の隣には、これまた心底驚かされる巨大な王立診療所(Glasgow Royal Infirmary)が聳え立っている。なんというか、見ているだけで畏怖の念を起こさせる建築なのだ。歴史をひもといてみると、18世紀創立で現在の建物は20世紀初頭のものだとか。いかにも重厚なグラスゴーらしい病院だと言えるだろう。
この、街の東側の大聖堂一帯は、グラスゴーという都市が持つダークな側面を表しているような気がしてならない。そこにはきっと、語られない歴史が深く横たわっているに違いないのだ。
ネクロポリスの散策で見えてくるもの
グラスゴーの「ウェスト・エンド」、アーガイル・ストリート
モダンなスコットランド料理の選択肢がいっぱい
川沿いの散策で楽しく充電
かつて貿易や造船業で重要な役割を果たしたクライド川が街の東西を流れ、豊かな水源として魅力ある景観を形作っている。オススメの散策ルートは、クライド川の支流であるケルビン川の野趣あふれる景色を楽しむコース。グラスゴー植物園からケルビングローブ美術館・博物館のある公園へと南下し、人気アトラクション、リバーサイド博物館が佇むクライド川に合流しよう。途中、アーチを描くいくつもの美しい橋をくぐり、植物相を観察し、野鳥やリスなどと出会って自然との一体感を楽しむことになる。グラスゴー大学と、周辺の建築物を愛でる
最もよく知られているのは、かのギルバート・スコット卿が設計したギルモアヒル・キャンバス(写真上と下)。古典的なゴシック・リバイバル様式の学舎は学校と言うよりも聖堂のような趣。大学が宗教学などを学ぶ場所だったことを考えるとそれも納得がいくのである。
1930年オープンの学生組合ビル。側面のデザインも独特。 1969年にオープンした土木工学科のランキン・ビル。 1939年頃に完成した読書棟。
さて、短い滞在ではあったが、私が地元の知人の助けを借りつつ見て回ったグラスゴーの見どころをご紹介してみた。この街を歩いていると、ロンドンの赤煉瓦の街並みとはまったく異なることに気づく。同じヴィクトリア朝時代のタウンハウスでも、グラスゴーはブロンド色(または赤色)をしたスコットランド産の砂岩を切り出して作っているので、醸している雰囲気が異なる。時代を経るごとに重厚感が増してくるようだ。つまりレンガではなく石造りの建築文化であることが、スコットランドとイングランドの町並みを大きく分けているのではないかというお話。その重厚な町並みに心地良さを感じ始めたころ、残念ながらロンドンに戻るタイミングになってしまった。
グラスゴーはローマ時代以前から栄えていた古い土地だ。にもかかわらず実質的に中世以前の遺産をさほど残しておらず「比較的新しい街」と思われがちなところが実に残念。今回、憧れを抱いていたグラスゴーを実際に歩いてみて、そんな思いが強くなってしまった。次回の再訪が待ちきれない。
江國まゆ
ロンドンを拠点にするライター、編集者。東京の出版社勤務を経て1998年渡英。英系広告代理店にて主に日本語翻訳媒体の編集・コピーライティングに9年携わった後、2009年からフリーランス。趣味の食べ歩きブログが人気となり『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房)を出版。2014年にロンドン・イギリス情報を発信するウェブマガジン「あぶそる〜とロンドン」を創刊し、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむかたわら、オルタナティブな生活について模索する日々。