憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ | BRITISH MADE (ブリティッシュメイド)

Absolutely British 憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ

2024.10.11

イングランドの歴史で万人の興味を引くのは、やんちゃな王様ヘンリー8世がやりたい放題に生きた16世紀頃、あるいは華やかなりしヴィクトリア朝かもしれないが、5世紀から続いた混沌とした初期中世も、そのダイナミズムでは負けていない。

いわゆる、七王国が林立した戦国時代だ。

七王国とは、ノーサンブリア、マーシア、イースト・アングリア、エセックス、ウェセックス、ケント、サセックスを指す。いずれもヨーロッパ大陸から流れてきたゲルマン系、サクソン系の民族が現在のイングランド領域に打ち立てた王国であり、先住民であるブリトン人(ケルトの人たち)を西の辺境に追いやった歴史がある。

最終的に戦いに勝ち抜き、バイキングを撃退して10世紀にイングランド統一を成し遂げたのが、かのアルフレッド大王率いるウェセックス王国だった。その輝かしい首都が現在のウィンチェスターという街で、ロンドンから電車で1時間ほど南西へ行った場所にある。

しかしウェセックス王国もノルマンディーからの侵略者により、11世紀には地理上から消えてしまう……。

憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ歴史深いウィンチェスターの街並み。
ウェセックスと言えば、故エリザベス2世の三男であるエドワードさんが結婚時に授与された称号が「ウェセックス伯爵」だった。ウェセックス伯は1000年前に創設されて以来、ずっと空位となっていたところ、突然復活した名誉ある称号だ。現在はエドワードさんの長男のジェームズ君がウェセックス伯を継承している。

いにしえの領土名を冠した称号を、王室が突然復活させた理由はなんだろうか? いろいろな見方はあると思うが、おそらく忘れてはならないイングランドの歴史を、うまく公の場に出したかったからではないだろうか。これは英王室が辿ってきた波乱万丈の歴史にも関係している。

現在の王室がその血縁を通してほぼ全てのヨーロッパ王家と繋がりがあるのは周知の事実だ。1000年前に現在の英王室を開いたのもギヨームという名のフランス貴族なのだから、かなりインターナショナルなのである。

10世紀になってようやくウェセックス王家がイングランドを統一したものの、北欧系ゲルマン人がやってきてその王を追い出し、次にフランス北部のノルマンディーからイングランドの王位継承権を主張してやってきたギヨームが、当時の支配者を倒してイングランド王になった。1066年にヘイスティングスで起こった戦いの結果だ。

ギヨームはこうして「ウィリアム1世」となり、ノルマン朝のイングランドを作っていった。突然のフランス人王のお出まし、なのである。イングランドの歴史を調べるにつけ、毎度ながら「う〜ん、そうくるか」と唸ってしまう下りである。

ただし、この人が娶ったフランス人の奥方が、実は父方の祖先を辿るとウェセックス王家の血筋。アルフレッド大王の子孫にあたり、古いイングランドの血筋が半分は受け継がれているよんという、ほっこりとする事実もある。つまり現王室のメンバーも、偉大なるウェセックスのアルフレッド大王の子孫なのだよということだ。ウェセックス伯爵の名を現在に蘇らせることで「そんな歴史もあったな……」と、皆に思い出してもらいたかったに違いないのだ。

というわけで前置きが長くなったが、今回は英王室あこがれの(あくまでもイメージ)統一イングランドの象徴でもあったアルフレッド大王のウェセックス王国首都、ウィンチェスターの旅である。

ウィンチェスター駅からぶらぶらと南へ向かって歩いていくと、古風な街並みが広がってくる。その最大の見どころは、ウィンチェスター大聖堂だ。

憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ 街の中心的な役割を果たすウィンチェスター大聖堂。
ヨーロッパの街や村を訪れると、できるだけその土地の教会や大聖堂を訪れるようにしている。有名な教会でも中に入るとあまり感動しない場合もあるし、期待ゼロで訪れた教会がことのほか魅力的だったりと、こればかりは行ってみなくては分からないものだ。

そういう意味で、ウィンチェスター大聖堂は大当たりだった。

正面から見るとさほど巨大な印象は持たないのだが、中に入ると奥に長い。調べてみると、ここはヨーロッパの大聖堂の中では身廊の長さが最長なのだという。もともと7世紀頃にオールド・ミンスターと呼ばれるウェセックス人のための聖堂があったのだが、11世紀にフランスから来た王様がノルマン様式の大聖堂に造り替えてしまった。壮麗なゴシック建築である。

憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ非常に丁寧な修復で良好な状態に保存されている。 憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ細やかなヴォールト装飾はゴシック建築の極み。 憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ長い側廊(右)。古い彫像が多く興味深い。
ノルマン朝になって首都機能がロンドンに移された後もしばらくは、ウィンチェスターは国家の行政機能を保っていた。例えば大聖堂はウェストミンスター寺院の代わりに、君主の戴冠式にも使われていたようだ。

長さのある聖堂内をゆっくり歩いていると、建築年代によって明らかにいくつかの様式が混在していることが分かる。ゴシック建築には畏敬の念を持つけれど(気味の悪さと同時に……)、どちらかというともう少し古くて温かみのある建築が好きなので、初期のロマネスク様式が残されている翼廊に出たときは、なんとなく気持ちが緩んだ。

また側廊の至るところで見かける誰かの棺や記念碑、味わいのある石の彫刻、そして現代作家とのコラボレーションとしての彫刻展示など、見ておくべき芸術的な要素が比較的多いのも特徴だ。

憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ ロマネスク様式の翼廊。この写真にはないが、12世紀に描かれた壁画が残されている箇所もある。中世の彫像や石細工のコレクションも多い。 憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ 私が訪れた時は現代彫刻家のローレンス・エドワーズさんの作品が展示されていた。聖堂空間によく合う。今年11月5日まで。
ウィンチェスター大聖堂に埋葬されているのは、歴代のウェセックス王やイングランド王、ウィンチェスターの守護聖人でもある聖スウィザン、ウィンチェスターで没した作家ジェーン・オースティンなど、約35名。

墓といえば、9世紀にウィンチェスターの司教だったスウィザンという人が、その人柄と働きによりカンタベリー大司教によってのちに列聖されたことで、ウィンチェスター大聖堂の聖スウィザンの墓から、カンタベリー大聖堂のトマス・ベケットの墓標までを結ぶ巡礼路が12世紀に作られたのだという。

これが現在「ピルグリムス・ウェイ」と呼ばれている有名な巡礼路だ。

この巡礼路は、実はローマの時代よりももっと前から古代の道として既に存在していたもので、少し東に位置するストーンヘンジやエイブベリーといった古代遺跡と合わせてお参りをする人も昔は大勢いたのだそうだ。いわゆるエネルギーの通り道である「レイライン」の一種と見て間違いない。古代の人々が自然に形作った道のりを、中世を経て、現代の私たちも楽しむことができるというのはありがたいものだ。

憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ こちらは地下聖堂。建設最初期に造られたもの。アントニー・ゴームリーによる常設彫刻と絶妙にマッチしている。大雨が降ると地下聖堂はすぐに水浸しになるほど海抜が低い上に地盤も緩いため、20世紀初頭に見つかった地盤沈下による建物の傾きを直すため、深海ダイバーを雇って水をかき出し修復した歴史もある。
この大聖堂でもう一つ気づいたのは、聖母マリアとは違う女性の彫像がちらほらと見受けられたこと。興味を惹かれ、その中の一つだった甲冑を身につけ剣を握りしめた黄金色の女性の彫像に歩み寄ると、なんとそれはジャンヌ・ダルクだった。

なぜジャンヌがこんなところに……? 後で調べて分かったのだが、彼女はその昔、当時のウィンチェスター司教、ボーフォート卿が暗躍したことで死刑宣告を受けていたのだった。この彫像は公式のお詫びのしるしとして、ジャンヌが列聖された際に発注されたものなのだそう。列聖から3年後、死後ほぼ5世紀が経った1923年に、当時のウィンチェスター司教によって奉納されたという。

なかなか凛々しく美しい像なので、ここに来たらぜひ見てあげてほしい。

憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ 黄金色のジャンヌ・ダルク。ぜひ見つけてみて。
さて、大聖堂を後にして周囲の散策をしてみると、ことのほか楽しい。何の予備知識もなく歩いていると小さな発見にさえ心躍るものだ。

不思議なワクワク感を覚えたのは、大聖堂の裏手に広がる緑のエリア、そしてウィンチェスター・カレッジ周辺の散策だった。僧院や学校関係の古い建物が多く、のんびりとした雰囲気でいにしえの空気を感じる一帯だった。

大聖堂すぐ裏手の小高い場所に僧院跡があり、登っていくと19世紀後半にウィンチェスター司祭を務めたトーマス・ガルニエに捧げられた小さな庭園がある。大聖堂を取り囲む樹木の多くが植物を愛したガルニエによって植えられたのだとか。小さなガーデンはその人柄を表すかのように素朴で優しく、ときに遊び心もあって見応えがある(そういえばガルニエってフランス系の名前ですよね……ユグノー教徒の末裔みたい)。

憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ 小さなトンネルを潜って……。 憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ 大聖堂の裏側を散策。 憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ トーマス・ガルニエに捧げられた小さなガーデン。遊び心もいっぱい。
周辺の奥まった場所にはウィンチェスター司教の館だったウルブジー城の廃墟がある。かつては王室の婚礼祝賀会が開かれたこともあったそうだ。その東側に街を貫くイッチェン川が流れており、古い水車小屋をミュージアムに改装したアトラクションもある。
憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ この街で生涯を閉じたジェーン・オースティンのブルー・プラークのある建物は、ほぼウィンチェスター・カレッジの一部。 憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ サウサンプトン港に向かって流れるイッチェン川の清流。この場所の向かいにナショナル・トラストが管理する水車小屋がある。
川沿いの豊かな自然を楽しみつつ駅のほうへ戻っていくとウェセックス王国の最大の立役者であり、イングランド統一の礎を築いたアルフレッド大王の彫像が、空から街を見下ろしている。
憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ 街の中心に立てられているアルフレッド大王像。左はギリシャとエジプトの習合神であるセラピスを祀ったウォーターガーデン。
そのままハイ・ストリートを上っていくと、11世紀にウィリアム1世によって建造され、ヘンリー3世によって増築されたウィンチェスター城跡にたどり着く。

城は現存せず基盤のみが残っている状態。しかし隣に立つ「グレート・ホール」は13世紀前半にヘンリー3世が増築した時のまま残っており、中世の催事場としては最高峰の歴史遺産だ。

今回の旅の目的は、実はグレート・ホールの壁に取り付けられた「アーサー王の円卓」を見るためだった。なぜ「アーサー王の円卓」がウィンチェスターにあるのか。どういう意味でそこにあるのか……。

「アーサー王と円卓の騎士たち」のお話はここでは繰り返さないが、騎士道物語が大いに流行ったヨーロッパの中世以降(12世紀頃)、あらゆるファンタジー好きを虜にしている「中世騎士道譚」の原型である。円卓はアーサー王が信頼する誇り高き騎士たちが囲み、互いに同等の目線で意見を述べ合うことが許されている。デモクラシーを謳歌している状態なのだ。

グレート・ホールの円卓は13世紀当初から既に取り付けられており、ヘンリー8世の時代に現在の形に塗り直されたのだという。中央上に描かれているのは、アーサー王としてのイングランド王。その周りに、王の25人の騎士たちの名前が描かれている。

憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ グレート・ホールの壁にかけられた円卓。「エレノア王妃の庭」と呼ばれる中庭も見どころ。
なぜヘンリー8世はこういう形で円卓を残したのか。

イギリスの王様というのは、ヘンリー8世に限らず昔から名君として語られる伝説のアーサー王への憧れが強い。彼の威光にあやかりたい王様が、アーサー王に自らを重ね合わせることも多かったのだろう。その最たるものが、アルフレッド大王とゆかりの深いウィンチェスターの「アーサー王の円卓」なのだ。(もっともヘンリー8世はデモクラシーとはかけ離れた王様だったはずだけれど。)

アルフレッド大王は文武両道の名君であり、武芸を愛し、法を整え、歴史書を編纂し、教育に力を入れた。むろん行政も他国との関わりも含め、うまく治めたようだ。

伝説のアーサー王は、アルフレッド大王のような人だったのだろうか?

ここは永遠の謎ではあるが、私はイングランド統一の立役者であるアルフレッド大王と、永遠の名君である伝説のアーサー王は、同じイメージを持って語られることもあり、両者には分かちがたいご縁があると思っている。

伝説の王と、実在の王が重なり合うとき、それがイングランドの幸福になる。だからアーサー王は生き続ける。昔も、今も、これからも……。

憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ 城跡にあったモニュメント。ケルトっぽい柄が気になる。
今回の記事を書きながら、いつも以上に「イギリス的なものとは?」について考えてしまった。

七王国時代について調べると、彼らがドイツや北欧からやってきたゲルマン、サクソン系の民族が作った国だったこと、現在の王室の祖が北欧系のフランス人だということとか。ブリトン人(ケルト民族)と言われる先住民でさえも、元はヨーロッパ大陸から流れて着いていることを考えると、土着の「イギリス人」など幻想なのだと思えてくる。

とはいえイギリスに長く暮らしていると間違いなく「イギリス的なもの」「イギリス人らしさ」は確固としてあることが分かる。明らかな独自性、そして独自の国民性。ということは、「イギリス的なもの」とは、人ではなく風土が醸成するのだろうか?

この問いへの答えは、各人で異なるのだと思う。その答えに思いを馳せつつ……本日はこれにて。

憧れのウィンチェスター、アルフレッド大王の元へいざ 江國まゆ 「イングランド最古のパブ」を主張するRoyal Oakがある細い通り。パブ文化だってイギリスのものでしょ?
Text&Photo by Mayu Ekuni

ブリティッシュメイド公式アプリ

plofile
江國まゆ

江國まゆ

ロンドンを拠点にするライター、編集者。東京の出版社勤務を経て1998年渡英。英系広告代理店にて主に日本語翻訳媒体の編集・コピーライティングに9年携わった後、2009年からフリーランス。趣味の食べ歩きブログが人気となり『歩いてまわる小さなロンドン』(大和書房)を出版。2014年にロンドン・イギリス情報を発信するウェブマガジン「あぶそる〜とロンドン」を創刊し、編集長として「美食都市ロンドン」の普及にいそしむかたわら、オルタナティブな生活について模索する日々。

http://www.absolute-london.co.uk

江國まゆさんの
記事一覧はこちら

同じカテゴリの最新記事