ジャージー紀行 ―イギリスの中のもうひとつのイギリス― | BRITISH MADE (ブリティッシュメイド)

Little Tales of British Life ジャージー紀行 ―イギリスの中のもうひとつのイギリス―

2024.09.13

イギリスとフランスとの間にある海峡と言えば、イギリス海峡、または英仏海峡とか、ラ・マンシュ海峡のこと。最狭部分はユーロトンネルの通るドーヴァー海峡。日本語では「海峡」の一言ですが、英語にすると、河のように狭ければストレイトで、諸島が構成されるくらいの広めの海峡はチャネルと呼ばれます。今回、当方が所用をかねて訪れたジャージー島は、イギリス海峡の中でもチャネル諸島最大の島。と言っても、海岸線の全長は約32km。広島県の厳島や鹿児島県の与論島と同規模です。イギリス国内の旅行だからと、湘南江ノ島にでも向かう気楽な気分で出発しましたが、フェリーに乗船する直前になって、ふと、あることが気になりだしました。

国内旅行だよね!?

「今からフランス方面のフェリーに乗るってことは、イギリス本土から離れるってことだよね」と言うと、妻も気づいたらしく「あ、電話のこと……?何も調べてなかった。ジャージー島でO²やBT(ブリテッィシュ・テレコム)は使えるのかな?」という返し。「いやいや、それだけじゃなくて、何も調べてないでしょ。だって、国内旅行だと思い込んでいたから。それに、もしかしたら、パスポートも要るの?」と小パニックに……。

イングランドのプール港からジャージー島行きカーフェリーに乗船する受付で聞くと「出国審査?そんなもんはないよ」と言われ、パスポートの携帯は不要であることが判り、少しだけ安堵。しかし、まだまだ不安が残ります。乗船するなり、キャビンで目にした案内文には「出港後、間もなくするとイギリス電話会社のシグナルは届かなくなります。高額なローミング代がかからぬように機内モードにされるか、ジャージー島の電話会社JTのSIMカードの購入をお勧めします」との宣伝文。プール港からジャージー島までは4~6時間の旅、その間無料wifiが使えるのは、連続した30分間のみという状況。無駄金は使いたくない、と貧乏根性丸出しで、ジャージー島について知りたいことをメモに書き出し、30分以内に集中して、効率的なネット検索。島に到着後の道中では、愛車のカーナビが使えましたが、買い物や観光情報などは宿泊先のネットワークで検索し、必用な情報はスクリーンショットに保存して対応。そして、ジャージー島では、他にも意外な「国内旅行」を経験することになります。


意外性の連続……ドラマ

当方ら夫婦は2024年6月、最初の1週間を滞在する予定で、カーフェリーを使ってイングランドからジャージー島に渡りました。今回の旅の目的は、釣り、海産物、食事と地元食材での調理、ランブリング(ぶらぶら歩き)などなど風光明媚な「国内旅行」をしこたま楽しむことでした。

マック木下のジャージー紀行ジャージー島のラウンドアバウトは5つのみ。運転する旅行者にとって、最大の難所と言えば一車線の狭い道(島全体の80%)とこのフィルター・イン・ターンのラウンドアバウト。

しかし、ジャージー島では意外性の連続。まず、島に到着して、セント・ヘリア港で下船してからのこと。愛車で上陸し、宿を目指します。最初に気づいたのは、島内でもイギリス本土とジャージー島ではナンバープレートの表示が異なるので、島人かどうかが分かることです。島人の運転する車は高級車でも車幅は狭め。一方、本土ナンバーの旅行者は車幅の広い超高級車が大勢。島の住民は道路の狭さゆえに、セカンドカーとして日本のS社の軽自動車を好む傾向あり。幹線道路でも最高時速が40miles/hなのは、道路が狭いからでしょう。一車線双方向通行の狭い道を譲り合いながら前進する、まさに狭きツアー。7日間毎日島内を運転していて、対向車との譲り合いが上手く行かないこともあり、サイドミラー同士が3度ほどかすり合いました。

マック木下のジャージー紀行ジャージーの通貨。エリザベス女王二世が別人に見えます。

また、ラウンドアバウト(環状交差点)があったので、普通に侵入すると左前方の車が、優先権のあるはずのこちらを確認もせず目の前を横切りました。危険なので、クラクションを鳴らしたら、その運転者が怒りの表情で、ラウンドアバウト内の標識を指差します。

「何あれ?意味分からん」 

その標識には“Filter in Turn”と。それはチャネル諸島独自のルールで、ラウンドアバウトでは交代で優先権が替わるとのこと。その判断の微妙さには、在島した7日間では慣れなかったので、停止線からジリジリ進みながら、右と前方の両方向の安全を確かめる方法を取りました。他にも本土とは異なるところがあります。例えば、先にも述べた電話は、BTやO₂ではなくJTです。もちろん、日本のタバコ屋さんとは無関係。さらに、郵便もロイヤルメイルではなくJP(ジャージーポスト)。ロンドンの義妹に誕生日カードを投函する際、切手も本土とは異なることが判明。紙幣もエリザベス女王二世の正面画像で「なんか知らない人?」という感じのデザイン。食料品は同じ量販店でも本土よりも何割か高いし……。やはり、ジャージー島は本土イングランドとは、ちょっと(だいぶ?)違います。


マック木下のジャージー紀行ジャージー島では郵便制度が1852年に確立。当時、州都セント・ヘリアにポスト・ボックスが4基建てられましたが、現存するものは無し。本土のEⅡRやGRなどとは異なったJP(Jersey Post)のデザイン表記。

ジャージー島はイギリス本土から120miles(約200km)離れている一方で、フランスからは20milesほどの距離。むしろ、フランスの量販店を導入した方が、物価が安くなるのでは……と思うばかり。何しろ島内の地名や通り名はことごとくフランス語です。古生代にはフランスと地続きの土地でしたから、チャネル諸島がイギリス領であることに、違和感と不自然さを覚えまくりました。

マック木下のジャージー紀行2か国語表記の通り名も。英語の「教会通り」の下に仏語で書かれているのは「スカートをたくし上げる道」。その昔、この通りの真ん中に流れていた小川で、周囲がいつもぬかっていて歩きにくかったことからついた通り名。右のロイヤル・スクウェア(王室広場)の下には、仏語で「市場」と。

イギリス領内の自治国家?

不自然さの陰には歴史が付きまといます。ざっくり言うと、政治的には、933年にノルマンディ公の所有を経て、王室属領とされたのが1254年。以来、フランス系の住民が残留したものの、防衛と外交以外の自治権を維持してきた、いわば、独自の憲法を有する自治政府を持つことがチャネル諸島の政治的な特徴です。今でも連合王国には属せず、王室の私領地のままであるのはマン島とチャネル諸島だけ。ジャージー島の正式名称を「イギリス王室属領ジャージー代官管轄区」と直訳してみました。

マック木下のジャージー紀行映画Darkest Hour (邦名:ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男)の舞台となったセント・オーバン地域の集会所は、現代に至ってヨットクラブとして健在。

マック木下のジャージー紀行ヨットクラブの向かいにあるこの港からチャーチルのダイナモ作戦が実行されます。漁夫などの民間人が船団を組んで、島から22km離れたノルマンディなどフランスの海岸からの避難を待つイギリス兵士を救いに向かう場面は、映画でドラマティックに描かれていました。

その他、歴史的に注目されたのは、第二次大戦下にドイツに占領され、ノルマンディ上陸作戦の裏舞台になったことと、チャーチル首相が占領で疲弊した島民に、ドイツ軍の占領が終わった後でも援助を行わなかったので、人道支援団体の国際赤十字社が島民を緊急援助したこと。そして、チャーチル首相の映画“Darkest Hour”で最高に盛り上がった場面が美しい海岸に広がることなどなど……。島の民間人が、ノルマンディなどの海岸で待つ何万人ものイギリス軍撤退兵を助けに行くために、チャーチルの呼びかけで結成された漁船の大船団が出発したセント・オーバンは、現在フィルムツーリズム(ロケ地めぐり)の場となっています。

マック木下のジャージー紀行第二次世界大戦中、ジャージー島を占領したドイツ軍が戦時病院などの目的で造ったジャージー戦争トンネルは、当時の島の状況を案内する博物館で、超人気スポット。占領軍撤退後は、国際赤十字社がこの施設を拠点に、困窮した島民のための緊急援助が行われました。

白い砂浜が水平線まで広がる海岸を見渡していると、かつては本当にフランスと地続きだったのだろうなあ、という実感が湧いてきます。潮位の差が激しくて、日に2回起こる干潮時には島の面積が満潮時の倍ほどに拡大します。遠浅の砂浜は安全で爽快ですし、岩場の海洋生物もイギリス本土より多様で、子どもの磯遊び場に最適。そして、快晴でも、あまり人はいません。行きも帰りもフェリーは満車で、乗客率も98%だったのですが、海岸だけでなく、島の中心部でも渋滞などは皆無。夏至の近くでしたので、日照時間は午前4時半から午後9時半ごろまでの15時間、徒歩移動しても、最大の街セント・へリエの繁華街以外では、人とはほとんど出会わない、自然な海岸の光景を独り占めできる観光地なのです。近年、日本で懸念されているオーバーツーリズムとは無縁の地と言えましょう。

マック木下のジャージー紀行観光客に強くアピールするのは、美しい海岸に整備された公園。違法駐車の監視は厳しくて、島内のほとんどの駐車場が有料。駐車料金の支払い漏れにご注意を。ネット払いも便利ですが、さらにお得な支払方法は、キオスクなどで事前にクーポンを購入しておくこと。

日本を意識する?

ところで、6~8月のヨーロッパは天候にも恵まれ、暖かく快適な日々を過ごせるのですが、朝夕は冷え込むので上着が必携です。旅先で便利なのがジャージですね。そして、日本では冬の体操服をジャージと言いますよね。あのジャージはまさにこのジャージー島が発祥で、牛乳を作る農夫たちや漁師が着ていたニット素材がその起源だそうです。ジャージは編み方に島内でも地域的な特徴があります。そのため、漁などで遭難した遺体は、着ていたジャージから出身の教区が割り出され、家族のもとに戻されたというエピソードも……。

また、ジャージー牛乳が日本に導入された経緯も明治時代初期からということで、戦後に食肉・搾乳兼用のホルスタイン乳牛を導入した後でも、ジャージー牛乳の品質の良さ、美味しさが何度も見直され、長年に渡って量販店やコンビニの棚から消えることがなかったブランド品です。また、最近の傾向ですが、ジャージー島では緑茶の栽培が行われていて、ロンドンの高級ホテルなどのアップマーケットで人気のようです。ジャージー島は世界の緑茶葉栽培の北限の地で北緯48度。ちなみに、日本の北限は秋田県能代市の北緯40度。西岸海洋性気候は高緯度でも割と暖かいということでしょう。

島の南東ロック波止場から沖に向かってしばらく歩いても、目指すSeymour Towerはまだまだ見えて来ません。やはり、地球は丸い?浅瀬にはかなり大きな魚、カニ、ロブスターが泳ぎ回っていましたが、甲殻類の捕獲は厳禁。

さらに、日本を意識するものと言えば、海産物。ジャージー島最南端のロック波止場から干潮時に2キロ沖の海砦シーモア塔まで徒歩で往復する4時間のツアーに参加したときのこと。地元ガイドさん曰く、「ここにある海藻はすべて食べられます。日本人のあなたなら私よりも詳しいでしょう」そのツアーには現地住民も含め20人ほどのイギリス人と1人の日本人が参加しました。ナショナル・トラストの専属でもあり、海洋生物学に詳しいガイドさんは、日本の生物多様性の豊かさをよく知っていて、ジャージー島との比較で分かりやすく語ってくれました。

マック木下のジャージー紀行干潮時、La Rocqueの波止場から沖合に2キロの地点におわすSeymour Tower砦。参加したツアー名はWalk on the Seabedで要事前予約。この砦から折り返す際、「これから潮が満ちてくるわよ」というガイドの声でグループ内に一瞬の緊張感が……。この地点で干満差が2mと、なかなか激しい潮位差です。

マック木下のジャージー紀行“Walk on the Seabed”のツアーで収獲した海藻、シーレタス(アオサ)とコクレス貝。持参した味噌で、大西洋の味を楽しみました。貝は砂出しが出来なかったのですが、砂はさほど気になりませんでした。

ただ、このツアーの場で確認したいくつかの残念な事実があります。ひとつは釣りです。旅行中、ほとんど海岸沿いを移動していたのですが、一人の釣り人も見かけることがありませんでした。また、沖合への乗合船を何社か予約してみても、どの日でも、どの会社でも、最少催行人員に満たないとのことで、ことごとくキャンセル。

もう一つ確認したことは、「市場に行けば新鮮な魚介がある」という振れ込みでしたが実際に行ってみると、イングランド本土の魚屋と大差がないどころか、赤い目をして痩せた鯖が店頭に数匹だけ並んでいたことに邦人は大落胆。その背景を教えてくれたのも、前述のガイドさんでした。

「かつては肥料用や食用の海藻採取も盛んで、オーマ(アワビの現地語)やアナゴも本土に出荷するほど生育していました。ただ、漁獲量が激減して自主的な漁獲制限を設けると同時に、釣りもライセンス購入などで制限されると、島全体で漁業を離れる人が増えてしまい、コロナ禍によって漁業が壊滅的状況になりました。それなのに、イギリス政府(保守党政権時代)からは、漁業に対して何の援助もないんです」

とのこと。海に囲まれながら、食生活は海の資源から遠ざかりつつあるのが現状のようです。もちろん、値段に糸目をつけなければ、高級店で美味しい海産物を頂くことは可能です。でもまあ、島だからと言って、日本の島々のように、安価に新鮮な魚を食べられることを期待するわけにはいかないとだけお伝えしておきましょう。今回の旅行では、持参した刺身包丁が活躍する機会はありませんでした。


“ランブる(ramble)”魅力

以上に述べてきたのは、行ってみて分かったジャージー島の意外な側面で、あえて言えば、気に留めておくべきこと。事実としてお伝えすることが、実際に行かれる読者様の知識として、お役に立つだろうと考えました。そして、それらの側面を差っ引いても、イギリスの風光明媚な景色の中を“ランブる(ぶらつく)”楽しみは、ここジャージー島でも健在でした。観光名所も多いのですが、島中のどこに行っても徒歩の速度で眺めては、心洗われる景色が堪能できることがジャージー島の特徴でしょう。

マック木下のジャージー紀行海に飛び込みたい衝動に駆られる美しさですが、海水は北海道北部並みに冷たいのでご注意を。冷たさで、脚にこむら返りが生じます。

住んでいる人々も、イギリス本土の人々に比べてのんびり、且つ気楽な感じがします。この島特有のタックスヘイブンの影響もあると思いますが、そうした環境に惹かれて本土から移住してくるイギリス人も、ナイジェル・マンセル、ヴィクトル・ユーゴー、ジョージ・エリオットなど歴史に名を残す人も少なくありません。

マック木下のジャージー紀行ドイツ軍の上陸を阻むために造成された土手と砂浜。平和が戻ってからは観光地。

実際、先のガイドツアーで知り合った人々、そして宿泊先のオーナーたちは全員が、この島の魅力に惹かれてイギリス本土から移住してきた、割と豊かな人たちでした。 「島の魅力は何?」と聞くと、散策、自然、海、景色、ジャージー牛乳、イギリス本土との距離、イギリス国内の外国であること、治安、そして(本土との距離が象る)気楽な人間関係という応えでした。 やはり、まず、散策はイギリス人になくてはならないもの。 そして、彼らと海との関りはクルージングなどのマリンスポーツで、漁業や海産物にはあまり関心を見せません。むしろ、食の関心は名産の鶏卵、乳製品、ジャージーロイヤルポテト、そして自家栽培の野菜にあるようです。

マック木下のジャージー紀行南西のポートレット湾内。干潮時には歩いて渡れる島の中にジャンブリンの墓と呼ばれる塔があります。18世紀中ごろまで、ペストなどの疫病に感染した人々が回復するまで上陸を待つ場所として指定されていました。現在では、海岸に“NO Take(生物の捕獲禁止)”の看板がありますが、生態観察としての磯遊びに適しています。

今回は紀行文として、ジャージー島がサーフィンのメッカであることや、エリザベス城や動物園などの名所、ブラックバターやアイスクリームなどの美味しいものを紹介すべきだったのかもしれません。しかし、そういったものは簡単にネットで検索できる「情報」です。ここでは、当方の視点を通じて得た「知識や見解」をお伝えするべきであろう、と考えました。

マック木下のジャージー紀行ジャージー州旗はイングランド旗にどんぐりのような印が……。漆喰で塗られた白い住宅が並ぶ豊かな島。

それは端的に言えば、サブタイトルのように「イギリスの中の(従来のイギリスという枠組みでは語りきれない)もうひとつのイギリス」があるということです。本稿の掲載は夏の終わりですが、旅の目的地として計画するなら、今から来年のイギリスの夏(6月~9月)に向けて、あらかじめいろいろ調べておけば、旅の目的も明確になり、計画も立てやすくなるでしょう。イギリス本土と、ジャージー島と、2つのイギリスを経験することで、新たなイギリスに目覚める楽しみを皆さまと共有できれば幸いです。

Text by M.Kinoshita


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マック 木下

マック木下

ロンドンを拠点にするライター。96年に在英企業の課長職を辞し、子育てのために「主夫」に転身し、イクメン生活に突入。英人妻の仕事を優先して世界各国に転住しながら明るいオタク系執筆生活。趣味は創作料理とスポーツ(プレイと観戦)。ややマニアックな歴史家でもあり「駐日英国大使館の歴史」と「ロンドン の歴史散歩」などが得意分野。主な寄稿先は「英国政府観光庁刊ブログBritain Park(筆名はブリ吉)」など英国の産品や文化の紹介誌。

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