この春、友人に会うため久しぶりにケンブリッジを訪ねた。ちょうどピンク色の花々が咲き始める頃で、フレッシュな空気をまとうのは心地よかった。
ケンブリッジ。人口約15万人が暮らす世界有数の大学都市だ(うち学生は約25,000人)。ロンドンからは電車で約1時間の距離。オックスフォードと同じく古い街並みが美しく、学生たちから発せられる独特の活力がみなぎる。
英国に暮らす人なら誰もが知る長寿テレビ番組に「University Challenge」がある。いわゆる大学対抗クイズだ。英国津々浦々の大学生たちがチームを作って知識を競うのだが、これがかなりエグい。どうやってもあからさまにオックスブリッジ(オックスフォード大学+ケンブリッジ大学の俗称)のチームが強いのである。さすが世界トップと言われるだけあるなぁなんて、ふだんあまり大学生と接点のない私でも感心するほど。
卒業生たちの活躍を見ればケンブリッジ大学に多くの英才たちが在籍していることは一目瞭然だ。国の機関を背負って立つ人たちも、ここから多数輩出される。学生の青田買い目的でケンブリッジとその周辺に拠点を定める企業(特に情報産業およびテック系)、研究機関は多く、また国をあげてのスタートアップ支援エコシステムが存在しているのもここだ。
ケンブリッジで最も古いカレッジであるピーターハウスは少し特殊で、年間80名の学生しか取らない狭き門。物理学への貢献でも知られているが、私も好きなデイヴィッド・ミッチェルというコメディアンの出身カレッジでもある。英国のコメディアンは高学歴の人が多いのが特徴で、頭の回転の速さや世界の動きを批評する眼を求められるからだが、ケンブリッジ大学には有名な学内コメディ・クラブがあり、デイヴィッド・ミッチェル同様そこから世に出るコメディアンも多数いる。
カレッジはハリー・ポッターで言う「グリフィンドール」とか「ハッフルパフ」のようなもので学生生活の基盤だ。大学ではカレッジにかかわらず受講できる講義のほかに、カレッジ内で個人や少人数グループを対象にした個別指導があり、何やら現代における師弟制度に近い感じ。チューターと学生が親密な距離の中で、3年間を走り切るアカデミズムの原型がそこにある。
カレッジはケンブリッジ大学という大枠組織の中に存在する、私設教育機関という位置づけだ。カレッジ運営は独立採算制で、学費だけでなく、大方は卒業生からの寄付や企業投資で成り立っている。例えばトリニティ・カレッジの卒業生にはチャールズ国王もいて、トラストを設立し莫大な寄付をしている模様。同様の寄付体制が他のカレッジにもあるはずで、いわば紳士淑女クラブのように学生時代から世界的ネットワークを形成していく組織という見方もできる。広義の「ケンブリッジ・クラブ」のようなもので、卒業生による緩やかなネットワークが世界中に広がっている感じ。日本にも慶應早稲田その他で見られることではあるが、その規模が過剰にグローバルという点で少し異なるかもしれない。
学問の府としてのケンブリッジの起源は諸説あるのだが、オックスフォードで一部学生と住民の折り合いが悪くなり、嫌気がさした学生たちが流れ着いて新たに教育機関を立ち上げたのが始まり、というのが定説となっている。
しかしこれが本当かどうかはわからない。はっきりとした資料が残っているわけではなく、間接的な資料から後世導き出した仮説だ。いずれにせよ11〜13世紀頃のイギリスでは神学こそが学問中の学問とされていたわけなので、枢機卿や司教のパワーが強い行政区が力を持つのが当然であり、大学設立の背景にはおそらく今以上に高度に政治的な(いや、宗教的というべきか)理由が隠れているはずなのである。
古今東西、学問と宗教が切っても切り離せない時期があったのはご存じの通り。英国がカソリックから分離したのが16世紀。それ以前はカソリック国である。しかし当時、カソリック的な神学がどれほど科学的な見地からかけ離れ、学者をうんざりさせていたかは想像にあまりある。
そんな中で科学はこっそり闇の世界で醸成され、アカデミック闇市のような素地ができあがっていったのではないだろうか。ちなみにケンブリッジが科学、オックスフォードが人文に秀でているという説があるが、これはおそらく意味があることなのだろう。
先ほどの起源の謎に戻ると、もしかすると神学一辺倒で行き詰まった学者や学生たちが、オックスフォードから枝分かれして流れ出たというのが真相かもしれない。彼らの受け入れ先としては、おそらく科学に対する広い心を持った宗教家のいる教会区であったはずで、ケンブリッジその他の行き先が検討され、最終的にすでに大勢が注目していた商業都市ケンブリッジが残った、と考えると筋道が通る。
というわけでケンブリッジは立派な先生たちが表向きはバチカンの方を向きながら、闇でこっそり科学を突き詰めていった。そんな勇気ある学問の都だと考えると、なかなか楽しい。
とはいえ街で一番私の目を引いた建物はこちら。大学構内にあるキングス・カレッジ・チャペルである。この立派な建物を見た途端、中に入りたくてしょうがなくなったので、入場料を払って入ってみた。
あるテーマについてディスカッションをしてもらう会だったのだが、「自分の意見を筋道立てて述べる」ことにかけては、英国の教育は本当に優れているのだと改めて感心させられた。自分が考えていることを相手に伝えることは、コミュニケーションの基本だ。相手の言うことに耳を傾け、自分の意見を述べ、思いを交換する。そのスキルがここ英国では小学校から大学までの間に、授業でしっかりと築かれていく。日本ではなかなかお目にかかれない教育光景だ。
アカデミックであることは決して学究のデクノボウになることではなく、人間性を磨くことで学問の本質に近づき、最終的にそれを人間生活に役立てることではないかと思う。英国の大学に残る「カレッジ制」は教師と学生の距離が近く、より人間的な学究体制のような気がする。結果生まれる研究のクオリティも、自ずと深く人に優しいものになっていくのではないだろうか。
大学のあり方が、日本と英国でそんな風に違うことも興味深い。今後日本は、どこにいくのだろう。ケンブリッジでふと、そんなことを考えた。
ケンブリッジ。人口約15万人が暮らす世界有数の大学都市だ(うち学生は約25,000人)。ロンドンからは電車で約1時間の距離。オックスフォードと同じく古い街並みが美しく、学生たちから発せられる独特の活力がみなぎる。
到着したのは夕方。趣ある古い建築がひときわ美しい。
「古くて新しい」を地でいく学生街。
ケンブリッジは2度目のはずだが、前回がいつだったかも思い出せない。初めての気持ちで眺める夕刻の街は、自転車に乗る学生たちで華やいでいた。誰もがどこかを目指して、ゆったりと移動している。道ゆく人々は若い。しかし彼らが往来する通りからは、街が刻んできた陰影ある歴史を否応なく感じ取ることができる。古めかしくもエレガンスがあり、そこはかとない色気さえ感じられるのだ。英国に暮らす人なら誰もが知る長寿テレビ番組に「University Challenge」がある。いわゆる大学対抗クイズだ。英国津々浦々の大学生たちがチームを作って知識を競うのだが、これがかなりエグい。どうやってもあからさまにオックスブリッジ(オックスフォード大学+ケンブリッジ大学の俗称)のチームが強いのである。さすが世界トップと言われるだけあるなぁなんて、ふだんあまり大学生と接点のない私でも感心するほど。
卒業生たちの活躍を見ればケンブリッジ大学に多くの英才たちが在籍していることは一目瞭然だ。国の機関を背負って立つ人たちも、ここから多数輩出される。学生の青田買い目的でケンブリッジとその周辺に拠点を定める企業(特に情報産業およびテック系)、研究機関は多く、また国をあげてのスタートアップ支援エコシステムが存在しているのもここだ。
これも大学の一部。歴史を感じる。
大学は「カレッジ」と呼ばれる31の学寮から成り、それぞれ特徴がある。中でもクライスト・カレッジ、トリニティ・カレッジ、ピーターハウスは超優秀。クライスト・カレッジはかつてのチャールズ・ダーウィンの学び舎であり、トリニティ・カレッジはアイザック・ニュートンが在籍していたほかノーベル賞受賞者を32名輩出している名門である。ケンブリッジで最も古いカレッジであるピーターハウスは少し特殊で、年間80名の学生しか取らない狭き門。物理学への貢献でも知られているが、私も好きなデイヴィッド・ミッチェルというコメディアンの出身カレッジでもある。英国のコメディアンは高学歴の人が多いのが特徴で、頭の回転の速さや世界の動きを批評する眼を求められるからだが、ケンブリッジ大学には有名な学内コメディ・クラブがあり、デイヴィッド・ミッチェル同様そこから世に出るコメディアンも多数いる。
カレッジはハリー・ポッターで言う「グリフィンドール」とか「ハッフルパフ」のようなもので学生生活の基盤だ。大学ではカレッジにかかわらず受講できる講義のほかに、カレッジ内で個人や少人数グループを対象にした個別指導があり、何やら現代における師弟制度に近い感じ。チューターと学生が親密な距離の中で、3年間を走り切るアカデミズムの原型がそこにある。
1816年創設のフィッツウィリアム・ミュージアム。
例えばケンブリッジの中心部に「The Fitzwilliam Museumフィッツウィリアム・ミュージアム」という街いちばんの博物館がある。これは第7代フィッツウィリアム子爵リチャード・フィッツウィリアムの私有財産の寄贈により創設されたもの。子爵はアイルランド系貴族で、ケンブリッジ大学トリニティー・ホールで学んだ。卒業生とのご縁から生まれた壮麗なミュージアムは、今や街の至宝なのである。 古代エジプトのコレクションは見応えあり。東洋の工芸品の中には日本の民藝の作品もあった。
フィッツウィリアム子爵は街づくりに大いに貢献した立役者として広く認められているようで、ケンブリッジで大人気のカフェ「Fitzbilliesフィッツビリーズ」にも、その名をとどめている(BillyはWilliamの砕けた呼び方)。フィッツビリーズは1920年創業の老舗。ブランチ・メニューのほかシロップがたくさんかかったチェルシー・バンズなどが定番人気だ。 街のあちこちにFitzbilliesが!
食事やケーキ類のクオリティもなかなか。
ところでケンブリッジでは、昔からずっと学問が盛んだったのだろうか?学問の府としてのケンブリッジの起源は諸説あるのだが、オックスフォードで一部学生と住民の折り合いが悪くなり、嫌気がさした学生たちが流れ着いて新たに教育機関を立ち上げたのが始まり、というのが定説となっている。
しかしこれが本当かどうかはわからない。はっきりとした資料が残っているわけではなく、間接的な資料から後世導き出した仮説だ。いずれにせよ11〜13世紀頃のイギリスでは神学こそが学問中の学問とされていたわけなので、枢機卿や司教のパワーが強い行政区が力を持つのが当然であり、大学設立の背景にはおそらく今以上に高度に政治的な(いや、宗教的というべきか)理由が隠れているはずなのである。
そんな中で科学はこっそり闇の世界で醸成され、アカデミック闇市のような素地ができあがっていったのではないだろうか。ちなみにケンブリッジが科学、オックスフォードが人文に秀でているという説があるが、これはおそらく意味があることなのだろう。
先ほどの起源の謎に戻ると、もしかすると神学一辺倒で行き詰まった学者や学生たちが、オックスフォードから枝分かれして流れ出たというのが真相かもしれない。彼らの受け入れ先としては、おそらく科学に対する広い心を持った宗教家のいる教会区であったはずで、ケンブリッジその他の行き先が検討され、最終的にすでに大勢が注目していた商業都市ケンブリッジが残った、と考えると筋道が通る。
というわけでケンブリッジは立派な先生たちが表向きはバチカンの方を向きながら、闇でこっそり科学を突き詰めていった。そんな勇気ある学問の都だと考えると、なかなか楽しい。
とはいえ街で一番私の目を引いた建物はこちら。大学構内にあるキングス・カレッジ・チャペルである。この立派な建物を見た途端、中に入りたくてしょうがなくなったので、入場料を払って入ってみた。
ケンブリッジ全体を守護する大学教会は、このキングス・カレッジ・チャペルの斜め向かいにあるグレート・セント・メアリー教会。でも彫刻的にはこっちの方が断然オカルト。
あまりにもすごすぎたインテリア。
キングス・カレッジ・チャペルは15世紀から16世紀にかけて、イングランドの歴代国王の命によって段階的に建設された。着工を命じた当時の王様はヘンリー6世。彼はイートン校のチャペル建設と並行してここを進めており、紆余曲折を経た建築段階で交流もあり、両者には似た点が多い。いずれも壮麗で天に届かんばかりの垂直ゴシック様式であり、チャペル内に入ると、まず大規模かつ精緻な扇形ヴォールトに目を奪われる。 ドラゴンとハウンド。いずれも王室を表す。
コウモリのようにも見える有名なオルガン(右)。左は意匠学的にも面白い天井彫刻。
右は扉に掘られていた面白い彫刻。おそらく彫刻職人によるお遊びの一つ。
壁面に繰り返し出てくる王室を表す紋章。薔薇と牢獄。
薔薇戦争を挟んで建設されたチャペルは両家の戦没者を悼む彫刻もあるとみられ、意匠好きにとってはたまらないシンボルの宝庫。オカルトな造りに度肝を抜かれるので、ケンブリッジに来られたらぜひ立ち寄ってみてほしい。またチャペル入場を含むチケットがあればキングス・カレッジの敷地内も歩くことができる。800年を超える学問の奔流を感じつつ、カム川のほとりを散策したいケンブリッジなのである。 ケンブリッジと言えば学生が漕ぎ手のパンティング!
ところで最近、仕事で6名の大学生と交流することがあった。ケンブリッジ、UCL、インペリアル・カレッジの精鋭たちだ。あるテーマについてディスカッションをしてもらう会だったのだが、「自分の意見を筋道立てて述べる」ことにかけては、英国の教育は本当に優れているのだと改めて感心させられた。自分が考えていることを相手に伝えることは、コミュニケーションの基本だ。相手の言うことに耳を傾け、自分の意見を述べ、思いを交換する。そのスキルがここ英国では小学校から大学までの間に、授業でしっかりと築かれていく。日本ではなかなかお目にかかれない教育光景だ。
アカデミックであることは決して学究のデクノボウになることではなく、人間性を磨くことで学問の本質に近づき、最終的にそれを人間生活に役立てることではないかと思う。英国の大学に残る「カレッジ制」は教師と学生の距離が近く、より人間的な学究体制のような気がする。結果生まれる研究のクオリティも、自ずと深く人に優しいものになっていくのではないだろうか。
大学のあり方が、日本と英国でそんな風に違うことも興味深い。今後日本は、どこにいくのだろう。ケンブリッジでふと、そんなことを考えた。
江國まゆ
ロンドンを拠点にするライター、編集者。東京の出版社勤務を経て1998年渡英。英系広告代理店にて主に日本語翻訳媒体の編集・コピーライティングに9年携わった後、2009年からフリーランス。趣味の食べ歩きブログが人気となり『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房)を出版。2014年にロンドン・イギリス情報を発信するウェブマガジン「あぶそる〜とロンドン」を創刊し、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむかたわら、オルタナティブな生活について模索する日々。